年下騎士は生意気で

乙女田スミレ

文字の大きさ
上 下
5 / 52

5 わが妻リーネ

しおりを挟む


「ずいぶん活気があるんだね……!」
 馬車の窓から外を覗いたアイリーネが、感心したような声を上げる。

 正午ごろに教区の境で辻馬車に乗り換えた三人は、日の入り前にはチェドラスの中心街に入ることができた。

 目抜き通りには様々な形をした看板を吊るした店が軒を並べ、多くの人々が行き交う路傍では、行商人たちが身振り手振りを加えて自慢の品を売り込んでいる。

「国で二番目に大きな大聖堂がある街だからなあ」

 手荷物の中をごそごそと探りながらキールトが言った。

「打ち合わせどおり、馬車から降りたらさっそく今夜の宿を探そう。二人とも、ならの鍵は鞄に付いてるな?」

 アイリーネとフィンは頷いた。聖地を巡礼する者は、目印として鍵をかたどった木工細工を荷物にぶら下げることになっている。

「隊長から預かった巡礼証を配るぞ」

 キールトから手渡された革製の薄い手帳のようなものをアイリーネが開くと、一枚の紙が貼り付けられていた。
 氏名と大まかな旅程が記され、居住地域の首長と主教の署名が入ったその書付かきつけが、巡礼者の旅中の身分証になる。
 アイリーネたちが携帯するのは、隊長が手配して架空の人物の情報を記載させた偽物だ。

「僕はこれから、王都の大学に通う神学生〝キーレン・マロイド〟になる」
 灰色の掛け襟を整えながら、キールトは説明を始めた。

「ひと月ほど前に王都から東廻りで巡礼の旅を始めたキーレンは、折り返しのエルトゥイン大聖堂で知り合った新婚夫婦と親しくなり、道が東西に分かれるこのチェドラスまで一緒に来た、という筋書きだ」

 アイリーネは自分のために準備された巡礼証を眺め、しばらく名乗らなくてはいけない偽名を読み上げた。

「私は……〝フィリーネ・ケラン〟……」
「フィリーネは、港町セアナの織物問屋の息子と結婚したばかりで、婚礼の祝宴を終えてすぐに夫婦で巡礼の旅に出た、っていう設定だから忘れないようにな」
「うん」

 誰かになりすますたぐいの任務は初めてなので、アイリーネは神妙な面持ちで返事をする。

「――はあ?」
 手にした巡礼証を見ながら、フィンが訝しげな声を上げた。

「なんで俺は〝フィン〟のままなんだよ。隊長ヌケてねえ?」

 アイリーネが横から覗くと、巡礼証には〝フィン・ケラン〟と書かれていた。

「まあ、フィンってのはよくある名前だし、お前たちが喧嘩になると、うっかり本名で呼び合っちまいそうだからじゃないか?」

 キールトの推測に、フィンは納得いかないような顔をする。
「だったら、アイリーネも本名でいいじゃないっすか」

「うーん、アイリは数少ない女騎士で、地域によっては異名つきの有名人だし……特徴的な黒髪と名前が一致するのはまずいから、変えた方がいいってことになったのかもなあ……」

 そこでふと、キールトは何かひらめいたような表情をした。
「そうだ、フィンの方からはアイリのことを愛称で呼ぶようにしたらいいんじゃないか?」
「……愛称?」

 眉を顰めたフィンに、キールトはにっこりと微笑んだ。

「本名の〝アイリーネ〟と、偽名の〝フィリーネ〟に共通する部分を取って、〝リーネ〟なんてのはどうだ?」

 アイリーネがびくりと肩を揺らす。
「キールト、それ……っ」

 心なしか頬を赤らめておたおたするアイリーネを、フィンは目をすがめて不可解そうに見た。

「この呼び方だったら、〝漆黒のハヤブサ〟を思い起こさせることはないだろう。それに、〝リーネ〟って何だかこう、愛する妻を呼ぶのにふさわしい、優しい響きじゃないか?」

 妙案だとばかりに愛称呼びを推しまくるキールトに向かって、アイリーネはうろたえながら「ばっ」「なっ」「やめっ」と言葉にならない声を上げた。

「ふーん……」

 フィンは慌てているアイリーネをじっと眺めて少し考えると、にやりと意地悪そうに笑った。

「そうしよう」

 アイリーネが驚愕したように目を見開くと、フィンはいっそう愉快そうな顔になった。

「よろしくな、リーネ。我が妻よ」

   ◇  ◇  ◇


 日照時間がぐんと伸び、旅人が増える季節だということもあり、三人の宿探しは予想以上に難航した。
 夕食を後回しにして街じゅうを歩き回り、宿屋や宿坊付きの修道院を片っ端からあたってみたが、どこもかしこも満杯で宿泊を断られてしまった。

「ああ、二階の端に一部屋だけ空いてるけど、ずいぶん狭いよ。それでもいいならどうぞ」

 ようやく、市壁のきわの、あまりひと気のない一画で見つけた居酒屋を兼ねた宿屋でそう言われたとき、疲れ果てていた三人の目には無愛想なおかみが女神に見えた。

「ケラン夫人、同じお部屋を使わせていただいてもよろしいでしょうか?」

 おかみの目の前で芝居が始まった。
 神学生キーレン・マロイドに礼儀正しく伺いを立てられ、商家の跡取り息子フィン・ケランの新妻フィリーネは鷹揚に頷く。

「ええ。困ったときはお互いさまですもの。構いませんわ、神学生さま」

 庶民の旅人にとっては、相部屋で宿泊するのはおろか、やむを得ず初対面の客同士が広い寝台を分け合って使うようなこともないわけではない。
 大抵の貴族の令嬢にはそんな経験はないだろうが、アイリーネは修行時代から雑魚寝には慣れているため、軽く考えていたのだが――。

「嘘だろ……」
 フィンが呻き声を上げた。

「想像以上だな……」
 キールトも困惑気味に呟く。

 一階の居酒屋で夕食を済ませている間に準備してもらった部屋の中を、三人は呆然とした表情で眺めた。他に立っていられる余地などないので、扉の内側に背中をくっつけて、横並びになりながら。

 天井が斜めになったその窮屈な室内には、大人三人が詰め合ってやっと横になれるくらいの幅の寝台が、どうやって運び入れたのか見当もつかないほどぴったりとねじ込んであるだけだった。もちろん、誰かが床で寝られそうな隙間も全く見当たらない。

「お……俺はどっかで野宿を……」

 荷物を抱えたまま出ていこうとするフィンをキールトが制する。

「市街地で野宿なんかしたら取り締まられるぞ。目立つ行動は厳禁だ」

 アイリーネにも戸惑いはあったが、気を取り直すようにして言った。

「寝具は清潔そうだし、戦場に比べたら上等だよ」

 とにかく、今日の疲労を明日に残さないよう身体を休めなくてはならない。
 驚いたように瞳を揺らすフィンと、「まあ、仕方ないよな」と苦笑するキールトに、アイリーネは朗らかに微笑んでみせた。

「汗かいたから、階下したでお湯もらってくるね」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

腹黒王子は、食べ頃を待っている

月密
恋愛
侯爵令嬢のアリシア・ヴェルネがまだ五歳の時、自国の王太子であるリーンハルトと出会った。そしてその僅か一秒後ーー彼から跪かれ結婚を申し込まれる。幼いアリシアは思わず頷いてしまい、それから十三年間彼からの溺愛ならぬ執愛が止まらない。「ハンカチを拾って頂いただけなんです!」それなのに浮気だと言われてしまいーー「悪い子にはお仕置きをしないとね」また今日も彼から淫らなお仕置きをされてーー……。

純潔の寵姫と傀儡の騎士

四葉 翠花
恋愛
侯爵家の養女であるステファニアは、国王の寵愛を一身に受ける第一寵姫でありながら、未だ男を知らない乙女のままだった。 世継ぎの王子を授かれば正妃になれると、他の寵姫たちや養家の思惑が絡み合う中、不能の国王にかわってステファニアの寝台に送り込まれたのは、かつて想いを寄せた初恋の相手だった。

【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。

早稲 アカ
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。 宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。 彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。 加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。 果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

孕まされて捨てられた悪役令嬢ですが、ヤンデレ王子様に溺愛されてます!?

季邑 えり
恋愛
前世で楽しんでいた十八禁乙女ゲームの世界に悪役令嬢として転生したティーリア。婚約者の王子アーヴィンは物語だと悪役令嬢を凌辱した上で破滅させるヤンデレ男のため、ティーリアは彼が爽やかな好青年になるよう必死に誘導する。その甲斐あってか物語とは違った成長をしてヒロインにも無関心なアーヴィンながら、その分ティーリアに対してはとんでもない執着&溺愛ぶりを見せるように。そんなある日、突然敵国との戦争が起きて彼も戦地へ向かうことになってしまう。しかも後日、彼が囚われて敵国の姫と結婚するかもしれないという知らせを受けたティーリアは彼の子を妊娠していると気がついて……

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈 
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました

扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!? *こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。 ―― ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。 そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。 その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。 結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。 が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。 彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。 しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。 どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。 そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。 ――もしかして、これは嫌がらせ? メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。 「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」 どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……? *WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。

処理中です...