上 下
8 / 8

第4話(1)

しおりを挟む
その頃十和子は、まるでホテルのスイートルームのような一室でのんびりと朝を迎えていた。
息子の朝のお世話が一段落したところで、少し遅めの朝食にありつく。
空腹を感じてはいなかったが、テーブルの上に並べられた温かい食事を前にすると、くぅとお腹が鳴った。
小ぶりで品の良い陶器の食器に盛り付けられているのは、焼き魚に卵焼き、青菜の納豆和え、ひじきの煮物、さつまいものきんぴら、きゅうりの酢の物。
そこへ湯気のたつお味噌汁と炊きたての白いご飯が運ばれてくる。


「今日もありがとう、奈津子さん」


十和子はここへ来てから当然のように食事を用意してくれる年配の女性にお礼を伝えた。
彼女は十和子がまだ学生の頃からこの家で働いている住み込みのお手伝いさんで、昔から穏やかで優しかった。


「なにもしなくても美味しいご飯が出てくるなんて、本当にありがたいです。洗濯や掃除もしてもらえて助かります」
「いえいえ。それが私の仕事ですから、なーんにも気にせず任せてくださればよいのですよ。それに私もお嬢様のおかげで久しぶりに料理の腕をふるえて嬉しいんです。奥様が入院されてからは専ら掃除婦でしたから」
「でも…将臣くんは食事はどうしていたんですか?」
「坊ちゃまはほとんどあちらに寝泊まりで、あまりご自宅で食事をなさらないんです」
「そうなんだ…」
「さぁさ、冷めないうちに召し上がってください」
「うん。いただきます」


微笑む奈津子に、十和子もにっこりと微笑み返した。
毎日が安心感と幸福感で全身が満たされていくような心地よさで、十和子はすっかりここ―――亡き父親の実家での生活が気に入ってしまった。


10日前。
ショッピングモールからの帰り道、マンション付近に停車した高級車から降りてきたのは、どこか見覚えのある人物だった。


「久しぶりですね」
「……?」
「流石に覚えていないか。最後に会ったのは10年前だから」


会ったことがあると言われて、十和子は記憶を手繰り寄せた。
男の顔をじっと見つめていると、ぼんやりと脳裏に浮かんできた面影があった。


「将臣《まさおみ》くん…?」
「名前まで思い出してもらえるとは光栄だな」


まさかとは思いながらも名前を呼んでみると、彼はその通りだと頷いた。
十和子の頭の中にふっと浮かんできたのが、時々遊びに行っていた父方の祖父母の家に住んでいた男の子。
彼の言う通り顔を合わせるのは10年ぶりで、その時はまだお互いに学生だった。


「本当に久しぶりだね。元気にしてた?」
「悪いが世間話は後だ。今日はあなたを迎えに来たんです」
「え?」
「お祖母様が危篤です。車に乗ってください」


十和子は将臣に手を引かれ、半ば強引に車内に押し込められた。
その時、手に持っていたスマートフォンが足元に転がり落ちる。


「危篤って…どういうことなの?お祖母様は病気なの?」
「詳しいことは移動しながら話します。―――出してくれ」


将臣が運転手に命じると、車は緩やかに走り出した。



*



十和子の父親は"あづみ"という全国的に名の知れた老舗旅館を経営する一族の本家に生まれた唯一の男児だった。
父親は跡取り息子として育てられたが、十和子の母親との結婚を反対されて駆け落ち同然で家を出る。
激怒した彼の母親は息子を「勘当する」と宣言し、数年間は絶縁状態だったが、孫の十和子が生まれるとわだかまりは残るものの多少和解した。
十和子の父親は「母親との確執は子どもには関係のないことだから」と、夏休みになると数日間だけ十和子を祖母の家に泊まらせた。
十和子が初めて安曇あづみ家を訪れたのは、中学一年生の夏だった。
一人で心細かった時、気を利かせた祖父が「年が近いから打ち解けやすいだろう」と将臣を紹介した。
将臣は十和子の5歳年上で、当時は高校2年生だった。
彼は婿入りした祖父の姪の息子で、十和子とは再従兄に当たる。
安曇家唯一の直系男児で跡取りだった十和子の父親が家を出たことで、彼が旅館を継ぐ話が浮上したのだ。
中学卒業のタイミングで祖父母と養子縁組し、親元を離れて祖父母の家で暮らしながら学業と旅館の仕事とを両立していた。
現在は祖父は介護施設に、祖母は高齢を理由に隠居して、彼が社長に就任して経営を一任されているという。

十和子は大学に入学した年以降、一度も旅館へ遊びに行かなかった。
その頃父親が病に倒れ、その間に母親の不倫が原因で両親は離婚。
母親が家を出て行ってしまい、必然的に十和子が父親の看病をすることになり余裕がなかったのだ。
父親は数年前に他界したが、遺言で「葬儀はしないでくれ」と言われていたため、十和子だけでお寺で弔いをした。
安曇家とは縁を切っているから「実家には伝えるな」と言われていたが、訃報と遺言のことは手紙で伝えていた。


「疎遠になっていたとはいえ、結婚した時くらい連絡くれてもよかったのに」
「ごめんなさい…籍を入れただけだったからタイミングが…」
「式を挙げてないのか?」
「うん…まだ…。お腹にこの子がいて、体調も良くなかったから…」


籍を入れたのは妊娠4ヶ月に入ろうかというところで、既につわりが始まっていた。


「今更だけど結婚と出産おめでとう」
「あ、ありがとう…。将臣くんは?結婚しているの?」
「そのことなんだが、十和子。離婚してくれ」
「え?」


十和子は一瞬何を言われたのかわからなかった。


「そして俺と結婚しよう。その子を将来安曇家の跡取りにする。それがお祖母様の遺言だ」


しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(6件)

wasabi
2024.10.06 wasabi

続きお待ちしてます☺️

解除
ぷりん
2024.05.08 ぷりん

渡りに船……みたいな展開になってきたな。
十和子の子どもを安曇の後継にするだけなら、別に離婚しなくてもとも思うけど。

後継うんぬんはともかく、無神経な夫と不倫女にはきっちり制裁がありますように。
大切なものを失くしてから気づいたって遅いんだ。
気づいたのに、それでも妻の留守に不倫女を家に上げてるし。アウト。アウト。

タイトル通り(熨斗つけて)不倫女に差し上げるわ。

解除
yoshimi
2024.05.08 yoshimi

このあとの展開が楽しみです。

解除

あなたにおすすめの小説

(完結)親友の未亡人がそれほど大事ですか?

青空一夏
恋愛
「お願いだよ。リーズ。わたしはあなただけを愛すると誓う。これほど君を愛しているのはわたしだけだ」  婚約者がいる私に何度も言い寄ってきたジャンはルース伯爵家の4男だ。 私には家族ぐるみでお付き合いしている婚約者エルガー・バロワ様がいる。彼はバロワ侯爵家の三男だ。私の両親はエルガー様をとても気に入っていた。優秀で冷静沈着、理想的なお婿さんになってくれるはずだった。  けれどエルガー様が女性と抱き合っているところを目撃して以来、私はジャンと仲良くなっていき婚約解消を両親にお願いしたのだった。その後、ジャンと結婚したが彼は・・・・・・ ※この世界では女性は爵位が継げない。跡継ぎ娘と結婚しても婿となっただけでは当主にはなれない。婿養子になって始めて当主の立場と爵位継承権や財産相続権が与えられる。西洋の史実には全く基づいておりません。独自の異世界のお話しです。 ※現代的言葉遣いあり。現代的機器や商品など出てくる可能性あり。

この恋に終止符(ピリオド)を

キムラましゅろう
恋愛
好きだから終わりにする。 好きだからサヨナラだ。 彼の心に彼女がいるのを知っていても、どうしても側にいたくて見て見ぬふりをしてきた。 だけど……そろそろ潮時かな。 彼の大切なあの人がフリーになったのを知り、 わたしはこの恋に終止符(ピリオド)をうつ事を決めた。 重度の誤字脱字病患者の書くお話です。 誤字脱字にぶつかる度にご自身で「こうかな?」と脳内変換して頂く恐れがあります。予めご了承くださいませ。 完全ご都合主義、ノーリアリティノークオリティのお話です。 菩薩の如く広いお心でお読みくださいませ。 そして作者はモトサヤハピエン主義です。 そこのところもご理解頂き、合わないなと思われましたら回れ右をお勧めいたします。 小説家になろうさんでも投稿します。

もういいです、離婚しましょう。

杉本凪咲
恋愛
愛する夫は、私ではない女性を抱いていた。 どうやら二人は半年前から関係を結んでいるらしい。 夫に愛想が尽きた私は離婚を告げる。

コミカライズ原作 わたしは知っている

キムラましゅろう
恋愛
わたしは知っている。 夫にわたしより大切に想っている人がいる事を。 だってわたしは見てしまったから。 夫が昔から想っているあの人と抱きしめ合っているところを。 だからわたしは 一日も早く、夫を解放してあげなければならない。 数話で完結予定の短い話です。 設定等、細かな事は考えていないゆる設定です。 性的描写はないですが、それを連想させる表現やワードは出てきます。 妊娠、出産に関わるワードと表現も出てきます。要注意です。 苦手な方はご遠慮くださいませ。 小説家になろうさんの方でも投稿しております。

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

【完】愛していますよ。だから幸せになってくださいね!

さこの
恋愛
「僕の事愛してる?」 「はい、愛しています」 「ごめん。僕は……婚約が決まりそうなんだ、何度も何度も説得しようと試みたけれど、本当にごめん」 「はい。その件はお聞きしました。どうかお幸せになってください」 「え……?」 「さようなら、どうかお元気で」  愛しているから身を引きます。 *全22話【執筆済み】です( .ˬ.)" ホットランキング入りありがとうございます 2021/09/12 ※頂いた感想欄にはネタバレが含まれていますので、ご覧の際にはお気をつけください! 2021/09/20  

嘘つきな婚約者を愛する方法

キムラましゅろう
恋愛
わたしの婚約者は嘘つきです。 本当はわたしの事を愛していないのに愛していると囁きます。 でもわたしは平気。だってそんな彼を愛する方法を知っているから。 それはね、わたしが彼の分まで愛して愛して愛しまくる事!! だって昔から大好きなんだもん! 諦めていた初恋をなんとか叶えようとするヒロインが奮闘する物語です。 いつもながらの完全ご都合主義。 ノーリアリティノークオリティなお話です。 誤字脱字も大変多く、ご自身の脳内で「多分こうだろう」と変換して頂きながら読む事になると神のお告げが出ている作品です。 菩薩の如く広いお心でお読みくださいませ。 作者はモトサヤハピエン至上主義者です。 何がなんでもモトサヤハピエンに持って行く作風となります。 あ、合わないなと思われた方は回れ右をお勧めいたします。 ※性別に関わるセンシティブな内容があります。地雷の方は全力で回れ右をお願い申し上げます。 小説家になろうさんでも投稿します。

完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。

音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。 だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。 そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。 そこには匿われていた美少年が棲んでいて……

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。