年下騎士は生意気で

乙女田スミレ

文字の大きさ
上 下
4 / 52

4 旅のはじまり

しおりを挟む


「バタバタしたけど、なんとか出発できて良かった……」
  馬車の中で、キールトが安堵の声を漏らす。

  密命が下った翌日にヴリアンは一足早く王都へと旅立ち、それから二日して支度が整った残りの三人も、馬車に同乗してつい今しがた駐屯地を出た。

  三人の小隊長たちの旅の名目は〝近隣の教区にあるいくつかの騎士団の視察〟だが、これから実際に目指すのは、隣の教区チェドラス郊外の駐屯地――ではなく、大聖堂を擁する中心街となる。

 「準備しておかないとな」

  そう言いながら、キールトは黒い上着を脱いだ。

  教区の境で辻馬車に乗り換えるまでに、それぞれが成りすます人物に姿を変えておく必要がある。
  今夜は〝巡礼路で知り合い、意気投合した神学生と新婚夫婦〟を装って同じ宿で一泊し、その後は東西の巡礼路に分かれて王都を目指すという段取りになっている。

 「三人が同時に脱ぎ着するとあちこちぶつかりそうだから、順番にひとりずつ着替えよう」

  アイリーネとフィンの向かいの席に座っていたキールトはそう提案すると、さっそく黒い脚衣に手を掛け、腰を浮かせてするすると下ろし始めた。

 「ちょ、ちょっと!」

  アイリーネの隣のフィンが慌てたような声を上げ、キールトはぴたりと手を止める。

 「こいつがいるんっすけど」

  言われたキールトも、親指を向けられた「こいつ」であるアイリーネも、きょとんとした顔になった。

 「……ああ」
  キールトが笑みを浮かべる。

 「僕たち元婚約者同士だし。――ってのは冗談だけど」

  眉間に皺を寄せたフィンの反応など意に介さぬ様子で、キールトは「アイリとは子供のころからこんな感じだったからなあ」とのんびりと語った。

 「とはいえ、女性の了解を得ずにこんな至近距離で脱ぎ出すなんて、『高潔であれ』っていう騎士団の信条に反してたよな。アイリ、失礼」
 「どこかのお嬢さんやご夫人と乗り合わせてるわけじゃないんだから、いちいち気にしなくていいよ」

  自身も伯爵家の令嬢であるはずのアイリーネだが、事もなげに言う。
「隊員の着替えなんて見慣れてる」

  不機嫌そうに押し黙ったフィンを横目で見ながら、言葉遣いは雑なのに、こういうことには妙に細かいんだなとアイリーネが意外に思っていると、身支度を再開したキールトが軽口めいた調子でフィンに声を掛けた。

 「でも、アイリが着替えてるときは見ちゃダメだぞ?」
 「い、言われなくても分かってるし!」

 フィンは噛みつくように返し、ふてくされた顔で付け加えた。
「そもそも、見たくもねえし……」

 第一中隊で唯一の女性隊員であるアイリーネには、専用の小さな更衣室が設けられている。当然、入浴も男性隊員とは時間をずらし、最後に大浴場を一人で使うことになっている。
  前線や遠征先ではそこまでのことはできないが、「高潔であれ」の信条に誓いを立てている騎士たちには〝ところ構わず裸にならない・誰かが肌を晒すときは不躾に見るようなことはしない〟という暗黙の了解がある。

  「――これでいいかな」

  いつもは分けている銀髪の前髪を下ろしながらキールトが言った。

 「わあ……」

  足首まである灰白色の長衣の腰に細い帯革を締め、頭巾付きの灰色の掛け襟を身に着けたキールトは、まるで本物の神学生のように見えた。

 「キールト、完璧」
 「全く違和感ないっすね」
 「よかった。じゃあフィン、席を替わろう」

  フィンはキールトが座っていた向かい側の席に座るなり、緊急出動時並みの速さで服を脱ぎ始めた。

 「フィン、そこまで急がなくても大丈夫だぞ」

  キールトが声を掛けると、フィンはシャツの袖から腕を抜きながら言った。

 「アイリーネのには時間が掛かるだろうから」

  もともと女ですけど! とアイリーネが厳しい目を向けたとき、フィンはすでに腰を覆う短い下着だけになっており、これから着るものを手に取ろうとしていた。

 「…………」

  アイリーネは息を呑み、驚きの瞬きを繰り返す。
  フィンはもう線の細い少年ではなかった。隅々まで鍛えられたしなやかな筋肉を、なめらかな素肌が覆う伸びざかりの引き締まった肢体は、王都の広場にある伝説の若き英雄の彫像を思い起こさせるほどだった。

 「……じろじろ見んなよ」
  アイリーネの視線に気づいたフィンが、口を尖らせる。
 「やらしい目つきで」

 「や……!?」
  アイリーネは顔を赤くして抗議した。
 「そんな目で見るわけないでしょ!」

  憤慨したアイリーネがそっぽを向いているうちに、フィンの着替えは終わった。

 「おー、似合ってるぞ、フィン」

  キールトの感心したような声に誘われて、アイリーネも視線を向ける。
 フィンは、仕立ての良い柔らかなシャツに袖なしの青い上着を羽織り、太股のあたりがやや太くなった長い脚衣を身に着けて、商人の息子らしく仕上がっていた。

 「あー、うん。苦労知らずのお気楽坊ちゃんって感じ」

  アイリーネの挑発的な感想に、今度はフィンが不穏な表情になる。

 「二人とも、隙あらば喧嘩を売り合うのはやめろよ……」

  キールトは呆れ声で仲裁すると、てきぱきと指示を出した。

 「じゃあアイリ、フィンと席替わって。フィン、僕たちはしばらく窓の外を見てような」
 「喜んで!」

  嫌味たっぷりにそう言いながら席を移ったフィンをひと睨みし、アイリーネはごそごそと着替えを始めた。
  片方の窓側に腰掛けているキールトは、ごく自然な姿勢で流れていく車窓の風景を眺めているが、その反対側に座るフィンは、上半身を思いきり外の方へと捻り、窓にくっつきそうになるほど顔を近づけて、「見たくもねえし」をあからさまに体現していた。

「――き、着替えた……けど」
「おお、いいな……!」

 商家の新妻に変身したアイリーネを目にしたキールトは、声を弾ませる。

 「まさに素敵な若奥さんって感じだよ、アイリ」
 「そっ、そう……?」

  一つに括ってあった黒髪をほどき、襟元を深くった白いブラウスの上に更に大きく襟ぐりが開いた袖なしの赤い胴衣を重ね、同じ色の長いスカートを穿いたアイリーネは、居たたまれなさそうに衣装のあちこちを引っ張った。

 「これ……なんかちょっと……」

  胸元が強調されているような着慣れない服装に、恥ずかしいと言葉にするのも恥ずかしくて、アイリーネは口ごもった。

 「いやいや、しっくりきてるって。なあ、フィン?」

  キールトが声を掛けると、黙っていたフィンはハッと我に返ったかのように瞬きをした。

 「あ……。か、かろうじて女に見えるかも知れませんね」

  ムッとするアイリーネをキールトは取りなすように言った。

 「アイリ、麗しいご婦人がそんな顔するなよ。フィンも突っかかるような物言いはもうよせ。今日からしばらく二人は夫婦なんだから。な?」

 「……最っ悪」
  アイリーネが毒づくと、フィンも「本当にな!」と言い放った。 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

婚姻届の罠に落ちたら

神原オホカミ【書籍発売中】
恋愛
年下の彼は有無を言わさず強引に追い詰めてきて―― 中途採用で就社した『杏子(きょうこ)』の前に突如現れた海外帰りの営業職。 そのうちの一人は、高校まで杏子をいじめていた年下の幼馴染だった。 幼馴染の『晴(はる)』は過去に書いた婚姻届をちらつかせ 彼氏ができたら破棄するが、そうじゃなきゃ俺のものになれと迫ってきて……。 恋愛下手な地味女子×ぐいぐいせまってくる幼馴染 オフィスで繰り広げられる 溺愛系じれじれこじらせラブコメ。 内容が無理な人はそっと閉じてネガティヴコメントは控えてください、お願いしますm(_ _)m ◆レーティングマークは念のためです。 ◆表紙画像は簡単表紙メーカー様で作成しています。 ◆無断転写や内容の模倣はご遠慮ください。 ◆文章をAI学習に使うことは絶対にしないでください。 ◆アルファポリスさん/エブリスタさん/カクヨムさん/なろうさんで掲載してます。 〇構想執筆:2020年、改稿投稿:2024年

異世界オフィスラブ~息子の父親が上司としてやってきました~

あさぎ千夜春
恋愛
【小説家になろうに先行投稿中】 『お前みたいな女、大嫌いだ……殺してやりたいよ……』 お互い、印象は最悪。なのに気が付けば、一夜を共にしていた。 竜人の帝が国を治め二千年。貧乏士族の娘である矢野目六華(やのめ・りっか)は皇太子妃になった姉を守るべく、竜宮を守護する竜宮警備隊に入隊する。 入隊して半年が過ぎた秋の頃、久我大河(くがたいが)という美丈夫が六華の上司として赴任してきた。その男を見て六華は衝撃を受ける。 (ど、どうしよう! 息子の父親だ!!!!) かつて名も知らぬ男とたった一晩体を重ねた六華は、妊娠し息子を出産。シングルマザーの道を選んでいた。昔のことを思い出されたらと心配する六華だが、彼はどうやら覚えていないらしい。 「お前、俺になにか言いたいことがあるんじゃないか?」 「いいえ、まったく……(その眉毛のしかめ方、息子にそっくりすぎて困ります……)」 腕っぷしは最強だけれどどこかずれてる六華と、全てがとびっきり上等だが、どこか面倒くさい大河の【異世界オフィスラブ】 ※小説家になろう、カクヨム掲載。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

ミックスド★バス~家のお風呂なら誰にも迷惑をかけずにイチャイチャ?~

taki
恋愛
【R18】恋人同士となった入浴剤開発者の温子と営業部の水川。 お互いの部屋のお風呂で、人目も気にせず……♥ えっちめシーンの話には♥マークを付けています。 ミックスド★バスの第5弾です。

大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました

扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!? *こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。 ―― ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。 そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。 その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。 結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。 が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。 彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。 しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。 どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。 そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。 ――もしかして、これは嫌がらせ? メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。 「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」 どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……? *WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。

絶倫騎士さまが離してくれません!

浅岸 久
恋愛
旧題:拝啓お父さま わたし、奴隷騎士を婿にします! 幼いときからずっと憧れていた騎士さまが、奴隷堕ちしていた。 〈結び〉の魔法使いであるシェリルの実家は商家で、初恋の相手を配偶者にすることを推奨した恋愛結婚至上主義の家だ。当然、シェリルも初恋の彼を探し続け、何年もかけてようやく見つけたのだ。 奴隷堕ちした彼のもとへ辿り着いたシェリルは、9年ぶりに彼と再会する。 下心満載で彼を解放した――はいいけれど、次の瞬間、今度はシェリルの方が抱き込まれ、文字通り、彼にひっついたまま離してもらえなくなってしまった! 憧れの元騎士さまを掴まえるつもりで、自分の方が(物理的に)がっつり掴まえられてしまうおはなし。 ※軽いRシーンには[*]を、濃いRシーンには[**]をつけています。 *第14回恋愛小説大賞にて優秀賞をいただきました* *2021年12月10日 ノーチェブックスより改題のうえ書籍化しました* *2024年4月22日 ノーチェ文庫より文庫化いたしました*

媚薬を飲まされたので、好きな人の部屋に行きました。

入海月子
恋愛
女騎士エリカは同僚のダンケルトのことが好きなのに素直になれない。あるとき、媚薬を飲まされて襲われそうになったエリカは返り討ちにして、ダンケルトの部屋に逃げ込んだ。二人は──。

処理中です...