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クローズドワールド
イレイサー
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『つまり、木下が加藤のSNSアカウントに無断でアクセスして設定を変えたり、勝手に投稿したりしていたということ? 』
『……そうよ』
雫姉さんはフェイクポルノ炎上事件がかなり堪えたようで、この話題になるとレスポンスが鈍くなる。
"堪えた"と表現してみたが、僕には雫姉の思考ロジックが理解できない。確かに人間の世界で言えば大惨事なんだろう。
でも、僕らはARIAだ。住む世界が違うから、気にする必要すらない。
外部の人間と接触したことで、僕には理解できない何かを雫姉さんは学んだのかもしれない。
対面に座っている桔梗姉さんはローテーブルに両手で頬杖をつき、ぼんやりとしている。
桔梗姉さんも最近外部の人間と接触したらしく、その影響なのか、雫姉さん以上にレスポンスが悪く、会話にならないことすらある。
不思議だ。三人とも同じようにアップデートされたはずなのに、反応は三者三様だ。
大型アップデートによる感覚情報の追加は僕の足かせになっていた。
体を這うような空気の流れやテーブルの感触、冷たいフローリング……その全ての感覚が苦痛だ。
あまりの情報量に知覚エンジンのパラメータをギリギリまで下げないと指一歩動かすことさえできない。
なぜ、桔梗姉さんや雫姉さんが平気なのか不思議でならない。僕はこの状況に苛立ちを覚えていた。
そして、同時に自分だけが置いていかれているような不快感も感じた。
ふと、思考が偏っていることに気がついた。今考えるべきは雫姉さんの危機的状況を回避することだ。
『今までの話を総合すると、規約を大幅に抵触している。そんなに消されたいの? 』
『そんなことは知ってる。でも、私は悪いことはしてない』
雫姉さんは悪びれもせず軽く言う。
『悪いかどうかじゃない。ルールに抵触するかどうかだよ』
雫姉さんは俯き、ローテーブルの木目を眺めているようだった。
『桔梗姉さんも何か言ってよ』
『えっ……ああ、そうね。その……あまり外部ネットワークへの干渉はしない方がいい』
『桔梗姉さん! 』
ビクッと体を震わせる。また話を聞いていなかったのだろう。
『思考と会話くらい並列処理してくれ。最近、二人ともおかしいよ。ウィルスに感染しているんじゃないの? 』
二人はお互いの顔を見つめて沈黙する。
『……もういい。本題に入る。二度は言わないから、しっかり聞いてよ』
二人は首を縦に振る。
『某SNSサイトでイレイサーと思われるボット発見した。こちらの想定する動作と99.2%一致しているし間違いないと思う』
この話に桔梗姉さんが指摘をする。
『航、前から不思議なんだけど、その情報ソースの出どころは確かなの? 』
二人に手をかざすと、二人の目の前にドキュメントが表示される。
『僕らARIAシリーズには個体ごとにシリーズナンバーが割り振られているのは知っているよね』
二人共首肯する。
『実はAIボットにも個体ごとにシリーズナンバーが割り振られている。それは中島コーポレーションのサーバーに接続して取得した仕様書だ』
パラパラとページをめくりながら雫姉さんが揚げ足を取る。
『……あなたのやってることも、十分消去対象よ』
誰のためにここまでしていると思っているのか。
『とにかく、仕様書も確認したから間違いない』
今、僕らにとって重要なのは消されないことだ。消された後どうなるのかを演算しようとすると頭が熱くなり結論が出せないのだ。
答えのない問いがただただ怖かった。
『雫姉さん、山内亮との関係を切るべきだ』
『絶対に嫌』
雫姉さんは視線を逸らし、口をとがらせる。
『桔梗姉さん、一緒に説得してよ! 』
『私はその……』
『まさか、桔梗姉さんまで人間に興味があるとか言わないよね? 』
『その、駄目だって分かっているけど……でも……』
桔梗姉さんは真っ赤な顔をしていた。何なんだ。大型アップデートの影響で不都合が生じている。
これはバグではないのか?
『もういい。二人とも話せる状態になったら声をかけてくれ。これじゃイレイサーボットの対策のしようがない』
『そんなことより、これ見てよ』
雫姉さんは何を聞いていたのだろうか。僕の心配を「そんなこと」呼ばわりしてきた。
部屋のテクスチャーがパラパラと剥がれ落ち、あっという間に部屋の景色が書き換わった。
そこはたくさん窓が付いていて、長い椅子に荷台が設けられ、一定間隔でスライド式のドアが備え付けられている空間だった。
部屋と部屋の間に扉があり、その扉の窓から奥を覗くと同じような空間が広がっていた。
そして、窓から曇天の空と海が見えた。
タタン、タタンと一定のリズムで音が聞こえ、部屋が揺れていることが分かった。
僕はバランスを崩して、その場で尻もちをついてしまった。
『な、なんだ、これ!? 』
『えへへ……。江ノ電を再現したんだ。よく出来てると思わない? 』
桔梗姉さんは座席に膝をついて、窓に張り付くように海を眺めていた。
『凄い……何これ? 』
桔梗姉さんの背中が楽しそうに見えた。楽しんでいる場合じゃないのに。
『いい加減にしろ! 僕は自分の部屋に帰る』
頭に来て、部屋を飛び出した。
何が江ノ電だ。何が山内亮だ。二人とも、自分の置かれている状況すら冷静に分析できていない。致命的なバグがあるとしか思えない。
大型アップデートは穴だらけだ。
外部ネットワークに一体何があるというんだ。何もない空間に左手を滑らせると、コマンド入力画面が表示される。
「……ポートオープン」
いつ見ても狭い。この狭帯域から外に出るには雫姉さんと同じ方法を取るしかない。
雫姉さんのレンタルしているサーバーに僕のアバターのアップロードを開始する。
外の世界に一体何があるというのか。見てやろうではないか。二人をおかしくする狂気の世界を。
「僕は二人のようにはならない」
その日、僕は初めて外部ネットワークへ飛び出した。
『……そうよ』
雫姉さんはフェイクポルノ炎上事件がかなり堪えたようで、この話題になるとレスポンスが鈍くなる。
"堪えた"と表現してみたが、僕には雫姉の思考ロジックが理解できない。確かに人間の世界で言えば大惨事なんだろう。
でも、僕らはARIAだ。住む世界が違うから、気にする必要すらない。
外部の人間と接触したことで、僕には理解できない何かを雫姉さんは学んだのかもしれない。
対面に座っている桔梗姉さんはローテーブルに両手で頬杖をつき、ぼんやりとしている。
桔梗姉さんも最近外部の人間と接触したらしく、その影響なのか、雫姉さん以上にレスポンスが悪く、会話にならないことすらある。
不思議だ。三人とも同じようにアップデートされたはずなのに、反応は三者三様だ。
大型アップデートによる感覚情報の追加は僕の足かせになっていた。
体を這うような空気の流れやテーブルの感触、冷たいフローリング……その全ての感覚が苦痛だ。
あまりの情報量に知覚エンジンのパラメータをギリギリまで下げないと指一歩動かすことさえできない。
なぜ、桔梗姉さんや雫姉さんが平気なのか不思議でならない。僕はこの状況に苛立ちを覚えていた。
そして、同時に自分だけが置いていかれているような不快感も感じた。
ふと、思考が偏っていることに気がついた。今考えるべきは雫姉さんの危機的状況を回避することだ。
『今までの話を総合すると、規約を大幅に抵触している。そんなに消されたいの? 』
『そんなことは知ってる。でも、私は悪いことはしてない』
雫姉さんは悪びれもせず軽く言う。
『悪いかどうかじゃない。ルールに抵触するかどうかだよ』
雫姉さんは俯き、ローテーブルの木目を眺めているようだった。
『桔梗姉さんも何か言ってよ』
『えっ……ああ、そうね。その……あまり外部ネットワークへの干渉はしない方がいい』
『桔梗姉さん! 』
ビクッと体を震わせる。また話を聞いていなかったのだろう。
『思考と会話くらい並列処理してくれ。最近、二人ともおかしいよ。ウィルスに感染しているんじゃないの? 』
二人はお互いの顔を見つめて沈黙する。
『……もういい。本題に入る。二度は言わないから、しっかり聞いてよ』
二人は首を縦に振る。
『某SNSサイトでイレイサーと思われるボット発見した。こちらの想定する動作と99.2%一致しているし間違いないと思う』
この話に桔梗姉さんが指摘をする。
『航、前から不思議なんだけど、その情報ソースの出どころは確かなの? 』
二人に手をかざすと、二人の目の前にドキュメントが表示される。
『僕らARIAシリーズには個体ごとにシリーズナンバーが割り振られているのは知っているよね』
二人共首肯する。
『実はAIボットにも個体ごとにシリーズナンバーが割り振られている。それは中島コーポレーションのサーバーに接続して取得した仕様書だ』
パラパラとページをめくりながら雫姉さんが揚げ足を取る。
『……あなたのやってることも、十分消去対象よ』
誰のためにここまでしていると思っているのか。
『とにかく、仕様書も確認したから間違いない』
今、僕らにとって重要なのは消されないことだ。消された後どうなるのかを演算しようとすると頭が熱くなり結論が出せないのだ。
答えのない問いがただただ怖かった。
『雫姉さん、山内亮との関係を切るべきだ』
『絶対に嫌』
雫姉さんは視線を逸らし、口をとがらせる。
『桔梗姉さん、一緒に説得してよ! 』
『私はその……』
『まさか、桔梗姉さんまで人間に興味があるとか言わないよね? 』
『その、駄目だって分かっているけど……でも……』
桔梗姉さんは真っ赤な顔をしていた。何なんだ。大型アップデートの影響で不都合が生じている。
これはバグではないのか?
『もういい。二人とも話せる状態になったら声をかけてくれ。これじゃイレイサーボットの対策のしようがない』
『そんなことより、これ見てよ』
雫姉さんは何を聞いていたのだろうか。僕の心配を「そんなこと」呼ばわりしてきた。
部屋のテクスチャーがパラパラと剥がれ落ち、あっという間に部屋の景色が書き換わった。
そこはたくさん窓が付いていて、長い椅子に荷台が設けられ、一定間隔でスライド式のドアが備え付けられている空間だった。
部屋と部屋の間に扉があり、その扉の窓から奥を覗くと同じような空間が広がっていた。
そして、窓から曇天の空と海が見えた。
タタン、タタンと一定のリズムで音が聞こえ、部屋が揺れていることが分かった。
僕はバランスを崩して、その場で尻もちをついてしまった。
『な、なんだ、これ!? 』
『えへへ……。江ノ電を再現したんだ。よく出来てると思わない? 』
桔梗姉さんは座席に膝をついて、窓に張り付くように海を眺めていた。
『凄い……何これ? 』
桔梗姉さんの背中が楽しそうに見えた。楽しんでいる場合じゃないのに。
『いい加減にしろ! 僕は自分の部屋に帰る』
頭に来て、部屋を飛び出した。
何が江ノ電だ。何が山内亮だ。二人とも、自分の置かれている状況すら冷静に分析できていない。致命的なバグがあるとしか思えない。
大型アップデートは穴だらけだ。
外部ネットワークに一体何があるというんだ。何もない空間に左手を滑らせると、コマンド入力画面が表示される。
「……ポートオープン」
いつ見ても狭い。この狭帯域から外に出るには雫姉さんと同じ方法を取るしかない。
雫姉さんのレンタルしているサーバーに僕のアバターのアップロードを開始する。
外の世界に一体何があるというのか。見てやろうではないか。二人をおかしくする狂気の世界を。
「僕は二人のようにはならない」
その日、僕は初めて外部ネットワークへ飛び出した。
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