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22. 右手に持っているもの

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 エドガールの鬼気迫る様子が冗談には見えず、ミレーユはとっさに言葉が出ない。
「その、右手に持っているものを捨てろ」
「エ、エドガール、急にどうしたの……?」
「いいから、早く捨てろっ!」
 有無を言わさぬ命令口調だ。
 いったいどうしたの? み、右手? 右手って……。
 ここでようやくミレーユは自分が短剣を持っていることを思い出し、パッと手を開いた。
 短剣は床に落ちて音を立て、エドガールが素早い動きでそれを蹴り飛ばす。
 短剣は床を滑っていき、チェストの下に入り込んだ。
 銃口はミレーユを狙い定めたまま動かず、ミレーユはゆっくり両手だけ上げた。とにかく敵意がないことを示すために。
「……動くなよ。動けば撃つぞ」
「あ、あの……あの……。エ、エドガ……」
 心臓が早鐘のように打ち、息が切れてしまってうまくしゃべれない。
「僕を殺しにきたんだな?」
「……え? な、なにを言ってるの……?」
「動くなと言ってるだろっ!!」
 激しく恫喝され、口をつぐむ。
 横目で見ると、エドガールの眼光は刃物のように鋭く、下手したら本当に射殺されそうだった。
「……聞いたぞ。月食の聖贄宴。生贄は僕になったそうだな?」
「……えっ」
 なぜ? そのことを……?
「諜報活動がお家芸なんでね。この耳ではっきり聞いた。伯爵の執務室前で」
「知ってたんですね……」
「それで、君は僕を襲撃しに来た。僕を誘惑して情報を引き出し、僕に取り入って油断させ、グサッとやるつもりだったわけだ」
 とんでもない勘違いをされていることがわかり、背筋がゾッとした。
「ちっ、違います! 私がそんな……」
「黙れよ!」
 カチャッ、と猟銃が小さく鳴るのが聞こえ、息が止まる。
 この部屋はひどく寒いのに、わきからあばらへ汗がひと筋、流れ落ちた。
「誤魔化しても無駄だ。その短剣はなんだよ? それで僕のことを殺るつもりだったんだろ?」
 彼を刺激しないようにゆっくりと……本当にゆっくりと体をもう半回転させ、彼の正面に向き直った。
 彼は銃口を向けたまま、凶悪な顔でこちらを睨んでいる。
 そんな憎悪や怒りを剥き出しにした顔でさえ、見入ってしまうほど美しかった。
「あなたを殺しに来たんじゃない。あなたに伝えに来たの……」
 一言一句冷静に言うと、彼の片眉がピクッと動いた。
 ゆっくりと右手を下ろし、自分の胸を押さえ、乱れた息を静かに整える。
 薄暗がりに、自分の吐いた息が白くなるのが見えた。
「……襲撃は、今夜じゃない。明日か、明後日になる。それを伝えにきたの……」
 呼吸と発声がうまく合わず、自分のささやき声が他人の声みたいに響く。
 もう一度深呼吸し、まっすぐに彼の目を見て、一言ずつ言った。
「お願い、逃げて。でないと、殺される。明日の日没までに、この城を脱出して」
「……嘘を吐くな。なら、あの短剣はなんだよ?」
 右手で胸を押さえ、左手は上げたまま、なるべく冷静に答える。
「わ、私は一族に見張られてるの。邪魔が入ったとき、けん制になると思ったから……」
 しばしの沈黙ののち、彼は静かに告げた。
「……悪いが、君には死んでもらうよ」
 ひどく冷静な声は淡々と続く。
「よく考えたんだ。一時の気の迷いで、これまで先祖が築いてきたすべてを捨てるわけにはいかない。たしかに君は魅力的だし、とてもいい子だ。僕は……僕は、君に惹かれてたと思う」
 そこで彼は視線を床に落とし、そこに人間らしさが垣間見えた。
「……申し訳ないが、やはり君は人狼だ。人間じゃない」
 その言葉が、この胸を容赦なく引き裂く。
 まるで稲妻が大木に落ち、真っ二つに割くかのように。
 あまりの痛みに、かすかに身じろぎ、声が漏れるかと思った。
「君は人狼だ」
 彼は自らに言い聞かせるように繰り返す。
 そうして、ゆっくり視線を上げ、死神のような眼差しでこちらを見た。
「だから、死んでくれ」
 その宣告は残酷に響き、心を、魂を、芯まで凍てつかせた。
 なぜだろう。
 このときのミレーユは、このやり取りを冷めた気持ちで俯瞰して見ていた。
 心のどこかでいつか、こんな結末が来るような気がしていたから。
 シャロワ伯爵の娘として、人狼一族の子孫として、生を受けた瞬間から、ずっと。
 いつか一族の外の人に出会い、その人を愛したとき、その人と自分とは種族が違うという事実が目の前に立ちはだかるだろうって。
 わかっていたことが目の前で現実となり、ああやっぱりという実感しかなかった。
「僕は君を殺したら、すぐにここを離脱する。安心して欲しい。苦しまないよう、確実に一発で仕留めるから。それが、僕が君にできる、せめてものお詫びだ」
 ほんの刹那、彼が苦しそうに顔を歪める。
 その苦悶の表情を視界に捉えた瞬間、もう、彼のことをすべてゆるしていた。
 ……赦すですって? 何様だろう? 私は誰かを赦せるような立場じゃない。彼だって赦される必要なんてない。
「あなたは悪くない。誰も悪くない。私が人狼なのは私のせいじゃないし、あなたがそれを殺さなきゃいけないのも、あなたのせいじゃないよ」
 そう言うと、彼は食い入るようにこちらを見つめる。
 そう。運命は受け入れるしかない。どんなに嫌がろうが、どんなに抗おうが、結局、最後は受け入れるしかないのだ。
 あきらめにも似た気持ちで、覚悟はもう決まっていた。
 死ぬ覚悟なんてとうにできている。もっとずっと前に。十数年前に。
 ただ、それをいつにするか。誰に委ねるかというだけの話だった。
「こんなことになって……残念だよ。ミレーユ」
 ひどく苦しそうに言う彼のほうが、可哀そうだと思った。
 ミレーユは、とある決意を胸に顔を上げる。
「エドガール。なら、あなたの手で私を殺して」
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