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11 キールトからの手紙
しおりを挟むアイリーネとフィンの巡礼の旅は、予想以上に順調に進んだ。
隊長が危惧していた〝この任務が遂行されると都合が悪くなる勢力〟から〝妨害を仕掛けられる〟ようなこともなく、そりが合わないはずの二人もそれなりに折り合いをつけて歩み寄り、無事に半分の旅程を終えることができた。
「そうなんですよー。妻がこんなに美しいから俺はいつも心配で……」
その日もセアナの織物問屋の息子フィン・ケランは、辻馬車に乗り合わせた老夫婦を相手に、新妻の肩を抱いて熱い想いを語っていた。
妻の一本調子な笑顔も相変わらずだったが、夫の大げさな愛情表現に対して「人前では恥ずかしい……」と、はにかんでいるように見えなくもなかった。
「すてきな新婚さん、良い旅を」
老夫婦が馬車を降りて二人きりになると、フィンはアイリーネの肩からさっと手を離し、いつもの退屈そうな顔になった。
アイリーネも笑顔をほどき、フィンの演技をやや皮肉まじりに褒める。
「今日もお上手で」
「おまえは今日も下手くそで」
「……でも、ちょっと……」
「あ?」
アイリーネは横目でフィンを見た。
「最近、触りすぎじゃない?」
フィンがむっとして抗議する。
「なんだよ、人を痴漢みたいに。肩だけだろ」
「髪も」
「肩抱くと触れちまうんだからしょうがねえだろ」
「顔にも触るよね」
「な、流れで少しはな」
「ちゅ、ってのも多いし……」
フィンの耳たぶが染まる。
「唇にしてるわけじゃないんだから。挨拶みたいなもんだろ」
「口に近いとことか、際どいところにされると……」
困る、とアイリーネは思った。
愛妻家になりきったフィンの笑顔が甘い言葉と共に近づいてきて、水色の瞳が愛しげに細められ、「リーネ」と囁かれて指や唇で優しく触れられると、落ち着かないような、それでいてそんなに居心地は悪くないような、不可解な感覚に陥ってしまうのだ。
「あーはいはい、分かりました。以後気をつけますー」
ぞんざいに言い放って腕組みをするフィンに、アイリーネは少し申し訳なさそうに言った。
「あの、私の方はなかなか上手く〝奥さん〟になりきれなくて、悪いとは思ってる」
「……俺が相手じゃ、やる気が出ねーんだろうよ」
そっぽを向いたフィンの側の窓に蔦が生い茂った古い修道院らしき建物が姿を見せると、静かに馬車は停止した。
二人が訪れたシノーン修道院は、その前日に立ち寄った聖女シノーンの庵と呼ばれる洞窟から馬車で一日掛かりのところにあった。
アイリーネたちは祈りを捧げた後、片隅に設けられた手紙預かり所へと向かった。
「フィン・ケランさん……。ああ、一通お預かりしてますね。アルナンのリオール・コーヴァートさんからです」
隠密からの手紙を受け取ると、二人は誰もいない小さな庭に出て、石造りの長椅子に並んで腰掛けた。
「手紙があったの久しぶりだな」
アイリーネたちは聖地に着くごとに現状を報告する手紙を置いてくるが、隠密の方から届いていることはめったにない。たまにあったとしても「今後も気を抜かずに予定に沿った旅を続けるように」程度の簡単な文が暗号で書き込まれているくらいだった。
フィンが小刀で封蝋を剥がすと、隠密からの手紙に挟み込まれる形で、ひと回り小さな封書がもう一通出てきた。
「なんだこれ……」
その小さい方の手紙の表に暗号で記された文字を、フィンが読み解く。
「……アイリーネ様、って書いてあるな」
差出人の名前はないが、アイリーネには見覚えのある筆跡に思えた。
「キールトの字に似てる……」
手渡された信書をアイリーネは不思議そうに眺める。
「そっちは後で読め。まずはこっちから」
二人は肩を寄せ、隠密からの手紙を解読した。例によって短文だったが、内容は違っていた。
「えーっと、『ディトウのレクリン男爵邸に行け』……?」
「どういうことだ? 次に目指すのはモアルバの街のはずだろ?」
書かれていたのはそれだけだったが、シノーンの西方向にあるディトウという街へ向かうとなると、巡礼路からは外れてしまう。
「レクリン男爵……」
アイリーネは考え込むような顔をした。
「心当たりがあるのか?」
「うん……。その当主夫人は、キールトと私の友達で元同僚なんだ」
「元同僚?」
「そう。侯爵家に仕えてた見習い時代、私の他にもうひとり女子がいたんだけど、進路を変えて男爵家に嫁いだんだよね。でも、なんであの子のお邸に……」
「情報が足りねえよな。そっちの手紙を読んでみてくれよ」
フィンに促されてアイリーネは自分宛ての封書を開ける。宛名に名前がなかったフィンは、少し身体を引いて背もたれに寄りかかった。
「ああ、やっぱりキールトからだ。でもなんで……」
文章も暗号で書かれていたので、アイリーネはひとつひとつ解読しながら読み進めていく。
「えっ」
「どうした」
アイリーネは深刻な表情でフィンの顔を見た。
「キールト、フォルザを過ぎたあたりで密書を奪われかけたんだって。なんとか無事に取り戻せたってことだから良かったけど……」
自分たちが進んできた東廻りの旅は平穏なものだったが、西廻りのキールトは危機に晒されていたことを知り、二人の間に緊張が走る。
「密書を奪い返しに行くとき、他にも大事なものを運んでたから、それをオディ……あ、さっき話した元同僚の男爵夫人に託したらしい」
「それを邸まで俺たちに受け取りに行けってことか?」
「うーん、そこでまた指示があるみたい。キールトもディトウに向かうみたいだし」
フィンは首をひねった。
「やっぱりなんだかはっきりしねえなあ」
「だよね……」
キールトが密書の他にも重要なものを運んでいたということ自体、二人は全く知らなかった。
「それで、男爵夫人がセアナの豪商の家の出身だから、訪ねていくときはそのままセアナの織物問屋の息子とその妻を名乗るように、だって。……あとは、追伸で――」
読み上げていた声を途切れさせ、アイリーネはうっすらと頬を染めた。
「なんだよ?」
フィンが訝しそうに訊ねると、アイリーネは慌てて手紙を胸元に伏せ、笑顔を作った。
「な、なんか、任務とは全然関係のない、私に向けた助言みたいなことだった!」
「……ふうん」
フィンが目を眇める。
「なんで顔赤くしてんだよ」
「えっ!?」
アイリーネの頬はさらに濃く染まった。
「あ、赤くなんかなってないし」
フィンの瞳が冬の冷たい空の色になる。
「元婚約者から私信もらって浮かれてんじゃねーよ」
「浮かれ……?」
「――まあ、俺にはどうでもいいことだけどな」
フィンは椅子から立ち上がると、隠密への返信を書くために修道院の出入り口に向かって歩いて行った。
アイリーネは眉根を寄せ、「キールトが訳の分からないことを書くから……」と独り言をこぼす。手紙を折りたたんで鞄にしまうと、早足でフィンを追いかけた。
キールトからの手紙の終わりには、こんなことが書かれていた。
『アイリ、フィンとは仲良くやってるか? あいつは思ってたよりいい男だろ。もしかして、一緒にいて好きになってきた? でも無理やり手を出されそうになったら容赦なく叩きのめせよ』
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