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第1章

人の気も知らないで

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酔ったゲイルと友達の一線を越えた翌日、肩を落として去っていく彼の後ろ姿を見送ったメイリスは溜息を吐いた。
いくら泥酔していたとはいえ、あんなことをしたのに全く記憶に残っていないとは思わなかった。
メイリスはゲイルからのキスを受け入れた。
彼のことを異性としてキスがしたい相手なのだと認めてしまった。
その瞬間、彼女の世界は変わった。
ゲイルの声を聞けば胸がときめくようになり、顔を見れば愛おしさが込み上げて抑えきれなくなってしまった。
心の奥底で鍵をかけて仕舞っておいた感情の蓋が抉じ開けられて、本人の意思とは関係なくどんどん中身が曝け出されてしまう。
メイリスはもうゲイルと今までのような関係を続けていくことはできないと確信した。
一旦距離を置き、ゲイルへの気持ちをしっかり精算できたら、以前のような友達関係を再開しようと決める。
そのために「もう家に来るな」と突き放すことは必要なことだった。
察しの良い彼の性格からして、あれ程はっきりと拒絶を示せばきっとしばらくは様子を伺って連絡もして来ないだろう。
そう思って安心していたのだが、メイリスの予想は外れた。
まるで出鼻を挫かんとするように、翌日ゲイルが電話をかけてきたのだ。
電話に出るか出ないかさえ迷うメイリスの苦悩になど気付き様のない彼は、何の気なしに食事に誘って彼女の決心に揺さぶりをかけてくる。
会わないほうがいいとは思いつつも、メイリスはOKしてしまった。
昨日の消沈したゲイルの顔が思い起こされて、断り切れなかったのだ。
さすがにその日の夜は急だったので別日にしてもらったが、約束を守ってこうしてのこのこ来てしまう意志の弱さに自分自身で呆れていた。

指定された店に到着すると、そこはお洒落なカフェバーだった。
先に中で待っていたゲイルにメイリスはジト目を向けた。

「お酒はしばらく控えるって言ってなかった?」
「今日は俺じゃなくて、お前が飲むんだよ。明日は祝日で休みだろ?俺は仕事だからさ」
「じゃあどうしてこんなお店にしたのよ?」
「ここ、雰囲気がいいだろ。みんな酒入ってるから周りのことなんて気にしないし。お前と落ち着いて話せると思って」

ゲイルの言う通り、ここは看板のネオンからは想像できないシックな雰囲気の店だった。
店内はウォルナットカラーで統一されていて、照明は明るすぎず暗すぎずのペンダントライト。
ソファ席は柔らかく、ジャズ調の音楽は会話を邪魔しない絶妙な音量だった。
初めて来る場所なのにとても居心地が良い。
ゲイルは何度か来たことがある口ぶりだったが、ここは友達とわいわいはしゃぐような店ではない。
きっと女の子を連れてきていたんだろうなと、カップル比率の多い客席を見回しながら思った。
ゲイルは子どもの頃こそ女の子みたいな体躯をしていたが、エレメンタルスクールに入学して3年経った頃から急激に男らしく成長して背もぐんと伸びた。
ゲイルは部活動でスポーツもしていたので、自然と彼の周りには女性が集まるようになり、恋人も尽きなかった。
今はフリーのようだが、通算して恋人がいない期間の方がいた期間よりも短いのではないかと思う。
そんなことを考えているうちに、メイリスは無性にむしゃくしゃしてきた。

「俺のことは気にせず飲めよ。この前のお詫びに今日は奢るからさ」
「…それじゃあお言葉に甘えようかしら。すみません、このお店で一番高いお酒ください」
「お前絶対俺に恨みあるだろ…」
「こういう注文してみたかったのよ」
「俺より給料いいくせに!」

ゲイルは半泣きになって文句を言ったが、ダメとは言わなかった。
そこから彼の潔ぎ良さが伺えて、メイリスは少し溜飲を下げた。
1本8,000ベルもする赤ワインをグラスに注いでもらって乾杯する。
彼は宣言通りにノンアルコールカクテルやソフトドリンクを選んで飲んでいた。
いつものように日常の些細な話をしているうちに、高価なワインを1人で空にしてしまった。
メイリスは酒に強い方で滅多に酔うことはないが、今日は心なしかぽかぽかとして少し暑い。

「もう飲んだのか?いつもよりペース早いんじゃないか?」
「そうかしら…でも、大丈夫よ」
「酒強すぎ。なんか自信なくすな…。俺がお前に敵うものが一個もない気がしてきた」
「そう?」
「そうだよ。酒は強いし、勉強はできるし、同じ公務員でもお前の方が給料いいし、あんまり動じないし、決断力もあるし…俺より男らしいよ」
「褒められるのは嬉しいけど、最後のは余計ね」
「なんだよ、素直だな。褒められて嬉しいなんて」

可笑しそうに笑ったゲイルは、ふと表情を変えた。
前触れもなく真剣な目で見つめられてドキリとしてしまう。
否が応にも頬が紅潮していくのがわかったが、店の中が薄暗いおかげでバレてはいないようだった。
しかしドクドクと暴れ始めた心臓の音は隠しようもなく、彼にまで聞こえてしまわないかと冷汗を握る。
メイリスは彼がこれから何を言おうとしているのか予測できずに身構えた。

「なあ…俺お前に聞きたいことがあるんだけど…」
「なに?」
「お前さ、ブレインと――」
「ゲイル?ゲイルだよね?」

話の途中で突然酔った女性が近づいてきて、ゲイルに声をかけてきた。
後ろから肩を叩かれた彼は振り返って驚いた顔をしている。

「…ニア?」
「やっぱりそうだ!久しぶりだね!元気にしてた?」
「まあ、それなりに。ニアも元気そうだな」
「うん。あっ…もしかして、今の彼女?」
「いいや、こいつは友達。前に話したことあるだろ」
「あ、ああー!覚えてる。メイリスさんだっけ?こんばんは!はじめまして」

初対面の女性から弾けるような笑顔を向けられたメイリスは、彼女の明るさに圧倒されてしまい、会釈を返すだけで精いっぱいだった。
そんなメイリスの反応には気にも留めず、ニアと呼ばれた女性は当然のようにゲイルの隣の席に座って彼の左腕に触れた。

「おいニア、勝手に座るなよ」
「まあいいじゃない!久しぶりに会えたんだし。3人で話そうよ」
「…っとに強引だな。メイス、すぐ追い払うから待ってて」
「追い払うってなによう!そんな言い方ないじゃない。3年ぶりの再会なのに。別れてから全然会えなくて気になってたんだよ?」
「あのな。他に好きな奴ができたからって一方的に連絡を絶ったのはお前だろ?」
「あはは、そうだったね!あの時はごめんね。悲しかった?少しは泣いてくれた?」
「どうだったかな。随分前のことだから忘れたよ」
「私は覚えてるよ。ゲイルったらあれから一度も連絡くれなかったんだからね!追いかけてくれるかなーってちょっとは期待してたのに」
「気持ちがなくなったのに引き留めたって仕方ないだろ」

彼女がゲイルの元恋人だということは話を聞いていればすぐにわかった。
それよりも彼が意外と去る者追わずな考え方をしていたのだと知ってショックだった。
もしこのまま計画通りに距離を置いたら、彼はメイリスとの関係もあっさり終わらせてしまうのだろうか。
そう思うとこれ以上彼の言葉を聞くのが怖くなって、彼女はわざと腕時計を見て時間を気にしているふりをした。

「私、帰るわね」
「え?!待てよ、なんで急に…」
「明日の朝、早い時間に荷物が届くの忘れてたの。そろそろ帰らないと起きられなくなりそうだから」
「それなら俺も一緒に出るよ」
「えー?!ゲイルもう帰っちゃうの?久しぶりなんだし、もっと話しようよ」
「いや、俺は…」
「彼女もそう言っているし、あなたはもう少しゆっくりしていったら?料理も勿体ないし。私の分のお金はここに置いていくわね。あとはお二人で楽しんで」

鞄から財布を取り出し、十分に足りる金額の紙幣をテーブルの上に置いて席を立った。

「待てよメイス…!」

ゲイルが引き留めようと手を伸ばしてきたが、メイリスはひらりと躱して店を出た。
彼への恋心をはっきりと自覚してしまった今は、他の女の子と仲良くしているところを見るのも苦しくなってしまう。
メイリスはこれ以上平気なふりはできないと思った。
こんな状態では、ゲイルの望むような友達付き合いはとても続けられない。
それならこの関係を早めに終わらせてしまった方が、彼に無駄な期待をさせなくて済むし、自分自身にとっても良いような気がした。

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