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楽屋での接触事故

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 [chapter:ミスキャスト 告白しない男vs告白させたい男]
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若手俳優×平凡俳優、溺愛、執着、年下×年上、キス
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八嶋尚之 やしまなおゆき 32歳 平凡俳優。やわらかい印象のぱっとしない平凡優男。ドラマ版『砂糖漬けの恋』ゲイ教師役。
茅ヶ崎隼人 ちがさきはやと 20歳 若手俳優。演技派のイケメン。爽やか真面目系に見えるが……。相手役の生徒で親友の息子。
堤健治 つつみけんじ 30歳 八嶋のマネージャーで大学時代の後輩。細マッチョ。
監督 かんとく。五十代男性。業界歴は長い。
小山内夢 おさないゆめ。二十代女性。ドラマ化原作漫画『砂糖漬けの恋』の原作者。
高槻章仁 たかつきあきひと 31歳 舞台俳優。今回は親友役に抜擢。
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[newpage]
[chapter:2 楽屋での接触事故]

 ────話題性、売名行為、SNSトレンド狙い。
 それらは連ドラの製作側もきっと欲しがっているものだ。
 売れたい、成功させたい、一定の数字が欲しい。
 そういう欲はあってもいいだろう。
 俺だってせっかくのお仕事が鳴かず飛ばずでしたってよりは、出演する作品がちょっとしたヒット作になってくれたら俳優としては有りがたいわけで。
 メディアへの露出を考えれば、平凡俳優[[rb:八嶋尚之 > やしまなおゆき]]と若手イケメン俳優[[rb:茅ヶ崎隼人 > ちがさきはやと]]の告白シーンは撒き餌のようなものだと言えるが、原作ありきだしドラマの脚本は悪くない。
 悪いのは……キャスティングだろう。

 初共演の俳優同士の馬が合わないのが問題なんだが、どうしたらいいのか────。

 それが原因で俺と茅ヶ崎のシーンの撮影が予定より押している。
 こればかりは運が悪いとしか言えないが、役者でメシ食ってる俺としては演じてる時くらいは茅ヶ崎にはなんとか役になりきってもらわないと困る。とても困る……。頭が痛くなってきた。はぁ……。
 撮影スタジオの袖、スタッフキャスト兼用のちょっとした休憩スペースに座ってぼんやりと次の出番を俺は待っている。
 ここは差し入れの飲み物やお菓子なんかがセルフで手に取れるようにもなっているのでわざわざ楽屋まで戻ることなく待てるからいいい。

「[[rb:八嶋 > やしま]]しんどい? ならちょっと休むか?」
「[[rb:高槻 > たかつき]]さん」

 親友役の[[rb:高槻章仁 > たかつきあきひと]]がシーン撮影の合間に声をかけてきた。空いてるパイプ椅子もあるのに俺の隣に来てくれたのだが……俺ってそんなにしんどそうに見えるのだろうか。

「……大丈夫、ですって言えねーのがしんどい」
「あはは! 大分参ってるなぁ! 珍しいー」
「『ファウンド・サンライズ』の舞台稽古のときよりキツい気がして」

 思わず昔出演した舞台のことを思い出してしまう。舞台演出が鬼軍曹と呼ばれるあっちの業界の重鎮の人で、俺と高槻はそこで随分としごかれたのだ。
 あれ以来、高槻とは俳優仲間というよりは戦友として付き合っていたりする。こうして現場で顔を合わせることも多い。

「そりゃキッツいでしょ。でも[[rb:隼人 > はやと]]の場合はさ……」
「俺の話ですか?」
「うっわ、聞いてた?」

 影口ってわけじゃないよ、とにこやかに笑って上手いこと茅ヶ崎を煙に巻いてしまえるのが高槻の長所だ。俺だったら下手な言い訳して茅ヶ崎と冷戦になるしかない。

「次のシーン高槻さんから撮るらしいんで。呼んでます」
「んんん。了解。……八嶋また後でな。愚痴ならいつでも付き合うぞ?」
「いいですね、また飲みましょ!」

 撮影に戻る高槻を見送るも、茅ヶ崎が後ろに残っているのが地味に気まずい。俺に用事があるわけでもないなら楽屋で休んでればいいのに。

「茅ヶ崎、セリフ飛ぶのさ……わざとか?」
「なんでです」
「俺とのシーンだけ妙にリテイク目立つんだけど」
「そうですか?」
「……八嶋尚之が嫌いなら嫌いでいいから撮影入ったら頭切り替えてくれないか」
「────」
「お互い大人でこれはお仕事だから。な?」
「……嫌いだなんて思ってもないです」
「は?」
「いえ。わかりました。……切り替えてきます。五分休憩ください」

 ペットボトルのキャップをぐっと回して、一気に水を飲み干して茅ヶ崎は椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がった。
 そのままスタジオからずんずんと早歩きで出ていってしまう。
 その後を茅ヶ崎のマネージャーが慌てて追いかけていった。

「……なんだありゃ?」

 若いのはよくわからん。俺も売れるまでが長かったからもう中堅だけど、最初から売れっ子ってああなるもんなのか。ふへー。

「なー。[[rb:堤 > つつみ]]。俺もあのくらいの時ってどうだった? あんなハリネズミっぽくツンツンしてたか?」
「大学ん時すか? はは、八嶋先輩確か舞台袖で手のひらに人書いてがぶ飲みしてましたね。可愛かったすね」
「ああー、それか……なるほどね……って?」

 マネージャーの堤の最後の一言は流すとして、え、と俺の思考が一旦停止する。

 ────それって、あれは茅ヶ崎……緊張……してるってことか?

 まさか、とスタジオから出ていった茅ヶ崎の背中を思い出す。
 ……まさか。そんな。まさか。えー? 嘘だろ……?

「あれ、聞いてないんですか。茅ヶ崎くん連ドラ初なんすよ。んで、恋愛モノも初みたいです。あ、でも本の覚えはくそ早いらしいすよ? いいすね、若さかな? 才能かな?」
「え。マジなん……なんも聞いてねー……」

 知ってたらもうちょい茅ヶ崎に優しく言えたのに、あれじゃアドバイスどころか先輩俳優のパワハラじゃないかよ……。どうしよ。追いかけてもまずいか。戻ってきたら優しくしよ……そうしよ。はー……失敗した。

「……ぜってぇ俺のこと苦手なんだろうな、アイツ……」
「ははは。まだ二十歳でしょ、茅ヶ崎隼人。あれくらいの年頃に嫌われるの珍しいすね? 先輩だいたい上っ面がいいから年下にはそつなく兄貴分できるのに……」
「知らん知らん。初日から俺嫌われてたじゃん……はー……つら……」
「うーん。こっちも一応ドラマのキャストざっとリサーチして八嶋尚之が苦手って役者はこの現場にいないはずなんすけど……なんですかね、茅ヶ崎くんからの当たりが強いの……」
「別に人間合わなかろうが演技が出来れば文句はねーよ俺は」
「そうも言ってられないすよ。実際八嶋先輩気持ちよくお仕事出来ていないんですから。八嶋さん年上なんすからもうちょい茅ヶ崎くんと仲良くしてやれません?」
「……うへぇ」

 努力はするけど報われなさそう、という俺の呟きにバカマネの堤は俺もそんな気がしますけど一応ね一応歩み寄りは大事すから、と悪びれなく畳み掛けてきたのでほんと腰が重くなった。

「八嶋くん、ちょっといいか」

 気落ちする俺を呼び止めたのは監督だった。
 その隣に見覚えのない女性が立っている。派手な印象ではないのでスタッフの一人だろうか。軽く会釈で挨拶を済ませる俺の横で今度は堤が岩のようにその場を動かなくなった。

「おい、どうしたよ堤?」
「……………………先生っ!?」
「え」
「原作者の[[rb:小山内夢 > おさないゆめ]]先生ですよね? 俺、八嶋尚之のマネージャーの堤です! 原作の漫画は妹がファンでして……!!!! 撮影現場で御会いするなんて感無量です……っ」
「え、えええ!?」

 唐突にめちゃくちゃ話し出した細マッチョ眼鏡に笑って対応する女性を見つめる。

「はじめまして。『砂糖漬けの恋』原作者の小山内です」
「脚本家と原作者の小山内先生とで今後の内容について話し合ってもらっていてね。八嶋くんの意見も汲んだうえで例のシーンをどうするか検討したいと小山内先生が……」
「でもいいんですか、監督? 告白シーンがないと茅ヶ崎降りるってごねてませんでした?」
「ああ、それなんです。告白なしだと茅ヶ崎さんが降りるっていうし、告白ありだと八嶋さんが降りるっていうしで監督さんが悩んでいらしたので……相談に乗ったんです。結果として告白シーンは削れませんが、告白するセリフは代えがきくかもと思ってます。折衷案ですね」
「……それは?」
「八嶋さんは『好き』だとは言いたくない、という主張だと聞いてますが」
「ま、そうですね。そうです、役者の八嶋尚之は『好き』だと言わないことで没個性から抜け出したわけですから。それをまだ捨てるには早いと考えているわけで」
「ですよね?」

 話しているうちに小山内先生は知性的な女性だと思った。

「ですから、好きというセリフを出さずに済むような告白シーンにします」
「…………好きだと言わない告白、ですか」
「俗に言う『月が綺麗ですね』ってやつです」
「ああ、アイラブユーの翻訳の」
「八嶋さん」

 穏やかで芯の通った声が俺を呼んだ。

「この役から降りないでください。お願いします」

────────────────
[newpage]

 数日後に新しい台本が配られて、俺はそれを堤にも読ませた。ああだこうだ言いつつも、納得した上でならこれを演じるのが役者の八嶋尚之だろう、という答えが出た。
 代役はなしでいい。これを俺がやる。そう決めた。
 だとしても相手役の茅ヶ崎とこのままの関係では上手くいくようには思えなかった。
 堤の言うとおり茅ヶ崎と親睦をはかるべきか?
 撮影終わりに茅ヶ崎の楽屋に寄って、少し話でもしない? と誘ってみると、無表情の茅ヶ崎がすんなりと俺を招き入れた。
 入れ替わりに茅ヶ崎が自分のマネージャーを楽屋から追い出したのに驚いてしまう。 

「おいおい楽屋に二人きりも気まずくないか?」

 そわそわする俺がとりあえずソファーに腰を下ろしたタイミングで、八嶋さん、と呼ばれてはっと顔を上げる。 

「…………」

 茅ヶ崎は沈黙したままだ。何かを思い巡らせているのか。

「……あのな。茅ヶ崎……俺、説得されちゃったんだよね」
「はい?」
「この前監督と原作者さんと話し合ってさ。茅ヶ崎くんの意見も俺の意見も大事にする折衷案考えるから降りないでくれって。だから、そういうこと。ちゃんとやるからさ、そっちもそのつもりでお願い出来ないだろうか。……茅ヶ崎くんは、新しい台本読んだ?」
「────はい」
「ちゃんとした告白シーンだったろ、すげーよなァ……セリフ変えるだけなのにさ。プロだねぇ」
「────八嶋さん。セリフ変えた方の台本……もう覚えてます?」
「……ああ。一応は読んだから頭に入ってると思うが……」
「セリフ合わせてくれません? 俺────やっぱりあの告白シーン納得してないんですよ」
「は?」

 突然の提案に戸惑って茅ヶ崎を見つめる。

「……『先生、俺が……好き?』」

 茅ヶ崎の声のトーンが、ふっと落ちた。
 しっとりとした、甘えの滲む声だ。
 向き合う目がさっきまでの色とは違って見えた。冷たさはもう感じない。押さえつけられた熱みたいなものをジリジリと感じる。
 こいつ、もう役者のスイッチが入ってるのか? 切り替え早くないか?

「……おい、茅ヶ崎?」
「『言ってよ。誰も聞いてないよ。……ここには俺だけ。父さんだって聞いてない』」
「やめろって……っ」
「『じゃ、嫌い?』」

 これは台本のセリフをなぞられているだけだ。
 そうだ。俺がこいつに言われてるわけじゃない。
 は、と息を吐く。仕方ねぇな。乗せられてやろう。

「『……嫌い、じゃないですよ……』」

 好きだと言えない俺が譲歩して変えてもらったセリフを渋々吐き出す。
 ……すげーな、改変。
 セリフだけ好きとは言わないで、好きだという気持ちをどう表現すればいいのかを俺は試されている。
 原作ならここで教師の俺は生徒に『好きだよ』と甘く苦く告げるのだ。悪い大人の狡さで。

「『嫌いじゃない、んです』」

 心からの言葉じゃない。
 矛盾してる。
 それでも口では好きだよと言えない。言ってしまったらもう無かったことには出来ないから。
 俺なら言えない、と原作者に告げたとき彼女はやわらかく笑って、そうでしょうね、と言った。

 八嶋さんの演じる教師なら絶対にこの禁忌を許さないかもしれません。
 ストイックで、悪足掻きして、落ちそうで落ちない、そういう……ドラマ版のキャラクターの良さを引き出せたらいいんじゃないでしょうか。
 どうせ、ドラマ化してもなんやかんや原作と違うって炎上するんですから。

「『……君が言って欲しい言葉は、あげられません……』」

 俺じゃきっとハマらない役だ。
 こいつを好きにはならないし、好きとも言えない。
 なのに、嫌いじゃないなんてセリフなら、言えてしまう。

「『そんなの、狡い……!』」

 ……ああ、全くだよ。

 バカなのは俺だろう。
 役になりきれないまま撮りはじめて焦っているなんて。
 役と俺を切り離せないなんて。
 嘘でも、虚構でも、作り物でも、こいつに……茅ヶ崎隼人に好きだなんて言いたくないなんて。

「『狡い大人は嫌い?』」

 手を伸ばして、茅ヶ崎の頬に触れる。なだらかな輪郭を丁寧になぞり、顎先をつまんでぐいと持ち上げる。そう、この距離にあってもまだ[[rb:それを言ってやれない > ・・・・・・・・・・]]のがこの大人の狡さだ。
 茅ヶ崎の戸惑った視線に、ふっと俺は笑ってしまう。
 本番でもないのになんて表情をするんだ、一回りも年下のこの男は────。

「…………茅ヶ崎、お前かわいいなァ」

 うっかり呟いてしまった俺の言葉に、整った顔立ちが僅かに歪んだ────ように見えた。

「…………ッ!」

 伸びてきた手が首の後ろをぐっと掴む。
 重なる熱と柔らかさに、つい、ぼんやりとしてしまい、俺は何が起きているのかわからなかった。

 ────キスをしている。たぶん。茅ヶ崎と。

 触れるだけではなく、薄く開いた唇からねっとりと分厚い舌が侵入して口の中を舐め回すような、深いキスを。

「…………はぅ、や、ンン……っ」

 さっきの茅ヶ崎がかわいいなんてうっかり思ったのは嘘だ! 全然かわいくない! こいつ!
 生意気にも完全に茅ヶ崎のペースだった。このままリードされてばかりでは男が廃る。たとえ体格差があったとしてもそれでも俺だって抵抗しない手はない。

「────待、て……って……茅ヶ崎!!!」

 暴れて腕を振り上げ、なんとかソファーの上に転がって離れようとする俺の太股に茅ヶ崎はずい、と乗り上げてくる。体重を掛けられたらひょろい俺では到底押し戻すことが難しいわけで。
 逃げるな、と年下の男に体現されたようで怖くてビビってしまう。
 恐る恐る見上げた茅ヶ崎の唇は僅かに弧を描いていた。

「…………茅ヶ崎っ、お、お前な!!! 台本に書いてないキスなんかするなよ……!」
「え、俺のもらった台本にはちゃんとキスの指示がありましたよ?」
「嘘だ嘘だ!!!! お前の本貸してみろ────」

 机の上に投げ置かれた紙の束を奪う。
 最後のページのト書きに、知らない走り書きの文字がある。

 ────相手に好きと言わせたいならあとはもうわかりますよね。手段は問いませんので頑張って落としてください。

「…………は……?」
「だから言ったでしょう? 俺、この告白シーンに納得してないんですよ、って」
「────……これ、お前書き込んだ?」
「ないです。誓ってもいいですけど、これたぶん小山内先生の字ですね。……サイン、もらったので見覚えありますし……疑われるなら書いて見せた方が早いか」

 俺の字は、こうです。
 私物の鞄からごそごそペンを取り出して、茅ヶ崎が台本の余白に自分のサインを書いて俺に見せる。
 なるほど、書き込まれたト書きの字とは違う筆致だ。

「いやいや、ちょ、待って。でもキスしろって台本のどこにも書いてはないよね? やっぱりお前のアドリブだよね?!」
「だって、あそこであんたにキスする流れだったでしょ。そう『[[rb:自己解釈 > 理解]]』したのでそう演じて何が悪いんですか」

 真面目に言い切る茅ヶ崎の、
 むちゃくちゃに整った男の顔が近づいて、
 距離がゼロになる。

 ────[[rb:事故 > アドリブ]]と言うにはあまりにもわざとらしい二度目の[[rb:接触 > キス]]の必要性が理解できないんだが?

 茅ヶ崎がこの馬鹿げた演技をやめない限り文句のひとつも言えない事実だけが俺を余計に惨めにさせた。
 だから抗議の意思表示にせめてこれだけは、と────俺は茅ヶ崎の唇に噛みついたのだった。


……
続く
……
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