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フィロソファーズ・ストーン

回想⑨ 再燃

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西寺家の墓石に手を合わせる。

一瞬の出来事だった。

西寺のお義兄さんが辻堂海岸へ続く陸橋の下にある歩道に用事があるとかで、後をついて行ったところ、そこに自動車が突っ込んできて、お義兄さんと雫が巻き込まれた。

お義兄さんは即死、雫も意識不明の重体。私もあと一歩、前を歩いていたら巻き込まれていただろう。

私は心が麻痺しているのかもしれない。目の前の現実を受け入れる事ができず、涙も枯れて出てこなかった。

葬儀は粛々とおこなわれた。気丈に振る舞うお義父さんが痛々しかったことだけは覚えている。

自動車を運転していた女性も亡くなったらしい。ブレーキ痕もなく、本人も死んでいたため、事故の原因は未だに分かっていない。

私は葬儀の後、気力という気力を使い果たし、誰もいない自分の部屋に閉じ籠もり、鬱々と過ごしていた。

私は疫病神なのかもしれない。西寺家にはお義父さんと意識の戻らない雫だけが残された。

私は長期療養ということで休暇申請をしておいた。休暇期限が近づくにつれて、徐々に会社を辞めようかと思い始めていた。

ご飯を食べて、寝る。起きる、ご飯を食べて、寝る……。

私は何のために生きているんだろう。そんな疑問が頭をもたげ、自分を傷つける呪詛は心の中に降り積もり、山となっていた。

時折、玄関のドアを激しく叩く音が聞こえることがある。

それが鬱陶しくて、目を閉じて、耳を塞ぎ、口を閉じたら、私の世界は真っ暗になった。

もう、どうでもいい……

「高瀬くん! 」

耳を塞いでいるはずなのに声が聞こえてきた。そして、肩を揺すられて、目を開くと目の前には末木がいた。

「末木……さん? 」

「……生きていたか」

そう言うと、末木は膝から崩れ落ちた。安堵したような、怒っているような、見たことのない表情を浮かべていた。

「……どうしたんですか、末木さん。何しに来たんですか」

「何って、君は………」

そう言うと、私の顔を眺めて立ち上がる

「飯を作りに来たんだ。どうせ、不摂生な生活をしてるだろうと思ってな。後、良い報告がある」

「……はあ」

この人はそんな事を言うために勝手に私の家に上がり込んできたのだろうか。

そう思ったが、考えるのが面倒くさく、どうでもいい事のように思えた。

私はクタッと布団にもたれかかった。



暫くすると、炊きたてのご飯に、味噌汁、焼き魚の香ばしい香りが香りが漂ってきた。

ここ暫くはブロック上の固形食やゼリーばかり食べていたせいか、その香りが食欲を掻き立てた。

お腹が鳴っている事に気がついて、思わず両手で胃袋の辺りを押さえてしまった。

末木が開けっ放しの扉をトントンとノックする。

「飯、食うだろ? 」

「はい……」

リビングのテーブルには食べ終わったカップ麺や固形食の袋がそのままになっていた筈だ……が、綺麗に片付けられていた。

その代わりに炊きたてのご飯、味噌汁、秋刀魚に、ほうれん草の白和え、里芋と人参の煮物、お漬物が置かれていた。

席に着くと、末木も反対の席に座り、お箸を手に持ち、両手を合わせる。

「いただきます」

思わず、目をパチクリとしてマジマジと末木を見てしまった。

いつもの少し不機嫌そうに見える顔で、こちらを睨み返してくる。

「……なんだ? 俺の顔に何かついているのか? 」

「いえ、てっきり、ご飯作ったら帰るのかと……」

「……食材を買ってきたのも、料理を作ったのも、部屋の片付けをしたのも、私だ。飯を食うくらいの権利はあるだろ」

「まあ、そうですね……いただきます」

味噌汁に口をつけた瞬間、温かさ、香り、塩味が優しく広がり、食道を伝うことで冷え切っていた体と心を癒やしてくれているように感じた。

身のつまった秋刀魚の身を箸でほぐし、醤油と大根降ろしを添えて、口の中に放り込む。

青魚特有の酸味と香りが口いっぱいに広がる。この風味がなくなる前にホクホクのご飯で口の中を一杯にする。

ご飯も美味しい。白和えも、漬物も里芋もみんな美味しかった。気がつくと、夢中になってご飯を食べていた。

そしたら、ポロポロと涙が溢れてきた。それを見ていた、末木が味噌汁を飲みながら悪態をつく。

「大分、不摂生な生活をしていたみたいだな。ゴミ屋敷の一歩手前と言っても過言ではなかったぞ。君は後片付けもできないのか」

少しだけ、感謝したい気持ちが芽生えたのに萎えてしまった。

この男は一言余計なのだ。

「……で、今日は何をしに来たんですか? 」

「三つ伝えたいことがある。一つ目は西寺雫の脳オルガノイドの準備ができている。坂本桔梗と同じようにARIAとしての生活をしてもらうことが決まった」

「えっ……そんなこと勝手に」

「勝手ではない。彼女の祖父に承諾は得ている。何より、彼は同じグループの社員だ。倫理委員会も問題ないとの判断だ」

「二つ目は……完全自律型ARIA、つまり湊さんの脳オルガノイドだが、近い内に正式稼働できる……かもしれない」

私は驚きのあまり箸を落としてしまい、慌てて端を拾う。末木は気にする素振りもなく、話を続ける。

「そこで三つ目の話だ。君は有休休暇を使い果たした上で長期休暇に入っている。復職できない場合は社内規定に従って、退職してもらうことになる」

「えっ……」

「つまり、退職するか、復帰してARIAの開発を続けてもらうか決めてくれ」

「あの……」

「……まあ、じっくり考えくれ。俺は帰る」

そう言うと、両手を合わせて「ごちそうさま」と礼儀正しくあいさつをし、食器を片付けて何事もなかったかのように帰っていった。


私の心には小さな炎が灯った。








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