145 / 247
第1章3節 学園生活/楽しい三学期
第140話 看病アーサー君とお熱なエリスちゃん
しおりを挟む
「ゼラさん、こんにちは。です」
「おんや、誰かと思えば一年生の……ってなんだい、あんたもまた五月蠅いの引き連れおって」
「うっす婆さん! ボクはイザークって言います! ルシュドのマブダチっす!」
「ぼくはハンス・エルフィン・メティアと申します。ルシュド君とは良い友人関係であります」
「……ヴィクトール・ブラン・フェルグスです」
「そうかいそうかい、まぁた胸焼けしそうなのばっかり来おってからに……」
第二階層、ゼラの店。料理部で買い出しを頼まれたルシュドは、丁度部室前を通りかかったイザーク達と一緒に来ていた。
「それで欲しい材料はなんだい?」
「あ、今度は何作るの?」
「えっと、キッシュ。ほうれん草もりもり」
「おほー、良い響き。じゃあ早速……」
そこに呼び鈴を鳴らして、入ってくる客が一匹。
「ヴァン!」
「おや、この子は……」
「……おりょ? カヴァスじゃねーか」
四人の足元をぽてぽて歩いてきて、カヴァスがゼラの真正面まで辿り着く。ハワードが牙を剥き出しにして威嚇体勢に入る。
「ワンワン!」
「ヴァオン!!」
「キャインッ!?」
「これこれ、驚かせんな。主君置いて犬一匹でここに来たんだ、余程何かあるってこったろう」
「ワッ……ワオン!」
カヴァスは首を背中に向かって回して見せ、アピールをする。そこにはメモがくっつけてあった。
「ふむ、このメモを見ろと。何々……」
「なあカヴァス、どうしてオマエだけなんだ? 今日アーサー休みだったけど、それと何か……」
「ガウッ!」
「痛っでえ!?」
「……てめえには関係ないってことかな?」
「ガウガウ!」
カヴァスはその場で跳ねたり、くるくる回ったりして感情を伝えた。
「どうやらそうらしい」
「んだよ水臭いなあ!」
その間にゼラはメモを読み終えたようで、重い腰を上げていた。
「どぉれ、あたしについておいで。欲しい物全部籠に入れてやるから」
「ワンワン!」
「さあ、あんたらも突っ立ってないでさっさとしなさい。他の客に迷惑かかる」
「そうだ。おれ達、行こう」
「わーかりましたよっと」
それから一時間ぐらいで、カヴァスは買い物を終えて離れに帰還する。そしてリビングで待機していたアーサーに出迎えられた。
「ワンワン!」
「……よくやった」
「ワンワン、ワオーンワオーン~!」
「……迷ったか。確かに第二階層は広いからな。複数の店を回ってきて、ご苦労だった」
「ワン、ワン!」
アーサーはカヴァスの頭を撫でた後、籠の中を確認する。
「蜂蜜と生姜に、野菜と肉に、それから飲用魔力水……何だこれは」
「キャウン?」
アーサーが取り出したのは、小分けにされた米の一袋。そこには走り書きされた紙が添付されている。
『かれこれウン十年は生きてるからね、お遣いの内容見ればどういう状況かわかるのさ。あんた風邪を引いたんだろう。それならパンよりも良いのがあるから教えたる。ここに書いてある通りに作ってみな……』
「……それで、できたのがこれだ」
「どろどろした……お米?」
「粥と言うらしい。今回は卵で閉じたから、卵粥だな」
「へぇ……」
エリスは深めの容器に入れられた粥を、スプーンでちびちびと食べる。
「ん……美味しい。噛む必要があまりないから食べるのが楽……」
「……そうか。腹は満たされたか?」
「うん、ある程度は」
「そうか。ならこれを……」
アーサーはサイドテーブルに置いてある袋に手をかける。
「お薬、飲むの何だかなあ……」
「良薬は口に苦しだ……我慢して飲もう」
「うん……わかってるよ」
アーサーは水が入ったコップと、袋から錠剤を一つ取り出しエリスに渡す。
「エリスちゃんいっきまーす……」
水を口に含んでから錠剤を入れ、後は気合で飲み込む。
ごくりと喉が動く音が、今ははっきりと聞こえてくる。
「はぁ……上手に飲めたかな」
「ああ、よくやったぞ」
「えへへ……」
「ワン!」
二人が満足そうにしている所に、カヴァスが飛び込んでくる。吠えながら視線で玄関を差していた。
「お届け物かな?」
「見てくる」
アーサーは立ち上がり、部屋を出ていく。
そして、数分後には両腕で抱えられる大きさの木箱を抱えて戻ってきた。
「いいタイミングだ、今月分の苺が届いたぞ」
「わぁ……! ねえねえ、早く食べたい!」
「わかった」
アーサーは木箱を開け、苺を一つつまんでエリスに渡す。
「うんうん、やっぱりこれだね……お父さんの苺は、本当に美味しいっ」
「手紙はどうする?」
「うーん……後ででいいかな。お腹が膨らんだから、ちょっと横になっていたいの」
「そうか、ではここに置いておこう」
アーサーは手紙をサイドテーブルに置き、その真下に木箱を置く。
「さて、食事も終わったしやることは……ないな」
「何言ってるの、重要な仕事が残っているでしょ」
「……?」
「わたしの話し相手になりなさい。わたしの暇をことごとく殲滅しちゃってくださいな」
「……ふっ。わかったよ」
そうして看病をこなしていく日々が、何日か続いた。
毎日の食事を作るのは当たり前。普段の生活以上に、味や栄養に気を使わないといけない。
「今日の朝食だ」
「わぁ、フレンチトーストだ……」
しかしすぐには手を付けず、エリスはじっと皿を見つめている。
「……」
「……どうした」
「うん、思ったんだけど……苺、こんなにあるならソースにしてもいいかなって。それをばーっとかけるの」
「……ふむ」
「ソースだけじゃなくって、ベリーとかホイップクリームとか添えてもいいのかなって……何かこう、彩りがあってもいいかなって」
「……」
「あっ、これはこうした方がいいかなってだけだから。別にやらなくても……」
「……いや、検討しよう。お前がそう言うのなら手間は惜しまない」
「……ありがと」
時々様子を見て、氷嚢を取り替える。袋に氷と水と少々の塩を入れ、口を固く縛る。溢れ出さないように調整するのも難儀だ。
「……その、こんな時にわがまま言うのもあれなんだけど……氷枕とかなかったの? これだと頭を動かせないから……体勢がね」
「……金がかかるからな。色々あったが、その中でも一番安いのにした」
「あー……そうだね。旅行でほとんど旅立っていったからね……」
「また貯金しないとな」
「そうだねぇ……ん。それならアーサー、研鑽大会出たらいいんじゃない? 剣術格闘術両方でいけると思うんだけどなあ」
「……」
「アーサーが出るなら、わたし応援に行くよ。全力で応援する」
「……検討しておこう」
主君がつきっきりで出られないので、カヴァスも結構忙しい。
「ワンワン!」
「ご苦労」
「何買ってきたの?」
「食用膠。ゼリーを作る時に使う材料だな。これとこの前作った苺ソースを混ぜて、雑ではあるが苺ゼリーを作る」
「……?」
「……苦い薬なら、甘い物と一緒に飲めば楽になるんじゃないか?」
「……!」
「そういうわけだ。作ってくるから待ってろ」
アーサーはまたそそくさと立ち上がり、台所に向かっていく。
「ワンワン!」
「……うん。後で改めて、お礼言わないとね」
他愛もない話をする時間がほとんどなのに、時間はあっという間に過ぎていく。今日もまた月と挨拶をする時刻になった。
「アーサー……授業とか大丈夫?」
「それはお互い様だろう。後でノート見せてもらわないとな」
「そうだね。またサラか……ヴィクトールかな。お世話になっちゃうね」
「そうだな……」
夜が会釈し優雅に世界を歩き回る頃には、一日の業務は大方済んでしまう。アーサーは椅子を持ってきてエリスの隣に座り、彼女の顔を覗き込みながら会話をする。
「……眠いか?」
「……うん」
「そうか。なら寝るといい」
「……そうする」
エリスは首元まで布団を引き上げ、そっと目を閉じる。
「おやすみなさい……」
そして数分もしないうちに、心地良い寝息を立て出した。
「……」
「おやすみ、エリス」
……ん。
ここはどこだろう。
いつもの部屋……かなあ。
……あれ、これは何だろう。
今はベッドに寝てるから……上にくっついているのかな。
……白いレースに銀の糸。とても豪華な飾り付け……わかった、これは天蓋だ。
お姫様のベッドについているやつ……だけどわたしはお姫様じゃない。
じゃあここは……夢の中、かな。
……
白い壁がきれいだな。天井の模様も、何だか複雑。趣向を凝らしているって感じ。
クローゼットも大きくて、飾り付けもおしゃれ。素敵なドレスもいっぱい入ってるんだろうなあ。
あのカーテンの向こうは……更衣室かな。お姫様ともなると、それすらも大きいなあ。
そういえば、ベッドも気持ちいい……布団も、枕も、全部ふかふか。羽毛の一つ一つにこだわってるからだね。
ここから見えるだけでも高級品ばかり。こうして見ていると、本当にお姫様になったみたい。
……でも。
……でも、お姫様は……
こんな暗い気持ちで、毎日生活しているのかな。
……
『……にんぎょう
……どうぐ
……しもべ
……どれい』
……?
何、これ。
何なの……
……『いたみがなくなるおまじない』?
嘘だ……そんなの。
どう見たって違う……
でも……
でも、苦しい。
ああ。
口が勝手に、動こうとしている――
……?
誰かが、手を握っているみたい……
あ……
そうだよね。お姫様なら当然いるよね。
メイドさんかな。それとも近衛の騎士様かな。髪型も服装もぼやけていて、よくわからないなあ。
でも一つだけ、わかることがある。わたしは知っている。
わたしの手を握ってくれた、この人は――
「ん……」
エリスがゆっくりと目を開けると、まだそれ程時間は経っていなかったようだった。
「……どうした?」
窓からの月明かりに照らされて、アーサーの微笑む顔がよく見える。
「……ずっとここにいたの?」
「ああ」
「……寝なくていいの?」
「オレはお前の騎士だからな」
「……そっか」
エリスは顔を動かし、敢えてアーサーから逸らす。
「夢……かな。夢を見たの」
「そうか。どんな夢だった?」
「特に何もなかったよ。ただ今と同じように寝てるだけ。でも……すごく、複雑な気持ち」
「……」
「怖くて、辛くて、どうして生きているのかわからなくって……どうしてそんな気持ちなのかわからなかったけど、生々しかった」
「……そうか」
「うん。だから、その……」
「……今は手を握ってほしいの……」
「……」
「わかったよ、エリス」
幾度も鍛錬を積んできた、ごつごつした固い手。白くて、柔らかくて、滑らかな手を、温かく包み込む。
今彼方に浮かんでいる星々よりも美しい紅の瞳が、緑の瞳を覗き込む。
「……」
『我らは役者、刹那の傀儡』
『生まれたその日から決められ……
違う、定められた歌劇を踊る
喜劇に生まれば朽ちても談笑
悲劇に生まれば錆びても号泣
その時望む結末は
誰にも知られず虚無の果て』
――それは、どこか調子外れで、
『遥か昔、
古の、
フェンサリルの姫君は、
海の青、
大地の緑さえも知らぬ、
空の白のみ知る少女
誰が呼んだか籠の……中の小鳥、
彼が呼んだは牢獄の囚人』
――時々止まって不安定な、
『心を支え、手を取り……
えー、解き放つには、
一粒の苺があればいい』
安心する歌声――
『さあ
束縛の夜、
運命の牢獄から飛び立って
自由なる朝、
黎明の大地に翼を広げよう』
「……」
「……」
じっと目を見つめてきて、さながら感想を待っているよう。
なので言ってやるのだ。
「……下手くそ」
「なっ」
自信がそれなりにあったのか、雷に撃たれたような顔をするアーサー。
「ふふ……だって、時々止まるし、音程ズレてたし、歌詞もちょっと違ってたし……」
「……」
「でも、わたしは好きだよ」
「……?」
「……子守歌のつもりでしょ?」
呼吸が深く、ゆっくりになる。
「それならわたし、ずっと聞いていたいな」
「……」
「……お願いできる?」
「ああ……お前が望むのなら」
「ありがと……」
握る手にちょっぴり力が入る。
「えへへ。アーサーの手、ごつごつしてるね」
「騎士だからな。オレはお前の……エリスの騎士だからな」
それから更に時は過ぎて、翌朝。
「おはよ、アーサー」
「おはよう……っ。もう起きれるのか」
「うん。熱も引いたし、身体もだるくないから、動けるよ」
エリスはベッドから起き上がると、思いっきり身体を伸ばす。
「……ありがとう。ずっと傍にいてくれて。わたしのこと、励ましてくれて……」
「……」
「……アーサー?」
――そうか。
「ねえアーサー、聞いてる?」
――もう風邪は治ったのか。
「ちょっと、大丈夫……?」
――よかった。何事もなくて、本当に――
「おんや、誰かと思えば一年生の……ってなんだい、あんたもまた五月蠅いの引き連れおって」
「うっす婆さん! ボクはイザークって言います! ルシュドのマブダチっす!」
「ぼくはハンス・エルフィン・メティアと申します。ルシュド君とは良い友人関係であります」
「……ヴィクトール・ブラン・フェルグスです」
「そうかいそうかい、まぁた胸焼けしそうなのばっかり来おってからに……」
第二階層、ゼラの店。料理部で買い出しを頼まれたルシュドは、丁度部室前を通りかかったイザーク達と一緒に来ていた。
「それで欲しい材料はなんだい?」
「あ、今度は何作るの?」
「えっと、キッシュ。ほうれん草もりもり」
「おほー、良い響き。じゃあ早速……」
そこに呼び鈴を鳴らして、入ってくる客が一匹。
「ヴァン!」
「おや、この子は……」
「……おりょ? カヴァスじゃねーか」
四人の足元をぽてぽて歩いてきて、カヴァスがゼラの真正面まで辿り着く。ハワードが牙を剥き出しにして威嚇体勢に入る。
「ワンワン!」
「ヴァオン!!」
「キャインッ!?」
「これこれ、驚かせんな。主君置いて犬一匹でここに来たんだ、余程何かあるってこったろう」
「ワッ……ワオン!」
カヴァスは首を背中に向かって回して見せ、アピールをする。そこにはメモがくっつけてあった。
「ふむ、このメモを見ろと。何々……」
「なあカヴァス、どうしてオマエだけなんだ? 今日アーサー休みだったけど、それと何か……」
「ガウッ!」
「痛っでえ!?」
「……てめえには関係ないってことかな?」
「ガウガウ!」
カヴァスはその場で跳ねたり、くるくる回ったりして感情を伝えた。
「どうやらそうらしい」
「んだよ水臭いなあ!」
その間にゼラはメモを読み終えたようで、重い腰を上げていた。
「どぉれ、あたしについておいで。欲しい物全部籠に入れてやるから」
「ワンワン!」
「さあ、あんたらも突っ立ってないでさっさとしなさい。他の客に迷惑かかる」
「そうだ。おれ達、行こう」
「わーかりましたよっと」
それから一時間ぐらいで、カヴァスは買い物を終えて離れに帰還する。そしてリビングで待機していたアーサーに出迎えられた。
「ワンワン!」
「……よくやった」
「ワンワン、ワオーンワオーン~!」
「……迷ったか。確かに第二階層は広いからな。複数の店を回ってきて、ご苦労だった」
「ワン、ワン!」
アーサーはカヴァスの頭を撫でた後、籠の中を確認する。
「蜂蜜と生姜に、野菜と肉に、それから飲用魔力水……何だこれは」
「キャウン?」
アーサーが取り出したのは、小分けにされた米の一袋。そこには走り書きされた紙が添付されている。
『かれこれウン十年は生きてるからね、お遣いの内容見ればどういう状況かわかるのさ。あんた風邪を引いたんだろう。それならパンよりも良いのがあるから教えたる。ここに書いてある通りに作ってみな……』
「……それで、できたのがこれだ」
「どろどろした……お米?」
「粥と言うらしい。今回は卵で閉じたから、卵粥だな」
「へぇ……」
エリスは深めの容器に入れられた粥を、スプーンでちびちびと食べる。
「ん……美味しい。噛む必要があまりないから食べるのが楽……」
「……そうか。腹は満たされたか?」
「うん、ある程度は」
「そうか。ならこれを……」
アーサーはサイドテーブルに置いてある袋に手をかける。
「お薬、飲むの何だかなあ……」
「良薬は口に苦しだ……我慢して飲もう」
「うん……わかってるよ」
アーサーは水が入ったコップと、袋から錠剤を一つ取り出しエリスに渡す。
「エリスちゃんいっきまーす……」
水を口に含んでから錠剤を入れ、後は気合で飲み込む。
ごくりと喉が動く音が、今ははっきりと聞こえてくる。
「はぁ……上手に飲めたかな」
「ああ、よくやったぞ」
「えへへ……」
「ワン!」
二人が満足そうにしている所に、カヴァスが飛び込んでくる。吠えながら視線で玄関を差していた。
「お届け物かな?」
「見てくる」
アーサーは立ち上がり、部屋を出ていく。
そして、数分後には両腕で抱えられる大きさの木箱を抱えて戻ってきた。
「いいタイミングだ、今月分の苺が届いたぞ」
「わぁ……! ねえねえ、早く食べたい!」
「わかった」
アーサーは木箱を開け、苺を一つつまんでエリスに渡す。
「うんうん、やっぱりこれだね……お父さんの苺は、本当に美味しいっ」
「手紙はどうする?」
「うーん……後ででいいかな。お腹が膨らんだから、ちょっと横になっていたいの」
「そうか、ではここに置いておこう」
アーサーは手紙をサイドテーブルに置き、その真下に木箱を置く。
「さて、食事も終わったしやることは……ないな」
「何言ってるの、重要な仕事が残っているでしょ」
「……?」
「わたしの話し相手になりなさい。わたしの暇をことごとく殲滅しちゃってくださいな」
「……ふっ。わかったよ」
そうして看病をこなしていく日々が、何日か続いた。
毎日の食事を作るのは当たり前。普段の生活以上に、味や栄養に気を使わないといけない。
「今日の朝食だ」
「わぁ、フレンチトーストだ……」
しかしすぐには手を付けず、エリスはじっと皿を見つめている。
「……」
「……どうした」
「うん、思ったんだけど……苺、こんなにあるならソースにしてもいいかなって。それをばーっとかけるの」
「……ふむ」
「ソースだけじゃなくって、ベリーとかホイップクリームとか添えてもいいのかなって……何かこう、彩りがあってもいいかなって」
「……」
「あっ、これはこうした方がいいかなってだけだから。別にやらなくても……」
「……いや、検討しよう。お前がそう言うのなら手間は惜しまない」
「……ありがと」
時々様子を見て、氷嚢を取り替える。袋に氷と水と少々の塩を入れ、口を固く縛る。溢れ出さないように調整するのも難儀だ。
「……その、こんな時にわがまま言うのもあれなんだけど……氷枕とかなかったの? これだと頭を動かせないから……体勢がね」
「……金がかかるからな。色々あったが、その中でも一番安いのにした」
「あー……そうだね。旅行でほとんど旅立っていったからね……」
「また貯金しないとな」
「そうだねぇ……ん。それならアーサー、研鑽大会出たらいいんじゃない? 剣術格闘術両方でいけると思うんだけどなあ」
「……」
「アーサーが出るなら、わたし応援に行くよ。全力で応援する」
「……検討しておこう」
主君がつきっきりで出られないので、カヴァスも結構忙しい。
「ワンワン!」
「ご苦労」
「何買ってきたの?」
「食用膠。ゼリーを作る時に使う材料だな。これとこの前作った苺ソースを混ぜて、雑ではあるが苺ゼリーを作る」
「……?」
「……苦い薬なら、甘い物と一緒に飲めば楽になるんじゃないか?」
「……!」
「そういうわけだ。作ってくるから待ってろ」
アーサーはまたそそくさと立ち上がり、台所に向かっていく。
「ワンワン!」
「……うん。後で改めて、お礼言わないとね」
他愛もない話をする時間がほとんどなのに、時間はあっという間に過ぎていく。今日もまた月と挨拶をする時刻になった。
「アーサー……授業とか大丈夫?」
「それはお互い様だろう。後でノート見せてもらわないとな」
「そうだね。またサラか……ヴィクトールかな。お世話になっちゃうね」
「そうだな……」
夜が会釈し優雅に世界を歩き回る頃には、一日の業務は大方済んでしまう。アーサーは椅子を持ってきてエリスの隣に座り、彼女の顔を覗き込みながら会話をする。
「……眠いか?」
「……うん」
「そうか。なら寝るといい」
「……そうする」
エリスは首元まで布団を引き上げ、そっと目を閉じる。
「おやすみなさい……」
そして数分もしないうちに、心地良い寝息を立て出した。
「……」
「おやすみ、エリス」
……ん。
ここはどこだろう。
いつもの部屋……かなあ。
……あれ、これは何だろう。
今はベッドに寝てるから……上にくっついているのかな。
……白いレースに銀の糸。とても豪華な飾り付け……わかった、これは天蓋だ。
お姫様のベッドについているやつ……だけどわたしはお姫様じゃない。
じゃあここは……夢の中、かな。
……
白い壁がきれいだな。天井の模様も、何だか複雑。趣向を凝らしているって感じ。
クローゼットも大きくて、飾り付けもおしゃれ。素敵なドレスもいっぱい入ってるんだろうなあ。
あのカーテンの向こうは……更衣室かな。お姫様ともなると、それすらも大きいなあ。
そういえば、ベッドも気持ちいい……布団も、枕も、全部ふかふか。羽毛の一つ一つにこだわってるからだね。
ここから見えるだけでも高級品ばかり。こうして見ていると、本当にお姫様になったみたい。
……でも。
……でも、お姫様は……
こんな暗い気持ちで、毎日生活しているのかな。
……
『……にんぎょう
……どうぐ
……しもべ
……どれい』
……?
何、これ。
何なの……
……『いたみがなくなるおまじない』?
嘘だ……そんなの。
どう見たって違う……
でも……
でも、苦しい。
ああ。
口が勝手に、動こうとしている――
……?
誰かが、手を握っているみたい……
あ……
そうだよね。お姫様なら当然いるよね。
メイドさんかな。それとも近衛の騎士様かな。髪型も服装もぼやけていて、よくわからないなあ。
でも一つだけ、わかることがある。わたしは知っている。
わたしの手を握ってくれた、この人は――
「ん……」
エリスがゆっくりと目を開けると、まだそれ程時間は経っていなかったようだった。
「……どうした?」
窓からの月明かりに照らされて、アーサーの微笑む顔がよく見える。
「……ずっとここにいたの?」
「ああ」
「……寝なくていいの?」
「オレはお前の騎士だからな」
「……そっか」
エリスは顔を動かし、敢えてアーサーから逸らす。
「夢……かな。夢を見たの」
「そうか。どんな夢だった?」
「特に何もなかったよ。ただ今と同じように寝てるだけ。でも……すごく、複雑な気持ち」
「……」
「怖くて、辛くて、どうして生きているのかわからなくって……どうしてそんな気持ちなのかわからなかったけど、生々しかった」
「……そうか」
「うん。だから、その……」
「……今は手を握ってほしいの……」
「……」
「わかったよ、エリス」
幾度も鍛錬を積んできた、ごつごつした固い手。白くて、柔らかくて、滑らかな手を、温かく包み込む。
今彼方に浮かんでいる星々よりも美しい紅の瞳が、緑の瞳を覗き込む。
「……」
『我らは役者、刹那の傀儡』
『生まれたその日から決められ……
違う、定められた歌劇を踊る
喜劇に生まれば朽ちても談笑
悲劇に生まれば錆びても号泣
その時望む結末は
誰にも知られず虚無の果て』
――それは、どこか調子外れで、
『遥か昔、
古の、
フェンサリルの姫君は、
海の青、
大地の緑さえも知らぬ、
空の白のみ知る少女
誰が呼んだか籠の……中の小鳥、
彼が呼んだは牢獄の囚人』
――時々止まって不安定な、
『心を支え、手を取り……
えー、解き放つには、
一粒の苺があればいい』
安心する歌声――
『さあ
束縛の夜、
運命の牢獄から飛び立って
自由なる朝、
黎明の大地に翼を広げよう』
「……」
「……」
じっと目を見つめてきて、さながら感想を待っているよう。
なので言ってやるのだ。
「……下手くそ」
「なっ」
自信がそれなりにあったのか、雷に撃たれたような顔をするアーサー。
「ふふ……だって、時々止まるし、音程ズレてたし、歌詞もちょっと違ってたし……」
「……」
「でも、わたしは好きだよ」
「……?」
「……子守歌のつもりでしょ?」
呼吸が深く、ゆっくりになる。
「それならわたし、ずっと聞いていたいな」
「……」
「……お願いできる?」
「ああ……お前が望むのなら」
「ありがと……」
握る手にちょっぴり力が入る。
「えへへ。アーサーの手、ごつごつしてるね」
「騎士だからな。オレはお前の……エリスの騎士だからな」
それから更に時は過ぎて、翌朝。
「おはよ、アーサー」
「おはよう……っ。もう起きれるのか」
「うん。熱も引いたし、身体もだるくないから、動けるよ」
エリスはベッドから起き上がると、思いっきり身体を伸ばす。
「……ありがとう。ずっと傍にいてくれて。わたしのこと、励ましてくれて……」
「……」
「……アーサー?」
――そうか。
「ねえアーサー、聞いてる?」
――もう風邪は治ったのか。
「ちょっと、大丈夫……?」
――よかった。何事もなくて、本当に――
0
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
愚かな父にサヨナラと《完結》
アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」
父の言葉は最後の一線を越えてしまった。
その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・
悲劇の本当の始まりはもっと昔から。
言えることはただひとつ
私の幸せに貴方はいりません
✈他社にも同時公開
幼馴染の彼女と妹が寝取られて、死刑になる話
島風
ファンタジー
幼馴染が俺を裏切った。そして、妹も......固い絆で結ばれていた筈の俺はほんの僅かの間に邪魔な存在になったらしい。だから、奴隷として売られた。幸い、命があったが、彼女達と俺では身分が違うらしい。
俺は二人を忘れて生きる事にした。そして細々と新しい生活を始める。だが、二人を寝とった勇者エリアスと裏切り者の幼馴染と妹は俺の前に再び現れた。
転生したら赤ん坊だった 奴隷だったお母さんと何とか幸せになっていきます
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
転生したら奴隷の赤ん坊だった
お母さんと離れ離れになりそうだったけど、何とか強くなって帰ってくることができました。
全力でお母さんと幸せを手に入れます
ーーー
カムイイムカです
今製作中の話ではないのですが前に作った話を投稿いたします
少しいいことがありましたので投稿したくなってしまいました^^
最後まで行かないシリーズですのでご了承ください
23話でおしまいになります
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
ちょっとエッチな執事の体調管理
mm
ファンタジー
私は小川優。大学生になり上京して来て1ヶ月。今はバイトをしながら一人暮らしをしている。
住んでいるのはそこらへんのマンション。
変わりばえない生活に飽き飽きしている今日この頃である。
「はぁ…疲れた」
連勤のバイトを終え、独り言を呟きながらいつものようにマンションへ向かった。
(エレベーターのあるマンションに引っ越したい)
そう思いながらやっとの思いで階段を上りきり、自分の部屋の方へ目を向けると、そこには見知らぬ男がいた。
「優様、おかえりなさいませ。本日付けで雇われた、優様の執事でございます。」
「はい?どちら様で…?」
「私、優様の執事の佐川と申します。この度はお嬢様体験プランご当選おめでとうございます」
(あぁ…!)
今の今まで忘れていたが、2ヶ月ほど前に「お嬢様体験プラン」というのに応募していた。それは無料で自分だけの執事がつき、身の回りの世話をしてくれるという画期的なプランだった。執事を雇用する会社はまだ新米の執事に実際にお嬢様をつけ、3ヶ月無料でご奉仕しながら執事業を学ばせるのが目的のようだった。
「え、私当たったの?この私が?」
「さようでございます。本日から3ヶ月間よろしくお願い致します。」
尿・便表現あり
アダルトな表現あり
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる