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5章 断ち切れぬ想い
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ボールはワンバウンドして、ちょうどスリーポイントラインの上に立っていた篤樹の手の中に収まった。
全ては洋輔の計算だった。逆転を阻止するために田部井先輩が洋輔に気を向けた瞬間、篤樹にパスを回してシュートを決めさせる。
もちろん狙うのはスリーポイントシュートだ。
まっすぐぶつかってくるものだと思っていた田部井先輩は咄嗟に動けないでいる。残り時間を考えても、これを決めるしかない。
『イメージすればいいんだよ。このボールがどんな放物線を描いてあのネットの中に入るか。その為にはどんな力を加えればいいのか』
昼休みに教えてくれた洋輔の言葉が頭の中によみがえってくる。
『距離があるんだから、力は強めな。手首のひねりをきかせて、しっかり狙って……』
あぁそうだ。イメージはできている。あとは洋輔と練習した通りにやればいいだけ。
……いけっ!
万感を込めて放ったボールが篤樹の指を離れた、その瞬間の事だった。
「あっちゃん、頑張れ!!!」
応援席の方から甲高い叫び声が聞こえた。両クラスとも熱のこもった声援を送っているし、なんならすぐ隣のコートでも同じようにバスケの試合をやっているのだから、この騒がしい空間で誰か一人の声だけが聞こえるなんていうのはあり得ない話だ。
でも篤樹の耳には確かに聞こえたのだ。彼女が思わず立ち上がって篤樹を応援してくれた声が。
葵の声も乗せ、オレンジ色のボールは放物線を描きゴール目指して飛んでいく。
「キャアアア!!」
発狂したんじゃないかと疑いたくなるくらいの悲鳴が、両クラスから上がった。何せこれで得点すれば3点追加。1年2組は大逆転で試合にも勝つことになる。これほど緊迫する状況は無い。
ボールは狙い通りにゴールのリングの上に乗ると、そのまま金属製の輪の上をぐるりと一周した。
「入れ!!」
絶妙なバランスでまだリングの上を回っているボールを見上げ、堪え切れなくなった洋輔が叫んだ。
ボールもその声に応えようと思ってくれたのかもしれない。リングの上を回るだけの勢いがなくなると、思案するかのようにほんの一瞬止まった。
しかし、止まってしまったボールの行方を決めるのは、ボールの意思ではなく、地球の重力だけ。次の瞬間、オレンジ色のボールは、あっけないほど力無く落っこちた―――そう、リングの外へと。
その直後に試合終了を告げるホイッスルが鳴り響いたのだ。
3年5組の応援席からは割れんばかりの喝采が溢れていた。ギリギリのところで勝利しただけに、興奮もひとしおらしい。
篤樹は放心状態。
シュートを放ったその場で立ち尽くしたまま「勝った……」と一言だけ呟いた。その途端、洋輔が「はぁ?」と呆れた声を上げる。
「いや、負けてるから。確かによく頑張ったけどさ、結果は結果として受け入れようぜ」
「違う……勝ったぜ、俺」
今になって全身が震えてきた。得点する以上の出来事が起きてしまったのだ。これは誰が何と言おうと篤樹の勝利だ。
そこへ田部井先輩も大きな体を揺らして近づいてきた。
「これだからイケメンってのは嫌いなんだよ」
自分のクラスが勝ったというのに、いかつい顔を大きく歪めた彼は、篤樹に向かって吐き捨てるように言ったのだ。
「あー馬鹿らし。お前も性格悪いよな。勝てない賭けなんてやらせやがって」
「何言ってんですか。賭けは、ぶちょーが言い出したんでしょ」
「あぁ? オレはバカだからそーいうとこまでちゃんと覚えてねぇんだよ」
篤樹をもう一度睨みつけた彼は、転がっていたバスケットボールを思い切り蹴り飛ばしてクラスメイトらを大いに驚かせていた。
試合に勝ったのに何をそんなに荒れているのか、彼らには分からないのだろう。
篤樹だけは知っている。彼もまた葵の声援を聞いてしまったに違いない。
あの瞬間、クラスの勝利より、焼き肉食べ放題より、彼女は篤樹を選んだ。普段あれだけおとなしい彼女が、声を張り上げて応援してくれたなんて……田部井先輩にとってはコンクリートブロックで頭をガツンと殴られたぐらいの衝撃だったのだろう。
……そういうことなら、俺だって少しくらい自信を持ってもいいのか?
胸の中には徐々に勝利の実感が膨らんで来た。だって、洋輔ですらあそこまでは応援してもらっていなかったのだ。もし彼女の中で、篤樹が弟を超えた存在になっているのだとすれば……。
「28対30で3年5組の勝利です」
審判が結果を宣言し、ありがとうございました、と選手全員で頭を下げている最中から、篤樹の体はすでに応援席へと通じる通路へ向かって走り出していた。
「葵先輩!!」
大きな声で呼び止めると、ちょうど席から立ち上がったところだった彼女は足を止めて篤樹の方へと振り向いた。
応援席は出て行く人と次の試合のために入ってくる人で大混雑していたが、そんなことはどうでもいい。篤樹が前へ進むには今しか……そう、勝利で気持ちが高揚している今しかないのだ。
篤樹は人波をかきわけて葵の元までたどり着くとその真正面に立ち、それから大きく息を吸い込んだ。
「明日から夏休みですけど、予定とかありますか?」
「え……」
「あの……今週末に花火大会があって、どうかなって」
前へ進む、夏休み、葵と一緒に過ごす……キーワードを頭の中でごちゃ混ぜにしたら咄嗟に思い出したのだ、家の近所の掲示板に花火大会のポスターが貼ってあったことを。
「花火……」
突然の提案に、葵の顔には驚きの色が浮かび上がる。
篤樹は祈るような気持ちでその後に続く彼女の感情の変化を待った。時間にすればゼロコンマ何秒かの、ほんの一瞬のことで、なんならさきほどのシュートが決まるかを待つ時間よりも短いはずだったが、固唾をのんで見守る篤樹にとっては、永遠かと思えるくらいの長さだった。
「花火って……あの……私、行ったことないから」
頬を真っ赤に染めた葵はイエスでもノーでもなく、戸惑いの声を上げた。長身の篤樹を見上げる目は、今にも泣きだしそうなほど、弱り果てている。
……あ、ヤバい。俺の方が泣きそうだ。
せっかく勢いよく乗り込んだのにこの体たらく。いける、と思ったのはただの勘違いだった? いっそのこと、ヤダな、冗談ですよ、と誤魔化し退散しようかと思ったくらいだった。
しかし篤樹の心が折れかけた次の瞬間、葵は震える声で言ったのだ。
「どうしよう……浴衣が、お母さんの持ってる渋い奴しかないんだけど」
全ては洋輔の計算だった。逆転を阻止するために田部井先輩が洋輔に気を向けた瞬間、篤樹にパスを回してシュートを決めさせる。
もちろん狙うのはスリーポイントシュートだ。
まっすぐぶつかってくるものだと思っていた田部井先輩は咄嗟に動けないでいる。残り時間を考えても、これを決めるしかない。
『イメージすればいいんだよ。このボールがどんな放物線を描いてあのネットの中に入るか。その為にはどんな力を加えればいいのか』
昼休みに教えてくれた洋輔の言葉が頭の中によみがえってくる。
『距離があるんだから、力は強めな。手首のひねりをきかせて、しっかり狙って……』
あぁそうだ。イメージはできている。あとは洋輔と練習した通りにやればいいだけ。
……いけっ!
万感を込めて放ったボールが篤樹の指を離れた、その瞬間の事だった。
「あっちゃん、頑張れ!!!」
応援席の方から甲高い叫び声が聞こえた。両クラスとも熱のこもった声援を送っているし、なんならすぐ隣のコートでも同じようにバスケの試合をやっているのだから、この騒がしい空間で誰か一人の声だけが聞こえるなんていうのはあり得ない話だ。
でも篤樹の耳には確かに聞こえたのだ。彼女が思わず立ち上がって篤樹を応援してくれた声が。
葵の声も乗せ、オレンジ色のボールは放物線を描きゴール目指して飛んでいく。
「キャアアア!!」
発狂したんじゃないかと疑いたくなるくらいの悲鳴が、両クラスから上がった。何せこれで得点すれば3点追加。1年2組は大逆転で試合にも勝つことになる。これほど緊迫する状況は無い。
ボールは狙い通りにゴールのリングの上に乗ると、そのまま金属製の輪の上をぐるりと一周した。
「入れ!!」
絶妙なバランスでまだリングの上を回っているボールを見上げ、堪え切れなくなった洋輔が叫んだ。
ボールもその声に応えようと思ってくれたのかもしれない。リングの上を回るだけの勢いがなくなると、思案するかのようにほんの一瞬止まった。
しかし、止まってしまったボールの行方を決めるのは、ボールの意思ではなく、地球の重力だけ。次の瞬間、オレンジ色のボールは、あっけないほど力無く落っこちた―――そう、リングの外へと。
その直後に試合終了を告げるホイッスルが鳴り響いたのだ。
3年5組の応援席からは割れんばかりの喝采が溢れていた。ギリギリのところで勝利しただけに、興奮もひとしおらしい。
篤樹は放心状態。
シュートを放ったその場で立ち尽くしたまま「勝った……」と一言だけ呟いた。その途端、洋輔が「はぁ?」と呆れた声を上げる。
「いや、負けてるから。確かによく頑張ったけどさ、結果は結果として受け入れようぜ」
「違う……勝ったぜ、俺」
今になって全身が震えてきた。得点する以上の出来事が起きてしまったのだ。これは誰が何と言おうと篤樹の勝利だ。
そこへ田部井先輩も大きな体を揺らして近づいてきた。
「これだからイケメンってのは嫌いなんだよ」
自分のクラスが勝ったというのに、いかつい顔を大きく歪めた彼は、篤樹に向かって吐き捨てるように言ったのだ。
「あー馬鹿らし。お前も性格悪いよな。勝てない賭けなんてやらせやがって」
「何言ってんですか。賭けは、ぶちょーが言い出したんでしょ」
「あぁ? オレはバカだからそーいうとこまでちゃんと覚えてねぇんだよ」
篤樹をもう一度睨みつけた彼は、転がっていたバスケットボールを思い切り蹴り飛ばしてクラスメイトらを大いに驚かせていた。
試合に勝ったのに何をそんなに荒れているのか、彼らには分からないのだろう。
篤樹だけは知っている。彼もまた葵の声援を聞いてしまったに違いない。
あの瞬間、クラスの勝利より、焼き肉食べ放題より、彼女は篤樹を選んだ。普段あれだけおとなしい彼女が、声を張り上げて応援してくれたなんて……田部井先輩にとってはコンクリートブロックで頭をガツンと殴られたぐらいの衝撃だったのだろう。
……そういうことなら、俺だって少しくらい自信を持ってもいいのか?
胸の中には徐々に勝利の実感が膨らんで来た。だって、洋輔ですらあそこまでは応援してもらっていなかったのだ。もし彼女の中で、篤樹が弟を超えた存在になっているのだとすれば……。
「28対30で3年5組の勝利です」
審判が結果を宣言し、ありがとうございました、と選手全員で頭を下げている最中から、篤樹の体はすでに応援席へと通じる通路へ向かって走り出していた。
「葵先輩!!」
大きな声で呼び止めると、ちょうど席から立ち上がったところだった彼女は足を止めて篤樹の方へと振り向いた。
応援席は出て行く人と次の試合のために入ってくる人で大混雑していたが、そんなことはどうでもいい。篤樹が前へ進むには今しか……そう、勝利で気持ちが高揚している今しかないのだ。
篤樹は人波をかきわけて葵の元までたどり着くとその真正面に立ち、それから大きく息を吸い込んだ。
「明日から夏休みですけど、予定とかありますか?」
「え……」
「あの……今週末に花火大会があって、どうかなって」
前へ進む、夏休み、葵と一緒に過ごす……キーワードを頭の中でごちゃ混ぜにしたら咄嗟に思い出したのだ、家の近所の掲示板に花火大会のポスターが貼ってあったことを。
「花火……」
突然の提案に、葵の顔には驚きの色が浮かび上がる。
篤樹は祈るような気持ちでその後に続く彼女の感情の変化を待った。時間にすればゼロコンマ何秒かの、ほんの一瞬のことで、なんならさきほどのシュートが決まるかを待つ時間よりも短いはずだったが、固唾をのんで見守る篤樹にとっては、永遠かと思えるくらいの長さだった。
「花火って……あの……私、行ったことないから」
頬を真っ赤に染めた葵はイエスでもノーでもなく、戸惑いの声を上げた。長身の篤樹を見上げる目は、今にも泣きだしそうなほど、弱り果てている。
……あ、ヤバい。俺の方が泣きそうだ。
せっかく勢いよく乗り込んだのにこの体たらく。いける、と思ったのはただの勘違いだった? いっそのこと、ヤダな、冗談ですよ、と誤魔化し退散しようかと思ったくらいだった。
しかし篤樹の心が折れかけた次の瞬間、葵は震える声で言ったのだ。
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