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予定外のゲスト
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昨夜。
ベンはシエルの幻影のことをリアとエリックに報告していた。
そろそろ休もうかとキッチンでティーカップを片付けていた2人は、慌ただしくリビングに戻ってきたベンに驚いた顔をした。
『それは恐らく思念体と呼ばれるものだな…』
ベンの話を静かに聞いていたエリックは記憶をたぐり寄せながら呟いた。
思念体とは自分の精神を具現化して実体を作り出す魔法で、一定量の魔力を自分から切り離し遠隔操作する。
操作範囲に限りはなく、魔力さえ保てれば1人の人間として行動させることも可能だ。
コントロール力次第では姿形も自在に操れるので隠密にはうってつけの魔法だが、ある程度の魔力量と緻密な魔力コントロール力が求められる高難度魔法のため、使用できる魔術師はごく少数。
エリックも専ら文字で見たことがあるだけで、実際に思念体を作り出す魔術師にはほとんど出会ったことがなかった。
『魔力の具現化か…それも無意識下でやってのけるなんて、シエルには本当に驚かされるな…』
感心したように口元を緩ませたエリックに、リアは流石だわと誇らしげに微笑んだ。
その両目は涙で潤んでいたが、涙は零さなかった。
『これで目撃者がいなかったことの説明がつきます』
『でも目を見たら魔力を吸い取られるなんて、一体どんな魔法なのかしら…』
『目を見ることが魔法の発動条件とは限らないんじゃないか?』
ベンとリアはハッとした顔でエリックを見る。
『目に注目させて、別の何かから気を逸らせているだけの可能性もある』
『何か道具を使っているってこと…?』
『ああ。もしくは、魔法をかける動作、あるいは魔法陣…ってところか』
確かにある一点に意識が向いていると他のものは視界に入っていても気付かないことがある。
一理あるわね、とリアが呟き、ベンも納得したように頷いた。
『目を見ることはもちろん避けるべきだが、方法がわからない以上彼女の挙動すべてに警戒する必要があるな』
『そうね。セレンには明日の朝私から伝えるわ』
リアの言葉に、エリックは無言で頷く。
『シエルのおかげでかなり真相に近づけた。もうあまり時間はかけられないからな。次の機会で一気に片をつけるぞ』
**
昨夜の会話を思い出し、ベンは気を引き締めた。
どうやらエリックの予想は的中したようだ。
レイチェルの目を見ても、体に異常はないし何の魔力も感じられない。
恐らく何らかのアイテム、もしくは魔法によって、目を見ると金縛りにあうと錯覚させているだけなのだろう。
気になるのは彼女の右手首で光る金色の腕輪だ。
表面には文字のようなものが彫られているようだが、この距離では何と書いてあるのかまでは読み取れない。
「私からベンを奪おうとする奴らはみんな消えてしまえばいい!ベンは私だけのものよ!」
半狂乱に叫んだレイチェルは、右腕を上げてその腕輪を高々と掲げた。
すると彫られた文字が血のように赤く染まり、腕輪から剥がれるように浮き上がった。
赤い文字は光を放ちながらレイチェルの手首から指先に向かって螺旋状に連なり、その光を見たベン達はまるで金縛りにかかったように身動きが取れなくなってしまった。
文字は手のひらの上で一つ所に集まり、球体を成すと、次第に人の顔のようなものに形を変えていく。
ベンはその顔のようなシンボルに見覚えがあった。
所持禁止アイテムに指定された、いわゆる闇アイテムと呼ばれているものの中に似たようなものが描かれていた気がする。
「なんなのよ、あれは…!体がいうこときかないわ…!」
「見たところ魔除けの守の一つだな。恐らくメディの腕輪か…これで魔力を奪っていたんだな」
「メディって…メデューサのことよね? どこでこんなもの…」
「何言ってんだ? 魔力を奪うって? もしかしてレメを襲ったのって、あいつなのか?」
「もしかしなくても、その通りよ!やっと尻尾を出したんだから協力しなさい!…って、これ私たちも魔力吸われてるじゃない!」
セレンは悲鳴のような声を上げた。
腕輪の文字から現れた悪魔の口の中に、3人の体から流れ出る魔力のオーラが一定の速度で吸い込まれていく。
このまま何もしなければ、恐らく数分も経たない内に全ての魔力を吸い尽くされてしまうだろう。
「やべえだろそれ!どうすんだ?!」
慌て出すデオの顔には既に恐怖が浮かんでいる。
ベンは己の未熟さに苛立ちながらも、切り抜ける方法を探すためにレイチェルや腕輪の変化を観察する。
アイテムを魔法で壊すことは容易いが、そうするにはまずこの光を遮り金縛りを解かなければならない。
「ちょっと!私達はわかるけど、あんたの大好きなベンも苦しんでるわよ?!ベンが死んでもいいってわけ?!」
セレンが一か八かの勝負に出る。
レイチェルが怒り任せに魔法を発動しているのなら、この言葉で冷静さを取り戻してベンからの魔力搾取を止めると踏んだのだ。
それはかなり有効な作戦に思えたが、セレンの予想は外れた。
「これはお仕置きよ、ベン。これから私だけを大切にして、私だけのために生きると誓うならやめてあげる。誓わないのなら…魔力を抜いて私だけのために動く人形にしてあげる!!」
レイチェルは狂気に目をギラつかせながら高らかに宣言した。
ビリビリと肌に伝わる気迫と魔力に、セレンが泣きそうな顔で笑う。
「ダメだわ!駄々っ子のレベルが違う…」
「バカか、あんな挑発に引っかかんのは初等部のガキぐらいだぜ」
「じゃああんたがなんとかしてみなさいよ!一応A級なんでしょ?」
「一応は余計だっつーの!お前は知らねえかも知れねえけどな、俺は同期の中じゃ瞬唱のホープって言われてんだぞ?!」
「あんたがホープぅ? 瞬唱の…? 馬の間違いでしょ?」
「それはてめえだじゃじゃ馬!」
「やめろ2人共…」
両隣のかしましさに、ベンは盛大に溜め息を吐いた。
よくこの状況で口喧嘩ができるなと嫌味の一つでも言ってやりたい気もしたが、そんなわずかな時間も惜しいほど事態は緊迫していた。
生命力ともいえる魔力が減少すれば、当然体力も奪われていく。
平均以上の魔力量を持つベンも少し息が上がってきている。
だが未だに打開策を見いだせていない。
通常の魔法アイテムは使用者の能力によって効力が左右されることがあるが、闇のアイテムは例外で使い手を選ばない。
どのアイテムも絶大な威力を誇り、そしてその危険な魔法を簡単に発動できてしまう。
「はぁ…結構、つらくなってきた…かも…」
「大丈夫かよじゃじゃ馬…ってお前、まだB級だもんな…」
「うるさいわよホース…あんただって、キツそうじゃない…」
「ホープだってんだろ…、ちくしょ…このまま何にもできねえのかよ…っ」
抗えない力の前に、デオは背中を丸くして膝に手をついている。
セレンは既に地面に両手をついていて、苦しそうに荒い呼吸を繰り返している。
息が上がってきたとはいえまだ余裕のあるベンは、2人の姿を見て覚悟を決めるしかないと思った。
このまま手をこまねいていたのではただ無駄に魔力を吸い取られるだけだ。
2人とシエルを助けるには今この場でレイチェルの要求を呑む以外に選択肢がない。
彼女にそうすると言えばそれは誓約になり、その場凌ぎのハッタリにはできず一生破れぬ誓いとなる。
ふとその時、脳裏に悲しげなシエルの姿が過った。
(シエル…)
もし今、ベンがレイチェルと一生を共にすると決めたなら、どんな理由であれシエルは心に深い傷を負うだろう。
もしかするとその傷は癒えることがないかも知れない。
だがベンは彼女を癒せないし、慰めることもできない。
(シエル、俺は…)
シエルへの想いがベンの決断を鈍らせる。
ついにデオが膝をついた。
セレンは地面に横たわり、ぐったりとしている。
2人はただ幼い頃からの友人や同級生といった枠に留まる存在ではなく、ベンにとっても大切だと思える人達だ。
このままではまた自分の大切な人を守れずに終わってしまう。
今この場でレイチェルを止められるのは、自分しかいない。
どんなに苦しく望まない選択でも、守る為には受け入れなければならない。
レイチェルと付き合うことを決めた時から、ベンの未来もそこで決まってしまったのかも知れない。
シエルの為に、シエルの傍にいることを諦める未来。
目の前に用意された道の先に待っている世界を想像して、ベンは心の中で苦笑した。
(仕方ない…これも俺が選んできた道だ。ここで2人を見殺しにすることはできない。万が一俺だけが逃れたとして、シエルの魔力を取り戻せたとしても、2人が同じように無事とは限らない。もし2人に何かあればシエルも自分を責めるだろうしな…。シエルが大事にしているものは俺も大事にしたい。どんな形であれシエルを守るのが、俺の愛し方だ)
ベンは覚悟を決めて顔を上げた。
そしてレイチェルに、先程の発言の許しと生涯を捧げる誓いを立てようと口を開きかけた――その時。
魔力を吸い込んでいた悪魔がピタリと動きを止めた。
不審に思った次の瞬間、悪魔口が大きく開き、片手で収まらない程の大きな宝石のような塊が吐き出された。
それはベン達のいる方向へ弾丸のようにまっすぐに飛んでくる。
避けられない、と思い衝撃を覚悟したが、その宝石は何者かがコントロールしているかのようにベンの目の前で停止した。
空中にふわふわと留まり、次第に光を放って形を変えていく。
その輝きの強さに、ベンだけでなく悪魔を操っていたレイチェルまでもが耐え切れずに目を閉じた。
光が収束したのを気配で感じ取った彼らが恐る恐る相貌を開いてみれば、宝石は人の姿に形を変えていた。
その姿はヴェイルストーンの生徒で、濃緑のローブを身に纏い、焦茶色のショートブーツを履いていた。
ベンとセレン、デオに背を向け、レイチェルの前に立ちはだかるように背筋を伸ばしている。
女子生徒の顔を見たレイチェルは、驚愕に目を見開いた。
「あなた…どうして?!」
悲鳴に近いその声は、得たいの知れないものを前にした恐怖で掠れていた。
「昨日、魔力をすべて奪ったはずよ!!なのになぜそこに立っているの?!」
レイチェルが喚く声を聞きながら、3人も有り得ない光景に瞠目する。
背中を向けているので顔は見えないが、風に揺れている少し癖のある長い髪には見覚えがあった。
まさか――と、誰もが思った。
彼女は今昏睡状態で、リアとエリックの2重結界が張られた自宅の部屋で、ベンの魔力ドームに包まれたベッドの上で眠っているはずだった。
それが突然目の前に現れると、一体誰が想像しただろうか。
そんな彼らの動揺に気付いているのかいないのか、それはごく自然な所作で振り返った。
彼らが想い描いた人物の顔と、振り返った生徒の顔が一致する。
「みんな、無事?」
悪魔が吐き出した宝石の正体――シエルは、いつものふんわりとした優しい声で彼らに笑いかけた。
ベンはシエルの幻影のことをリアとエリックに報告していた。
そろそろ休もうかとキッチンでティーカップを片付けていた2人は、慌ただしくリビングに戻ってきたベンに驚いた顔をした。
『それは恐らく思念体と呼ばれるものだな…』
ベンの話を静かに聞いていたエリックは記憶をたぐり寄せながら呟いた。
思念体とは自分の精神を具現化して実体を作り出す魔法で、一定量の魔力を自分から切り離し遠隔操作する。
操作範囲に限りはなく、魔力さえ保てれば1人の人間として行動させることも可能だ。
コントロール力次第では姿形も自在に操れるので隠密にはうってつけの魔法だが、ある程度の魔力量と緻密な魔力コントロール力が求められる高難度魔法のため、使用できる魔術師はごく少数。
エリックも専ら文字で見たことがあるだけで、実際に思念体を作り出す魔術師にはほとんど出会ったことがなかった。
『魔力の具現化か…それも無意識下でやってのけるなんて、シエルには本当に驚かされるな…』
感心したように口元を緩ませたエリックに、リアは流石だわと誇らしげに微笑んだ。
その両目は涙で潤んでいたが、涙は零さなかった。
『これで目撃者がいなかったことの説明がつきます』
『でも目を見たら魔力を吸い取られるなんて、一体どんな魔法なのかしら…』
『目を見ることが魔法の発動条件とは限らないんじゃないか?』
ベンとリアはハッとした顔でエリックを見る。
『目に注目させて、別の何かから気を逸らせているだけの可能性もある』
『何か道具を使っているってこと…?』
『ああ。もしくは、魔法をかける動作、あるいは魔法陣…ってところか』
確かにある一点に意識が向いていると他のものは視界に入っていても気付かないことがある。
一理あるわね、とリアが呟き、ベンも納得したように頷いた。
『目を見ることはもちろん避けるべきだが、方法がわからない以上彼女の挙動すべてに警戒する必要があるな』
『そうね。セレンには明日の朝私から伝えるわ』
リアの言葉に、エリックは無言で頷く。
『シエルのおかげでかなり真相に近づけた。もうあまり時間はかけられないからな。次の機会で一気に片をつけるぞ』
**
昨夜の会話を思い出し、ベンは気を引き締めた。
どうやらエリックの予想は的中したようだ。
レイチェルの目を見ても、体に異常はないし何の魔力も感じられない。
恐らく何らかのアイテム、もしくは魔法によって、目を見ると金縛りにあうと錯覚させているだけなのだろう。
気になるのは彼女の右手首で光る金色の腕輪だ。
表面には文字のようなものが彫られているようだが、この距離では何と書いてあるのかまでは読み取れない。
「私からベンを奪おうとする奴らはみんな消えてしまえばいい!ベンは私だけのものよ!」
半狂乱に叫んだレイチェルは、右腕を上げてその腕輪を高々と掲げた。
すると彫られた文字が血のように赤く染まり、腕輪から剥がれるように浮き上がった。
赤い文字は光を放ちながらレイチェルの手首から指先に向かって螺旋状に連なり、その光を見たベン達はまるで金縛りにかかったように身動きが取れなくなってしまった。
文字は手のひらの上で一つ所に集まり、球体を成すと、次第に人の顔のようなものに形を変えていく。
ベンはその顔のようなシンボルに見覚えがあった。
所持禁止アイテムに指定された、いわゆる闇アイテムと呼ばれているものの中に似たようなものが描かれていた気がする。
「なんなのよ、あれは…!体がいうこときかないわ…!」
「見たところ魔除けの守の一つだな。恐らくメディの腕輪か…これで魔力を奪っていたんだな」
「メディって…メデューサのことよね? どこでこんなもの…」
「何言ってんだ? 魔力を奪うって? もしかしてレメを襲ったのって、あいつなのか?」
「もしかしなくても、その通りよ!やっと尻尾を出したんだから協力しなさい!…って、これ私たちも魔力吸われてるじゃない!」
セレンは悲鳴のような声を上げた。
腕輪の文字から現れた悪魔の口の中に、3人の体から流れ出る魔力のオーラが一定の速度で吸い込まれていく。
このまま何もしなければ、恐らく数分も経たない内に全ての魔力を吸い尽くされてしまうだろう。
「やべえだろそれ!どうすんだ?!」
慌て出すデオの顔には既に恐怖が浮かんでいる。
ベンは己の未熟さに苛立ちながらも、切り抜ける方法を探すためにレイチェルや腕輪の変化を観察する。
アイテムを魔法で壊すことは容易いが、そうするにはまずこの光を遮り金縛りを解かなければならない。
「ちょっと!私達はわかるけど、あんたの大好きなベンも苦しんでるわよ?!ベンが死んでもいいってわけ?!」
セレンが一か八かの勝負に出る。
レイチェルが怒り任せに魔法を発動しているのなら、この言葉で冷静さを取り戻してベンからの魔力搾取を止めると踏んだのだ。
それはかなり有効な作戦に思えたが、セレンの予想は外れた。
「これはお仕置きよ、ベン。これから私だけを大切にして、私だけのために生きると誓うならやめてあげる。誓わないのなら…魔力を抜いて私だけのために動く人形にしてあげる!!」
レイチェルは狂気に目をギラつかせながら高らかに宣言した。
ビリビリと肌に伝わる気迫と魔力に、セレンが泣きそうな顔で笑う。
「ダメだわ!駄々っ子のレベルが違う…」
「バカか、あんな挑発に引っかかんのは初等部のガキぐらいだぜ」
「じゃああんたがなんとかしてみなさいよ!一応A級なんでしょ?」
「一応は余計だっつーの!お前は知らねえかも知れねえけどな、俺は同期の中じゃ瞬唱のホープって言われてんだぞ?!」
「あんたがホープぅ? 瞬唱の…? 馬の間違いでしょ?」
「それはてめえだじゃじゃ馬!」
「やめろ2人共…」
両隣のかしましさに、ベンは盛大に溜め息を吐いた。
よくこの状況で口喧嘩ができるなと嫌味の一つでも言ってやりたい気もしたが、そんなわずかな時間も惜しいほど事態は緊迫していた。
生命力ともいえる魔力が減少すれば、当然体力も奪われていく。
平均以上の魔力量を持つベンも少し息が上がってきている。
だが未だに打開策を見いだせていない。
通常の魔法アイテムは使用者の能力によって効力が左右されることがあるが、闇のアイテムは例外で使い手を選ばない。
どのアイテムも絶大な威力を誇り、そしてその危険な魔法を簡単に発動できてしまう。
「はぁ…結構、つらくなってきた…かも…」
「大丈夫かよじゃじゃ馬…ってお前、まだB級だもんな…」
「うるさいわよホース…あんただって、キツそうじゃない…」
「ホープだってんだろ…、ちくしょ…このまま何にもできねえのかよ…っ」
抗えない力の前に、デオは背中を丸くして膝に手をついている。
セレンは既に地面に両手をついていて、苦しそうに荒い呼吸を繰り返している。
息が上がってきたとはいえまだ余裕のあるベンは、2人の姿を見て覚悟を決めるしかないと思った。
このまま手をこまねいていたのではただ無駄に魔力を吸い取られるだけだ。
2人とシエルを助けるには今この場でレイチェルの要求を呑む以外に選択肢がない。
彼女にそうすると言えばそれは誓約になり、その場凌ぎのハッタリにはできず一生破れぬ誓いとなる。
ふとその時、脳裏に悲しげなシエルの姿が過った。
(シエル…)
もし今、ベンがレイチェルと一生を共にすると決めたなら、どんな理由であれシエルは心に深い傷を負うだろう。
もしかするとその傷は癒えることがないかも知れない。
だがベンは彼女を癒せないし、慰めることもできない。
(シエル、俺は…)
シエルへの想いがベンの決断を鈍らせる。
ついにデオが膝をついた。
セレンは地面に横たわり、ぐったりとしている。
2人はただ幼い頃からの友人や同級生といった枠に留まる存在ではなく、ベンにとっても大切だと思える人達だ。
このままではまた自分の大切な人を守れずに終わってしまう。
今この場でレイチェルを止められるのは、自分しかいない。
どんなに苦しく望まない選択でも、守る為には受け入れなければならない。
レイチェルと付き合うことを決めた時から、ベンの未来もそこで決まってしまったのかも知れない。
シエルの為に、シエルの傍にいることを諦める未来。
目の前に用意された道の先に待っている世界を想像して、ベンは心の中で苦笑した。
(仕方ない…これも俺が選んできた道だ。ここで2人を見殺しにすることはできない。万が一俺だけが逃れたとして、シエルの魔力を取り戻せたとしても、2人が同じように無事とは限らない。もし2人に何かあればシエルも自分を責めるだろうしな…。シエルが大事にしているものは俺も大事にしたい。どんな形であれシエルを守るのが、俺の愛し方だ)
ベンは覚悟を決めて顔を上げた。
そしてレイチェルに、先程の発言の許しと生涯を捧げる誓いを立てようと口を開きかけた――その時。
魔力を吸い込んでいた悪魔がピタリと動きを止めた。
不審に思った次の瞬間、悪魔口が大きく開き、片手で収まらない程の大きな宝石のような塊が吐き出された。
それはベン達のいる方向へ弾丸のようにまっすぐに飛んでくる。
避けられない、と思い衝撃を覚悟したが、その宝石は何者かがコントロールしているかのようにベンの目の前で停止した。
空中にふわふわと留まり、次第に光を放って形を変えていく。
その輝きの強さに、ベンだけでなく悪魔を操っていたレイチェルまでもが耐え切れずに目を閉じた。
光が収束したのを気配で感じ取った彼らが恐る恐る相貌を開いてみれば、宝石は人の姿に形を変えていた。
その姿はヴェイルストーンの生徒で、濃緑のローブを身に纏い、焦茶色のショートブーツを履いていた。
ベンとセレン、デオに背を向け、レイチェルの前に立ちはだかるように背筋を伸ばしている。
女子生徒の顔を見たレイチェルは、驚愕に目を見開いた。
「あなた…どうして?!」
悲鳴に近いその声は、得たいの知れないものを前にした恐怖で掠れていた。
「昨日、魔力をすべて奪ったはずよ!!なのになぜそこに立っているの?!」
レイチェルが喚く声を聞きながら、3人も有り得ない光景に瞠目する。
背中を向けているので顔は見えないが、風に揺れている少し癖のある長い髪には見覚えがあった。
まさか――と、誰もが思った。
彼女は今昏睡状態で、リアとエリックの2重結界が張られた自宅の部屋で、ベンの魔力ドームに包まれたベッドの上で眠っているはずだった。
それが突然目の前に現れると、一体誰が想像しただろうか。
そんな彼らの動揺に気付いているのかいないのか、それはごく自然な所作で振り返った。
彼らが想い描いた人物の顔と、振り返った生徒の顔が一致する。
「みんな、無事?」
悪魔が吐き出した宝石の正体――シエルは、いつものふんわりとした優しい声で彼らに笑いかけた。
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