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6章 夏休み
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ヒマワリの咲く丘の上をとぼとぼ歩きながら、言いようのない虚しさに襲われる。
虫は本当に苦手だ。男ならそれくらい触れるだろ、というあの謎の強制も嫌いだし、どうしてそんな固定観念に振り回されなきゃいけないんだかも分からない。あのぞわぞわに嫌悪感を抱くのは、男女共通の感性だろう。
葵だって本当はそれほど得意なわけではないのに、今日は智樹のために張り切ってくれているのだと思う。篤樹がお願いしたから代わりを務めなきゃ、と頑張ってくれている。
……そこは分かってるんだけどなぁ。
なんだか一人だけ置いてけぼりを喰らったようで寂しい。このままでは本当に虫取りを手伝ってもらうだけで終わってしまいそうだ。
葵だって、一緒の時間を過ごしたいという篤樹の下心に気付きもせずにここまで来たわけじゃないだろうに……いや、まさかとは思うが本当に虫取りの手伝いだけのために来てくれたのか?
とにかく手が空いてしまったものだから、篤樹はその間牛舎にいる兄を訪ねて仕事を手伝うことにした。
牛舎の掃除をして、新しい飼い葉を運び入れて……兄の指示通りに動いていたら「お前もよく働くなぁ」と感心されてしまった。
「まぁ、お邪魔してるわけだからさ。これくらいは手伝うよ」
今日は大ベテランのお父さんとお母さんもいなくて、その上妻は身重。一人で牧場を預かる優樹は忙しいはずなのだ。出来るだけのことはしてあげたい。
それに二人きりで話したいこともあったのだ。
「兄ちゃんが家を出て行く時、お父さんやお母さんとはいろいろ話し合ったんだろうけど、俺や智にはろくに話もないままいなくなっただろ。まぁ、あの時の俺は高校受験で忙しかったからなんだろうけど、でも兄ちゃんがどんなこと考えて、どういうつもりでいるのか少しくらい聞いてみたくてさ」
篤樹の言葉に、優樹は手押し車を持つ手を止めた。そして目をふっと細めたかと思うと篤樹に抱き着いてきたのだ。
「そうか。寂しい思いをさせてごめんな、弟よ!」
「離せよ、気色悪いな!」
ふざける兄を、篤樹は嫌悪感たっぷりに振り払った。
でもまぁ、実際のところは優樹の言う通りなのだ。今まですぐ近くにいたはずの兄が急にいなくなってしまい、篤樹は結構寂しかった。どうでもいいことをちょこっと話せる相手が側にいるのはとても大事なことだったのだと、あれからしみじみ感じている。
とはいえ、本人を前にして寂しいだのと口にするのは恥ずかしいから、篤樹は無駄に口を尖らせてみた。
「家の事とかもさ。誰がうちの後を継ぐとか、そういうのも一応話し合っておきたいし」
「あぁ。その辺はお前に全部やるよ」
「それは俺に全部押し付けるの間違いじゃ……」
「だって智樹は、あの分だと昆虫博士になるだろ。今のところ、お前が一番確実だと思うぜ」
「俺はそっちの道に進む気ないけどね」
「お前に無くてもなぁ」
意味深な笑い方をしてくる優樹に「べ、別に、そういう意味じゃ……」と篤樹は若干どもりながら食って掛かった。
「分かってるって。そう怒るなよ」
心外だと言わんばかりにむくれる弟をなだめた優樹は「ま、そんなわけで俺も張り切ってお前らを応援するからな」と無理やりに話をまとめにかかった。
「応援って、一体何をする気だよ」
「いいから、大船に乗ったつもりで全部兄ちゃんに任せとけって」
自信満々に胸を張った兄の作戦というものが判明したのは、このすぐ後のことだった。
夕方、虫取りを終えて大満足で帰ってきた智樹と葵が、母屋へ置いていたリュックサックを手に取り帰り支度をしていると、優樹はとぼけた顔で声をかけたのだ。
「あれ? 今日は泊まっていくんじゃないのか?」
「いえ、日帰りのつもりなんですけど……」
「そうだったのか。そいつは困ったな。もう東京へ向かう電車なんて終わってるぞ」
「え?! で、でも、まだ終電は終わってないはずじゃ……」
葵はスマホを取り出して路線検索の結果を探し出す。しかし優樹はもったいぶった顔で首を横に振ったのだ。
「あぁ、それな。嘘だから」
「へ?」
「盆休みを使って夜間集中工事をやってんだよ。だから時刻表では電車があっても、実際には動いてないわけ」
「そ、そうなんですか?!」
「ほら、回覧板も来てる」
優樹は通知書らしい紙切れを葵に見せていた。確かにそこには、8月13日から16日までの間、夕方17時から翌朝までの電車の運休が記されていた。
「どうせ地元の人間にしか関係ないことだからって、この辺りじゃこういうお知らせの紙だけで済ませちゃうんだよ」
「ど、どうしよう……」
「そんなの泊まっていったらいいだけじゃない。部屋ならいくらでもあるし。うちはそのつもりで準備してたんだから、何も気にしなくて大丈夫よぉ」
カンナも一緒になって勧めてきた。
……なんて強引な手を……。
篤樹はもう、いろんな意味で耐えられなくなって口を挟んだ。
「そんなこと急に言われても、先輩にも準備ってもんが……ほら、コンタクトレンズの水とか……」
「あぁ、それなら持ってきてるよ」
「え?! そうなんですか?!」
予期せぬところからの発言で、篤樹は思わず声を裏返してしまった。
「だ、だって、朝5時から夜10時過ぎまでコンタクトしてたら目がカピカピになっちゃうし」
篤樹は裸眼だからコンタクトレンズ事情がよく分からないが、途中で外そうと思ってケースと洗浄水は持ってきているらしい。
虫は本当に苦手だ。男ならそれくらい触れるだろ、というあの謎の強制も嫌いだし、どうしてそんな固定観念に振り回されなきゃいけないんだかも分からない。あのぞわぞわに嫌悪感を抱くのは、男女共通の感性だろう。
葵だって本当はそれほど得意なわけではないのに、今日は智樹のために張り切ってくれているのだと思う。篤樹がお願いしたから代わりを務めなきゃ、と頑張ってくれている。
……そこは分かってるんだけどなぁ。
なんだか一人だけ置いてけぼりを喰らったようで寂しい。このままでは本当に虫取りを手伝ってもらうだけで終わってしまいそうだ。
葵だって、一緒の時間を過ごしたいという篤樹の下心に気付きもせずにここまで来たわけじゃないだろうに……いや、まさかとは思うが本当に虫取りの手伝いだけのために来てくれたのか?
とにかく手が空いてしまったものだから、篤樹はその間牛舎にいる兄を訪ねて仕事を手伝うことにした。
牛舎の掃除をして、新しい飼い葉を運び入れて……兄の指示通りに動いていたら「お前もよく働くなぁ」と感心されてしまった。
「まぁ、お邪魔してるわけだからさ。これくらいは手伝うよ」
今日は大ベテランのお父さんとお母さんもいなくて、その上妻は身重。一人で牧場を預かる優樹は忙しいはずなのだ。出来るだけのことはしてあげたい。
それに二人きりで話したいこともあったのだ。
「兄ちゃんが家を出て行く時、お父さんやお母さんとはいろいろ話し合ったんだろうけど、俺や智にはろくに話もないままいなくなっただろ。まぁ、あの時の俺は高校受験で忙しかったからなんだろうけど、でも兄ちゃんがどんなこと考えて、どういうつもりでいるのか少しくらい聞いてみたくてさ」
篤樹の言葉に、優樹は手押し車を持つ手を止めた。そして目をふっと細めたかと思うと篤樹に抱き着いてきたのだ。
「そうか。寂しい思いをさせてごめんな、弟よ!」
「離せよ、気色悪いな!」
ふざける兄を、篤樹は嫌悪感たっぷりに振り払った。
でもまぁ、実際のところは優樹の言う通りなのだ。今まですぐ近くにいたはずの兄が急にいなくなってしまい、篤樹は結構寂しかった。どうでもいいことをちょこっと話せる相手が側にいるのはとても大事なことだったのだと、あれからしみじみ感じている。
とはいえ、本人を前にして寂しいだのと口にするのは恥ずかしいから、篤樹は無駄に口を尖らせてみた。
「家の事とかもさ。誰がうちの後を継ぐとか、そういうのも一応話し合っておきたいし」
「あぁ。その辺はお前に全部やるよ」
「それは俺に全部押し付けるの間違いじゃ……」
「だって智樹は、あの分だと昆虫博士になるだろ。今のところ、お前が一番確実だと思うぜ」
「俺はそっちの道に進む気ないけどね」
「お前に無くてもなぁ」
意味深な笑い方をしてくる優樹に「べ、別に、そういう意味じゃ……」と篤樹は若干どもりながら食って掛かった。
「分かってるって。そう怒るなよ」
心外だと言わんばかりにむくれる弟をなだめた優樹は「ま、そんなわけで俺も張り切ってお前らを応援するからな」と無理やりに話をまとめにかかった。
「応援って、一体何をする気だよ」
「いいから、大船に乗ったつもりで全部兄ちゃんに任せとけって」
自信満々に胸を張った兄の作戦というものが判明したのは、このすぐ後のことだった。
夕方、虫取りを終えて大満足で帰ってきた智樹と葵が、母屋へ置いていたリュックサックを手に取り帰り支度をしていると、優樹はとぼけた顔で声をかけたのだ。
「あれ? 今日は泊まっていくんじゃないのか?」
「いえ、日帰りのつもりなんですけど……」
「そうだったのか。そいつは困ったな。もう東京へ向かう電車なんて終わってるぞ」
「え?! で、でも、まだ終電は終わってないはずじゃ……」
葵はスマホを取り出して路線検索の結果を探し出す。しかし優樹はもったいぶった顔で首を横に振ったのだ。
「あぁ、それな。嘘だから」
「へ?」
「盆休みを使って夜間集中工事をやってんだよ。だから時刻表では電車があっても、実際には動いてないわけ」
「そ、そうなんですか?!」
「ほら、回覧板も来てる」
優樹は通知書らしい紙切れを葵に見せていた。確かにそこには、8月13日から16日までの間、夕方17時から翌朝までの電車の運休が記されていた。
「どうせ地元の人間にしか関係ないことだからって、この辺りじゃこういうお知らせの紙だけで済ませちゃうんだよ」
「ど、どうしよう……」
「そんなの泊まっていったらいいだけじゃない。部屋ならいくらでもあるし。うちはそのつもりで準備してたんだから、何も気にしなくて大丈夫よぉ」
カンナも一緒になって勧めてきた。
……なんて強引な手を……。
篤樹はもう、いろんな意味で耐えられなくなって口を挟んだ。
「そんなこと急に言われても、先輩にも準備ってもんが……ほら、コンタクトレンズの水とか……」
「あぁ、それなら持ってきてるよ」
「え?! そうなんですか?!」
予期せぬところからの発言で、篤樹は思わず声を裏返してしまった。
「だ、だって、朝5時から夜10時過ぎまでコンタクトしてたら目がカピカピになっちゃうし」
篤樹は裸眼だからコンタクトレンズ事情がよく分からないが、途中で外そうと思ってケースと洗浄水は持ってきているらしい。
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