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18 恋人なんかじゃない
しおりを挟むオディーナに案内された主寝室は、薄い桃色と淡い水色を基調とした内装が施され、中央には繊細な意匠が凝らされた天蓋つきの特大の寝台が据えられていた。
「うふふ、三人が一斉に寝返りを打っても、まだ余裕がありそうな大きさでしょ」
誇らしげなオディーナの隣で、ルーディカが広々とした室内をうっとりと見回す。
「すてき……。つづれ織りの壁掛けと天蓋の花模様は、一見同じようで少し変化をつけていらっしゃるんですね」
「あらっ、お気づきになった? 壁の方の野ばらは蕾と五分咲きで、寝台の方は七分咲きと満開なの!」
「家具や天井飾りにつけられた金色の細い縁取りがまた優雅で……」
「ルーディカさん、分かってらっしゃるわぁ」
楽しそうに盛り上がる二人をよそに、アイリーネは荷物を下ろしながら呟いた。
「駐屯地の宿舎や巡礼路の宿屋に慣れた身としては、なんだか眩しすぎる可愛らしさ……」
オディーナは残念そうにアイリーネを見る。
「はー、きれいなお姉さんになっても、アイリの中身は相変わらず……でもないわね。ないわよねっ?」
何かを思い出したらしいオディーナは急に目を輝かせ、意味ありげな笑みを浮かべながらアイリーネに近づいた。
「ねえアイリ、あなた何か報告することがあるんじゃなくて?」
「え……?」
「んっもう~、水くさいなあ」
オディーナは、じれったそうに身をよじる。
「フィン様とは、恋人同士なんでしょう?」
「は……?」
「やっぱりそうなんですか?」
ルーディカも話に身を乗り出して、声を弾ませた。
「応接室でお二人が並んで腰掛けていらっしゃるのを見たとき、とってもお似合いだと思ったんです!」
おたおたしながらアイリーネは首を横に振る。
「ち、違う。違うよ」
「あら」
オディーナは確信めいた口調で指摘した。
「『リーネ』って呼ばせてるくらいなんだから、そういうことなんでしょう?」
「違うって!」
アイリーネは重ねて否定する。
「あれは、夫婦を演じてるときの呼び方が癖になってるみたいで……っていうか、キールトもだけど、オディもよくあんな話を憶えてるね」
「当然でしょ。あのとき決めたとおり、夫はわたくしのことを『ディー』って呼んでるわ。この世でたったひとりに許した呼び名よ」
「で、でも、フィンのは、お芝居の流れで……」
「――アイリ? 人妻の目はごまかせないわよ」
オディーナはそう言うと、アイリーネの首に巻かれていた長い薄布の端を素早く掴み、するりと抜き取った。
「あっ!」
アイリーネは慌てて両手で首のあたりを覆ったが、一瞬の隙にしっかりとそこを目に焼き付けたオディーナとルーディカは、頬を染めながら感想を漏らした。
「そ、想像以上だったわ……」
「……フィン様、情熱的なんですね……」
首や胸元にくっきりと残っている口づけの痕がひとつやふたつどころではないのは、朝から布を巻いて隠していたアイリーネにだってよく分かっている。
これ以上ないほど真っ赤になったアイリーネは、恨みがましげにオディーナを睨んだ。
「わわ、ごめん。さすがにあんなにたくさん生々しいのがついてるなんて思わなくて……。でも、そんなに恥ずかしがらなくてもいいでしょ。恋人がいるなんて、素敵なことじゃな」
「恋人なんかじゃないからっ!」
アイリーネはオディーナの手から猛然と布を奪い返すと、首に巻き直しながら声を荒らげた。
「フィンにも絶対におかしなこと言わないでよ!」
唖然とするオディーナとルーディカの顔を見てはっとしたアイリーネは、気まずそうに目を伏せた。
「ごめん……。ちょっと中庭で頭冷やしてくる」
◇ ◇ ◇
「あーあ、アイリーネ嬢と二人っきりになりたかったのになあぁ」
応接室では、フィンが黙々と暗号表を書き写している隣で、クロナンが椅子の肘掛けに頬杖をついて愚痴をこぼしていた。
「――しっかしおまえ、しばらく見ない間に本当にデカくなったよなあ。兄貴たちも驚くぞ。あのクソチビが今や中尉とはね」
「……うるせえ」
「なあ、アイリーネ嬢っておまえの上官だったんだろ? 〝漆黒のハヤブサ〟なんて二つ名持ちだからどんなバケモノなのかと思ってたら、かなりの美人じゃねーか。清楚で可憐なルーディカちゃんもいいけど、キリッとして芯が強そうなとこがたまんないよなあ」
フィンは冷ややかにクロナンを一瞥し、再び暗号表に目を落とした。
「あんな別嬪と夫婦のふりして二人っきりで旅なんかしてたら、夜は生殺しだろ? よく我慢できるよなあ」
「……やめろ」
クロナンは何かに引っかかったかのように、じっとフィンの横顔を見る。
「――あっれ~?」
嬉しそうな声を上げてクロナンは身を乗り出すと、不機嫌そうに作業を続けているフィンの顔を覗き込んだ。
「もしかしてヤッた?」
「……してねーよ」
視線を合わせようとしないフィンを見て、クロナンの目が爛々と輝く。
「いいや、ヤッただろ。ヤッたな」
「黙れ」
怒気をはらんだフィンの制止などまるで気にならないかのように、クロナンは楽しげに喋り続けた。
「へえー、おまえ本当に大人になったんだなあ。おねーさまに手取り足取り教えてもらったのか?」
「……っんなんじゃねーよ」
「お? 生意気にもおまえが主導権を握ったのか」
クロナンはニタニタと下品な笑いを浮かべる。
「征服欲めっちゃ満たされただろー?」
「……黙らねーと、殴る」
しかし、何度追い払っても寄って来る蠅のようにクロナンはしつこかった。
「いいな~、元上官の美人騎士をアッチの方で屈服させるなんて、考えただけでぐっとくるわー。さんざん乱れさせまくって啼かせて、しょせん男には敵わないし、快楽にも抗えないってことを身体に思い知らせてやるとか、もう……」
羽根ペンを投げ打ったフィンは、荒々しくクロナンの襟元を掴むと、瞳に冷たい炎を燃やして言った。
「――殴るんじゃなくて、殺すぞ」
応接室の扉の前から逃げるように立ち去ったアイリーネに、気づく者はいなかった。
そこを通りがかった瞬間に耳に飛び込んできたクロナンの言葉が、何度も頭の中でこだまする。
「征服欲……」
中庭につながる出入り口までたどり着き、扉の取っ手を掴もうとしたとき、アイリーネは自分の指先が小刻みに震えているのを知った。
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