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正しい答えは分からなくても
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七の月の初め、バルトール国王は静かに息を引き取った。
目立った功績は無いが、多くの子女を儲けて王室費用を増大させた以外にさしたる問題も起こさなかったまずまずの名君の死をバルトール国民は悼み、国中が喪に服した。
だが、王侯貴族は悲しんでばかりもいられない。
バルトールの慣例では国王の崩御から二週間後に次代の即位式典が執り行われる。長く王位を空けるわけにはいかないが、即位式典に近隣諸国の国家元首が欠席すれば赤っ恥もいいところだ。移動に要する日数を考慮して空位期間が定められていた。
「念のため聞くが、私の即位に異議のある者はいないな?」
王太子エーミールは玉座に腰かけ、謁見の間に並んだ臣下を見下ろして言った。
慣例に従って近隣諸国には用件を『新国王の即位』とのみ伝えたが、エーミールが次の国王となることはとうの昔に決まっている。もしもこの場で異議が出るようなら、そもそもエーミールは王太子に成れていなかっただろう。
あくまでも形式だけの問いを投げかければ、臣下全員が新国王の即位を承認して忠誠を誓う儀式――そのはずだった。
「エーミール王太子の即位に異議を唱えます」
だから誰も、老いてなお矍鑠とした老公爵がピンと伸ばした手を挙げて発言することなど予想してはいなかった。
「そして、次代の国王にレオカディア・フォン・バルトール王女殿下を推薦いたします」
公爵が、国王と王妃の娘で筆頭公爵の孫娘――王太子よりも血筋の優れた他の国王候補を提示して、この場に波乱を巻き起こすということも。
「何のつもりだ、ローゼンハイム公!」
しばらくぽかんと口を開けていたエーミールは、我に返るや否やローゼンハイム公爵に食ってかかった。
立太子の際も一番の障害はローゼンハイム公爵家の意向だった。結局ローゼンハイム家出身の王妃は女児しか産めなかったからか、その時は公爵も表立って反対しなかったのに、今になって何を言い出すのか。
「言葉通りの意味ですな」
「耄碌したか? 貴様の孫のレオカディアは既に嫁いだ身だろう」
「それの何が問題なのです? レオカディア殿下は王位継承権を放棄しておられませんし、現に王子らには他家に婿入りした後も継承権が残っている」
「そんなの、当然――っ、」
当然だろう、王子は男で、レオカディアは女なのだから。
バルトールの王位継承は男子優先だから扱いが違うのは当然のことなのに、曇りのない目を向けられると言葉に詰まった。
「……まあいいっ、百歩譲ってレオカディアにも王位継承権があるとしよう。だが、それは『彼女一代限りの、限りなく継承順位が低い王位継承権』だ。レオカディアは女で若年だからな。これはバルトールの確立されたルールに基づく順序だ。まさか異議を唱えはしまい?」
「いえ。それ自体は構いません」
「分かってくれて嬉しいよ。レオカディアはともかく、蛮族の子に継承権を握らせるなんて、考えるだけでもぞっとする」
エーミールが肩をすくめると、場がどっと湧いた。
国王の直系しか王位を継げないことにすると、その血統が絶えた瞬間に王朝は断絶してしまう。だから国王の弟妹にも王位継承権を残しておくのはいい。だが、レオカディアの子―― 異民族オルドグとの混血児が国王になる可能性など、この場にいる者にとっては『悪い冗談』としか思えなかったのだろう。
「ローゼンハイム公は私に不満があるのかもしれない。だが、私の次に継承順位が高い弟も宰相派だ。どう足掻いてもレオカディアまで王位は回るまい」
「どうでしょうな」
「えっ?」
自身が推薦したレオカディアの王位継承順位が低いことは認めながら、ローゼンハイム公爵はわざとらしく首を捻って言った。
「上にどれだけゴミが詰まっていようと、綺麗に掃除して全て取り払ってしまえばいい。そうすれば『ルールに則って』繰り上がったレオカディア王女が王となるように、儂には思えてならんのですが」
「な……っ、謀反を企むかっ! 貴様っ!」
その言葉は『レオカディアよりも継承順が上位の者を全て殺してしまえば彼女を国王にできる』という意味にしか聞こえなかった。
色めきたったエーミールが護衛騎士を呼ぶと、駆けつけた騎士たちは公爵をぐるりと取り囲み、剣の切っ先を向けた。
「困りますな。儂は自分の考えを述べただけです。王太子殿下に『即位に異議があるか』と尋ねられたから答えただけ、『高順位の王位継承権者を全て排除した場合の扱いはどうなるのか』と疑問点を尋ねただけではありませんか」
「ぬかせっ! 謀反人が何を言うかっ!」
理屈の上ではそうかもしれないが、わざわざ口にすること自体が如実に『別の意図』の存在を示している。
『反逆罪だ、早く処刑しろ!』と息巻くエーミールに、老公爵は焦るでもなく――どこか憐れみさえ滲ませた視線を返した。
「……少しは頭を使ったら如何です、エーミール殿下。もしもあなたがもう少し老獪な策を練ることができるなら、儂はあなたに国を任せてもよかった。我が孫は嫁ぎ先で幸せだったようですから」
「何っ!?」
「謀反を起こす時に『これから謀反を起こします』と言う馬鹿はいない、ということですよ」
「――『謀反』とは、どういう意味だったかしら」
エーミールが公爵に詰め寄る前に、耳に心地よい中低音が謁見の間に響いた。
見れば入り口に人影が二つ、男性の礼装に身を包んだ金髪の人物と琥珀色の髪のドレスの貴婦人だ。一見すると似合いの恋人同士のようにも見える二人は、エスコートをすることもされることもなく、互いの間に少しの距離を空けて歩を進めた。
「辞書的には『国家や君主にそむくこと』かしら」
「『君主』とは王太子位で足りるの?」
「普通は最高位の一人に限ると思うわ」
「そうね、王子や王女同士の争いならばただの対等な『小競り合い』になりそうだもの。ならば、わたくしの考えは正しいわね」
固唾を飲んで事態を見守っていた者たちは、近づく二人を見てようやく気づいた。――どちらも女だ。そして彼女たちが睦まじく話している内容は、世間話にしては随分と物騒な『国』に関することだ、と。
「玉座そこを退きなさい、エーミール・フォン・バルトール。まだ『君主』ではないあなたにそこに座る権利は無いし、この国を蝕み他国に売ろうとするあなたこそが『謀反人』でしょう」
玉座の真正面でぴたりと足を止めた男装の女――レオカディア・フォン・バルトールは、玉座に座した異母兄のことを挑戦的に睨みつけた。
☆
「……私が謀反人だと? レオカディア、冗談はよせ」
レオカディアに喝破されて硬直していたエーミールは、ぎこちない動きで玉座に座り直して脚を組んだ。
「売国奴を謀反人と呼んで悪いの?」
「売国奴? 何の話だか分からないな」
「まあ、記憶力が悪くなられたのね。お可哀想に」
「っ、ああ! もしかして、我が妹は鉄鉱山の話をしているのかな?」
余裕を見せて空惚けたつもりが、レオカディアに冷ややかな同情の視線を送られて、エーミールはこめかみをひくつかせた。
「レオカディア、貴様は『聡い』とちやほやされていたが、本の中のことしか知らないらしい」
「あら、どういう意味かしら」
肩をすくめたエーミールは幼子を諭すように――立派な大人であるレオカディアを馬鹿にするように、言った。
「貴様はこの場に押しかけて、『エーミール王太子はバルトール国民を過酷で危険な環境で強制的に働かせている。民を守る王の器ではない!』とか何とか騒ぐつもりだったのだろう? 愚かな女子どもの夢見がちな戯言だ、ここにいる者はな、みんな、そんなことは知っているんだよ」
「……そう。知っているのに、何もしないのね」
「仕方がないだろう、犯罪者も貧乏人も異民族も『真っ当なバルトールの民』ではないのだから。貴様は私を非難するだろうが、国王だって人間だ、守れるものには限りがある。どこかで線を引かねばならない時に、真っ先に異端者が弾かれるのは仕方がないと思わないか?」
もしも彼らを守ろうとすれば割を食うのは善良な国民だ。だから仕方が無いのだと、エーミールは悲しげに眉を下げてみせたが、内心の毒気を隠しきれていない表情は、クレアの目にはひどく醜く見えた。
「残念ながらこれが『現実』だ。本で学んだだけの貴様は知らないだろうが――」
「あなたの言うとおりだったわね、クラウディア」
そこまでを聞いてレオカディアは興味を失ったようにエーミールから視線を外し、横に並んだクレアに顔を向けてきた。
「ええ、姉様。中身のない人ほど大きなことを語りたがるし、相手の発言の価値を貶めようとしてくるものよ」
『あなたには分からないだろうけど』――確かに基礎となる知識が無ければ分からないこともある。だが、そうやって見くびられて説明を省かれたせいで分からないことも、説明する側が威圧して自分の考えを押し通そうとすることもあるだろう。
「馬鹿みたい。自分の考えに本当に自信があるなら堂々と説得すればいいだけなのに。互いの考えを戦わせる議論に、声の大きさも誰が誰に言うかも関係ないはずなのに」
口から出た声は冷めきっていた。
かつてのクレアは長兄に馬鹿にされても何ひとつ言い返せなかったのに。こんなくだらない男に対して劣等感を感じて怯えていたのかと過去の自分が情けなくなった。
「無礼な女めっ、小賢しい口を閉じろ!……待て、『クラウディア』だと?」
「ご無沙汰しております、兄様。先ほどレオカディア姉様からも話があった通り、兄妹の間に『無礼』は無いかと思いますが」
「嘘だろうっ、貴様、あの冴えない『薄茶色』か!?」
驚きの声が上がったところを見ると、兄もこの場にいる貴族たちもクレアに気づいてすらいなかったらしい。苦笑いが出てしまった。
「ええ、そうよ。あなたたちがスヘンデルの言い値で売り払った、『みそっかすのクラウディア』は私」
「なんだ、見られる姿に育ったじゃないか。売り時を間違えたな、数年待てばもっとバルトールに有利な条件を引き出せただろうに」
容姿しか見られていないことも『商品』としか見られていないことも、兄に期待などしていなかったから傷つかない。
それでも一つだけ誤解を正しておきたくて、クレアは深呼吸してから兄を見据えて言った。
「兄様は森の獣と一緒ね」
「なんだとっ!」
「これが『現実』だ? 甘えたことを言わないで。目の前にある草を全部食べ尽くして『もう無いんだから仕方ない』って言ってるのと同じよ。それで飢え死にしたいなら勝手にするがいいわ。私は絶対に嫌だし、他の答えを探しに行く。他の場所を探してもいいし、自分で育ててみてもいい、他の人から借りたりもらったりしてもいい。見つかるまで、見つからなくても、最後まで探し続ける」
国王だって人間で、人ひとりの力には限界がある。
それは嘘ではない。だが、限界が分かっているなら、どうしてその『限界』を押し上げるために自分を鍛えないのか。どうして他の者の話を聞いて力を借りないのか。書物を読めば過去の人の力を借りることもできるのに、どうしてそれをしないのか。あなたは『望んで国王になろうとする者』なのに、どうして『個人』をすり潰すほど働かないのか。
「自分に都合がいいことしか見ていないくせに、見る気すら無いくせにっ、簡単に限界を決めて『仕方ない』とか言うなっ!」
目の前に『正解』が降ってこないことは、より良い答えを探ろうとしない理由にはならない。
覚悟の決まった瞳で説くクレアを見て、エーミールは気圧されたように身を引いた。
目立った功績は無いが、多くの子女を儲けて王室費用を増大させた以外にさしたる問題も起こさなかったまずまずの名君の死をバルトール国民は悼み、国中が喪に服した。
だが、王侯貴族は悲しんでばかりもいられない。
バルトールの慣例では国王の崩御から二週間後に次代の即位式典が執り行われる。長く王位を空けるわけにはいかないが、即位式典に近隣諸国の国家元首が欠席すれば赤っ恥もいいところだ。移動に要する日数を考慮して空位期間が定められていた。
「念のため聞くが、私の即位に異議のある者はいないな?」
王太子エーミールは玉座に腰かけ、謁見の間に並んだ臣下を見下ろして言った。
慣例に従って近隣諸国には用件を『新国王の即位』とのみ伝えたが、エーミールが次の国王となることはとうの昔に決まっている。もしもこの場で異議が出るようなら、そもそもエーミールは王太子に成れていなかっただろう。
あくまでも形式だけの問いを投げかければ、臣下全員が新国王の即位を承認して忠誠を誓う儀式――そのはずだった。
「エーミール王太子の即位に異議を唱えます」
だから誰も、老いてなお矍鑠とした老公爵がピンと伸ばした手を挙げて発言することなど予想してはいなかった。
「そして、次代の国王にレオカディア・フォン・バルトール王女殿下を推薦いたします」
公爵が、国王と王妃の娘で筆頭公爵の孫娘――王太子よりも血筋の優れた他の国王候補を提示して、この場に波乱を巻き起こすということも。
「何のつもりだ、ローゼンハイム公!」
しばらくぽかんと口を開けていたエーミールは、我に返るや否やローゼンハイム公爵に食ってかかった。
立太子の際も一番の障害はローゼンハイム公爵家の意向だった。結局ローゼンハイム家出身の王妃は女児しか産めなかったからか、その時は公爵も表立って反対しなかったのに、今になって何を言い出すのか。
「言葉通りの意味ですな」
「耄碌したか? 貴様の孫のレオカディアは既に嫁いだ身だろう」
「それの何が問題なのです? レオカディア殿下は王位継承権を放棄しておられませんし、現に王子らには他家に婿入りした後も継承権が残っている」
「そんなの、当然――っ、」
当然だろう、王子は男で、レオカディアは女なのだから。
バルトールの王位継承は男子優先だから扱いが違うのは当然のことなのに、曇りのない目を向けられると言葉に詰まった。
「……まあいいっ、百歩譲ってレオカディアにも王位継承権があるとしよう。だが、それは『彼女一代限りの、限りなく継承順位が低い王位継承権』だ。レオカディアは女で若年だからな。これはバルトールの確立されたルールに基づく順序だ。まさか異議を唱えはしまい?」
「いえ。それ自体は構いません」
「分かってくれて嬉しいよ。レオカディアはともかく、蛮族の子に継承権を握らせるなんて、考えるだけでもぞっとする」
エーミールが肩をすくめると、場がどっと湧いた。
国王の直系しか王位を継げないことにすると、その血統が絶えた瞬間に王朝は断絶してしまう。だから国王の弟妹にも王位継承権を残しておくのはいい。だが、レオカディアの子―― 異民族オルドグとの混血児が国王になる可能性など、この場にいる者にとっては『悪い冗談』としか思えなかったのだろう。
「ローゼンハイム公は私に不満があるのかもしれない。だが、私の次に継承順位が高い弟も宰相派だ。どう足掻いてもレオカディアまで王位は回るまい」
「どうでしょうな」
「えっ?」
自身が推薦したレオカディアの王位継承順位が低いことは認めながら、ローゼンハイム公爵はわざとらしく首を捻って言った。
「上にどれだけゴミが詰まっていようと、綺麗に掃除して全て取り払ってしまえばいい。そうすれば『ルールに則って』繰り上がったレオカディア王女が王となるように、儂には思えてならんのですが」
「な……っ、謀反を企むかっ! 貴様っ!」
その言葉は『レオカディアよりも継承順が上位の者を全て殺してしまえば彼女を国王にできる』という意味にしか聞こえなかった。
色めきたったエーミールが護衛騎士を呼ぶと、駆けつけた騎士たちは公爵をぐるりと取り囲み、剣の切っ先を向けた。
「困りますな。儂は自分の考えを述べただけです。王太子殿下に『即位に異議があるか』と尋ねられたから答えただけ、『高順位の王位継承権者を全て排除した場合の扱いはどうなるのか』と疑問点を尋ねただけではありませんか」
「ぬかせっ! 謀反人が何を言うかっ!」
理屈の上ではそうかもしれないが、わざわざ口にすること自体が如実に『別の意図』の存在を示している。
『反逆罪だ、早く処刑しろ!』と息巻くエーミールに、老公爵は焦るでもなく――どこか憐れみさえ滲ませた視線を返した。
「……少しは頭を使ったら如何です、エーミール殿下。もしもあなたがもう少し老獪な策を練ることができるなら、儂はあなたに国を任せてもよかった。我が孫は嫁ぎ先で幸せだったようですから」
「何っ!?」
「謀反を起こす時に『これから謀反を起こします』と言う馬鹿はいない、ということですよ」
「――『謀反』とは、どういう意味だったかしら」
エーミールが公爵に詰め寄る前に、耳に心地よい中低音が謁見の間に響いた。
見れば入り口に人影が二つ、男性の礼装に身を包んだ金髪の人物と琥珀色の髪のドレスの貴婦人だ。一見すると似合いの恋人同士のようにも見える二人は、エスコートをすることもされることもなく、互いの間に少しの距離を空けて歩を進めた。
「辞書的には『国家や君主にそむくこと』かしら」
「『君主』とは王太子位で足りるの?」
「普通は最高位の一人に限ると思うわ」
「そうね、王子や王女同士の争いならばただの対等な『小競り合い』になりそうだもの。ならば、わたくしの考えは正しいわね」
固唾を飲んで事態を見守っていた者たちは、近づく二人を見てようやく気づいた。――どちらも女だ。そして彼女たちが睦まじく話している内容は、世間話にしては随分と物騒な『国』に関することだ、と。
「玉座そこを退きなさい、エーミール・フォン・バルトール。まだ『君主』ではないあなたにそこに座る権利は無いし、この国を蝕み他国に売ろうとするあなたこそが『謀反人』でしょう」
玉座の真正面でぴたりと足を止めた男装の女――レオカディア・フォン・バルトールは、玉座に座した異母兄のことを挑戦的に睨みつけた。
☆
「……私が謀反人だと? レオカディア、冗談はよせ」
レオカディアに喝破されて硬直していたエーミールは、ぎこちない動きで玉座に座り直して脚を組んだ。
「売国奴を謀反人と呼んで悪いの?」
「売国奴? 何の話だか分からないな」
「まあ、記憶力が悪くなられたのね。お可哀想に」
「っ、ああ! もしかして、我が妹は鉄鉱山の話をしているのかな?」
余裕を見せて空惚けたつもりが、レオカディアに冷ややかな同情の視線を送られて、エーミールはこめかみをひくつかせた。
「レオカディア、貴様は『聡い』とちやほやされていたが、本の中のことしか知らないらしい」
「あら、どういう意味かしら」
肩をすくめたエーミールは幼子を諭すように――立派な大人であるレオカディアを馬鹿にするように、言った。
「貴様はこの場に押しかけて、『エーミール王太子はバルトール国民を過酷で危険な環境で強制的に働かせている。民を守る王の器ではない!』とか何とか騒ぐつもりだったのだろう? 愚かな女子どもの夢見がちな戯言だ、ここにいる者はな、みんな、そんなことは知っているんだよ」
「……そう。知っているのに、何もしないのね」
「仕方がないだろう、犯罪者も貧乏人も異民族も『真っ当なバルトールの民』ではないのだから。貴様は私を非難するだろうが、国王だって人間だ、守れるものには限りがある。どこかで線を引かねばならない時に、真っ先に異端者が弾かれるのは仕方がないと思わないか?」
もしも彼らを守ろうとすれば割を食うのは善良な国民だ。だから仕方が無いのだと、エーミールは悲しげに眉を下げてみせたが、内心の毒気を隠しきれていない表情は、クレアの目にはひどく醜く見えた。
「残念ながらこれが『現実』だ。本で学んだだけの貴様は知らないだろうが――」
「あなたの言うとおりだったわね、クラウディア」
そこまでを聞いてレオカディアは興味を失ったようにエーミールから視線を外し、横に並んだクレアに顔を向けてきた。
「ええ、姉様。中身のない人ほど大きなことを語りたがるし、相手の発言の価値を貶めようとしてくるものよ」
『あなたには分からないだろうけど』――確かに基礎となる知識が無ければ分からないこともある。だが、そうやって見くびられて説明を省かれたせいで分からないことも、説明する側が威圧して自分の考えを押し通そうとすることもあるだろう。
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口から出た声は冷めきっていた。
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「無礼な女めっ、小賢しい口を閉じろ!……待て、『クラウディア』だと?」
「ご無沙汰しております、兄様。先ほどレオカディア姉様からも話があった通り、兄妹の間に『無礼』は無いかと思いますが」
「嘘だろうっ、貴様、あの冴えない『薄茶色』か!?」
驚きの声が上がったところを見ると、兄もこの場にいる貴族たちもクレアに気づいてすらいなかったらしい。苦笑いが出てしまった。
「ええ、そうよ。あなたたちがスヘンデルの言い値で売り払った、『みそっかすのクラウディア』は私」
「なんだ、見られる姿に育ったじゃないか。売り時を間違えたな、数年待てばもっとバルトールに有利な条件を引き出せただろうに」
容姿しか見られていないことも『商品』としか見られていないことも、兄に期待などしていなかったから傷つかない。
それでも一つだけ誤解を正しておきたくて、クレアは深呼吸してから兄を見据えて言った。
「兄様は森の獣と一緒ね」
「なんだとっ!」
「これが『現実』だ? 甘えたことを言わないで。目の前にある草を全部食べ尽くして『もう無いんだから仕方ない』って言ってるのと同じよ。それで飢え死にしたいなら勝手にするがいいわ。私は絶対に嫌だし、他の答えを探しに行く。他の場所を探してもいいし、自分で育ててみてもいい、他の人から借りたりもらったりしてもいい。見つかるまで、見つからなくても、最後まで探し続ける」
国王だって人間で、人ひとりの力には限界がある。
それは嘘ではない。だが、限界が分かっているなら、どうしてその『限界』を押し上げるために自分を鍛えないのか。どうして他の者の話を聞いて力を借りないのか。書物を読めば過去の人の力を借りることもできるのに、どうしてそれをしないのか。あなたは『望んで国王になろうとする者』なのに、どうして『個人』をすり潰すほど働かないのか。
「自分に都合がいいことしか見ていないくせに、見る気すら無いくせにっ、簡単に限界を決めて『仕方ない』とか言うなっ!」
目の前に『正解』が降ってこないことは、より良い答えを探ろうとしない理由にはならない。
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