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対決の年越しパーティー
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翌日、私は母に手紙を書きました。
ここ数ヶ月連絡が出来ていなかったお詫びと、ルーンと仲直りをしたことの報告、そして父との誓約のことも聞いてみました。
すると数日後にお返事がきて、その内容に驚いてしまいました。
私の近況は隔週で送られてくるルーンからの手紙ですべて知っていたというのです。
誓約の件については、父の暴走を止められずルーンにも私にも申し訳なく思っていたこと、私が彼にできるだけ接触しないようにこっそり注意を促すことしかできなかったと書かれていました。
そういえばまだ婚約したばかりの頃、婚約の心得について母に諭されたことがありました。
「いいですか、リターシャ。ルーインと婚約をしたからには、もう以前のように無闇矢鱈にだっこやぎゅーぎゅをせがんではいけません。もちろん抱きついてもいけません。会う時は必ず1階のお庭が見えるお部屋で過ごします。お話をするだけに留めて、おままごとも控えましょうね」
「…こんやくをしたら今までのようにルーンとはあそべなくなるということですか…?それはいやです。それならわたくしはこんやくをやめ」
「いえいえいえいえ…そういうわけではありませんよ、リターシャ。決して違いますから…軽々しくそのようなことを言ってはなりません。いいですか、婚約するということは慎みを持ってお付き合いをするということでもあるのです」
「つつしみ…とはなんですか?」
「それをこれからお母様と一緒にお勉強していくのです。わかりましたか?」
「…はい。わかりました、お母さま」
「素直にお返事ができて偉いですね。リターシャと同じくらいルーインも寂しがっていますからね。婚約が上手くいくように頑張りましょうね」
――きっとあれは当時の母にできた精一杯の援護射撃だったのでしょう。
母の指導がなければ私はもっと彼を困らせていたでしょうし、訳も分からない内に破談になっていたかも知れません。
パーティーの後、私抜きで行った家族会議で父はカスティーリ公爵夫妻だけでなくオスカル公子からも冷眼を向けられたといいます。
ルーンが私と婚約する上で父と何かしらの約束を交わし、彼なりに奮闘していることは日頃の行動から察してはいたようですが、どのような内容かまでは知らなかったようです。
父は四面楚歌になりかけましたが、なんとルーンが父を庇ったというのです。
「伯爵の条件を呑んだのは僕です。リタを3年間放って置くような事態を招いたのも僕の責任です。むしろ伯爵には謝らなければなりません。リタを幸せにするとお約束しておきながらこのような事態になり本当に申し訳ありません…」
「…そうだな。手紙を盗まれたことは君の不注意が招いた結果だ。だが娘の異変に気が付けなかったことはこちらの落ち…」
「あら、手紙の件は息子の責任だとおっしゃりたいの?それでしたら私にも責任がありますわ。リタちゃんが息子の手紙を受け取っていないことに3年間も気が付けなかったのですから」
「やめてオディール。貴女の所為でもないわよ…誰だって手紙を出したら届くものだと思うでしょう?私達はルーインと手紙のやり取りができていたのだし…私だって疑わなかったわ…」
「……」
「夫人も母上も…僕を庇おうとしてくださるお気持ちは有り難いのですが、責任の所在を突き詰めても何の解決にもなりません。それよりも今後どうするかを話し合うことの方が僕にとっては重要です」
「そうだな…このまま誤解をされたままではお前も可哀想だし、彼女の為にもならないからな」
「しかし修道院へ入りたいとは驚きだったな。他に良い男性を見つけて結婚したいというのならまだわかるが…修道女になりたい、と。君の娘は余程私の息子を好いていたようだ。そのことについてどう思う、伯爵?」
「……」
カスティーリ公爵はにこやかに尋ねられたそうですが、その時の父は蛇に睨まれた蛙のようだったといいます。
話し合いの場に呼ばれなかったと知った時はショックでしたが、真実を知った今は納得ができます。
誰の声にも耳を貸さない私がいては建設的なお話はできなかったでしょう…。
あの夜から私とルーンの関係は少しだけ変化がありました。
私が朝しっかりと起きて仕事へ出掛ける彼を送り出し、帰宅した時も玄関へ降りて出迎えるようになったのです。
彼はたったそれだけでも嬉しそうな顔をしてくださるので、今では毎朝一緒に食事も摂るようになりました。
寝室は別々にしようと言われていましたが、私が寂しいと我儘を言うと今まで通り同じベッドで眠ってくださることになりました。
晴れて気持ちを通じ合うことができましたし、本で読んだようなことや授業で学んだようなことがあるのではと少し期待していたのですが…私が抱きしめたら抱きしめ返してくださるだけで、それ以上のことはありません。
どうやら彼は「結婚するまで不埒な真似はしない」という約束を律儀に守るつもりのようです。
物足りない気持ちはありますが、彼にそう約束させてしまったのは私ですので彼の意思に従おうと思います。
保留になっていた入籍と結婚式のお話は私が婚約を継続したいとお返事をしたことで再び動き出しました。
私もルーンもできるだけ早く結婚したい気持ちがありましたので、当初の予定通り来年の春に決まりました。
あと半年ほどしかないため、準備に追われて忙しくも楽しい日々を過ごしています。
お手紙を盗んだ犯人はまだ明らかになっていないようですが、私は恐らくヴェロニカ嬢ではないかと推測しています。
どのような方法かはわかりませんが、同じお部屋でしたのでお手紙を隠すことも容易かったはずです。
もし一度でもお手紙を読んでいたなら私が彼の婚約者であることもすぐにわかったでしょう。
初めの1年間は様子を伺いつつ、私がすっかり不安に陥ったところであのようなお話をして彼への猜疑心を抱かせ、不信感を持たせるように仕組んだのです。
ですが仮にそうだったとしても、彼女がしたという確たる証拠が何もないのです。
せめてあのお話が嘘であることだけでも自分で確かめたいのですが、なかなかお会いする機会を作れません。
もどかしい気持ちのまま時は過ぎ、それから数ヶ月後にようやくチャンスが巡ってきました。
ルーンと私は、ハットルーテ宰相閣下が毎年主催なさっているカウントダウンパーティーに出席することになりました。
招待を受けた方は皆さん家族や恋人を同伴なさり、王宮での夜会に負けず劣らずの人数が公邸に集まっています。
以前事務室でお見かけした方々が勢揃いし、ファラット補佐官様のお姿もありました。
事務官のディラン様はアリアンナ嬢を連れて、仲睦まじいご様子で他の出席者と談笑しています。
私もルーンと共に挨拶回りをしていると、思いがけなくナタリア嬢と再会しました。
どうやら彼女のお父様が宰相閣下とご友人の間柄だったようです。
「あちらにヴェロニカ様もいらっしゃいましたよ」
ナタリア嬢の視線を辿ると、華やかな真紅のイブニングドレスに身を包んだヴェロニカ嬢がご友人と思しきご令嬢達の輪の中にいるのが見えました。
先程彼女のお父様であるシーフォニル侯爵もお見かけしたのでもしやと思いましたが、これで気になっていたことを少しは晴らせそうです。
「ルーン。私も友人とお話をしに行きたいのですが…少しの間だけお傍を離れてもよろしいですか?」
「…いいよ。行っておいで」
「ありがとうございます…!」
「それじゃあ僕は君がすぐに見つけられる場所で待っているよ」
「はい」
緊張を隠して笑みを浮かべた私に、ルーンが顔を近づけます。
頬にキスをしてくださるのかと思いましたが、彼の唇は私の耳元で止まりました。
「リタ…僕が前に話したことを覚えてる?」
「……!」
「上手くやろうと思わなくていい。意識して話をするだけでいいからね」
はっとして視線を上げると、彼は屈めていた姿勢を正してにっこりと微笑んでいます。
どうやら彼にはこれから私が何をしようとしているのか、すべてお見通しだったようです…。
ですが彼の言葉のおかげで緊張が解れました。
ルーンが見守っていてくださるなら、頑張れそうです。
私は頷いて彼の元を離れ、ヴェロニカ嬢に声をかけました。
「お久しぶりです、ヴェロニカ様」
「まあ…リターシャ嬢。卒業して以来ね。お元気でいらっしゃった?」
「ええ、お陰様で。ヴェロニカ様もお変わりないようで安心いたしましたわ」
私がルーンの婚約者であることは彼女も知っているはずですし、先程まで彼と一緒にいたところも見ているはずですが、全く表情を変えません。
彼女が警戒していることを察した私は、天候のお話などをした後でちらちらと周囲を伺うふりをしてから悲壮感たっぷりに彼女の手を握りました。
目を瞬かせる彼女に体を近づけて、囁くように話しかけます。
「あの、私…寮でヴェロニカ様から公子のお話を伺ってから、彼との結婚を考え直したいとずっと考えていたのです。けれどなかなか証拠が集まらなくて…。ですので是非ヴェロニカ様に協力をお願いしたいのですが…」
「そうでしたのね…。公子の婚約者が貴女だとは知らずに失礼なことをしてしまったと思っていたのよ」
「いいえ、むしろ教えていただいたことに感謝しております。それで…その、大きな声では言えないのですが…彼と婚約を解消する為にもう少し詳しくお話を伺いたいのです…」
「ええ、いいわよ。私が知っていることなら何でもお話するわ」
「よかった…!ヴェロニカ様が頼みの綱だったのです…ありがとうございます」
私は大袈裟なほどに表情を明るくして、協力者が見つかったことに安堵して喜んでいる体を装いました。
もし仮にあのお話が本当だったとしても彼女の振る舞いにはどこか違和感があります。
ご自身の姉が原因で破局を迎えようとしている女性に、こうも快く証言しようと思えるものでしょうか…?
悪びれる様子も見受けられませんし、この僅かなやり取りだけで彼女の笑顔の裏にある企みが透けて見えたような気がしました。
「では時間もあまりないので早速ですが…公子とお姉様は休日によくデートをなさっていたのですよね?」
「ええ、そうよ」
「例えばどのようなところでデートをなさっていたのでしょうか?以前にお聞きしたことがあるかと思うのですが、きちんと確かめておきたくて…」
「そうね…私が聞いたのは王都でお買い物をなさったり、近くの公園を散策なさったり…王宮の薔薇園へ行ったとも話していたわね」
いずれもデートの場所として定番のところばかりのようですが、アリアンナ嬢の言うとおり噂が立っていないのは可笑しいです。
ルーンはどこを歩いていても目を引くと思いますし、同性のディラン様でさえ彼と薔薇園を訪れた際には奇異の目に晒されたとお話されていました。
とても上手に変装なさったのだとしても、宝石店の店主さんの言うとおり雰囲気までは隠せませんから、誰にも疑われないというのは考えにくいです。
「レストランの2階を貸し切って食事をしたこともあったそうよ」
「そのレストランというのはどちらのお店でしょう?私も一度行ってみようかと思うのですが…その時何を召し上がったかなどはおわかりになりますか?」
「え?ええと…どうだったかしら。聞いていたかも知れないけれど忘れてしまったわ。それにお店の人にはお金を渡して口止めしているはずよ。だから直接聞きに行くのは良い方法とは言えないわね」
「そうなのですね…。そういえばおふたりでご旅行もなさっていたのですよね?どちらに行かれていたかはご存知ですか?」
「そうね…色々な地域に行かれていたみたいだから全部は覚えていないのだけれど、南の方へ行ったと話していたことは覚えているわね」
「そうでした。南へ行かれたと確かにお話されていましたわ。どちらの街に行かれていたのでしょう?」
「それは、ほら…海の上のコテージで有名なところがあるでしょう?何というところだったかしら…」
「水上コテージがあるのはコパンナの街ですね」
「ええ、そう!そうだったわ。コパンナの水上コテージを貸し切って、ふたりきりで海に浮かぶ月を見上げながらロマンティックな夜を過ごしたそうよ」
ここで私はわざとらしく沈んだ顔をして見せました。
まだ彼に未練が残っているように見せかけることで、彼女に気持ち良くお話していただく為です。
「ロマンティックというと…きっと体を寄せ合うこともあったのでしょうね…」
「ええ…まあ、そうね。貴女は聞きづらいかも知れないけれど…婚約者よりも相性が良いと言ってくださったと、姉は喜んでいたわ」
「それは性格が…ということでしょうか?」
「それもあるとは思いますけれど、唇や肌が触れた感覚…といった意味もあるのではない?お互いにもう大人ですもの、そういったこともありますわ」
「そういったこと…というのは、具体的にどのようなことをなさったのでしょうか?」
「まあ…詳しくお知りになりたい気持ちはわかりますけれど、私の口からお話することは憚られますわ。場所が場所でもありますし…」
ヴェロニカ嬢は恥ずかしそうに視線を泳がせながら扇子を開いて口元を隠しました。
意味深なことを言ってふたりが深い関係にあったことを匂わせようとなさっているのでしょうが、私に言わされたとは思ってもいないようです。
ここ10年間、ルーンは父の接触禁止令の所為で私に唇どころか指先が触れることも許されませんでした。
命令が解除された今でも唇のキスは「結婚式まで取っておこうか」と言われて未だにしたことがありません。
ですので彼がこういった場面で婚約者を引き合いに出すことなど有り得ないのです。
確かな嘘が一つ露見しましたが、もう少し揺さぶってみることにします。
「そうですね…失礼しました。他に何かお話されていましたか…?」
「そうね…ああ、もう一つ思い出しましたわ。コパンナには珍しい海鮮料理を出すお店がたくさんあるのですってね。その中でも有名なシェフのいる最高級のレストランへ入ったそうなのだけど、興味を持たれた公子が食べ切れないほど注文なさったそうなの。初めは困ってしまったけれどその内なんだか楽しくなってしまって、会話も弾んだと話していたわ。お料理もどれもとても美味しかったって」
「まあ…公子は海鮮料理を召し上がったのですか…?興味を持たれて…食べきれないほど?」
「……ええ。そう聞いているけれど…どうかなさったの?」
「あ…その…公子は上手く隠していますが…実はかなりの偏食家なのです」
「えっ…?」
「ですので晩餐会はいつも苦痛で、苦手なものはすべてワインで流し込むのだとおっしゃっていました。特に魚介類を使ったお料理は臭いも味もお嫌いで、普段は一切召し上がろうとなさらないのですが…」
「あ…ああ、そういえばそうでしたわね。うっかり…他の方のお話と混同してしまったようですわ」
彼女は明らかに動揺しながら、私とお話を合わせました。
侯爵家の邸宅に公子をお招きし、一緒にお食事をなさっているならば当然彼の好みも承知のはずです。
もし本当に、一度でも彼と食事をなさったことがあるのなら、ここは迷いなく否定をしなければならない場面でした。
彼が偏食家だということも、魚介類を召し上がらないことも、どちらも出任せなのです。
「そうなのですか…?でも先程は確かに南のコパンナの街へご旅行に行かれたと…」
「それは貴女がそう言ったから…そんな気になってしまっただけですわ」
「ではおふたりがコパンナの街を訪れたというお話は、ヴェロニカ様の勘違いということですか?」
「ええ、そう受け取っていただいて結構よ」
「…わかりました。他に何か覚えていらっしゃることはありませんか?ご旅行先を覚えていられないくらい色々な地域に行かれていたようですが、何か一つでも手がかりがあればと思うのですが…」
「私が行ったわけではありませんからこれ以上はわかりかねますわ」
どうやら警戒されてしまったようです。
これ以上は何を聞いてもはぐらかされてしまう気がします。
「それでしたらお姉様に直接お伺いしてみるのが良さそうですね。よろしければヴェロニカ様からご紹介していただけるとありがたいのですが」
「…公子には確認なさった?姉の前にまず公子から事実を聞き出した方がよろしいのではなくて?」
「それが…彼は違うと言うばかりで答えてくださらないのです」
「きっと姉に聞いても同じ答えが返ってきますわよ。公子から口外しないようにと言われているでしょうし…特に婚約者の貴女には」
「…ですがヴェロニカ様は教えてくださいましたよね?事情をお話すればお姉様も私に協力してくださるかも知れません」
「私は…ほら、寮であのようなお話をしてしまいましたし、お友達として貴女が望むならと思って善意でお話しただけよ。申し訳ないけれど私はこれ以上のことはわからないわ。もうよろしくて?そろそろ挨拶に戻らなければなりませんから」
「あっ…申し訳ありません。つい夢中になってしまって…。少しでもお話が聞けて良かったですわ」
私が聞き分け良く頭を下げると、ヴェロニカ嬢は外向きの笑みを貼り付けて足早に去っていきました。
彼女の背中を見送りながら、私はなんだか複雑な気持ちでいました。
上手くできたかどうかは別として、自分自身で彼女のお話の真偽を確かめることができたので目的は果たせました。
その喜びはあるものの、何故あのような具体性に欠けるお話をあっさりと信じ込んでしまっていたのか…数ヶ月前までの自分が不思議でなりません。
(私はもっと視野を…知見を広げなければならないわ…)
もうすぐ私はルーンの妻になります。
彼の伴侶として、カスティーリ公爵家の一員として…胸を張れる人生を送りたい。
その為には積極的に社交場に出て、たくさんの方と交流していく必要があります。
多くの方とお話ができるように流行を知り、あらゆる書物を読み、素直な気持ちで教えを乞うことも大切です。
幸いにも私にはお手本となる方々が身近にいて、こうして実践を積める機会も環境も整っています。
(二度とこのような過ちは起こしません…。これからはルーンに守ってもらうばかりではなく、隣に立って彼を支えられるような…そんな女性になれるように精一杯努力します)
決意を新たにした私は、ルーンのところへ戻ろうと周囲を見回しました。
すると会場の中央にハットルーテ宰相と並んで立つ彼の姿を見つけ、歩き出したのですが…彼の元へ辿り着く前に閣下が大きな声でお話を始めました。
「今日はお集まりいただき感謝する。どうか少しの間、皆の歓談の時間を頂戴したい」
皆様の視線が宰相閣下に集まります。
「先日、私の仕事仲間でもあり又甥のルーインが喜ばしい報告をしてくれた。是非ここにいる皆でこの喜びを分かち合いたい。ルーイン、この場で発表してくれないか」
「恐縮です…閣下。リターシャ、こちらへおいで」
「…はい」
思いがけなく名前を呼ばれた私は、内心ではとても動揺していましたが、表には出さずに返事をしました。
背筋を正し、毅然としているように見せながら参加者が開けてくれた道を進みます。
いったいこれから何が始まるのでしょうか…?
ここ数ヶ月連絡が出来ていなかったお詫びと、ルーンと仲直りをしたことの報告、そして父との誓約のことも聞いてみました。
すると数日後にお返事がきて、その内容に驚いてしまいました。
私の近況は隔週で送られてくるルーンからの手紙ですべて知っていたというのです。
誓約の件については、父の暴走を止められずルーンにも私にも申し訳なく思っていたこと、私が彼にできるだけ接触しないようにこっそり注意を促すことしかできなかったと書かれていました。
そういえばまだ婚約したばかりの頃、婚約の心得について母に諭されたことがありました。
「いいですか、リターシャ。ルーインと婚約をしたからには、もう以前のように無闇矢鱈にだっこやぎゅーぎゅをせがんではいけません。もちろん抱きついてもいけません。会う時は必ず1階のお庭が見えるお部屋で過ごします。お話をするだけに留めて、おままごとも控えましょうね」
「…こんやくをしたら今までのようにルーンとはあそべなくなるということですか…?それはいやです。それならわたくしはこんやくをやめ」
「いえいえいえいえ…そういうわけではありませんよ、リターシャ。決して違いますから…軽々しくそのようなことを言ってはなりません。いいですか、婚約するということは慎みを持ってお付き合いをするということでもあるのです」
「つつしみ…とはなんですか?」
「それをこれからお母様と一緒にお勉強していくのです。わかりましたか?」
「…はい。わかりました、お母さま」
「素直にお返事ができて偉いですね。リターシャと同じくらいルーインも寂しがっていますからね。婚約が上手くいくように頑張りましょうね」
――きっとあれは当時の母にできた精一杯の援護射撃だったのでしょう。
母の指導がなければ私はもっと彼を困らせていたでしょうし、訳も分からない内に破談になっていたかも知れません。
パーティーの後、私抜きで行った家族会議で父はカスティーリ公爵夫妻だけでなくオスカル公子からも冷眼を向けられたといいます。
ルーンが私と婚約する上で父と何かしらの約束を交わし、彼なりに奮闘していることは日頃の行動から察してはいたようですが、どのような内容かまでは知らなかったようです。
父は四面楚歌になりかけましたが、なんとルーンが父を庇ったというのです。
「伯爵の条件を呑んだのは僕です。リタを3年間放って置くような事態を招いたのも僕の責任です。むしろ伯爵には謝らなければなりません。リタを幸せにするとお約束しておきながらこのような事態になり本当に申し訳ありません…」
「…そうだな。手紙を盗まれたことは君の不注意が招いた結果だ。だが娘の異変に気が付けなかったことはこちらの落ち…」
「あら、手紙の件は息子の責任だとおっしゃりたいの?それでしたら私にも責任がありますわ。リタちゃんが息子の手紙を受け取っていないことに3年間も気が付けなかったのですから」
「やめてオディール。貴女の所為でもないわよ…誰だって手紙を出したら届くものだと思うでしょう?私達はルーインと手紙のやり取りができていたのだし…私だって疑わなかったわ…」
「……」
「夫人も母上も…僕を庇おうとしてくださるお気持ちは有り難いのですが、責任の所在を突き詰めても何の解決にもなりません。それよりも今後どうするかを話し合うことの方が僕にとっては重要です」
「そうだな…このまま誤解をされたままではお前も可哀想だし、彼女の為にもならないからな」
「しかし修道院へ入りたいとは驚きだったな。他に良い男性を見つけて結婚したいというのならまだわかるが…修道女になりたい、と。君の娘は余程私の息子を好いていたようだ。そのことについてどう思う、伯爵?」
「……」
カスティーリ公爵はにこやかに尋ねられたそうですが、その時の父は蛇に睨まれた蛙のようだったといいます。
話し合いの場に呼ばれなかったと知った時はショックでしたが、真実を知った今は納得ができます。
誰の声にも耳を貸さない私がいては建設的なお話はできなかったでしょう…。
あの夜から私とルーンの関係は少しだけ変化がありました。
私が朝しっかりと起きて仕事へ出掛ける彼を送り出し、帰宅した時も玄関へ降りて出迎えるようになったのです。
彼はたったそれだけでも嬉しそうな顔をしてくださるので、今では毎朝一緒に食事も摂るようになりました。
寝室は別々にしようと言われていましたが、私が寂しいと我儘を言うと今まで通り同じベッドで眠ってくださることになりました。
晴れて気持ちを通じ合うことができましたし、本で読んだようなことや授業で学んだようなことがあるのではと少し期待していたのですが…私が抱きしめたら抱きしめ返してくださるだけで、それ以上のことはありません。
どうやら彼は「結婚するまで不埒な真似はしない」という約束を律儀に守るつもりのようです。
物足りない気持ちはありますが、彼にそう約束させてしまったのは私ですので彼の意思に従おうと思います。
保留になっていた入籍と結婚式のお話は私が婚約を継続したいとお返事をしたことで再び動き出しました。
私もルーンもできるだけ早く結婚したい気持ちがありましたので、当初の予定通り来年の春に決まりました。
あと半年ほどしかないため、準備に追われて忙しくも楽しい日々を過ごしています。
お手紙を盗んだ犯人はまだ明らかになっていないようですが、私は恐らくヴェロニカ嬢ではないかと推測しています。
どのような方法かはわかりませんが、同じお部屋でしたのでお手紙を隠すことも容易かったはずです。
もし一度でもお手紙を読んでいたなら私が彼の婚約者であることもすぐにわかったでしょう。
初めの1年間は様子を伺いつつ、私がすっかり不安に陥ったところであのようなお話をして彼への猜疑心を抱かせ、不信感を持たせるように仕組んだのです。
ですが仮にそうだったとしても、彼女がしたという確たる証拠が何もないのです。
せめてあのお話が嘘であることだけでも自分で確かめたいのですが、なかなかお会いする機会を作れません。
もどかしい気持ちのまま時は過ぎ、それから数ヶ月後にようやくチャンスが巡ってきました。
ルーンと私は、ハットルーテ宰相閣下が毎年主催なさっているカウントダウンパーティーに出席することになりました。
招待を受けた方は皆さん家族や恋人を同伴なさり、王宮での夜会に負けず劣らずの人数が公邸に集まっています。
以前事務室でお見かけした方々が勢揃いし、ファラット補佐官様のお姿もありました。
事務官のディラン様はアリアンナ嬢を連れて、仲睦まじいご様子で他の出席者と談笑しています。
私もルーンと共に挨拶回りをしていると、思いがけなくナタリア嬢と再会しました。
どうやら彼女のお父様が宰相閣下とご友人の間柄だったようです。
「あちらにヴェロニカ様もいらっしゃいましたよ」
ナタリア嬢の視線を辿ると、華やかな真紅のイブニングドレスに身を包んだヴェロニカ嬢がご友人と思しきご令嬢達の輪の中にいるのが見えました。
先程彼女のお父様であるシーフォニル侯爵もお見かけしたのでもしやと思いましたが、これで気になっていたことを少しは晴らせそうです。
「ルーン。私も友人とお話をしに行きたいのですが…少しの間だけお傍を離れてもよろしいですか?」
「…いいよ。行っておいで」
「ありがとうございます…!」
「それじゃあ僕は君がすぐに見つけられる場所で待っているよ」
「はい」
緊張を隠して笑みを浮かべた私に、ルーンが顔を近づけます。
頬にキスをしてくださるのかと思いましたが、彼の唇は私の耳元で止まりました。
「リタ…僕が前に話したことを覚えてる?」
「……!」
「上手くやろうと思わなくていい。意識して話をするだけでいいからね」
はっとして視線を上げると、彼は屈めていた姿勢を正してにっこりと微笑んでいます。
どうやら彼にはこれから私が何をしようとしているのか、すべてお見通しだったようです…。
ですが彼の言葉のおかげで緊張が解れました。
ルーンが見守っていてくださるなら、頑張れそうです。
私は頷いて彼の元を離れ、ヴェロニカ嬢に声をかけました。
「お久しぶりです、ヴェロニカ様」
「まあ…リターシャ嬢。卒業して以来ね。お元気でいらっしゃった?」
「ええ、お陰様で。ヴェロニカ様もお変わりないようで安心いたしましたわ」
私がルーンの婚約者であることは彼女も知っているはずですし、先程まで彼と一緒にいたところも見ているはずですが、全く表情を変えません。
彼女が警戒していることを察した私は、天候のお話などをした後でちらちらと周囲を伺うふりをしてから悲壮感たっぷりに彼女の手を握りました。
目を瞬かせる彼女に体を近づけて、囁くように話しかけます。
「あの、私…寮でヴェロニカ様から公子のお話を伺ってから、彼との結婚を考え直したいとずっと考えていたのです。けれどなかなか証拠が集まらなくて…。ですので是非ヴェロニカ様に協力をお願いしたいのですが…」
「そうでしたのね…。公子の婚約者が貴女だとは知らずに失礼なことをしてしまったと思っていたのよ」
「いいえ、むしろ教えていただいたことに感謝しております。それで…その、大きな声では言えないのですが…彼と婚約を解消する為にもう少し詳しくお話を伺いたいのです…」
「ええ、いいわよ。私が知っていることなら何でもお話するわ」
「よかった…!ヴェロニカ様が頼みの綱だったのです…ありがとうございます」
私は大袈裟なほどに表情を明るくして、協力者が見つかったことに安堵して喜んでいる体を装いました。
もし仮にあのお話が本当だったとしても彼女の振る舞いにはどこか違和感があります。
ご自身の姉が原因で破局を迎えようとしている女性に、こうも快く証言しようと思えるものでしょうか…?
悪びれる様子も見受けられませんし、この僅かなやり取りだけで彼女の笑顔の裏にある企みが透けて見えたような気がしました。
「では時間もあまりないので早速ですが…公子とお姉様は休日によくデートをなさっていたのですよね?」
「ええ、そうよ」
「例えばどのようなところでデートをなさっていたのでしょうか?以前にお聞きしたことがあるかと思うのですが、きちんと確かめておきたくて…」
「そうね…私が聞いたのは王都でお買い物をなさったり、近くの公園を散策なさったり…王宮の薔薇園へ行ったとも話していたわね」
いずれもデートの場所として定番のところばかりのようですが、アリアンナ嬢の言うとおり噂が立っていないのは可笑しいです。
ルーンはどこを歩いていても目を引くと思いますし、同性のディラン様でさえ彼と薔薇園を訪れた際には奇異の目に晒されたとお話されていました。
とても上手に変装なさったのだとしても、宝石店の店主さんの言うとおり雰囲気までは隠せませんから、誰にも疑われないというのは考えにくいです。
「レストランの2階を貸し切って食事をしたこともあったそうよ」
「そのレストランというのはどちらのお店でしょう?私も一度行ってみようかと思うのですが…その時何を召し上がったかなどはおわかりになりますか?」
「え?ええと…どうだったかしら。聞いていたかも知れないけれど忘れてしまったわ。それにお店の人にはお金を渡して口止めしているはずよ。だから直接聞きに行くのは良い方法とは言えないわね」
「そうなのですね…。そういえばおふたりでご旅行もなさっていたのですよね?どちらに行かれていたかはご存知ですか?」
「そうね…色々な地域に行かれていたみたいだから全部は覚えていないのだけれど、南の方へ行ったと話していたことは覚えているわね」
「そうでした。南へ行かれたと確かにお話されていましたわ。どちらの街に行かれていたのでしょう?」
「それは、ほら…海の上のコテージで有名なところがあるでしょう?何というところだったかしら…」
「水上コテージがあるのはコパンナの街ですね」
「ええ、そう!そうだったわ。コパンナの水上コテージを貸し切って、ふたりきりで海に浮かぶ月を見上げながらロマンティックな夜を過ごしたそうよ」
ここで私はわざとらしく沈んだ顔をして見せました。
まだ彼に未練が残っているように見せかけることで、彼女に気持ち良くお話していただく為です。
「ロマンティックというと…きっと体を寄せ合うこともあったのでしょうね…」
「ええ…まあ、そうね。貴女は聞きづらいかも知れないけれど…婚約者よりも相性が良いと言ってくださったと、姉は喜んでいたわ」
「それは性格が…ということでしょうか?」
「それもあるとは思いますけれど、唇や肌が触れた感覚…といった意味もあるのではない?お互いにもう大人ですもの、そういったこともありますわ」
「そういったこと…というのは、具体的にどのようなことをなさったのでしょうか?」
「まあ…詳しくお知りになりたい気持ちはわかりますけれど、私の口からお話することは憚られますわ。場所が場所でもありますし…」
ヴェロニカ嬢は恥ずかしそうに視線を泳がせながら扇子を開いて口元を隠しました。
意味深なことを言ってふたりが深い関係にあったことを匂わせようとなさっているのでしょうが、私に言わされたとは思ってもいないようです。
ここ10年間、ルーンは父の接触禁止令の所為で私に唇どころか指先が触れることも許されませんでした。
命令が解除された今でも唇のキスは「結婚式まで取っておこうか」と言われて未だにしたことがありません。
ですので彼がこういった場面で婚約者を引き合いに出すことなど有り得ないのです。
確かな嘘が一つ露見しましたが、もう少し揺さぶってみることにします。
「そうですね…失礼しました。他に何かお話されていましたか…?」
「そうね…ああ、もう一つ思い出しましたわ。コパンナには珍しい海鮮料理を出すお店がたくさんあるのですってね。その中でも有名なシェフのいる最高級のレストランへ入ったそうなのだけど、興味を持たれた公子が食べ切れないほど注文なさったそうなの。初めは困ってしまったけれどその内なんだか楽しくなってしまって、会話も弾んだと話していたわ。お料理もどれもとても美味しかったって」
「まあ…公子は海鮮料理を召し上がったのですか…?興味を持たれて…食べきれないほど?」
「……ええ。そう聞いているけれど…どうかなさったの?」
「あ…その…公子は上手く隠していますが…実はかなりの偏食家なのです」
「えっ…?」
「ですので晩餐会はいつも苦痛で、苦手なものはすべてワインで流し込むのだとおっしゃっていました。特に魚介類を使ったお料理は臭いも味もお嫌いで、普段は一切召し上がろうとなさらないのですが…」
「あ…ああ、そういえばそうでしたわね。うっかり…他の方のお話と混同してしまったようですわ」
彼女は明らかに動揺しながら、私とお話を合わせました。
侯爵家の邸宅に公子をお招きし、一緒にお食事をなさっているならば当然彼の好みも承知のはずです。
もし本当に、一度でも彼と食事をなさったことがあるのなら、ここは迷いなく否定をしなければならない場面でした。
彼が偏食家だということも、魚介類を召し上がらないことも、どちらも出任せなのです。
「そうなのですか…?でも先程は確かに南のコパンナの街へご旅行に行かれたと…」
「それは貴女がそう言ったから…そんな気になってしまっただけですわ」
「ではおふたりがコパンナの街を訪れたというお話は、ヴェロニカ様の勘違いということですか?」
「ええ、そう受け取っていただいて結構よ」
「…わかりました。他に何か覚えていらっしゃることはありませんか?ご旅行先を覚えていられないくらい色々な地域に行かれていたようですが、何か一つでも手がかりがあればと思うのですが…」
「私が行ったわけではありませんからこれ以上はわかりかねますわ」
どうやら警戒されてしまったようです。
これ以上は何を聞いてもはぐらかされてしまう気がします。
「それでしたらお姉様に直接お伺いしてみるのが良さそうですね。よろしければヴェロニカ様からご紹介していただけるとありがたいのですが」
「…公子には確認なさった?姉の前にまず公子から事実を聞き出した方がよろしいのではなくて?」
「それが…彼は違うと言うばかりで答えてくださらないのです」
「きっと姉に聞いても同じ答えが返ってきますわよ。公子から口外しないようにと言われているでしょうし…特に婚約者の貴女には」
「…ですがヴェロニカ様は教えてくださいましたよね?事情をお話すればお姉様も私に協力してくださるかも知れません」
「私は…ほら、寮であのようなお話をしてしまいましたし、お友達として貴女が望むならと思って善意でお話しただけよ。申し訳ないけれど私はこれ以上のことはわからないわ。もうよろしくて?そろそろ挨拶に戻らなければなりませんから」
「あっ…申し訳ありません。つい夢中になってしまって…。少しでもお話が聞けて良かったですわ」
私が聞き分け良く頭を下げると、ヴェロニカ嬢は外向きの笑みを貼り付けて足早に去っていきました。
彼女の背中を見送りながら、私はなんだか複雑な気持ちでいました。
上手くできたかどうかは別として、自分自身で彼女のお話の真偽を確かめることができたので目的は果たせました。
その喜びはあるものの、何故あのような具体性に欠けるお話をあっさりと信じ込んでしまっていたのか…数ヶ月前までの自分が不思議でなりません。
(私はもっと視野を…知見を広げなければならないわ…)
もうすぐ私はルーンの妻になります。
彼の伴侶として、カスティーリ公爵家の一員として…胸を張れる人生を送りたい。
その為には積極的に社交場に出て、たくさんの方と交流していく必要があります。
多くの方とお話ができるように流行を知り、あらゆる書物を読み、素直な気持ちで教えを乞うことも大切です。
幸いにも私にはお手本となる方々が身近にいて、こうして実践を積める機会も環境も整っています。
(二度とこのような過ちは起こしません…。これからはルーンに守ってもらうばかりではなく、隣に立って彼を支えられるような…そんな女性になれるように精一杯努力します)
決意を新たにした私は、ルーンのところへ戻ろうと周囲を見回しました。
すると会場の中央にハットルーテ宰相と並んで立つ彼の姿を見つけ、歩き出したのですが…彼の元へ辿り着く前に閣下が大きな声でお話を始めました。
「今日はお集まりいただき感謝する。どうか少しの間、皆の歓談の時間を頂戴したい」
皆様の視線が宰相閣下に集まります。
「先日、私の仕事仲間でもあり又甥のルーインが喜ばしい報告をしてくれた。是非ここにいる皆でこの喜びを分かち合いたい。ルーイン、この場で発表してくれないか」
「恐縮です…閣下。リターシャ、こちらへおいで」
「…はい」
思いがけなく名前を呼ばれた私は、内心ではとても動揺していましたが、表には出さずに返事をしました。
背筋を正し、毅然としているように見せながら参加者が開けてくれた道を進みます。
いったいこれから何が始まるのでしょうか…?
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