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47 恐るべき陰謀
しおりを挟む「――ニーヴン!」
イドランの裏返った金切り声が合図だった。
小柄な従者は懐に隠し持っていた短刀を取り出すと、驚くほどの速さでアイリーネに斬りかかってきた。
予見していたアイリーネは、背後のルーディカをさらに後ろに突き飛ばし、手の中にある鉄針を仕込まれた羽根飾りで応戦する。
短刀の軌道をかわし、針を突き出したアイリーネが軽い手応えを感じると、刺客の手の甲には赤いひとすじの傷ができていた。
黒髪の侍女の思いがけない素早い応酬に、従者は少し下がって距離を取り、肩で息をしながら注意深く目を凝らす。
アイリーネも相手をじっと見据えた。
動作は俊敏だし、何らかの訓練を積んできたこともうかがえるが、逸る殺意も、誰かを傷つけてきたばかりの高揚も隠し切れていなかったこの若い従者が、それほど手練だとはアイリーネには思えなかった。
だが、〝侮れば地獄を見る〟ことは、戦いの場で嫌というほど学んできている。
王の私的区域への出入り口は衛兵が護っていたので安心していたし、客人として招かれていたため武器も携帯していない。動きづらい衣装を身に着けていることもあり、鉄針だけで対抗するとなると少々心許なかった。
アイリーネは自分の方から羽根飾りを振り、従者をさらに後ずさりさせると、暖炉の上に置かれていた燭台を手に取った。
立てられていた三本の蝋燭の火をふっと吹き消し、盾の代用品のようにして構え、じりじりと間合いを詰めていく。
「なっ、なんだ、この女っ……」
従者は無言だが、傍らの主人の方は喧しい。
「ニーヴン、この怖いもの知らずのじゃじゃ馬に、牛追いとは違うってことを思い知らせてやれ!」
鼓舞しているイドランは全く気づいていない様子だが、対峙している従者は、アイリーネがただのお転婆な田舎娘ではないことを、もう十分に感じ取っているようだった。
従者の切れ長な目の奥が、うっすらと不安げに揺れる。アイリーネのどこにも隙が見当たらないことに動揺しているのが伝わってきた。
「ニーヴン、やるんだっ!」
そのように主人から急かされたら、おそらく従者は怖気づいた気持ちを振り切るため、なりふり構わぬ一撃を食らわせようとしてくるだろう。
アイリーネが警戒しながら慎重に狙いを定めたそのときだった。
「……ぐ……?」
突然、従者は呻き声を漏らし、膝からふにゃりとくずおれた。
「ニーヴン!?」
何が起きたのか、アイリーネにも分からなかった。
「……ィドラ……」
従者は何度かゆらゆらと頭を振ると、前にどっと倒れ込む。
「ニーヴンッ、どうし――」
何かに気づいたような顔をしたイドランは、いまいましそうに舌打ちした。
「針先に残っていた毒か……」
イドランの視線は、アイリーネが持っている羽根飾りに注がれていた。
「毒……?」
尖らされた切っ先をアイリーネがまじまじと眺めた瞬間、ルーディカの悲鳴が上がった。
アイリーネがハッと目を向けると、イドランは片腕でルーディカの身体をがっちりと抱き込み、もう片方の手には贈り物の開封刀を握りしめ、それをルーディカの喉元に当てていた。
「ルーディカ!」
イドランは意気盛んにアイリーネに命じる。
「女、その燭台を置けえ!」
アイリーネも大きな声を出した。
「そっちこそルーディカを放せ! そんな木製の小刀では脅しにならない」
イドランの口の端が不気味に上がる。
「……でも、なかなか鋭利に作られているから、きっと、かすり傷くらいならつけられるぞ?」
ルーディカの細い首に、開封刀の平たい面がぴたぴたと当てられる。
「お前が、ニーヴンにしたようにな」
アイリーネの顔色が変わる。
「まさか……」
イドランは高笑いする。
「当然、これの刃先にも塗り込めてあるんだよ。世にも名高い、クリーオウロンをな!」
「……クリーオウロン……!?」
ルーディカが驚いたように繰り返す。
〝冥府への誘い歌〟とも呼ばれるそれは、成分はおろか実在しているのかどうかさえ定かではないが、名前だけはあまりにも有名な毒薬だ。
ある国の有力な一族は、これを武器に勢力を拡大してきたとも言われている。
半信半疑といった様子で、アイリーネが呟く。
「そんなものが簡単に手に入るわけが……」
「田舎娘は知らないだろうが、ぼくの祖母である公爵夫人の生家は輸入薬を扱う大きな薬問屋でな。そういったものを密かに入手して、相応の報酬が払える者にだけ高値で分けているのだ」
ルーディカが眉を顰める。
「なんてこと……」
イドランは腕の中の再従姉を嬉しそうに見た。
「非難めいたお声すら可愛らしい。――お父上のときと同じ毒を使って、あなたもご両親のもとへと送って差し上げようと思っていたのですが、お答え次第では気分を変えても良くなってきましたよ」
「……なんですって……?」
ルーディカとアイリーネの表情が同時にこわばる。
「あなたのお父上を葬り去った頃に比べると、ぼくの祖父母も年老いたのか、すっかり温くなってしまって。せっかく侍従の日記を盗ませて、あなたの情報を得たのに、ひと通りの調査を済ませると『そのフォルザの娘と結婚すれば、お前は王配になれるぞ』などと言い出したんですよね。でも、ぼくとしては納得いかなくて」
だって、とイドランは駄々をこねている子供のように口を尖らせた。
「国じゅうで誰よりも偉い君主の王冠が目の前にあるのに、どうして平民育ちのぽっと出にその座を譲って、二番手に甘んじなきゃいけないんでしょう。――世に出る前に、その存在を消してしまえば済むことなのに」
ルーディカは声を震わせる。
「私の父を……葬り去った……?」
「もちろんぼくが生まれる前の話ですが。お気の毒でしたね」
口先だけの悔やみの言葉からは、ひとかけらの憐憫も感じられなかった。
「ちょうど祖父母が念願のクリーオウロンを初めて入手したころ、おあつらえ向きにダネルド王子が矢傷を負われたそうで。見舞いと称して伺ったぼくの父がたっぷりと傷口にすり込んで差し上げたのだと、生前の母から聞きました。その数年後には情婦に刺されて亡くなった間抜けな父親だけど、お陰でお前に王位が回ってくるのよって」
「な……」
言葉を失ったルーディカの頭に、イドランは頬をすり寄せる。
「かわいそうなルーディカ姫、震えていますね。すべてに目をつぶり、口をつぐみ、ぼくを〝王配〟ではなく共同統治者である〝王〟として受け容れてくださるのなら、あなたの命は奪わず、本妻として可愛がって差し上げますよ」
アイリーネが叫ぶ。
「ばかなことを! 王族の暗殺を企てるなど、たとえ未遂だとしても極刑だっ」
「――威勢がいいな、女」
イドランは酷薄な笑みを浮かべた。
「どうせ、ルーディカ姫がこんなに可憐で御しやすそうなお方だと知るまでは、決行するつもりだったんだ」
〝末恐ろしき蕩児〟は、寝かせた開封刀の側面でこれ見よがしにルーディカの首を撫でる。
「お前が歯向かうのなら、姫にはお気の毒だがお父上たちのところへ行ってもらおう。それが嫌なら、燭台を床に降ろしてぼくの言う通りにするんだ」
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