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第1章2節 学園生活/慣れてきた二学期
第107話 幕間:騎士王と聖剣
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「……以上で説明は終わりです。何か質問はございますか?」
「……強いて言うなら一つだけ。別にあんたが持つ権限を使えば、オレを調べ上げることは簡単だろう。なのに何故懇切丁寧に説明した」
ある日の放課後。アーサーはハインリヒから呼び出され、相談室で話をされていた。
内容はずばりアーサー自身のこと――原初のナイトメアたる自分について調べたいということ、手始めにナイトメアなら生まれ持つ魔力構成について調べたいという依頼。その為に血液を採取させてもらいたいという協力の要請だった。
「理由は大まかに分けて二つありますね。一つ目は研究より先に、貴方が学園生活に慣れることを優先したから。貴方が人間関係を構築するにあたって、余計な要素は入れない方がいいと考えたのです」
「……」
「もう一つは倫理的な観念から。これは昔からそうなのですが、研究者が協力を依頼する際には何について研究を行っているのかを伝え、そして了承を得てから協力してもらうようになっています。これは外道な研究がこの世に散乱することを防ぐ為でもあります」
「オレの為と世界の為と、理由が一つずつか。理解した」
「何よりです。ですがそれと承諾は別問題です。如何しますか?」
「……」
自分のティーカップに視線を落とす。飲み物は何がいいか訊かれた際、間髪入れずにセイロンと答えたことは、ハインリヒの目を丸くさせた。
「……あんたの研究でオレのことがわかる。それはあいつの為にもなる」
「その通りです」
「……それ以上にオレが気になる。だから協力しよう」
「……」
最後の台詞にハインリヒは眉を吊り上げながらも、一枚の紙を差し出す。
「こちらは同意書になります。下部の線が引いてある箇所に署名を。それと既に理解していると思われますが、研究結果はエリスにも共有します」
「今から言おうと思っていた所だ……」
「……」
アーサーは何かしら言おうとしていた様子だったが、口を噤んで言うのをやめた。
数日後、ある夕暮れの保健室。生徒達も大半が帰り、ぼんやりと夕日が差し込む。
「ゲルダ先生、私です。ハインリヒです。失礼しますよ」
「あらぁ、先生ったら。来るのが早いわねぇ。今開けるわよぉ~」
扉を開けて、黄昏時の客人を迎え入れる。
「どうもどうも……今日は職員会議が早急に終わったもので」
「そうだったのぉ。まあさっさと夜にもなっちゃうし、皆早く帰りたいんでしょうねぇ」
「そうなんですかね……」
ゲルダの事務机に椅子を引っ張ってきて座るハインリヒ。ハーブティーの入ったティーカップが二つ、机にことんと小さな音を立てて置かれる。
「それで、例のお話かしらぁん?」
「ええ、そうですね――アーサーの魔力構成についての話です」
「ちょっと待ってねぇ、今カルテを持ってくるからぁ……」
ゲルダは手前にあるファイル群を漁って、数枚の書類を取り出す。
「にしてもびっくりしたわよぉ。突然私の下にやってきて、魔力構成について調べようなんて言うんだもぉん」
「半年経って彼も学園生活に馴染んできたようなので……前から思っていたことを、調査してみようと思った次第です」
「そして血液を持ってきたんだからもっと驚きよぉ。何、恫喝でもしたの?」
「完全に説明の上、同意書にもサインを頂きました……よ?」
「何で最後の方照れてんだがぁ」
他にも数枚の紙を取り出してゲルダは並べる。
「さて……ハインリヒならとっくにご存知だと思うのだけど。今は一般的なナイトメアの魔力構成パターンを、幾つか取り出して並べてみたわぁ」
「三角型、円形型、四角型、直線型、曲線型。幾何学模様によって、それらは現される。何か特別な影響を有する個体は、鳥や炎等何らかの物質と即座に結び付く模様が描かれている」
「そうそうその通り。そして真ん中に置いてあるのが、アーサー君の魔力構成ねぇ」
「……」
真っ直ぐ入った一本の筋。それはまるで剣を思わせる。
それからは直線、円、三角形等、時折幾何学パターンに沿わない壮麗な紋様も見せながら、様々な形が続いていき――
「……」
「どうかしらぁ? 貴方から見てぇ」
「ふむ……」
「……ゲルダ、貴女の見解をお伺いしても?」
「……まあ、華やかに見えるけど、よく見れば普通……って感じねぇ」
「……」
全く同じことを考えていたと、ハインリヒは表情で伝える。
「真っ直ぐな剣と四角形を中心とした幾何学模様……これが本来の、肉体に刻み込まれた魔力構成。丸とか花びらとか王冠みたいなのは全部上から加筆されて、言ってしまえば装飾品みたい。でも重要なのは……」
「これが活性化していないという点。普段は本来の魔力構成に隠れるように埋もれている」
そのナイトメア、ひいては主君が持つ属性に応じて、魔力構成には色が付いている。火属性だったら赤という具合に、基本は全部で八色。
騎士王伝説において、騎士王アーサーが魔法を行使したという記述は皆無。その為仮説として神聖属性だから無属性、即ち無色透明であるというものが上がっていた。それが的中していたことになる。
「まあ……聖剣を抜き放った時に魔力が流れる部分がそこなのでしょう。ただ本来の構成と完全に独立している、というのは不思議ですが」
「そうね、この血液を見た限りでは本当にどこも接続されていない。もう一度言うけどこれは装飾品よ。アーサーという名のごく普通の少年が、騎士王という鎧を着用している。そんな形容が一番似合うかしらね」
「……」
一旦互いに沈黙し合い、茶を飲んで口を潤す。
「……だとすると一体何なのでしょう、聖剣とは。伝説によると彼にしか扱えない力です。魔力構成にその源があるのかと思ったのですが……」
「確か顕現した際に手にしていたという剣よねえ。といっても、特別な由縁を持つ剣なんてのはそう珍しいことではない」
「選定の剣とか……でもこれは、聖剣並みの知名度を誇っていますが、ほぼ確実に存在していませんけどね」
「『名も無き騎士の唄』が主な根拠じゃあねえ。聖剣を模した創作物っていう学説が大半だもの」
「彼の魔力構成を見てしまった今では、聖剣もその存在が怪しくなってきましたがね……」
ふとカーテンを開けて生徒が覗き見しているのに気付いて、しっしっと追い払うゲルダ。
「でも、所詮は表層を覗いただけよ。これからまた何かわかっていくかもしれない。まだ結論を出すには早いわ。下手に話を広げていったら、貴方のヨボヨボな頭も爆発しちゃうからねぇ」
「一言多いぞゲルダ……焦るべきではないという意見には同意ですが。次は彼本人に魔力を行使した感覚を尋ねてみようと思います」
「そうねえ、それがいいわ。すると彼が例の姿になるのかしら。王の証たる黄金の冠を被って、白銀の鎧と真紅のマントに身を包んで……」
「……ん?」
途端に狐につままれたように、ハインリヒの眉間に皺が寄る。
「何よぉ、貴方なら知ってるはずでしょう。騎士王伝説の序章の一文よ」
「勿論だよ、馬鹿にするな……あ、すみません」
「うふふ、別にぃ。それぐらい重要なことを何か思い出したの?」
「……ええ」
グランチェスターで力を解放していた時に見た姿。それは鉄の鎧に皮のマント。王冠に至っては被ってすらいない――
「……確かにゲルダ、貴女の言う通りだ。彼についてはまだわからないことが多い。調べないと、丁寧に調べ上げないといけないことが多々ある……」
「懸念材料には事欠かないわね。とはいえゆっくりと、慎重にやるのよ。この空を舞う落ち葉のように……ねぇ」
「……」
ゲルダに釣られてふと窓の外を見遣ると、赤く色付いた落ち葉が散っていった。
「懐かしいわねぇ。昔の私は、貴方よりも身長が小さかったんですよ」
「ええ……それでよく揶揄っていましたよね」
「貴方が原因ですからねぇ? 翅出すの嫌になったのは」
「……その節は悪かったと思っていますよ」
「ふふふ……」
「……ハインリヒ」
「謝って、返事を貰えるって……素敵なことで、贅沢なことなのよねぇ……」
秋風が舞う。
「……」
「……本当にそうなんですよね」
「本当に辛いのは……悔悟をぶつけるべき相手が、いなくなってしまうことなんですよね……」
秋雨にも似た涙が、閉じ切った瞳からぽつりと。
感傷に浸っている所に扉が開く。
「先生ー? ゲルダ先生ー?」
「あらぁ……ビアンカさん、わざわざこちらまでぇ」
ゲルダが迎えに上がる前に、ひょこっと顔を出すビアンカ。
「ってハインリヒ先生。珍しいですね、保健室に来ているなんて。頭痛でもしましたか?」
「ふふ……そうですね、お悩み相談です。少しばかり話を聞いてもらっていました」
「ゲルダ先生は包容力ならピカイチですもんね! あ、ここに例のブツ置いていきますよー」
「何か頼まれていたんですか?」
「紙とインクをねぇ。足りなくなっていたから、補充してもらってたのぉ」
ドスンとビアンカが木箱を置いている。ブランカの魔法が影響してるのか、細い腕からは想像できない力だ。
「……そういえば」
「んー? 何でしょう先生ー?」
「ビアンカさんは、エリスとアーサーに何かとしてくれているようですが……最近の様子はどうでしょうか」
「最近ですか? そうですね……半年も経ったからか、二人共大分アルブリアに馴染んできたようです。前までは食料を運んでやってたんですけど、それもやめて二人で買い物に行くようになったんですよ」
「買い物……それはそれは」
「ねー! 凄い進歩だと思いませんー!? エリスちゃんは元々協調性が高いみたいですけど、アーサー君も馴染んできているのが私嬉しくって!」
その途中、ビアンカは深皿に入っていたビスケットを一枚つまんでいく。
「何だかんだ言われてますけど、あの二人はこれからも平凡な日常を送っていく、送っていけると私は思います。先生方も、それを支えてやってくださいねっ!」
「ええ、勿論そのつもりです」
「んじゃあ私これで失礼しますー!」
来た時と同じように、扉がぴしゃりと閉じられる。
「……片や伝説、片や少年。不思議な子ねぇ」
「ええ、確かに……」
やや細長い雲は、沈みゆく夕暮れをのんびりと漂っていく。自分を見上げる人々の悩みも思いも何一つ知らずに。
「……強いて言うなら一つだけ。別にあんたが持つ権限を使えば、オレを調べ上げることは簡単だろう。なのに何故懇切丁寧に説明した」
ある日の放課後。アーサーはハインリヒから呼び出され、相談室で話をされていた。
内容はずばりアーサー自身のこと――原初のナイトメアたる自分について調べたいということ、手始めにナイトメアなら生まれ持つ魔力構成について調べたいという依頼。その為に血液を採取させてもらいたいという協力の要請だった。
「理由は大まかに分けて二つありますね。一つ目は研究より先に、貴方が学園生活に慣れることを優先したから。貴方が人間関係を構築するにあたって、余計な要素は入れない方がいいと考えたのです」
「……」
「もう一つは倫理的な観念から。これは昔からそうなのですが、研究者が協力を依頼する際には何について研究を行っているのかを伝え、そして了承を得てから協力してもらうようになっています。これは外道な研究がこの世に散乱することを防ぐ為でもあります」
「オレの為と世界の為と、理由が一つずつか。理解した」
「何よりです。ですがそれと承諾は別問題です。如何しますか?」
「……」
自分のティーカップに視線を落とす。飲み物は何がいいか訊かれた際、間髪入れずにセイロンと答えたことは、ハインリヒの目を丸くさせた。
「……あんたの研究でオレのことがわかる。それはあいつの為にもなる」
「その通りです」
「……それ以上にオレが気になる。だから協力しよう」
「……」
最後の台詞にハインリヒは眉を吊り上げながらも、一枚の紙を差し出す。
「こちらは同意書になります。下部の線が引いてある箇所に署名を。それと既に理解していると思われますが、研究結果はエリスにも共有します」
「今から言おうと思っていた所だ……」
「……」
アーサーは何かしら言おうとしていた様子だったが、口を噤んで言うのをやめた。
数日後、ある夕暮れの保健室。生徒達も大半が帰り、ぼんやりと夕日が差し込む。
「ゲルダ先生、私です。ハインリヒです。失礼しますよ」
「あらぁ、先生ったら。来るのが早いわねぇ。今開けるわよぉ~」
扉を開けて、黄昏時の客人を迎え入れる。
「どうもどうも……今日は職員会議が早急に終わったもので」
「そうだったのぉ。まあさっさと夜にもなっちゃうし、皆早く帰りたいんでしょうねぇ」
「そうなんですかね……」
ゲルダの事務机に椅子を引っ張ってきて座るハインリヒ。ハーブティーの入ったティーカップが二つ、机にことんと小さな音を立てて置かれる。
「それで、例のお話かしらぁん?」
「ええ、そうですね――アーサーの魔力構成についての話です」
「ちょっと待ってねぇ、今カルテを持ってくるからぁ……」
ゲルダは手前にあるファイル群を漁って、数枚の書類を取り出す。
「にしてもびっくりしたわよぉ。突然私の下にやってきて、魔力構成について調べようなんて言うんだもぉん」
「半年経って彼も学園生活に馴染んできたようなので……前から思っていたことを、調査してみようと思った次第です」
「そして血液を持ってきたんだからもっと驚きよぉ。何、恫喝でもしたの?」
「完全に説明の上、同意書にもサインを頂きました……よ?」
「何で最後の方照れてんだがぁ」
他にも数枚の紙を取り出してゲルダは並べる。
「さて……ハインリヒならとっくにご存知だと思うのだけど。今は一般的なナイトメアの魔力構成パターンを、幾つか取り出して並べてみたわぁ」
「三角型、円形型、四角型、直線型、曲線型。幾何学模様によって、それらは現される。何か特別な影響を有する個体は、鳥や炎等何らかの物質と即座に結び付く模様が描かれている」
「そうそうその通り。そして真ん中に置いてあるのが、アーサー君の魔力構成ねぇ」
「……」
真っ直ぐ入った一本の筋。それはまるで剣を思わせる。
それからは直線、円、三角形等、時折幾何学パターンに沿わない壮麗な紋様も見せながら、様々な形が続いていき――
「……」
「どうかしらぁ? 貴方から見てぇ」
「ふむ……」
「……ゲルダ、貴女の見解をお伺いしても?」
「……まあ、華やかに見えるけど、よく見れば普通……って感じねぇ」
「……」
全く同じことを考えていたと、ハインリヒは表情で伝える。
「真っ直ぐな剣と四角形を中心とした幾何学模様……これが本来の、肉体に刻み込まれた魔力構成。丸とか花びらとか王冠みたいなのは全部上から加筆されて、言ってしまえば装飾品みたい。でも重要なのは……」
「これが活性化していないという点。普段は本来の魔力構成に隠れるように埋もれている」
そのナイトメア、ひいては主君が持つ属性に応じて、魔力構成には色が付いている。火属性だったら赤という具合に、基本は全部で八色。
騎士王伝説において、騎士王アーサーが魔法を行使したという記述は皆無。その為仮説として神聖属性だから無属性、即ち無色透明であるというものが上がっていた。それが的中していたことになる。
「まあ……聖剣を抜き放った時に魔力が流れる部分がそこなのでしょう。ただ本来の構成と完全に独立している、というのは不思議ですが」
「そうね、この血液を見た限りでは本当にどこも接続されていない。もう一度言うけどこれは装飾品よ。アーサーという名のごく普通の少年が、騎士王という鎧を着用している。そんな形容が一番似合うかしらね」
「……」
一旦互いに沈黙し合い、茶を飲んで口を潤す。
「……だとすると一体何なのでしょう、聖剣とは。伝説によると彼にしか扱えない力です。魔力構成にその源があるのかと思ったのですが……」
「確か顕現した際に手にしていたという剣よねえ。といっても、特別な由縁を持つ剣なんてのはそう珍しいことではない」
「選定の剣とか……でもこれは、聖剣並みの知名度を誇っていますが、ほぼ確実に存在していませんけどね」
「『名も無き騎士の唄』が主な根拠じゃあねえ。聖剣を模した創作物っていう学説が大半だもの」
「彼の魔力構成を見てしまった今では、聖剣もその存在が怪しくなってきましたがね……」
ふとカーテンを開けて生徒が覗き見しているのに気付いて、しっしっと追い払うゲルダ。
「でも、所詮は表層を覗いただけよ。これからまた何かわかっていくかもしれない。まだ結論を出すには早いわ。下手に話を広げていったら、貴方のヨボヨボな頭も爆発しちゃうからねぇ」
「一言多いぞゲルダ……焦るべきではないという意見には同意ですが。次は彼本人に魔力を行使した感覚を尋ねてみようと思います」
「そうねえ、それがいいわ。すると彼が例の姿になるのかしら。王の証たる黄金の冠を被って、白銀の鎧と真紅のマントに身を包んで……」
「……ん?」
途端に狐につままれたように、ハインリヒの眉間に皺が寄る。
「何よぉ、貴方なら知ってるはずでしょう。騎士王伝説の序章の一文よ」
「勿論だよ、馬鹿にするな……あ、すみません」
「うふふ、別にぃ。それぐらい重要なことを何か思い出したの?」
「……ええ」
グランチェスターで力を解放していた時に見た姿。それは鉄の鎧に皮のマント。王冠に至っては被ってすらいない――
「……確かにゲルダ、貴女の言う通りだ。彼についてはまだわからないことが多い。調べないと、丁寧に調べ上げないといけないことが多々ある……」
「懸念材料には事欠かないわね。とはいえゆっくりと、慎重にやるのよ。この空を舞う落ち葉のように……ねぇ」
「……」
ゲルダに釣られてふと窓の外を見遣ると、赤く色付いた落ち葉が散っていった。
「懐かしいわねぇ。昔の私は、貴方よりも身長が小さかったんですよ」
「ええ……それでよく揶揄っていましたよね」
「貴方が原因ですからねぇ? 翅出すの嫌になったのは」
「……その節は悪かったと思っていますよ」
「ふふふ……」
「……ハインリヒ」
「謝って、返事を貰えるって……素敵なことで、贅沢なことなのよねぇ……」
秋風が舞う。
「……」
「……本当にそうなんですよね」
「本当に辛いのは……悔悟をぶつけるべき相手が、いなくなってしまうことなんですよね……」
秋雨にも似た涙が、閉じ切った瞳からぽつりと。
感傷に浸っている所に扉が開く。
「先生ー? ゲルダ先生ー?」
「あらぁ……ビアンカさん、わざわざこちらまでぇ」
ゲルダが迎えに上がる前に、ひょこっと顔を出すビアンカ。
「ってハインリヒ先生。珍しいですね、保健室に来ているなんて。頭痛でもしましたか?」
「ふふ……そうですね、お悩み相談です。少しばかり話を聞いてもらっていました」
「ゲルダ先生は包容力ならピカイチですもんね! あ、ここに例のブツ置いていきますよー」
「何か頼まれていたんですか?」
「紙とインクをねぇ。足りなくなっていたから、補充してもらってたのぉ」
ドスンとビアンカが木箱を置いている。ブランカの魔法が影響してるのか、細い腕からは想像できない力だ。
「……そういえば」
「んー? 何でしょう先生ー?」
「ビアンカさんは、エリスとアーサーに何かとしてくれているようですが……最近の様子はどうでしょうか」
「最近ですか? そうですね……半年も経ったからか、二人共大分アルブリアに馴染んできたようです。前までは食料を運んでやってたんですけど、それもやめて二人で買い物に行くようになったんですよ」
「買い物……それはそれは」
「ねー! 凄い進歩だと思いませんー!? エリスちゃんは元々協調性が高いみたいですけど、アーサー君も馴染んできているのが私嬉しくって!」
その途中、ビアンカは深皿に入っていたビスケットを一枚つまんでいく。
「何だかんだ言われてますけど、あの二人はこれからも平凡な日常を送っていく、送っていけると私は思います。先生方も、それを支えてやってくださいねっ!」
「ええ、勿論そのつもりです」
「んじゃあ私これで失礼しますー!」
来た時と同じように、扉がぴしゃりと閉じられる。
「……片や伝説、片や少年。不思議な子ねぇ」
「ええ、確かに……」
やや細長い雲は、沈みゆく夕暮れをのんびりと漂っていく。自分を見上げる人々の悩みも思いも何一つ知らずに。
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