年下騎士は生意気で

乙女田スミレ

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19 婚約破棄の真相

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 アイリーネたちから二日遅れて、銀髪の若者がレクリン男爵邸に到着した。

「あらキールト、神学生の恰好じゃないのね」

  別館の玄関でキールトを出迎えたオディーナは、ごく平凡な旅装束に身を包んだ旧友に向かって、冗談めかした口調で「ちょっと楽しみにしてたのにい」と言った。

「密書を取り返すために派手な立ち回りまでして、逆にあの服装が目印みたいになっちゃったからな。……オディ、迷惑かけてすまなかった」

  心苦しそうに謝るキールトに、オディーナは「ほんとよお」と言いながらもカラリと笑ってみせる。

「せめて、わたくしの夫と一緒に来て欲しかったわー」
「ご主人にも、本当にお世話になったよ」

  オディーナが待ち焦がれていた隠密の夫には新たな指令が下ったとのことで、愛する妻が待つ自邸には寄らず、次の任地へと向かっていた。

 「まあ、無事で何よりだわ。夫もあなたも密書も」

 先に廊下を歩きながら、オディーナはキールトに告げる。

 「あなたの宝物も無事よ」
 「良かった」

「みんなこちらの部屋で待ってるわ」

  女主人が応接室の扉を開くと、そこにはアイリーネ、フィン、ルーディカ、クロナンの四人が勢揃いしていた。

「皆さま、キールトが到着しましてよ!」
「遅くなってすまない」

  キールトが姿を現した瞬間、フィンの横を金色の風がひとすじ通り抜けていった。

「キールト……!」

  次の瞬間、キールトはかけがえのない女性を思いきり抱きしめていた。

「……心配かけたね、ルー」

 フィンは大きく目をみはる。
 キールトの腕の中にすっぽりと収まって泣きじゃくっていたのは、先ほどまでフィンの傍に腰掛けていたルーディカだった。

「無事だとは聞いていても、あなたの顔を見るまではやっぱりどこか不安で……」
「ごめんな……」

  愛しげに金色の髪を撫でるキールトと、その胸に顔をうずめて泣くルーディカをしばらく呆気に取られたように眺めていたフィンは、やがて自分以外は誰も驚いていないことに気づき、不可解そうに眉根を寄せた。
 長い間キールトの婚約者だったはずのアイリーネまでもが、温かい微笑みをたたえて二人を見守っている。

「――マナカール諜報員」
  ルーディカを胸に抱いたまま、キールトはクロナンの方を見た。
「彼女を無事にここまで連れてきてくださって、本当にありがとうございました」

「いやあ、私の能力に見合った、実にやりがいのある重要な仕事でした!」
  得意げな視線をクロナンから送られたオディーナは、不快そうに鼻の根元に皴を寄せる。

  次にキールトは、アイリーネとフィンに目を向けた。
「アイリ、フィン、しくじってすまなかった」

  アイリーネは笑顔でねぎらう。
「お疲れさま。西の巡礼路は大変だったんだね」

「東の方は何事もなく――フィン? どうした」

  混乱の色を浮かべるフィンに、ようやくキールトが気がついた。

「あ、あの……、二人は……」

「まあ、フィン様はご存知なかったんですのね?」

  いち早く察したのは、やはりオディーナだった。

「ルーディカさんとキールトは、小さいころから相思相愛の仲なんですよ」

    ◇  ◇  ◇

「偽装……婚約……」

  呆然と呟いたフィンに、ルーディカと並んで座ったキールトが頷いた。

「ああ。アイリは長い間、僕たちに協力してくれてたんだ。な?」
「わ、私の方も助かってたし……」

 キールトから水を向けられたアイリーネは、視線を下げて語り始める。

「騎士を志した私に父が課した条件の中に、『将来き遅れないように、見習いのうちから許嫁を持つこと』ってのがあって……。あのままだと父が見繕ってきた『騎士になりたがるような跳ねっ返りでも、若くて子供をたくさん産んでくれるならいい』っていうおじさん貴族と婚約させられて、せっかく叙任されたとしても早々に辞めることになりそうだったから」

「双方に利点があったのよねえ」

  訳知り顔でオディーナは言うと、可笑しそうに肩をすくめた。
「それぞれの目的を叶えるために、幼くして両家の親を欺いて婚約しちゃうなんて、二人とも末恐ろしいけど」

  アイリーネとキールトは揃って苦笑いを浮かべる。

「いま思うと大胆だけど、幼すぎて怖いもの知らずだったから、軽く打診されたときに『これって好都合じゃない?』って、二人で乗っかっちゃったんだよね」
「元々お互いの親が何らかの形で縁続きになることを望んでたから、『いいよー』って言ったらすんなり話がまとまったんだよな」

  キールトは、優しいまなざしをルーディカに向けた。

「信心深い祖母の影響で、深く考えずに七歳で神学校に入って、そのわずか半年後にアイリの家が所有するフォルザの別荘で初めてルーディカと出会ったんだ」

  そのとき、キールトとルーディカは互いにひと目で恋に落ちたのだ。

「安易に選んだ進路を心底後悔したよ。学問を修めて神に仕えるようになったら、妻帯が許されない身になってしまうんだから」

   想いを伝え合った幼い恋人たちは、身分差があると結婚はおろか交際もまず認められないことを既に知っていた。
 長い秘密の恋が始まり、二人を引き合わせた幼なじみのアイリーネが強い味方になった。

「アイリが婚約してくれたお陰で、僕は途中で神学校を辞めることができたんだ」

  二人が会えるようにとアイリーネは休暇のたびにキールトをフォルザの別荘に招くようになり、それは十年以上にも及んでいる。
 婚約破棄後の静養中にすら、復帰に向けての鍛錬の必要性と変わらぬ友情を両親に説き、一週間ほどキールトを逗留させた。

「そんな小さなころからずっと一途に想い合ってるなんて、本当に素敵よねえ……。早く公に結ばれる日が来ますように」

  オディーナがうっとりしながら言うと、クロナンが顎をこすりながらキールトに訊ねた。

「それで、結婚を実現させるための具体的な方策は立てておられるのですか? 平民でも、男爵夫人のようにご実家が豪商だったり、地元の名士だったりすれば、貴族との結婚は十分あり得ますが……」

  別荘番の孫娘と伯爵令息なると難しいだろう。

「ええ。僕は長子ではないので爵位を継ぐわけでもないし、ゆくゆくは名目だけでもルーディカをどこかの名士の養女にしてもらえれば、騎士との結婚は認められるだろうと、密かにつてを求めたりもしていたんです」

  オディーナが弾んだ声で口を挟む。
「でも、そういうことをしなくても結婚できる可能性があるのよね!」

 一年ほど前、ルーディカはフォルザの街から〝高等薬師〟の認定を受けた。

「高等薬師のさらに上の、国が公認する〝上級薬師〟になることができたら、准貴族や地方の名士とほぼ同等の立場と見なされるから、ルーディカさんはそれを目指してらっしゃるんですって!」

  高度な技能や知識を持っていることを国から認められた平民と貴族との結婚は、現国王の時代になってからは幾つも先例がある。

  ルーディカは恥じ入るように肩をすぼめた。
「とても狭き門だということは分かっていますし、純粋に人のお役に立つためだけに目指しているわけではないというのも、よこしまですが……」

「あら、そんなふうに考えなくても」
  恐縮するルーディカを力づけるようにオディーナは言う。
「国家資格が取れたら、より多くの人たちの役に立てる上に、好きな人と結婚もできるようになるんだから、一石二鳥ってことでしょう?」

 クロナンが不思議そうに疑問を口にした。

「しかし、それならなぜ、ルーディカちゃんが上級薬師になるのを待たずに偽装婚約を破棄されてしまったのですか? もしや、アイリーネ嬢の方に今すぐにでも結婚したいお相手ができたとか?」

  アイリーネとキールトは再び目を合わせて苦笑する。

「私が大火傷を負ったことで、両親が結婚を焦り出してしまって……。キールトに逃げられちゃ困ると思ったんでしょうね。騎士を辞めて結婚するよう、しつこく勧めてくるようになったんです」
「ドミナン伯爵から打診された僕の両親もそれならばと乗り気になって、式の日取りだの新居だの具体的な話を固めようとしはじめて……。お互い、これ以上偽装婚約を続けるのは厳しいなと」

  アイリーネは少し申し訳なさそうな顔になる。

「仲が悪くなったわけじゃないから、破談の理由は私の火傷の痕くらいしか捻り出せなくて……。キールトはご両親から冷血人間みたいに言われて気の毒だったけど」

 キールトは大きく首を横に振った。

「いくらでもそしりは受けるさ、アイリのお陰でここまで来られたんだから。それより、アイリにとって不名誉な理由になってしまって悪かった」
「別にいいよ。さすがの両親も娘の傷心を気づかってくれたのか、隊に復帰しようとしてもあまりうるさく言ってこなかったし」

  二人のやりとりを興味深そうに眺めていたクロナンは、感銘を受けたように長い息を漏らすと、「実に素晴らしい友情だ……!」と声を大にした。

「いやあ、私はこれまで正直なところ、男女間の友情なんて幻想だと思っていたのですが……これは認識を改めねばなりませんね」

  オディーナは「友情って言葉をご存じだったのねえ」と小さく毒づくと背すじを伸ばし、女主人らしいゆったりとした笑みを浮かべて皆を見回した。

「皆さま、夫からの連絡によりますと、想定外の事態を受けて一両日中には新しい指令がもたらされるそうです。それまでは、しばし拙宅にておくつろぎくださいませ」 
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