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救われない結末

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ベンの必死の説得を黙って聞いていたシエルは、とても困惑していた。
レメディオス家の一員としても、ベンの幼馴染としても、セレンの友達としても。
何一つ、誰の役にも立てないと思っている自分に、ベンは「何もしなくていい」と言う。
「ただ生きているだけでみんなが幸せになる」のだと。
その言葉を素直に受け止めて歓喜する自分と、果たしてそうだろうかと猜疑する自分がいる。
ベンは本心からシエルの命を惜しんでいるのではなく、このまま消滅した後の罪悪感をなくす為に引き留めているだけにすぎないのではないか。

悪魔メディの体を乗っ取ったとはいえ、シエルの精神は少なからず悪魔の影響を受けていた。
体内から浄化魔法サンクティファイで穴を穿ちレイチェルを体外へ押し出した、その後。
シエルは叶うことのないベンへの恋情と劣等感、そして密かに抱えていた孤独感に目をつけられた。
メディは精神に語りかけてシエルの心の闇を暴き、融合すれば望んだ結末になると唆して膨大なシエルの魔力を体内に取り込もうとした。
ベンに話した通り、自分が犠牲になって悪魔と心中すればみんなを守れると思った彼女はメディの提案に同意した。
メディは喜々としてシエルを支配しようとしたが、彼女の意志の強さと圧倒的な魔力量によって捻じ伏せられ、反対に身体を乗っ取られてしまった。

『バカナ……!ワレガ…コンナ小娘ゴトキニ…!!』

断末魔の悲鳴を上げながら、メディの精神はシエルの魔力結晶の中へと吸収されていく。
悪魔の肉体の核となったシエルはその時、死の恐怖よりも深い心の安らぎに満たされていた。
このまま消滅してしまえば、もう魔法が上手く使えなくて思い悩むことも、恥さらしだと嗤われることもない。
何よりこれ以上ベンとレイチェルが仲睦まじく寄り添う姿を永遠に見なくてもよいのだと思うと、心がすっと軽くなった。

(みんなを守りたいからなんて建前。いい子ぶっているだけで、本当は私は自分勝手なの。傷つくのが怖いから逃げたいだけ。好きな人が他の誰かと幸せになっても愛せるなんて嘘。愛せそうにないから愛せる自分になりたいだけ。傷つくのが恐ろしいから目を背けているだけ。ずっと心を欺いたまま生きていくことなんてできない。私はただみんなが好ましく思う理想の女の子を演じていただけなの。きっと本性それを知ったらみんな離れていく。だってみんな、いい子の私が好きなんだもの)

シエルは魔力を放出してベンの身体を風圧で弾き飛ばした。
それが――彼女の出した答えだった。
ベンがまた余計なことを言う前に、決心を揺さぶられる前に、大きく羽根を広げて一気に飛躍した。
目指す先は地平線と空の果ての間にある灼熱の太陽。
頭の天辺から足の先まで塵一つなく燃え尽きれば、きっとずっと茨のように絡みついている薄幸感から解放されるに違いなかった。

「シエル!行くな!!シエル……!」

もう地上からずっと高いところまで来ているのに、ベンの悲痛に満ちた叫び声が追いかけて来る。
聞こえるはずのない幻聴に一瞬、頑なになっていた冷たい氷が溶けかけた。
けれどシエルはそのまま、思いを断ち切るように更にスピードを上げて、楽園の炎の中に飛び込んでいった―――。



悪魔となったシエルが空の彼方に消えて間もなく、セレンとデオの石化が解除された。
二人が元に戻ったことで悪魔が完全に消滅したことを悟る。
空に向かってシエルを呼び戻そうと叫んでいたベンはその場に崩折れるように膝をついた。
それから彼は警察隊が駆け付けるまで、誰の呼びかけにも応えずただただ呆然と悪魔が飛び去っていった方向を見つめていた。
老婆のようになってしまったレイチェルは現場から少し離れたところで顔色を失って地面にへたり込んでいるところを発見され、闇アイテムの所持と使用の容疑で連行された。
メディの腕輪ゴルゴネイオンによって奪われた魔力はベンがフレデリック副学長の元に転送したことで無事に持ち主の元に還された。
こうして半年以上続いていた魔力窃盗事件はたった一人の女子生徒の犠牲で収束し、レイチェルが全面的に容疑を認めたことによってあっさりと幕を下ろした。



その夜、レメディオス家のリビングは5年前のような沈痛な空気に満ちていた。

「うそだ!うそだあぁ!」

まだ6歳の幼いケヴィンが癇癪を起して泣き叫ぶ。
走って部屋を飛び出そうとした背中を抱きしめて止めたのはリアだった。
うわーんと感情任せに声を上げて泣く弟につられて、散々泣き腫らした目からまた涙が溢れ出してくる。
搾取された魔力結晶が悪魔と共に消滅したことで、シエルが目を覚ます可能性は無に等しくなった。
リアもエリックも、それを目の当たりにしていたベンですら未だ現実を受け止めきれずにいる。
それでも家族にはシエルのことを報告しなければならなかった。
いつか目覚めるはずだとその場凌ぎの嘘をついても、いずれは事実を話さなければならない時が来る。
期待すればしていた分だけ、望みがないと知った時の絶望感から立ち直ることが難しくなる。
気丈に話を聞いていたエミリも、弟の心に共鳴して堰を切ったように噦り上げた。
いつもは騒がしいくらいに元気いっぱいのエミリが、声も出さず、嗚咽を堪えるようにして泣いている。
顔を合わせれば憎まれ口を叩き合うリースも、そんなエミリを優しく抱きしめて肩を震わせた。
滅多に涙を見せない負けず嫌いの妹達の傍にエリックが寄り添い、その髪を優しく撫でる。

(シエルがいないなんて、想像したくもない…)

今朝と変わらない部屋の中に視線を這わせて、頭ではいないとわかっているのにシエルの姿を探してしまう。
一瞬ソファに座って穏やかな笑顔を浮かべている彼女の姿が目に飛び込んで、はっと目を見開く。
だがそれは幻で、エリックが見たいと望んだ記憶が呼び起こされたに過ぎなかった。
エリックは自嘲気味に笑って、顔を伏せた。
この家の父親役である自分が涙を流しているところなど、子ども達にも誰にも見られたくなかった。



お互いを慰め合いながら悲しみにふける家族の輪には入らず、ベンはただ一人シエルの部屋にいた。
自分の魔力によって呼吸を繰り返すだけになってしまった彼女の傍に腰を下ろし、柔らかくて白い手を握ったり撫でたりしながら、彼もまたその頬を濡らしている。
あの後、事件の当事者として事情聴取を受けたベンは、レイチェルから悪魔の体内で起こっていたことをすべて聞いた。
シエルは最後までベンがレイチェルを愛しているのだと信じ込んでいた。

(俺があの女を本気で愛していると思って、捨て身で助けようとしたんだな…悪魔にまでなって…。お前がこうなったのも全部俺のせいだ。あの夜にはっきり俺の気持ちを伝えていれば…お前が愛しいから抱いたんだって伝えていたら、あれが同情だったなんて思わせなかったのに…)

シエルに余計な心配をかけさせまいと、黙っていたのは間違いだった。
はじめから計画を全て説明していたなら、レイチェルとの関係を誤解させることも死を選ぶほど絶望させることもなかっただろう。
全てが終わった後でもちゃんと話せば、シエルなら・・・・・わかってくれるなんて考えは傲慢だった。
彼女を失ったのは、彼女の信頼を利用し彼女自身の心を蔑ろにしてきた罰だ。

(お前が好きだ、シエル……ずっと、どうしようもなく……)

眠り姫に手を伸ばして、その愛おしい顔を覗き込む。
ぽたぽたと落ちた雫がシエルの青白い頬を伝ってシーツに溶けて消えていく。

「愛してる…ずっと、愛している。シエル…」

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