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彼女の覚悟は決まりすぎている

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 クラウディア・ハウトシュミット様へ

 すがすがしい初夏の季節となりました。皆さまいかがお過ごしでしょうか。
 この度は突然のお手紙を失礼いたします。
 先日、家庭教師に『言葉を学ぶにはその国の友人を作るとよい』と言われまして、バルトール語の練習のために貴女にバルトール語でお手紙を差し上げました。
 五年前、貴女が突然スヘンデルを去ってしまってから、わたくしは寂しいです。ずっととても寂しいままです。
 もう戻ってきてはくれないのですか?
 お仕事の都合もあるでしょうし、無理を言ってしまってごめんなさい。でも、わたくしは貴女にまた会える日を楽しみにしています。



                        かしこ

         リリアンネ・ソフィー・リーフェフット








 追伸

 クレアちゃんなら炙り出しの手紙にも気づいてくれると思った!
 ねえ、聞いて! お父さまとお母さまがリリを結婚させようとしてるの!
 二人とも口では『一人くらい友達を作りなさい』とか言うけれど、リリ、ちゃんと分かってるもん。男の子とちょっと話したらすぐ噂されるし、女の子と話すとすぐに兄弟を紹介されるの。
 友達なんか作ったら、あっという間に婚約者ができて、あっという間に結婚することになると思うの。
 そこのところを二人は分かっていないのか、分かっていて知らんぷりしてるのかは知りません。いまだにイチャイチャしてるひとたちの気持ちなんてリリは知りません!

 はあ、もううんざりです。
 だいたいみんな、恋愛のことで騒ぎすぎだと思います。
 リリはもっと静かなところに行きたい。リリもクレアちゃんの学校に入りたいです。


 追伸の追伸

 結婚ってそんなに良いものなのかしら。
 ねえ、クレアちゃんは結婚してみてどうだった?

 ☆

 リリアンネからの手紙についた柑橘の匂いに気づき、蝋燭の火にかざすとこれだ。表向きの淑女らしい文面の内容も嘘ではないのだろうが、秘密の手紙の方が明らかに筆が乗っている。幼い頃から口達者だった彼女らしく、リリアンネは手紙の中でも雄弁だった。

「……ここも全然『静かなところ』ではないわよ?」

 黒く炙り出た文字列に対して言いたいことは多々あるが、まずは明確に事実と反する点に反駁ツッコミを加えてみた。
 確かに『クレアちゃんの学校』こと、クレアが勤めているバルトール王立女学院は他に類を見ない全寮制女子校として他国にまで名が知れている。良家の令嬢に良妻賢母教育を施す花嫁学校として、花嫁を探す男性や娘を持つ親たちから過分な夢と期待を寄せられていることも知っている。

「婚約者に不満は無いのですけれど……はあん、セディちゃまのもちもちほっぺは名残惜しいですわ」
「こんなに美味しそうだもの、食べちゃいたいわぁ」

 その実態が『結婚相手として値踏みしてくる異性からも親元からも離れて自由奔放に弾けた少女たちの楽園』であることを知る者は、在学生と教員の他にはほとんどいない。
 目の前で息子を愛でている二人の女生徒を見ながら、クレアは『噂は本当にあてにならないわね』と呟いた。
 社交界で『完璧令嬢』との異名を取るツェツィーリエ・フォン・ヘルテル侯爵令嬢と、女性初の大学正規学生の資格を得た『才媛』マイラ・アイスラー――『高嶺の花すぎる』と畏怖の目すら向けられている少女たちが奇声や幼児語を交えて幼児と戯れているところなど、他には絶対に見せられない。

「クラウディア先生、卒業後もセディちゃまを触りに来てもいいですか?」
「来たくなった時にはいつでも顔を出して、と言いたいところだけれど、その理由だけだと認められないわ」
「えー!」
「そんなあ」
「セディの都合もあるでしょうし」
「それはそうですけれどぉ……」

 彼女たちは三年間の学校生活を終えてもうすぐ卒業する。
 卒業後のふれあいの確約を取りつけようとしていた二人は、がっくりと肩を落とした。悲しんだのは、別れの気配を敏感に感じ取った幼児の側も同じだ。

「なんで、ふたりはいなくなっちゃうの? ぼくのこと好きってゆったのに!」

 ペリドットの大きくまるい瞳には、涙の膜が張っている。
 愛らしい顔立ちの幼児が泣きそうな顔で『好きならずっと一緒にいてくれるはずでしょう』と拙い言葉で不義理を責める言葉を聞くと、母親であるクレアですら胸が痛むのだ。彼を溺愛している生徒たちはなおさらだった。

「……結婚、やめようかしら」
「大学は休学するって手もあるし……」
「やめちゃえばいいよ。ぼくとずっといっしょにいて?」
「「はわわ」」
「こら! セドリック!」

 さすがに言いすぎだ。
 クレアは慌てて息子のセドリックを抱き上げて引き離すと、生徒たちに『夕食に遅れるから寮に戻りなさい』と声をかけた。

「なんでぇっ、ツェツィもマイラも、行っちゃやぁ!」
「あなたは本当にあなたのお父さまにそっくりね。自覚が無いのが良いのか悪いのか……」

 じたばたと水揚げされた魚のように暴れる息子を落ち着かせていると、ついつい本音が溢れ出た。
 セドリックは父親にそっくりだ。将来どんな美青年になるかと末恐ろしいほど整った顔立ちも、溌剌としたペリドットの瞳も、寂しがり屋な内面も、人たらし――特に女性を惹きつけるところも。
 自覚的に美貌を悪用していた夫と、無自覚に他人の人生まで左右しそうな息子、どちらがよりたちが悪いのかはクレアには分からない。

「とうさま? とうさまのおはなし、して!」

 大好きな『父』の話だと察した途端におとなしくなって続きをせがむセドリックを見て、クレアは苦笑した。ちゃっかりしているのに憎めないところもフレッドに似ている。

「セディのお父さま、フレッドはとってもかっこよくて、初めて見た時にお母さまは見惚れてしまったの」
「かっこいい?」
「そう。セディにそっくりよ」
「でも、ぼく、かわいいってゆわれる……」
「フレッドも小さい頃はそうだったって。セディもきっとかっこいい大人になるわ」
「ほんと?」
「ええ。かっこよくて、頭が良くて、お金持ちで、みんなに優しくて……なんだか並べると出来過ぎだけど、意地悪だし鈍感なところもあったわ。それに、本当はとっても寂しがり屋なの」

 寂しがり屋な彼に自分が家族を与えてあげたいと思った。
 そう言ったクレアにフレッドは『嬉しい』と答えてくれた。クレアと生まれてくる子と家族になることを望んでいる、と。
 あの晩クレアの胎には子が宿っていた。セドリックはこうして日々可愛らしく成長していくというのに、フレッドは彼の成長を間近に見ることができない。クレアの決断が『家族』を壊した。

「じゃあ、とうさまは今もきっとさびしいね」
「そうね」
「かあさまも。とうさまがいなくてさびしい?」
「……そうね。寂しいけれど、私が選んだことだもの」

 レオカディアが新国王に決まった日、フレッドと一緒にスヘンデルへ帰ることに頷いていれば、自分たちは平凡な家族としての幸せを手に入れていただろう、と後悔しない日は無い。
 それでもたとえあの日に戻れるとしても、クレアは同じ決断をするだろう。クレアには諦めたくないものがあったから。

『それなら、僕が君に会いに行く。君の傍にいられるように頑張るから。もう少しだけ待っていて』

 諦めたくないことはたくさんあった。
 クレアには夢があったし、見ていて心配になる姉を傍で助けたかったし、フレッドとも家族になりたかった。
 何ひとつ諦めないために、あえて苦しい道を選んだ。選ぶからにはその先に幸福な結末が待っていると信じて。

「――クレア、もう二度と会えないみたいな言い方はやめてくれ」

 半年ぶりに聞く夫の声は、あの時選んだ道が間違っていなかったことを数年越しに指し示すものだった。

「あら、フレッド。そんなつもりは無かったけれど。あなた、まだ何日かかかる予定じゃ、」
「馬車を飛ばしてきた。君たちに早く会いたくて」

 つかつかと詰め寄った彼に抱かれて、クレアは彼の腕の中でくぐもった声を聞いた。

「遅くなってごめんね。今、ようやく、君のもとに帰ったよ」
「ええ。おかえりなさい」

 そっと、彼の体を抱きしめ返した。
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