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12 新辺境伯への期待

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「さあ、行こう」

 馬車を降りたデイラは、差し出されたキアルズの掌の上に手を重ねる。

 毎年同じように入場しているのに、デイラはどこか緊張しながらキアルズに触れた。
 久しぶりにキアルズの声や表情がとても優しげだからかも知れない。

 平常心を取り戻そうと、デイラは密かに深呼吸をした。

「ようこそ、辺境伯さま」

 商工会館の立派な大広間に足を踏み入れると、茶色の立派な髭をたくわえた会頭が二人を出迎えた。

 エルトウィンの商人や職人をまとめる重鎮は、にこやかな笑みを浮かべて丁寧な挨拶をする。

「今宵はご多忙のところ足をお運びいただき、まことにありがとうございます」
「こちらこそお招きありがとう。わたしの代も、変わらぬ力添えをよろしく頼みます」

 キアルズの受け答えはしっかりと落ち着いていて、会頭は若き領主を頼もしげに見ながら応えた。

「もちろんでございます。我々は一丸となって辺境伯さまをお支えいたします」
「心強い。何かあれば、忌憚のない意見を聞かせてください」

 すると、どこか待ち構えていたかのように会頭は少し身を乗り出した。

「では、早速ですがひとつだけ。ご領主となられたからには、できるだけ早く身を固めていただきたく存じます」

 キアルズは苦笑を返す。

「爵位を継いでから、どこへ行ってもそう言われます」
「多くの若い女性たちをいつまでもやきもきさせ続けるのは、いかがなものですかな」

 たしか会頭の末娘も、キアルズの取り巻きの中にいた。

「特に私どもの娘を推しているわけではありませんよ。あなたを慕うお嬢さん方はどなたも美徳あふれる善良な女性ばかりですからね。中にはプロウ侯爵令嬢のような高位貴族の方もいらっしゃいますし。ただ――」

 会頭は父親の顔を覗かせ、困りごとを打ち明けるかのように声をひそめる。

「私の娘もそうですが、あなたがお一人に絞ってくださらないと、別の男性との縁談にはなかなか目を向ける気が起きないようで……」

 キアルズは鷹揚な笑顔で頷き、濁すことなくはっきりと言った。

「わたしも、生涯の伴侶を決めるときが来たと思っています」

 途端に、太い柱の陰からキャーと黄色い歓声が上がる。

 そのあたりでは、立ち聞きをしていたらしい若い令嬢たちが、嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねていた。

「アリジェーナ、はしたない」

 会頭が注意すると、茶色い髪の娘が陽気に笑いながら肩をすくめた。

「だって、お父さまがなかなかキアルズさまを解放してくださらないんですもの」

「わたくしたち、待ちかねておりましたのよ」

 取り巻き歴が一番長い侯爵令嬢がそう言ったのを皮切りに、キアルズのもとには女性たちがワッと押し寄せた。

「ああ、皆さんこんばんは。しばらくぶりだね」

 キアルズが声を掛けると、令嬢たちは次々と口を開く。

「こんばんは、キアルズさま、クラーチさま」
「ついにこの季節が始まりましたわね!」
「やっとそば近くでお目にかかることができましたわ」

 会頭はやれやれといった顔になると、「では辺境伯さま、なにとぞよろしくお願いいたします」と言い残してその場を去っていった。

「キアルズさま、今夜の青いご衣装もよくお似合いです」
「ありがとう」
「クラーチさまの水色のドレスとも空と海のように調和が取れていて、おふたりが入ってこられたときは思わずうっとりと見とれてしまいましたわ」

 この六年の間にデイラは更に名を揚げ、騎士だということは社交界にもすっかり知れ渡ってしまったが、護衛だとは思われず、キアルズが昔から信頼を置いているお目付け役のような存在だと見なされている。

「皆さんも、美しく咲き誇るお花のようだね」

 キアルズが褒めると、令嬢たちは少しはにかみながら微笑んだ。
 取り巻きの女性たちの顔ぶれは年ごとに新陳代謝を繰り返し、今ではいがみ合うようなこともなく、「みんなでキアルズさまを愛でましょう」とでもいうような平和な雰囲気になっている。

 とはいえ、彼女たちも新しく領主となったキアルズが花嫁探しに本腰を入れるのではないかと期待しているようで、前年にも増して気合いの入った装いをしていた。

 素直に感情をあらわにする令嬢たちを、デイラはとても可愛らしいと思う。

 頬をぴかぴかと輝かせてキアルズと会えた喜びを溢れさせている花嫁候補たちとの語らいを邪魔しないよう、例年と同じようにデイラが話の輪から少し離れようとしたとき――。

「あっ、デイラ」

 キアルズが、デイラの腕をつかんで引き止めた。

「は……」

 まるで昔に戻ったかのように、キアルズはデイラに屈託のない笑みを向ける。

「今夜の会の始まりのダンスを頼まれてるんだ。ぜひ一緒に踊って欲しいな」
「え……」
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