43 / 51
39
しおりを挟む
「ぎゃ!?」
世紀末の小悪党のような地田の驚声が聞こえた。すると首の圧力が消え、肺が貪るように空気をとりこみ、激しく咳き込んだ。
「ゴホッ、ゴホッ」
「岩城さん!大丈夫!?」
床に手をついて、喘ぐ俺の背を杏子がさすってくれた。
何が起こったか確認するため、顔を上げると、まず父親が仁王立ちしている。次にその足元に地田が転がっていた。
地田は頬を抑え、涙目になりながら、呆然と父親を見上げ、例によって口をパクパクさせていた。
どうやら、父親にグーで殴られたらしい。
「地田様!?どうなさいましたか!?」
襖の向こうから女将の声がかかり、ガラッと開いた。これだけ騒げば当然だろう。
不味いな、警察でも呼ばれたら、なあなあにされかねない。
だが父親は冷静に女将にら告げる。
「すまない、少々拗れてしまってね。もう心配ないよ」
「は、はあ…」
「それと悪いけど、今日は食事どころじゃなくなってしまったから、料理はキャンセルしてくれ。もちろん、代金は払う」
と言い、父親は黒革の二つ折り財布の中から真っ黒なクレジットカードを取り出し、女将に手渡した。
あれが、選ばれし者だけに与えられるカード…戦車も買えるっていうのは本当だろうか?
「迷惑料で色をつけてくれてもいいから、もう少しこの部屋を使わせてもらえないかな?」
女将は少し逡巡したものの、「かしこまりました、ですがくれぐれも穏便に願います」と頭を下げた。
「本当にすまない、埋め合わせは必ずするから。料理長にも謝っておいてくれ」
やり取りからして、父親はこの店の常連みたいだ。おかげで大ごとにならずに済んだ。
女将が退室したのちに、父親はあらためて俺に向き直り、その場で膝をつき、土下座した。
「あらためて、うちの愚息が本当に申し訳ありません。先ほどまでのわたしの態度も、併せてお詫び申し上げます」
今度は、なにも含まれていない、純粋な誠意のこもった謝罪だった。
「ご理解いただけた…と解釈してもよろしいでしょうか?」
「むろんです」
「どうか顔を上げてください」
俺と父親はあらためて向かいあった。
彼の瞳もまた、涙で潤んでいるようだ。母親の方は、号泣といってもいいくらいの有様だ。
ふとこの夫婦がお揃いのデザインの時計をしていることに気づいた。
シンプルなデザインだが、素材はプラチナで、文字盤にダイヤをあしらっていて、新品で買えば500万はくだらない代物だ。
さっきのクレカといい、融通がきくほど料亭の常連であることといい、人から羨望され、ときに妬みもされるような、人生の成功者だ。
だが、今の二人を見て羨ましいと思う人は少ないだろう。
人生は皮肉で無慈悲だ。
人並み以上の豊穣に対してーそれが運の恵であれ、努力の果てであれーどこかで帳尻を合わせにこようとする。
金があれば生活はきっと楽になるんだろう。だからといって生きることそのものが楽になったりはしないんだな。
内心でひっそりと、二人に同情しながら、俺は具体的な話を進めた。
「息子さんをどうされるつもりでしょう?
」
「おっしゃるとおり専門家の治療を受けさせます。もちろん、東京には帰しません」
父親の決意を聞き、呆然としていた地田が我にかえり、縋るような声で抗議した。
「父さん…そんなの嫌だよ、ぼ、僕は絶対に帰るから!」
俺は父親に「と、言っていますが?」と目で訴える。
「こいつの収入源であるマンションの収益を全て取り上げます」
「そんな…」
父親の言葉に、地田は今日イチ絶望的な声を発した。
「可能なんですか?」
「所有者はあくまで私なので、金を振り込む先を変更するだけで済みます。それとこいつの住まいもそのマンションの中の一室なので、たったいまから立ち入りを禁じます」
マジか、収入源だけでなく住居まで、父親におんぶに抱っこだったなんて…なんだか見た目以上に闇深そうな一家だな。
だがいまはそんなことはどうでもいい。
「手続きはどれくらいかかりますか?」
「明日の朝イチで秘書に手配させましょう」
「では、その秘書さんに電話で指示してください。いま、ここで」
父親はひとつ息をついて目をつむり、ためらいがちに「…はい」と返事した。
一晩経って気が変わられても困るからな。
彼はスマホを取り出し、電話をかける。
「ああ、夜分遅くにすまないな、明日の朝に大至急やってもらいたいんだが…」
父親が電話でやりとりしているあいだ、地田は地面に突っ伏し、顔を上げられずにいた。
さすがにもう、戦意は無さそうだ。
何はともあれ、ひとまず解決か。そう思った瞬間、体中の力がドッと抜け落ちていく感覚がした。
背後にいた杏子の手が俺の両肩にポンと置かれた。後頭部に彼女のおでこがコツンと当てられる。
そして「もう帰ろ」と呟く声が耳に届いた。霧のように儚い声だった。
世紀末の小悪党のような地田の驚声が聞こえた。すると首の圧力が消え、肺が貪るように空気をとりこみ、激しく咳き込んだ。
「ゴホッ、ゴホッ」
「岩城さん!大丈夫!?」
床に手をついて、喘ぐ俺の背を杏子がさすってくれた。
何が起こったか確認するため、顔を上げると、まず父親が仁王立ちしている。次にその足元に地田が転がっていた。
地田は頬を抑え、涙目になりながら、呆然と父親を見上げ、例によって口をパクパクさせていた。
どうやら、父親にグーで殴られたらしい。
「地田様!?どうなさいましたか!?」
襖の向こうから女将の声がかかり、ガラッと開いた。これだけ騒げば当然だろう。
不味いな、警察でも呼ばれたら、なあなあにされかねない。
だが父親は冷静に女将にら告げる。
「すまない、少々拗れてしまってね。もう心配ないよ」
「は、はあ…」
「それと悪いけど、今日は食事どころじゃなくなってしまったから、料理はキャンセルしてくれ。もちろん、代金は払う」
と言い、父親は黒革の二つ折り財布の中から真っ黒なクレジットカードを取り出し、女将に手渡した。
あれが、選ばれし者だけに与えられるカード…戦車も買えるっていうのは本当だろうか?
「迷惑料で色をつけてくれてもいいから、もう少しこの部屋を使わせてもらえないかな?」
女将は少し逡巡したものの、「かしこまりました、ですがくれぐれも穏便に願います」と頭を下げた。
「本当にすまない、埋め合わせは必ずするから。料理長にも謝っておいてくれ」
やり取りからして、父親はこの店の常連みたいだ。おかげで大ごとにならずに済んだ。
女将が退室したのちに、父親はあらためて俺に向き直り、その場で膝をつき、土下座した。
「あらためて、うちの愚息が本当に申し訳ありません。先ほどまでのわたしの態度も、併せてお詫び申し上げます」
今度は、なにも含まれていない、純粋な誠意のこもった謝罪だった。
「ご理解いただけた…と解釈してもよろしいでしょうか?」
「むろんです」
「どうか顔を上げてください」
俺と父親はあらためて向かいあった。
彼の瞳もまた、涙で潤んでいるようだ。母親の方は、号泣といってもいいくらいの有様だ。
ふとこの夫婦がお揃いのデザインの時計をしていることに気づいた。
シンプルなデザインだが、素材はプラチナで、文字盤にダイヤをあしらっていて、新品で買えば500万はくだらない代物だ。
さっきのクレカといい、融通がきくほど料亭の常連であることといい、人から羨望され、ときに妬みもされるような、人生の成功者だ。
だが、今の二人を見て羨ましいと思う人は少ないだろう。
人生は皮肉で無慈悲だ。
人並み以上の豊穣に対してーそれが運の恵であれ、努力の果てであれーどこかで帳尻を合わせにこようとする。
金があれば生活はきっと楽になるんだろう。だからといって生きることそのものが楽になったりはしないんだな。
内心でひっそりと、二人に同情しながら、俺は具体的な話を進めた。
「息子さんをどうされるつもりでしょう?
」
「おっしゃるとおり専門家の治療を受けさせます。もちろん、東京には帰しません」
父親の決意を聞き、呆然としていた地田が我にかえり、縋るような声で抗議した。
「父さん…そんなの嫌だよ、ぼ、僕は絶対に帰るから!」
俺は父親に「と、言っていますが?」と目で訴える。
「こいつの収入源であるマンションの収益を全て取り上げます」
「そんな…」
父親の言葉に、地田は今日イチ絶望的な声を発した。
「可能なんですか?」
「所有者はあくまで私なので、金を振り込む先を変更するだけで済みます。それとこいつの住まいもそのマンションの中の一室なので、たったいまから立ち入りを禁じます」
マジか、収入源だけでなく住居まで、父親におんぶに抱っこだったなんて…なんだか見た目以上に闇深そうな一家だな。
だがいまはそんなことはどうでもいい。
「手続きはどれくらいかかりますか?」
「明日の朝イチで秘書に手配させましょう」
「では、その秘書さんに電話で指示してください。いま、ここで」
父親はひとつ息をついて目をつむり、ためらいがちに「…はい」と返事した。
一晩経って気が変わられても困るからな。
彼はスマホを取り出し、電話をかける。
「ああ、夜分遅くにすまないな、明日の朝に大至急やってもらいたいんだが…」
父親が電話でやりとりしているあいだ、地田は地面に突っ伏し、顔を上げられずにいた。
さすがにもう、戦意は無さそうだ。
何はともあれ、ひとまず解決か。そう思った瞬間、体中の力がドッと抜け落ちていく感覚がした。
背後にいた杏子の手が俺の両肩にポンと置かれた。後頭部に彼女のおでこがコツンと当てられる。
そして「もう帰ろ」と呟く声が耳に届いた。霧のように儚い声だった。
0
お気に入りに追加
34
あなたにおすすめの小説
東京カルテル
wakaba1890
ライト文芸
2036年。BBCジャーナリスト・綾賢一は、独立系のネット掲示板に投稿された、とある動画が発端になり東京出張を言い渡される。
東京に到着して、待っていたのはなんでもない幼い頃の記憶から、より洗練されたクールジャパン日本だった。
だが、東京都を含めた首都圏は、大幅な規制緩和と経済、金融、観光特区を設けた結果、世界中から企業と優秀な人材、莫大な投機が集まり、東京都の税収は年16兆円を超え、名実ともに世界一となった都市は更なる独自の進化を進めていた。
その掴みきれない光の裏に、綾賢一は知らず知らずの内に飲み込まれていく。
東京カルテル 第一巻 BookWalkerにて配信中。
https://bookwalker.jp/de6fe08a9e-8b2d-4941-a92d-94aea5419af7/
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ガールズ!ナイトデューティー
高城蓉理
ライト文芸
【第三回アルファポリスライト文芸大賞奨励賞を頂きました。ありがとうございました】
■夜に働く女子たちの、焦れキュンお仕事ラブコメ!
夜行性アラサー仲良し女子四人組が毎日眠い目を擦りながら、恋に仕事に大奮闘するお話です。
■第二部(旧 延長戦っっ)以降は大人向けの会話が増えますので、ご注意下さい。
●神寺 朱美(28)
ペンネームは、神宮寺アケミ。
隔週少女誌キャンディ専属の漫画家で、画力は折り紙つき。夜型生活。
現在執筆中の漫画のタイトルは【恋するリセエンヌ】
水面下でアニメ制作話が進んでいる人気作品を執筆。いつも担当編集者吉岡に叱られながら、苦手なネームを考えている。
●山辺 息吹(28)
某都市水道局 漏水修繕管理課に勤務する技術職公務員。国立大卒のリケジョ。
幹線道路で漏水が起きる度に、夜間工事に立ち会うため夜勤が多い。
●御堂 茜 (27)
関東放送のアナウンサー。
紆余曲折あり現在は同じ建物内の関東放送ラジオ部の深夜レギュラーに出向中。
某有名大学の元ミスキャン。才女。
●遠藤 桜 (30)
某有名チェーン ファミレスの副店長。
ニックネームは、桜ねぇ(さくねぇ)。
若い頃は房総方面でレディースの総長的役割を果たしていたが、あることをきっかけに脱退。
その後上京。ファミレスチェーンのアルバイトから副店長に上り詰めた努力家。
※一部を小説家になろうにも投稿してます
※illustration 鈴木真澄先生@ma_suzuki_mnyt
隣の家の幼馴染は学園一の美少女だが、ぼっちの僕が好きらしい
四乃森ゆいな
ライト文芸
『この感情は、幼馴染としての感情か。それとも……親友以上の感情だろうか──。』
孤独な読書家《凪宮晴斗》には、いわゆる『幼馴染』という者が存在する。それが、クラスは愚か学校中からも注目を集める才色兼備の美少女《一之瀬渚》である。
しかし、学校での直接的な接触は無く、あってもメッセージのやり取りのみ。せいぜい、誰もいなくなった教室で一緒に勉強するか読書をするぐらいだった。
ところが今年の春休み──晴斗は渚から……、
「──私、ハル君のことが好きなの!」と、告白をされてしまう。
この告白を機に、二人の関係性に変化が起き始めることとなる。
他愛のないメッセージのやり取り、部室でのお昼、放課後の教室。そして、お泊まり。今までにも送ってきた『いつもの日常』が、少しずつ〝特別〟なものへと変わっていく。
だが幼馴染からの僅かな関係の変化に、晴斗達は戸惑うばかり……。
更には過去のトラウマが引っかかり、相手には迷惑をかけまいと中々本音を言い出せず、悩みが生まれてしまい──。
親友以上恋人未満。
これはそんな曖昧な関係性の幼馴染たちが、本当の恋人となるまでの“一年間”を描く青春ラブコメである。
パワハラ女上司からのラッキースケベが止まらない
セカイ
ライト文芸
新入社員の『俺』草野新一は入社して半年以上の間、上司である椿原麗香からの執拗なパワハラに苦しめられていた。
しかしそんな屈辱的な時間の中で毎回発生するラッキースケベな展開が、パワハラによる苦しみを相殺させている。
高身長でスタイルのいい超美人。おまけにすごく巨乳。性格以外は最高に魅力的な美人上司が、パワハラ中に引き起こす無自覚ラッキースケベの数々。
パワハラはしんどくて嫌だけれど、ムフフが美味しすぎて堪らない。そんな彼の日常の中のとある日の物語。
※他サイト(小説家になろう・カクヨム・ノベルアッププラス)でも掲載。
古屋さんバイト辞めるって
四宮 あか
ライト文芸
ライト文芸大賞で奨励賞いただきました~。
読んでくださりありがとうございました。
「古屋さんバイト辞めるって」
おしゃれで、明るくて、話しも面白くて、仕事もすぐに覚えた。これからバイトの中心人物にだんだんなっていくのかな? と思った古屋さんはバイトをやめるらしい。
学部は違うけれど同じ大学に通っているからって理由で、石井ミクは古屋さんにバイトを辞めないように説得してと店長に頼まれてしまった。
バイト先でちょろっとしか話したことがないのに、辞めないように説得を頼まれたことで困ってしまった私は……
こういう嫌なタイプが貴方の職場にもいることがあるのではないでしょうか?
表紙の画像はフリー素材サイトの
https://activephotostyle.biz/さまからお借りしました。
フリー台詞・台本集
小夜時雨
ライト文芸
フリーの台詞や台本を置いています。ご自由にお使いください。
人称を変えたり、語尾を変えるなどOKです。
題名の横に、構成人数や男女といった表示がありますが、一人二役でも、男二人、女二人、など好きなように組み合わせてもらっても構いません。
また、許可を取らなくても構いませんが、動画にしたり、配信した場合は聴きに行ってみたいので、教えてもらえるとすごく嬉しいです!また、使用する際はリンクを貼ってください。
※二次配布や自作発言は禁止ですのでお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる