22 / 47
22. 右手に持っているもの
しおりを挟む
エドガールの鬼気迫る様子が冗談には見えず、ミレーユはとっさに言葉が出ない。
「その、右手に持っているものを捨てろ」
「エ、エドガール、急にどうしたの……?」
「いいから、早く捨てろっ!」
有無を言わさぬ命令口調だ。
いったいどうしたの? み、右手? 右手って……。
ここでようやくミレーユは自分が短剣を持っていることを思い出し、パッと手を開いた。
短剣は床に落ちて音を立て、エドガールが素早い動きでそれを蹴り飛ばす。
短剣は床を滑っていき、チェストの下に入り込んだ。
銃口はミレーユを狙い定めたまま動かず、ミレーユはゆっくり両手だけ上げた。とにかく敵意がないことを示すために。
「……動くなよ。動けば撃つぞ」
「あ、あの……あの……。エ、エドガ……」
心臓が早鐘のように打ち、息が切れてしまってうまくしゃべれない。
「僕を殺しにきたんだな?」
「……え? な、なにを言ってるの……?」
「動くなと言ってるだろっ!!」
激しく恫喝され、口をつぐむ。
横目で見ると、エドガールの眼光は刃物のように鋭く、下手したら本当に射殺されそうだった。
「……聞いたぞ。月食の聖贄宴。生贄は僕になったそうだな?」
「……えっ」
なぜ? そのことを……?
「諜報活動がお家芸なんでね。この耳ではっきり聞いた。伯爵の執務室前で」
「知ってたんですね……」
「それで、君は僕を襲撃しに来た。僕を誘惑して情報を引き出し、僕に取り入って油断させ、グサッとやるつもりだったわけだ」
とんでもない勘違いをされていることがわかり、背筋がゾッとした。
「ちっ、違います! 私がそんな……」
「黙れよ!」
カチャッ、と猟銃が小さく鳴るのが聞こえ、息が止まる。
この部屋はひどく寒いのに、わきからあばらへ汗がひと筋、流れ落ちた。
「誤魔化しても無駄だ。その短剣はなんだよ? それで僕のことを殺るつもりだったんだろ?」
彼を刺激しないようにゆっくりと……本当にゆっくりと体をもう半回転させ、彼の正面に向き直った。
彼は銃口を向けたまま、凶悪な顔でこちらを睨んでいる。
そんな憎悪や怒りを剥き出しにした顔でさえ、見入ってしまうほど美しかった。
「あなたを殺しに来たんじゃない。あなたに伝えに来たの……」
一言一句冷静に言うと、彼の片眉がピクッと動いた。
ゆっくりと右手を下ろし、自分の胸を押さえ、乱れた息を静かに整える。
薄暗がりに、自分の吐いた息が白くなるのが見えた。
「……襲撃は、今夜じゃない。明日か、明後日になる。それを伝えにきたの……」
呼吸と発声がうまく合わず、自分のささやき声が他人の声みたいに響く。
もう一度深呼吸し、まっすぐに彼の目を見て、一言ずつ言った。
「お願い、逃げて。でないと、殺される。明日の日没までに、この城を脱出して」
「……嘘を吐くな。なら、あの短剣はなんだよ?」
右手で胸を押さえ、左手は上げたまま、なるべく冷静に答える。
「わ、私は一族に見張られてるの。邪魔が入ったとき、けん制になると思ったから……」
しばしの沈黙ののち、彼は静かに告げた。
「……悪いが、君には死んでもらうよ」
ひどく冷静な声は淡々と続く。
「よく考えたんだ。一時の気の迷いで、これまで先祖が築いてきたすべてを捨てるわけにはいかない。たしかに君は魅力的だし、とてもいい子だ。僕は……僕は、君に惹かれてたと思う」
そこで彼は視線を床に落とし、そこに人間らしさが垣間見えた。
「……申し訳ないが、やはり君は人狼だ。人間じゃない」
その言葉が、この胸を容赦なく引き裂く。
まるで稲妻が大木に落ち、真っ二つに割くかのように。
あまりの痛みに、かすかに身じろぎ、声が漏れるかと思った。
「君は人狼だ」
彼は自らに言い聞かせるように繰り返す。
そうして、ゆっくり視線を上げ、死神のような眼差しでこちらを見た。
「だから、死んでくれ」
その宣告は残酷に響き、心を、魂を、芯まで凍てつかせた。
なぜだろう。
このときのミレーユは、このやり取りを冷めた気持ちで俯瞰して見ていた。
心のどこかでいつか、こんな結末が来るような気がしていたから。
シャロワ伯爵の娘として、人狼一族の子孫として、生を受けた瞬間から、ずっと。
いつか一族の外の人に出会い、その人を愛したとき、その人と自分とは種族が違うという事実が目の前に立ちはだかるだろうって。
わかっていたことが目の前で現実となり、ああやっぱりという実感しかなかった。
「僕は君を殺したら、すぐにここを離脱する。安心して欲しい。苦しまないよう、確実に一発で仕留めるから。それが、僕が君にできる、せめてものお詫びだ」
ほんの刹那、彼が苦しそうに顔を歪める。
その苦悶の表情を視界に捉えた瞬間、もう、彼のことをすべて赦していた。
……赦すですって? 何様だろう? 私は誰かを赦せるような立場じゃない。彼だって赦される必要なんてない。
「あなたは悪くない。誰も悪くない。私が人狼なのは私のせいじゃないし、あなたがそれを殺さなきゃいけないのも、あなたのせいじゃないよ」
そう言うと、彼は食い入るようにこちらを見つめる。
そう。運命は受け入れるしかない。どんなに嫌がろうが、どんなに抗おうが、結局、最後は受け入れるしかないのだ。
あきらめにも似た気持ちで、覚悟はもう決まっていた。
死ぬ覚悟なんてとうにできている。もっとずっと前に。十数年前に。
ただ、それをいつにするか。誰に委ねるかというだけの話だった。
「こんなことになって……残念だよ。ミレーユ」
ひどく苦しそうに言う彼のほうが、可哀そうだと思った。
ミレーユは、とある決意を胸に顔を上げる。
「エドガール。なら、あなたの手で私を殺して」
「その、右手に持っているものを捨てろ」
「エ、エドガール、急にどうしたの……?」
「いいから、早く捨てろっ!」
有無を言わさぬ命令口調だ。
いったいどうしたの? み、右手? 右手って……。
ここでようやくミレーユは自分が短剣を持っていることを思い出し、パッと手を開いた。
短剣は床に落ちて音を立て、エドガールが素早い動きでそれを蹴り飛ばす。
短剣は床を滑っていき、チェストの下に入り込んだ。
銃口はミレーユを狙い定めたまま動かず、ミレーユはゆっくり両手だけ上げた。とにかく敵意がないことを示すために。
「……動くなよ。動けば撃つぞ」
「あ、あの……あの……。エ、エドガ……」
心臓が早鐘のように打ち、息が切れてしまってうまくしゃべれない。
「僕を殺しにきたんだな?」
「……え? な、なにを言ってるの……?」
「動くなと言ってるだろっ!!」
激しく恫喝され、口をつぐむ。
横目で見ると、エドガールの眼光は刃物のように鋭く、下手したら本当に射殺されそうだった。
「……聞いたぞ。月食の聖贄宴。生贄は僕になったそうだな?」
「……えっ」
なぜ? そのことを……?
「諜報活動がお家芸なんでね。この耳ではっきり聞いた。伯爵の執務室前で」
「知ってたんですね……」
「それで、君は僕を襲撃しに来た。僕を誘惑して情報を引き出し、僕に取り入って油断させ、グサッとやるつもりだったわけだ」
とんでもない勘違いをされていることがわかり、背筋がゾッとした。
「ちっ、違います! 私がそんな……」
「黙れよ!」
カチャッ、と猟銃が小さく鳴るのが聞こえ、息が止まる。
この部屋はひどく寒いのに、わきからあばらへ汗がひと筋、流れ落ちた。
「誤魔化しても無駄だ。その短剣はなんだよ? それで僕のことを殺るつもりだったんだろ?」
彼を刺激しないようにゆっくりと……本当にゆっくりと体をもう半回転させ、彼の正面に向き直った。
彼は銃口を向けたまま、凶悪な顔でこちらを睨んでいる。
そんな憎悪や怒りを剥き出しにした顔でさえ、見入ってしまうほど美しかった。
「あなたを殺しに来たんじゃない。あなたに伝えに来たの……」
一言一句冷静に言うと、彼の片眉がピクッと動いた。
ゆっくりと右手を下ろし、自分の胸を押さえ、乱れた息を静かに整える。
薄暗がりに、自分の吐いた息が白くなるのが見えた。
「……襲撃は、今夜じゃない。明日か、明後日になる。それを伝えにきたの……」
呼吸と発声がうまく合わず、自分のささやき声が他人の声みたいに響く。
もう一度深呼吸し、まっすぐに彼の目を見て、一言ずつ言った。
「お願い、逃げて。でないと、殺される。明日の日没までに、この城を脱出して」
「……嘘を吐くな。なら、あの短剣はなんだよ?」
右手で胸を押さえ、左手は上げたまま、なるべく冷静に答える。
「わ、私は一族に見張られてるの。邪魔が入ったとき、けん制になると思ったから……」
しばしの沈黙ののち、彼は静かに告げた。
「……悪いが、君には死んでもらうよ」
ひどく冷静な声は淡々と続く。
「よく考えたんだ。一時の気の迷いで、これまで先祖が築いてきたすべてを捨てるわけにはいかない。たしかに君は魅力的だし、とてもいい子だ。僕は……僕は、君に惹かれてたと思う」
そこで彼は視線を床に落とし、そこに人間らしさが垣間見えた。
「……申し訳ないが、やはり君は人狼だ。人間じゃない」
その言葉が、この胸を容赦なく引き裂く。
まるで稲妻が大木に落ち、真っ二つに割くかのように。
あまりの痛みに、かすかに身じろぎ、声が漏れるかと思った。
「君は人狼だ」
彼は自らに言い聞かせるように繰り返す。
そうして、ゆっくり視線を上げ、死神のような眼差しでこちらを見た。
「だから、死んでくれ」
その宣告は残酷に響き、心を、魂を、芯まで凍てつかせた。
なぜだろう。
このときのミレーユは、このやり取りを冷めた気持ちで俯瞰して見ていた。
心のどこかでいつか、こんな結末が来るような気がしていたから。
シャロワ伯爵の娘として、人狼一族の子孫として、生を受けた瞬間から、ずっと。
いつか一族の外の人に出会い、その人を愛したとき、その人と自分とは種族が違うという事実が目の前に立ちはだかるだろうって。
わかっていたことが目の前で現実となり、ああやっぱりという実感しかなかった。
「僕は君を殺したら、すぐにここを離脱する。安心して欲しい。苦しまないよう、確実に一発で仕留めるから。それが、僕が君にできる、せめてものお詫びだ」
ほんの刹那、彼が苦しそうに顔を歪める。
その苦悶の表情を視界に捉えた瞬間、もう、彼のことをすべて赦していた。
……赦すですって? 何様だろう? 私は誰かを赦せるような立場じゃない。彼だって赦される必要なんてない。
「あなたは悪くない。誰も悪くない。私が人狼なのは私のせいじゃないし、あなたがそれを殺さなきゃいけないのも、あなたのせいじゃないよ」
そう言うと、彼は食い入るようにこちらを見つめる。
そう。運命は受け入れるしかない。どんなに嫌がろうが、どんなに抗おうが、結局、最後は受け入れるしかないのだ。
あきらめにも似た気持ちで、覚悟はもう決まっていた。
死ぬ覚悟なんてとうにできている。もっとずっと前に。十数年前に。
ただ、それをいつにするか。誰に委ねるかというだけの話だった。
「こんなことになって……残念だよ。ミレーユ」
ひどく苦しそうに言う彼のほうが、可哀そうだと思った。
ミレーユは、とある決意を胸に顔を上げる。
「エドガール。なら、あなたの手で私を殺して」
0
お気に入りに追加
203
あなたにおすすめの小説
姫騎士様と二人旅、何も起きないはずもなく……
踊りまんぼう
ファンタジー
主人公であるセイは異世界転生者であるが、地味な生活を送っていた。 そんな中、昔パーティを組んだことのある仲間に誘われてとある依頼に参加したのだが……。 *表題の二人旅は第09話からです
(カクヨム、小説家になろうでも公開中です)
皇帝陛下は皇妃を可愛がる~俺の可愛いお嫁さん、今日もいっぱい乱れてね?~
一ノ瀬 彩音
恋愛
ある国の皇帝である主人公は、とある理由から妻となったヒロインに毎日のように夜伽を命じる。
だが、彼女は恥ずかしいのか、いつも顔を真っ赤にして拒むのだ。
そんなある日、彼女はついに自分から求めるようになるのだが……。
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました
扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!?
*こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。
――
ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。
そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。
その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。
結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。
が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。
彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。
しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。
どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。
そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。
――もしかして、これは嫌がらせ?
メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。
「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」
どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……?
*WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。
マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました
東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。
攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる!
そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。
【完結】お義父様と義弟の溺愛が凄すぎる件
百合蝶
恋愛
お母様の再婚でロバーニ・サクチュアリ伯爵の義娘になったアリサ(8歳)。
そこには2歳年下のアレク(6歳)がいた。
いつもツンツンしていて、愛想が悪いが(実話・・・アリサをーーー。)
それに引き替え、ロバーニ義父様はとても、いや異常にアリサに構いたがる!
いいんだけど触りすぎ。
お母様も呆れからの憎しみも・・・
溺愛義父様とツンツンアレクに愛されるアリサ。
デビュタントからアリサを気になる、アイザック殿下が現れーーーーー。
アリサはの気持ちは・・・。
媚薬を飲まされたので、好きな人の部屋に行きました。
入海月子
恋愛
女騎士エリカは同僚のダンケルトのことが好きなのに素直になれない。あるとき、媚薬を飲まされて襲われそうになったエリカは返り討ちにして、ダンケルトの部屋に逃げ込んだ。二人は──。
【R18】幼馴染な陛下と、甘々な毎日になりました💕
月極まろん
恋愛
幼なじみの陛下に、気持ちだけでも伝えたくて。いい思い出にしたくて告白したのに、執務室のソファに座らせられて、なぜかこんなえっちな日々になりました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる