年下騎士は生意気で

乙女田スミレ

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52 漆黒のハヤブサ、つがいと共に

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「着いてたのか」

  応接室の出入り口に立つ声の主を見て、アイリーネは笑顔になった。

「フィン」

  窓辺に置かれた長椅子に座っているアイリーネをフィンは眩しそうに眺めると、扉を閉めて大股で歩いてきた。

「キールトは王宮に出掛けたんだってね。行き違いになったみたい」

  フィンはアイリーネの隣に腰を下ろす。
「ああ。フォルザのケニース夫妻が到着したらしいな」

  警備上の理由や、離れて暮らすのは心配だというルーディカの思いもあり、夫妻は長く務めていたドミナン伯爵家の別荘番を辞して、王家が郊外に所有する邸の管理を任されることになった。

「私も会ってきたけど、元気そうだったよ」

  アイリーネの足許には、まとめられた荷物が置かれている。王宮からこのガーヴァン侯爵家別邸に運んできたものだ。

  ひと月ほどの間、アイリーネは王女の恩人として医師から経過観察を受けるため王宮に留まり、王家との関係を伏せておきたいフィンと、ルーディカとの婚約をまだ公にしていないキールトは、令息であるヴリアンが去った後も引き続きこの別邸で世話になっていた。
  とはいうものの、〝アイリーネの復帰に向けた鍛錬を手伝う〟との名目で、フィンとキールトは足繁く王宮に通った。

「おまえの調子はどうだ? 長旅には耐えられそうか」
「もちろん!」

 隊に戻っても良いとの診断がようやく下ったので、今日の午後に三人で王都を発つこととなった。

「夜盗団と一晩中戦えるくらい元気だよ」

 昨日は王宮騎士たちと剣の手合わせをしたのだが、アイリーネが相手を圧倒していた。

「麗しのアイリーネ様がいなくなって、王宮の女性たちはさぞ寂しがってるだろうな」

  アイリーネは困惑したように眉をひそめる。
「あれは何だったんだ……」

  アイリーネが病室を出て王宮内を歩き回れるようになると、あちこちで黄色い悲鳴が上がるようになった。

「至るところでおまえの武勇伝が語られてるからなあ。愛らしい姫君を身を挺してお助けした、幼なじみの美しき女騎士〝漆黒のハヤブサ〟……」
「や、やめてよ」

「毒に倒れた女騎士を、姫君が自ら手がけた解毒薬で救ったっていう劇的な展開も評判で、戯曲にするために有名な劇作家が脚本を書いてるらしいぞ」
「えぇ……」

「設立が発表された薬学研究所にルーディカさんが携わって欲しいって声も多いし、おまえには勲章が授与されるそうだし、これからも二人は注目の的だな」

 アイリーネが沈んだ表情を浮かべたことにフィンは気づく。

「リーネ?」
「……本当はフィンがイドランを倒したのに……」

  王家との係わりを覚られることがないよう、公表された襲撃事件の顛末のどこにも〝秘密の王子〟であるフィンは登場しない。

  フィンは可笑しそうな顔をした。
「そんなの、どうだっていいだろ」

「でも、王女の暗殺を企てた犯人を取り押さえたなんて、それこそ勲章もののお手柄だよ。勇ましい異名が付けられて、国じゅうで讃えられるほどの……」
「武勲は別の機会に立てるつもりだし、異名なんて要らねーし」

  ふと、フィンは何かを思い出したかのように呟いた。
「あ、異名なら俺にもあったな。えっと……」

  不思議そうなアイリーネに、フィンはニヤリと笑う。
「そうそう、〝懐かない仔犬〟だ」

  アイリーネはうろたえた。
「そっ、それは……あのころのフィンが物凄く無愛想だったか……」

  笑みを浮かべたまま、フィンはいきなりアイリーネの肩を抱き寄せる。

「んっ……!?」
  不意打ちで唇を重ねられ、アイリーネは目を見開いた。

 あれから程なくして正式な婚約者となった二人だが、アイリーネが調子を取り戻すにつれて水入らずの時間は減っていったので、こんなふうに触れるのは毒に倒れた前夜以来だった。

  アイリーネはゆっくりと睫毛を伏せる。
  吐息を重ね、熱と柔らかさを分かち合い、二人は長い口づけをした。

  名残惜しそうに離れた唇が囁く。
「異名なんか付くより、俺は〝漆黒のハヤブサ〟のつがいになれる方が嬉しいんだ」

 高鳴る胸をアイリーネは上下させた。

「ここまで赤いな」
  フィンの手が、アイリーネの紅潮した鎖骨のあたりに触れる。
「あ……」

 馬車を使うことにしたので、アイリーネは女性用の旅装束を身に着けている。
 襟ぐりからのぞく膨らみにフィンの指先が届きそうになると、アイリーネは恥ずかしそうに制止した。

「だ、だめ」
「なんで」
「キールトが戻って来ちゃう……」

  フィンは残念そうに手を引くと、長椅子の背もたれに身体を預けた。
「中央街道を使うにしても、駐屯地まで半月はかかるよな……」

  帰りは巡礼路を通る必要がないので、エルトウィンには最短の道のりで向かうことができる。中央街道から程近いディトウのレクリン男爵邸にも寄る予定だ。

「じゃあ、今ここで焦ることもねえか」
「え……。キールトも一緒なんだから、さっきみたいなことはできないよね?」
「は?」

  眉根を寄せてしばらく考えると、フィンは「……だよなあ」とうなだれた。

「ずっと小舅がついてるみたいなもんじゃねーか……」

 そう呟くと、気持ちを切り替えるようにフィンは顔を上げ、自らを励ますように明るい声を出した。

「まあ、道中は我慢する。あっちに着いたら、いつも一緒なんだしな!」

  確かに、慣例からしても結婚するまでは異動を命じられることはないだろう。

「……あの、そのことなんだけど」
  アイリーネは言いにくそうに切り出した。

「婚約したことは隊に報告するけど、駐屯地では節度ある態度を保って、あくまで同僚として接しようね」
「……はあ?」

  アイリーネは視線を下げる。
「規則で、駐屯地内でのそういった行為は禁じられてるし……」

 「正式な婚約者同士だぜ!?」

  思わず叫んだフィンに、アイリーネは首を横に振った。

「他の隊員に示しがつかないよ。お互い規範とならなきゃいけない立場なんだから」

「就寝時間にお互いの部屋を密かに訪ねたりするのも駄目か?」
  小隊長なので、二人ともそれぞれ個室を与えられている。

「建物内に他の人がいないときなんてないんだから、気づかれちゃうよ。――ねえ、フィン」
  アイリーネはきりっと表情を引き締めた。

「けじめは大事だよ。後ろめたいことはやめよう」

「はあぁ!?」
  フィンは抗議の声を上げる。
「俺、絶対におまえに触れたくなるぞ?」

  アイリーネだってきっとそうだ。だが、騎士としての分別は忘れたくない。

「おまえの方は、本当にそんなんでいいのかよ?」
  詰め寄られ、アイリーネは懸命に考えを巡らせた。

「え……えっと、同じ日に休みを取って駐屯地から出て、離れたところに宿でも取って、そこで心おきなく……」

  アイリーネはハッとして、恥ずかしいことを言ってしまったと口をつぐむ。

「……心おきなく……」

  フィンは独り言のように繰り返すと、真っ赤になったアイリーネを眺めて少し表情を和らげた。

「……まあ、おまえが頑張って提案してくれたんだし、全然足りる気がしねえけど、まずはそうしてみるか」

  一定の理解を示しつつも、「でもキールトさんが抜けたら忙しくなるだろうし、同時に休みなんて取れるのかよ……。あーもう早く結婚して、一緒に住みてえ……」などと今ひとつ吹っ切れない様子でフィンがぼやいていると、扉を叩く音がした。

  キールトが帰ってきたのだと思った二人は、なんとなく間隔を空けて座り直す。

「――おくつろぎのところ失礼いたします」
  別邸を取り仕切る従僕頭じゅうぼくがしらの声が聴こえてきた。

「お言伝ことづてが届きまして」

  扉を開けに行ったフィンは、そこで従僕頭と何やら立ち話をすると、不意にくるりと振り返った。
 急ぎ足で長椅子の方へと戻ってきて、何も言わずに床に置かれたアイリーネの鞄を持ち上げ、再び出入り口の方へと向かう。

「えっ?」

  荷物を渡された従僕頭は、さらにフィンと二言三言交わし、にこやかにお辞儀をして去っていった。

「もう馬車に積み込んでもらうの?」

  アイリーネの方に歩いてきたフィンは、どこか晴れ晴れとした顔つきになっていた。

「王宮からキールトさんの使いが来たそうだ」
「何かあった?」

 フィンの口の両端が嬉しそうに上がる。

「ケニース夫妻を歓迎する晩餐にキールトさんも参加することになったんで、出発を明日に遅らせて欲しいって」
「明日?」
「遅くなるから、今夜は王宮に泊まるらしい」

  そう言うなりフィンは身をかがめ、アイリーネを長椅子から抱き上げた。
「えっ……!?」

「さすがヴリアンさんが全幅の信頼を寄せてる従僕頭だな。もう東翼の寝室の準備は整ってるって」

  東翼の寝室といえば、あの浴室付きの豪奢な部屋だ。

「おまえの荷物は、先にそこへ運んどいてもらった」

「えっ、え、え……?」
  鍛錬によって少し重くなったはずのアイリーネを軽々と抱いたまま、フィンは廊下に出る。
「フィ、フィンッ、待って」

「なんだよ?」
「お、降ろして。誰かに見られたら……」
「大丈夫だ。気が利く従僕頭が、『人払いはお任せください』って言ってた」

  それでもアイリーネは声を潜める。
「まっ、まだこんなに明るいし……」

  お構いなしに、フィンは陽の当たる長い廊下をどんどん進んでいく。
「暗くなるのを待ってたら、いっぱいできないだろ?」

「い、いっぱい……?」
  おののいたように瞳を揺らすアイリーネに、フィンはにっこりと笑った。
「『夜盗団と一晩中戦えるくらい元気』だったよな?」

  赤く染まったアイリーネの頬に、フィンは口づける。
「大好きだ、リーネ」

  自分だってもちろんそうだが、さすがに性急すぎると訴えようとしたアイリーネに、フィンは幸せそうに水色の瞳をきらめかせ、とびきり甘い笑顔を向けた。

  アイリーネはぐっと言葉に詰まる。

「嫌なら、制圧術で止めてくれ」

  風のように素早く、年下騎士は愛しい婚約者を寝室まで運んだ。
  草花模様が彫り込まれた木製の扉が、静かな音を立ててしっかりと閉まる。

  夜を越え、朝を告げる雲雀ひばりが鳴き始めても、アイリーネが制圧術を繰り出すことはなかった。


                 <了>
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