年下騎士は生意気で

乙女田スミレ

文字の大きさ
上 下
36 / 52

36 氷の壁

しおりを挟む

「そ……それにしても」

  ヴリアン・レヒトは、無骨者が多いエルトウィンの騎士にしては珍しく社交性があり、場を和ませることに関しても割と得意な方だと自負している。

「昨日の青い衣装もすごく似合ってたけど、今日のリンダール特産の生地を使った深紅のドレスも、アイリにぴったりだよねえ」
「…………」
「アイリ、とっても素敵だよ?」
「……ああ。……ありがとう」

  そのヴリアンをもってしても、アイリーネとフィンの間を流れる冷え凍った空気を温めることは全くできていなかった。

  王の〝ごく私的な晩餐〟にあずかるため、身繕いをして三人で馬車に乗って王宮に向かっていた間も、前日に謁見した部屋に再び通されて待機している現在も、ヴリアンの空回りな独演会状態が続いている。

  アイリーネの周りには分厚い氷で作られた高い壁が冷ややかにそびえ立っているようだし、フィンはその強固な壁に手も足も出ない様子で、深刻な表情で押し黙っている。

  ヴリアンはため息をつくと、思い切ったように二人に向かって言った。
「ねえ、できるだけ余計な口を挟みたくはないんだけどさあ――」

  そのとき、急に廊下のあたりが騒がしくなった。

 部屋には出入り口が二か所あるが、そのうちアイリーネたちが入ってきた扉の向こうで、何者かが言い争いをしているようだった。

「……困ります……お客様が……」
「……を困る……がある! ……であるぞっ」
「しかし……から、……もお通しせぬようにと」

「うるさいっ、どけっ!」

  前触れもなく乱暴に扉が開かれると、そこには、でっぷりとした身体を豪奢な衣装に詰め込んだ、脂ぎった六十がらみの男性が息を荒らげて立っていた。

  どこか見覚えのあるその人物が誰なのかアイリーネが思い出す前に、ヴリアンは愛想のいい笑顔を浮かべ、すっと立ち上がった。

「これは、コーヘリッグ公爵殿下。お久しぶりでございます」

  青い瞳と上背があること以外は兄とどこも似通にかよったところがない、王の弟だった。

  アイリーネとフィンも席を立ち、ヴリアンと一緒にお辞儀をすると、公爵の背後から甲高い声が響いた。
 「あらぁっ! ヴリアンちゃんじゃないのぉ!?」

  巨漢の影からひょっこりと細長い顔を出していたのは、公爵の妻ベオーガだった。

「ああ、公爵夫人もお揃いでしたか」

  ベオーガは紅をべったりと塗り込めた薄い唇をほころばせ、夫を押しのけて隙間を作ると、オスのクジャクの仮装でもしているのかと思うほどそっくりな色柄の衣装をはためかせ、クネクネとヴリアンの前へと歩み寄った。

「あんな辺境に行ったきりで、どれほどむさ苦しくなってるのかしらって気を揉んでたんだけど、ますます男ぶりが上がってるじゃなぁい」
「はは……もったいないお言葉でございます、公爵夫人」

  ずいと差し出された指輪だらけの筋張った手を取り、ヴリアンは優雅に唇を落とす。

「どういうことだ……?」

  満面の笑みをたたえている妻とは裏腹に、混乱したような顔をして立ち尽くすコーヘリッグ公爵は、怒鳴るような語気で訊ねた。

「ヴリアン、なぜそなたがここにおるのだっ!?」

  剣幕に気圧けおされることなく、ヴリアンはにっこりと微笑む。

「久しぶりにこの時期に休暇が取れましたので、国王陛下に少し早いお誕生日のお祝いを申し上げに参りましたところ、友人と共に晩餐にお招きいただきまして」

「ぬ……」
  唸り声を上げた公爵は、アイリーネたちの方を見た。
「友人、だと……?」

  どすどすと近づいてきた公爵は、脂肪にくるまれた指でいきなりアイリーネの顎を掴み、ぐいっと上を向かせた。
「う……?」

「公爵殿下、何をなさいます……!」
  ヴリアンが咎めるような声を上げてもお構いなしに、公爵は肉に埋まった青い目で至近距離からアイリーネの顔をじろじろと眺める。

「――黒い髪に、灰茶とも金茶ともつかぬ不思議な色の瞳……か……」

  公爵は親指でアイリーネの顎をねっとりとなぞってから離すと、独り言のように呟いた。
 「……金髪でも、青い目でもない……」

 ヴリアンは、今にも噛みつきそうな目つきになったフィンの前に歩み出ると、やんわりと抗議した。

「恐れ入りますが公爵殿下、私の大切な友人にそのようなおふるまいは困ります」

「友人ではなく、本当はそなたの恋人ではないのか?」
「残念ながら、彼女には他に婚約者が」

  公爵は、ふん、と鼻を鳴らし、下卑た笑みを浮かべた。
「そうそういないような美しい女だ。寝取ってやれ、ヴリアン」

  間髪入れず、ベオーガが抗議する。
「あなたぁっ、ヴリアンちゃんにおかしなこと焚き付けないでえぇっ」
  妻の金切り声に、公爵は耳を塞ぐ。

「ヴリアンちゃん、あなたにふさわしいお相手は、わたくしが探してあげますからね?」
「そのお気持ちだけでも身に余ります」
  如才なく応えるヴリアンに向かって、公爵夫人は意味ありげに片目をつぶってみせる。
「寛容な奥さまになれるようなお相手を見つけてあげる。旦那さまが魅力的な年上の恋人と少々火遊びしても赦してくれるような……ねっ?」
「はは……」

  公爵は気が削がれたような顔になると、ヴリアンにふるいつきそうになっている妻に「行くぞ」と声を掛け、踵を返した。

「公爵殿下、国王陛下にご用がおありだったのでは?」

  ヴリアンに問われ、コーヘリッグ公爵は大きな背中を向けたまま頭を振った。
「兄上には取り立てて用はない。どうせ、明後日の式典で顔を合わせるのだから、今夜はもうよい……」

  公爵夫人は慌ててもう一度手の甲を突き出し、ヴリアンから暇乞いとまごいの口づけを受けると、名残惜しそうに言った。

「ヴリアンちゃん、近いうちに公爵邸にもいらっしゃいな」
「あいにく、じきにエルトウィンに戻らなくてはなりませんので……」
「休暇なんて延ばせばいいじゃなぁい!」
「ベオーガ、行くぞ」
「そうなさいねっ、ヴリアンちゃん!」

  扉が閉まり、ドスドスと重そうな足音とキンキンと騒々しい話し声が去っていくと、アイリーネは深い息を吐き、ヴリアンは「相変わらずの下衆っぷりだなあ……」と苦笑し、フィンは不機嫌そうな顔で椅子に腰を下ろした。

「――ヴリアン様、助かりました」

  唐突に宰相の声が響き、三人が驚いて室内を見回すと、前日に王が入ってきた方の扉が大きく開いた。

 「宰相閣下……」

  姿を現した小柄な宰相は、にこやかに長身のヴリアンを見上げた。

「ヴリアン様は既に事情を把握していらっしゃるようだと、キールト様がおっしゃっていましたが、どうやら本当にそのようですね」
「把握というよりは当て推量でしたが、それほど的外れでもなかったようで……」
「フィン様から意識を逸らしてくださったことも、ありがたく存じます」
「とりあえず気取けどられずに済んだようで、良かったです」

  二人のやりとりをアイリーネは不可解そうな面持ちで眺めていたが、宰相はそれに気づかぬ様子で、きびきびと客人たちを促した。
「では、こちらへどうぞ。準備は整っております」

  先ほど宰相が入ってきた扉から見覚えのない廊下に出ると、すぐ向かい側の小さな扉が開かれる。
「お入りください」

  そこは、小ぢんまりとした部屋だった。
 壁や天井に品のいい装飾があしらわれてはいたが、壁際にいくつかの調度品が置かれているだけで机も椅子もなく、とても食事がふるまわれる場所のようには見えない。

「ひとくちに王の私的区域と申しましても、さらに奥まった部分がございまして……」

  宰相は、壁の漆喰に直接描かれた床まである縦長の大きな神話画に近づき、その縁をぐるりと囲むように施された浮き彫りの装飾の中のアザミの花を、手のひらで押した。
  かすかに金属が軋むような音と共に壁絵自体が扉のように開き、三人は揃って目をみはった。

「ここからは、王弟殿下もご存じありません」

  壁絵の向こうの薄暗い通路に入り、宰相の後ろについて突き当たりに見える明かりを目指して進んでいくと、何やら食欲をそそる匂いが漂ってくる。

「――おお、よく来てくれたな」
  通路を抜けて明るい部屋に出ると、王の穏やかな声が客人たちを迎えた。 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

騎士団長の欲望に今日も犯される

シェルビビ
恋愛
 ロレッタは小さい時から前世の記憶がある。元々伯爵令嬢だったが両親が投資話で大失敗し、没落してしまったため今は平民。前世の知識を使ってお金持ちになった結果、一家離散してしまったため前世の知識を使うことをしないと決意した。  就職先は騎士団内の治癒師でいい環境だったが、ルキウスが男に襲われそうになっている時に助けた結果纏わりつかれてうんざりする日々。  ある日、お地蔵様にお願いをした結果ルキウスが全裸に見えてしまった。  しかし、二日目にルキウスが分身して周囲から見えない分身にエッチな事をされる日々が始まった。  無視すればいつかは収まると思っていたが、分身は見えていないと分かると行動が大胆になっていく。  文章を付け足しています。すいません

どうやらこのパーティーは、婚約を破棄された私を嘲笑うために開かれたようです。でも私は破棄されて幸せなので、気にせず楽しませてもらいますね

柚木ゆず
恋愛
 ※今後は不定期という形ではありますが、番外編を投稿させていただきます。  あらゆる手を使われて参加を余儀なくされた、侯爵令嬢ヴァイオレット様主催のパーティー。この会には、先日婚約を破棄された私を嗤う目的があるみたいです。  けれど実は元婚約者様への好意はまったくなく、私は婚約破棄を心から喜んでいました。  そのため何を言われてもダメージはなくて、しかもこのパーティーは侯爵邸で行われる豪華なもの。高級ビュッフェなど男爵令嬢の私が普段体験できないことが沢山あるので、今夜はパーティーを楽しみたいと思います。

最初に抱いた愛をわすれないで

悠木矢彩
恋愛
「余命一年の侯爵夫人」の夫、侍女視点です。

婚約者の浮気相手が子を授かったので

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。 ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。 アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。 ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。 自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。 しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。 彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。 ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。 まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。 ※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。 ※完結しました

【R18】聖女のお役目【完結済】

ワシ蔵
恋愛
平凡なOLの加賀美紗香は、ある日入浴中に、突然異世界へ転移してしまう。 その国には、聖女が騎士たちに祝福を与えるという伝説があった。 紗香は、その聖女として召喚されたのだと言う。 祭壇に捧げられた聖女は、今日も騎士達に祝福を与える。 ※性描写有りは★マークです。 ※肉体的に複数と触れ合うため「逆ハーレム」タグをつけていますが、精神的にはほとんど1対1です。

まさか、こんな事になるとは思ってもいなかった

あとさん♪
恋愛
 学園の卒業記念パーティでその断罪は行われた。  王孫殿下自ら婚約者を断罪し、婚約者である公爵令嬢は地下牢へ移されて——  だがその断罪は国王陛下にとって寝耳に水の出来事だった。彼は怒り、孫である王孫を改めて断罪する。関係者を集めた中で。  誰もが思った。『まさか、こんな事になるなんて』と。  この事件をきっかけに歴史は動いた。  無血革命が起こり、国名が変わった。  平和な時代になり、ひとりの女性が70年前の真実に近づく。 ※R15は保険。 ※設定はゆるんゆるん。 ※異世界のなんちゃってだとお心にお留め置き下さいませm(_ _)m ※本編はオマケ込みで全24話 ※番外編『フォーサイス公爵の走馬灯』(全5話) ※『ジョン、という人』(全1話) ※『乙女ゲーム“この恋をアナタと”の真実』(全2話) ※↑蛇足回2021,6,23加筆修正 ※外伝『真か偽か』(全1話) ※小説家になろうにも投稿しております。

「おまえを愛している」と言い続けていたはずの夫を略奪された途端、バツイチ子持ちの新国王から「とりあえず結婚しようか?」と結婚請求された件

ぽんた
恋愛
「わからないかしら? フィリップは、もうわたしのもの。わたしが彼の妻になるの。つまり、あなたから彼をいただいたわけ。だから、あなたはもう必要なくなったの。王子妃でなくなったということよ」  その日、「おまえを愛している」と言い続けていた夫を略奪した略奪レディからそう宣言された。  そして、わたしは負け犬となったはずだった。  しかし、「とりあえず、おれと結婚しないか?」とバツイチの新国王にプロポーズされてしまった。 夫を略奪され、負け犬認定されて王宮から追い出されたたった数日の後に。 ああ、浮気者のクズな夫からやっと解放され、自由気ままな生活を送るつもりだったのに……。 今度は王妃に?  有能な夫だけでなく、尊い息子までついてきた。 ※ハッピーエンド。微ざまぁあり。タイトルそのままです。ゆるゆる設定はご容赦願います。

処理中です...