上 下
3 / 41

失恋

しおりを挟む
それから数日経ったある日、シエルにとってショッキングな噂が学院内に流れはじめた。
才色兼備で名の知れたA級魔術クラスのレイチェル・ティーンと、学院の三美男と呼ばれるうちの一人で、これまた魔力量も成績も優秀なベン・エイバスが男女の交際を始めたというのだ。
幼馴染みのベンに少なからず好意を抱いていたシエルは、長年抱き続けたその淡い想いが呆気なく崩れ落ちていくような心地がした。

「元気出しなさいよ、シエル。何もレイチェルとベンが結婚するってわけじゃないんだから。まだまだチャンスはあるわよ」

シエルの気持ちを知っているセレンが、浮かない顔をしている彼女の背中を軽く叩いて励ました。
セレンの気持ちは嬉しかったが、自分に何一つ自信が持てないシエルにはこれから先自分とベンがどうにかなるとは全く思えなかった。
ベンの彼女になったというレイチェルのことは何度か顔を見たことがある。
ふわふわとした長い金色の髪、透けるように白い肌、同性が羨むようなスラリとした足に凹凸のある体躯。
実力のある者が持つ自信に満ち溢れたオーラと、意志の強そうなグリーンの瞳。
彼女のような魅力のある美女にはそうそうお目にかかれない。
姉のリアも世間では美人で通っているが、レイチェルは素朴な姉とはまたタイプの違う妖艶な女性だった。
シエルは彼女が持っているものを何一つ持っていない。
魔法が上手なわけでも、顔が美しいわけでもない。
胸は少しばかり大きく成長したが彼女には及ばない。
容姿にもこれといった特徴がなく平均的で、人を惹きつけるオーラもない。
彼女がベンの理想の女性なのだとしたら、どうがんばっても勝ち目はない。
ベンを愛しく思うと同時に魔法のことで劣等感を抱いていた彼女は、心の中で膨らませていた諦めの気持ちを大きくした。
思い返せばはじめから実らないと決めていた恋だったのかも知れない。
仕方ない…と心の中で呟いて、シエルは優しい友達に微笑みかけた。

「ありがとう、セレン。でも、もういいの」

もういいのと言いながらも泣いているような親友の笑顔に、セレンの胸は切なさにきゅうと締め付けられた。

「諦めないの!あんたなら大丈夫よ。自信持って!」

だがセレンの思いは虚しく、どんなに励ましてもシエルは首を横に振るばかりだった。
口先だけの慰めでもお世辞でもないのに、上手く伝わらないもどかしさに苛立ってしまう。
シエルは彼女自身に自覚がないだけで十二分に魅力的な女の子だった。
本人は平均的だと思っているが、レメディオス家は美形の血筋だ。
彼女はそれを色濃く受け継いでいるし、体はまだまだ成長途中だが女性らしさもあり、レイチェルのように化粧をしなくても素朴な美しさがある。
それに彼女は何気ない仕草や声がとても可愛らしい。
同性のセレンでも度々守ってあげたいという保守的衝動に駆られる。

(自分の魅力に気がついていないのよね…。まあ、それがシエルらしいんだけど)

納得のいかない表情を浮かべながら、セレンは心の中でひとりごちた。
だからこそ男子生徒から狙われやすい彼女を自分が守らなければ、とひとり使命感を燃やす。

「そういえば…カネルは大丈夫かな?」

思案顔で何か考えはじめたと思っていたら、シエルがとんでもないことを言い出した。
セレンにとってはどうでもよすぎる人間の名前が出てきて、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

「ハア~?!カネル?」
「うん。だって、カネルはベンのこと好きだって言ってたし…」
「あんなヤツの心配なんてする必要ないでしょ。この前なに言われたか忘れたの?」

呆れた顔でそう言うと、シエルは至って真剣な目で見上げてくる。

「だって…私よりカネルの方がショックだと思って。相手がレイチェルさんだから尚更…」
「どんだけお人好しなのよあんたは…」

顔全体で理解し難い気持ちを表すも、シエルは苦笑いを浮かべただけだった。
どんな相手にかかわらず他人を思いやれるのも彼女の良いところなのだが、時々優等生すぎて心配になってくる。
きっとカネルに言われた言葉は心の傷ごと呑み込んでしまったのだろう。
そう思うと胸が苦しくなるが、今の自分に彼女の考えを改めさせられる気がしない。

少し頑固なところのあるシエルは、セレンが止めるのも聞かずにカネルに声をかけにいってしまう。
カネル・バクスターの席は教室の廊下側の一番前だ。
傍まで行って名前を呼ぶと、彼は突っ伏していた頭をゆっくりと持ち上げた。
シエルを視界に入れた途端に不愉快そうに表情を歪ませる。

「なんだよ…何か用かよ?」

微塵の好意も感じられない眼差しで射抜かれて、シエルは少しだけ怯んだ。
それでも目的のために勇気を出して言葉をかける。

「あの…大丈夫?落ち込んでない…?」
「ハァ?何がだよ?」
「だから、その…ベンのことで……」

シエルの言いたいことをようやく察した彼は、何故か更に機嫌を急降下させた。
ガン!と乱暴に机を蹴って、驚くシエルを睨みつけたまま怒気を滲ませて凄む。

「フリしてんなよ、イイコチャンが。お前に心配される筋合いはねーんだよ。俺がこんなことで落ち込むと思うのか?落ちこぼれのお前と一緒にすんな」
「あ……」

怒らせてしまうと思わなかったシエルはひどく悲しい気持ちになった。
それでも傷ついた心情を悟られまいとすぐに笑顔をつくって見せる。

「そっか。それならいいんだ。ごめんね、カネル」

シエルの謝罪を無視して、カネルは再び机の上に突っ伏した。
「これ以上話しかけて来るな」と雰囲気が語っている。
その様子を見ていたセレンは、シエルの代わりにその顔面を殴りたくなった。
それが心配して声をかけてくれたクラスメイトに言う言葉か、と。
だが肝心のシエルがそれを望んでいないのに、出しゃばるわけにはいかない。
湧き上がる感情をぐっと押し堪えて、セレンは殺意を込めた視線をぶつけるだけに留めた。



「ホント、信じらんねえよな。ベンがあのレイチェルと付き合うなんてよ…」

卑猥な声が溢れる室内で、1人の男子生徒が画面を舐めるように見つめながら独り言のように言った。
この部屋にいる生徒達はある1人を除いて全員、先ほどから激しく体を揺さぶられて喘ぎ声を上げている女性の姿を熱心に見つめていた。
部屋の隅で壁に背をもたれ、繰り広げられる男女の交わりに全く関心を見せずにひとり読書をしていたベンは、自分に話しかけられていると気づいても本から顔を上げずに言葉を返した。

「だからどうした」
「いや、別に深い意味はねーよ…。それよりお前、見ねーの?」

どこか不機嫌そうな声色が気になって後ろを振り返ると、顔色一つ変えない友達の姿に伺うような視線を向ける。
彼は意に介した様子もなく、娯楽の場には相応しくない魔導書のページをめくった。

「何度も言っているが、興味ない」

はじめはむっつり助兵衛の抵抗だと疑っていた彼らも、この質問を繰り返すうちにそれがベンの本心であるとわかってきた。
やれやれと溜め息を吐いて画面に視線を戻した彼の他に、ベンに注目していた人物がいる。
先程までのやり取りを聞いて、ならばなぜという疑問が膨れ上がった。

「興味はないくせに、レイチェルとはしっかりヤってますってか?」

茶化すように声を上げた彼に、ベンはちらりと視線を向けただけで何も答えなかった。

「僻むなよ、デオ。しゃーねーじゃん、お前よりベンの方がいい男だし、レイチェルがお前よりベンを選んだんだから」
「うるせーよ。俺は納得できねーんだよ!」

デオと呼ばれた青年は、苛立ちのままに拳を床に叩きつけてベンに詰め寄る。

「おいベン。お前、他の奴が好きなんじゃなかったのか?」
「? どういう意味だよデオ」

意味深な台詞が気になって、AVに見入っていた数人がベンに注目した。

「俺はお前が、レメを好きなんだと思ってたけど」
「レメって誰だよ?レメディオスのレメか?」
「S級のリア・レメディオス?」

女性の官能的な声が響く中、ベンの本当の想い人について推理が始まる。
ベンはデオの怒ったような視線を受け止めてはいるものの、話すつもりがないのか沈黙を守っている。

「おいデオ、仕方ねえよ。いくら好きでもリア・レメディオスは高嶺の花すぎて、俺達には届きもしねえよ」

無言を肯定と結論付けた1人が、苦笑いを浮かべてデオを励ました。

「だよなあ。リアさんにはエリック・カスバートがいるしな。あの人に逆らったら、マジでどうなるかわからねえもん」
「ムリムリ、他の女に乗り換えて正解だよ」

アハハと笑い声を上げる中、無視されたデオは苛立ちを募らせてついにベンの胸倉を掴んだ。
予想だにしない緊迫した展開に周囲は息を呑む。

「どうなんだよ、ベン!」

デオが至近距離で怒鳴りつけると、ベンはようやく本からデオに目線を移した。
だが煩わしそうな視線を返しただけでやはり何も言おうとしない。
その態度がデオを更に逆上させた。

「無視してんなよ!レイチェルが好きなのかレメが好きなのか、どっちなんだって聞いてんだよ!!」
「……」
「…だからそのレメって誰だよ?」
「デオも俺達のこと無視してんだろ。お前らだけでわかるような会話をすんな!」

殴り合いになりかねない状況を見守っていた彼らも、堂々巡りのような展開についに不満の声を上げた。
デオが否定も肯定もないので、レメがリア・レメディオスだと確信が持てない。
もしリアであるならば、たとえ好きになっても恋人がいるのだから諦める他ない。
彼女を諦めきれず、代わりにレイチェルと付き合って溢れる欲を吐き出していると考えれば納得もできるのだが、どうにも腑に落ちない。
理想の妻タイプと言われているリアと、理想の彼女タイプのレイチェル。
どちらがベンの本命かなどとは聞かなくてもなんとなく想像はつきそうなのに、何故デオはそれに拘るのだろう。

「なんか、反応的にリアさんじゃないんじゃね?」
「でも彼女じゃないなら他にそんな名前の奴いたかあ?」
「もしかして…」
「おっ、誰か思い当たる奴いた?」
「レメディオスってさ、もう一人いるだろ。シエル・レメディオス」

囁くように挙げられた名前。
誰もが納得の声を上げそうになった時、その空気は1人の笑い声によって掻き消された。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

所詮は他人事と言われたので他人になります!婚約者も親友も見捨てることにした私は好きに生きます!

ユウ
恋愛
辺境伯爵令嬢のリーゼロッテは幼馴染と婚約者に悩まされてきた。 幼馴染で親友であるアグネスは侯爵令嬢であり王太子殿下の婚約者ということもあり幼少期から王命によりサポートを頼まれていた。 婚約者である伯爵家の令息は従妹であるアグネスを大事にするあまり、婚約者であるサリオンも優先するのはアグネスだった。 王太子妃になるアグネスを優先することを了承ていたし、大事な友人と婚約者を愛していたし、尊敬もしていた。 しかしその関係に亀裂が生じたのは一人の女子生徒によるものだった。 貴族でもない平民の少女が特待生としてに入り王太子殿下と懇意だったことでアグネスはきつく当たり、婚約者も同調したのだが、相手は平民の少女。 遠回しに二人を注意するも‥ 「所詮あなたは他人だもの!」 「部外者がしゃしゃりでるな!」 十年以上も尽くしてきた二人の心のない言葉に愛想を尽かしたのだ。 「所詮私は他人でしかないので本当の赤の他人になりましょう」 関係を断ったリーゼロッテは国を出て隣国で生きていくことを決めたのだが… 一方リーゼロッテが学園から姿を消したことで二人は王家からも責められ、孤立してしまうのだった。 なんとか学園に連れ戻そうと試みるのだが…

茶番には付き合っていられません

わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。 婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。 これではまるで私の方が邪魔者だ。 苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。 どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。 彼が何をしたいのかさっぱり分からない。 もうこんな茶番に付き合っていられない。 そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。

私のバラ色ではない人生

野村にれ
恋愛
ララシャ・ロアンスラー公爵令嬢は、クロンデール王国の王太子殿下の婚約者だった。 だが、隣国であるピデム王国の第二王子に見初められて、婚約が解消になってしまった。 そして、後任にされたのが妹であるソアリス・ロアンスラーである。 ソアリスは王太子妃になりたくもなければ、王太子妃にも相応しくないと自負していた。 だが、ロアンスラー公爵家としても責任を取らなければならず、 既に高位貴族の令嬢たちは婚約者がいたり、結婚している。 ソアリスは不本意ながらも嫁ぐことになってしまう。

私が産まれる前に消えた父親が、隣国の皇帝陛下だなんて聞いてない

丙 あかり
ファンタジー
 ハミルトン侯爵家のアリスはレノワール王国でも有数の優秀な魔法士で、王立学園卒業後には婚約者である王太子との結婚が決まっていた。  しかし、王立学園の卒業記念パーティーの日、アリスは王太子から婚約破棄を言い渡される。  王太子が寵愛する伯爵令嬢にアリスが嫌がらせをし、さらに魔法士としては禁忌である『魔法を使用した通貨偽造』という理由で。    身に覚えがないと言うアリスの言葉に王太子は耳を貸さず、国外追放を言い渡す。    翌日、アリスは実父を頼って隣国・グランディエ帝国へ出発。  パーティーでアリスを助けてくれた帝国の貴族・エリックも何故か同行することに。  祖父のハミルトン侯爵は爵位を返上して王都から姿を消した。  アリスを追い出せたと喜ぶ王太子だが、激怒した国王に吹っ飛ばされた。  「この馬鹿息子が!お前は帝国を敵にまわすつもりか!!」    一方、帝国で仰々しく迎えられて困惑するアリスは告げられるのだった。   「さあ、貴女のお父君ーー皇帝陛下のもとへお連れ致しますよ、お姫様」と。 ****** 週3日更新です。  

悪意か、善意か、破滅か

野村にれ
恋愛
婚約者が別の令嬢に恋をして、婚約を破棄されたエルム・フォンターナ伯爵令嬢。 婚約者とその想い人が自殺を図ったことで、美談とされて、 悪意に晒されたエルムと、家族も一緒に爵位を返上してアジェル王国を去った。 その後、アジェル王国では、徐々に異変が起こり始める。

婚約解消して次期辺境伯に嫁いでみた

cyaru
恋愛
一目惚れで婚約を申し込まれたキュレット伯爵家のソシャリー。 お相手はボラツク侯爵家の次期当主ケイン。眉目秀麗でこれまで数多くの縁談が女性側から持ち込まれてきたがケインは女性には興味がないようで18歳になっても婚約者は今までいなかった。 婚約をした時は良かったのだが、問題は1か月に起きた。 過去にボラツク侯爵家から放逐された侯爵の妹が亡くなった。放っておけばいいのに侯爵は簡素な葬儀も行ったのだが、亡くなった妹の娘が牧師と共にやってきた。若い頃の妹にそっくりな娘はロザリア。 ボラツク侯爵家はロザリアを引き取り面倒を見ることを決定した。 婚約の時にはなかったがロザリアが独り立ちできる状態までが期間。 明らかにソシャリーが嫁げば、ロザリアがもれなくついてくる。 「マジか…」ソシャリーは心から遠慮したいと願う。 そして婚約者同士の距離を縮め、お互いの考えを語り合う場が月に数回設けられるようになったが、全てにもれなくロザリアがついてくる。 茶会に観劇、誕生日の贈り物もロザリアに買ったものを譲ってあげると謎の善意を押し売り。夜会もケインがエスコートしダンスを踊るのはロザリア。 幾度となく抗議を受け、ケインは考えを改めると誓ってくれたが本当に考えを改めたのか。改めていれば婚約は継続、そうでなければ解消だがソシャリーも年齢的に次を決めておかないと家のお荷物になってしまう。 「こちらは嫁いでくれるならそれに越したことはない」と父が用意をしてくれたのは「自分の責任なので面倒を見ている子の数は35」という次期辺境伯だった?! ★↑例の如く恐ろしく省略してます。 ★9月14日投稿開始、完結は9月16日です。 ★コメントの返信は遅いです。 ★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません

戻る場所がなくなったようなので別人として生きます

しゃーりん
恋愛
医療院で目が覚めて、新聞を見ると自分が死んだ記事が載っていた。 子爵令嬢だったリアンヌは公爵令息ジョーダンから猛アプローチを受け、結婚していた。 しかし、結婚生活は幸せではなかった。嫌がらせを受ける日々。子供に会えない日々。 そしてとうとう攫われ、襲われ、森に捨てられたらしい。 見つかったという遺体が自分に似ていて死んだと思われたのか、別人とわかっていて死んだことにされたのか。 でももう夫の元に戻る必要はない。そのことにホッとした。 リアンヌは別人として新しい人生を生きることにするというお話です。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

処理中です...