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4章 疑惑
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虫騒動の翌朝、篤樹は登校するや否や、洋輔を相手に愚痴をこぼした。
「なーんか昨日は、思いっきり肩透かしを食らった気分でさ」
洋輔の席の脇にしゃがみ込んだ篤樹は、口を尖らせながら葵の弟に訴えかける。
篤樹は確実に好意を伝えたはずだった。それなのに、彼女の語る虫ネタのインパクトでその辺も全てうやむやにされたのだ。
……まさかとは思うけど、俺の話の続きを封じるためにあのおぞましいゴキブリ話に持って行ったんじゃないよな?
『何も思っていない人と……』と篤樹が切り出した際の、葵のあの困惑しきった顔を思い出すに、そう疑いたくもなる。
その話題には触れないで欲しいから色気の欠片も無い虫の話なんてされたのでは……そう考えているうちに昨夜はひどく落ち込んでしまい、いっそ兄ちゃんに相談でもしようかと思ったが、遠方に住んでいる人にわざわざこの気分を電話口で語ったり、文章に直してメールするのもためらわれて、結局、一番身近な関係者にぶつけることにしたのだ。
「なぁ、もしかして俺ってお前のねーちゃんにとっては弟みたいなもんで、男として扱われてないのかな?」
ここは、そんなことないだろ、と全力で慰めてほしいところだったのだが、洋輔はさもありなんとばかりに大きく頷いた。
「そうだろうな。いや、そうだと思ったよ。あの人見知りの激しいねーちゃんが、会うの二回目の男にあそこまでフレンドリーな訳ねぇもん」
さすが弟。洋輔は一目で葵の抱いている感覚を見抜いていたらしい。
「やっぱりねーちゃんはどこまで行ってもねーちゃんだったな」
ゴールデンウィークに言われたこの言葉が、再度聞かされた今はずっしりと重く篤樹の頭上にのしかかってくる。
篤樹は洋輔の机の上に力無く倒れ込んだ。
「なんだよ……そこら辺、分かってたんならちゃんと教えろよ」
「だって、篤樹はねーちゃんのこと何とも思ってないなんて言うから、必要ないかと思ってさ」
洋輔はからかうような目で篤樹の顔を覗き込んできた。
「けど、その様子だとちょっとは意識してきたってことだよな?」
「……残念ながら、ちょっとどころじゃない」
昨日、葵の口から飛び出した『あっちゃんとは何でもない』発言やその後の一連の態度は、全てが想像以上のダメージをもたらしている。ここまでの凹み方になるということは、要するにそういうことなんだろう。
洋輔は慰めるように落ち込む友人の肩を叩いてくれた。
「大丈夫だって。あのねーちゃんならライバルもろくにいないし、このまま一緒に試験管振ってりゃ自然となるようになるだろ」
とてつもなく楽観的な意見を洋輔が述べたとき「えー、そうかなぁ?」と突然口を挟んできた子がいた。璃子だ。偶然隣のクラスから友人を訪ねて来ていて、篤樹たちの話を聞いていたらしい。
「何だよ?」
璃子がそこにいると気付いていなかったのと、話を勝手に聞かれていた不快感で、篤樹の声は自然と低くなる。
しかし彼女はそれにめげることなく、妙に明るい声で言い放ったのだ。
「だって、高梨先輩って彼氏がいるらしいよ」
「え」
思わず声をハモらせてしまう男子二人を、これだから男ってのは、と璃子は半ば憐れみを込めた目で見回してくる。
「彼氏がいないなんてあっちゃんの希望であり、高梨くんが教えてもらってないだけなんでしょ。先輩だってもう高三なんだから彼氏の一人や二人、いてもおかしくないよ」
「その話、誰から聞いたんだよ?」
「この前カラオケ行った時、宮沢先輩から」
「ホントだろうな?」
「疑うなら高梨先輩本人に聞いてみたらいいじゃん」
璃子の言葉に、篤樹と洋輔は弾かれたようにお互いの顔を見合わせてしまった。そこを真正面からぶつかれと?
「しょうがないなぁ。じゃあ私が聞いておいてあげるよ」
自分が聞き出すと名乗りを上げようとしない二人の様子に苦笑した璃子が、自らその役目を買って出てくれた。
「こういうのは女同士の方が余計な腹の探り合いがなくていいもんね。じゃあ次の部活の時、結果発表してあげる」
璃子は楽し気に言うと、友人との会話に戻っていったのだった。
……まさかの彼氏持ちと来たか……。
篤樹の胸にはまだ強い衝撃が残っている。そうか……それだから篤樹から向けられる好意を迷惑に感じたというのなら、辻褄はあうけれど……。
葵が他の男と並んで歩く姿なんて全く想像できない。いや、想像したくないだけか。
篤樹は何とも言えない情けない表情を浮かべて、洋輔と顔を見合わせるしかなかった。
璃子の言う次の部活というのは翌週ではなかった。中間試験があり、その一週間前から部活動は休みに入ってしまったのだ。
だから篤樹が再び化学実験室へ顔を出したのは、璃子と約束をしたちょうど三週間後、6月も半ばのことだった。
「なーんか昨日は、思いっきり肩透かしを食らった気分でさ」
洋輔の席の脇にしゃがみ込んだ篤樹は、口を尖らせながら葵の弟に訴えかける。
篤樹は確実に好意を伝えたはずだった。それなのに、彼女の語る虫ネタのインパクトでその辺も全てうやむやにされたのだ。
……まさかとは思うけど、俺の話の続きを封じるためにあのおぞましいゴキブリ話に持って行ったんじゃないよな?
『何も思っていない人と……』と篤樹が切り出した際の、葵のあの困惑しきった顔を思い出すに、そう疑いたくもなる。
その話題には触れないで欲しいから色気の欠片も無い虫の話なんてされたのでは……そう考えているうちに昨夜はひどく落ち込んでしまい、いっそ兄ちゃんに相談でもしようかと思ったが、遠方に住んでいる人にわざわざこの気分を電話口で語ったり、文章に直してメールするのもためらわれて、結局、一番身近な関係者にぶつけることにしたのだ。
「なぁ、もしかして俺ってお前のねーちゃんにとっては弟みたいなもんで、男として扱われてないのかな?」
ここは、そんなことないだろ、と全力で慰めてほしいところだったのだが、洋輔はさもありなんとばかりに大きく頷いた。
「そうだろうな。いや、そうだと思ったよ。あの人見知りの激しいねーちゃんが、会うの二回目の男にあそこまでフレンドリーな訳ねぇもん」
さすが弟。洋輔は一目で葵の抱いている感覚を見抜いていたらしい。
「やっぱりねーちゃんはどこまで行ってもねーちゃんだったな」
ゴールデンウィークに言われたこの言葉が、再度聞かされた今はずっしりと重く篤樹の頭上にのしかかってくる。
篤樹は洋輔の机の上に力無く倒れ込んだ。
「なんだよ……そこら辺、分かってたんならちゃんと教えろよ」
「だって、篤樹はねーちゃんのこと何とも思ってないなんて言うから、必要ないかと思ってさ」
洋輔はからかうような目で篤樹の顔を覗き込んできた。
「けど、その様子だとちょっとは意識してきたってことだよな?」
「……残念ながら、ちょっとどころじゃない」
昨日、葵の口から飛び出した『あっちゃんとは何でもない』発言やその後の一連の態度は、全てが想像以上のダメージをもたらしている。ここまでの凹み方になるということは、要するにそういうことなんだろう。
洋輔は慰めるように落ち込む友人の肩を叩いてくれた。
「大丈夫だって。あのねーちゃんならライバルもろくにいないし、このまま一緒に試験管振ってりゃ自然となるようになるだろ」
とてつもなく楽観的な意見を洋輔が述べたとき「えー、そうかなぁ?」と突然口を挟んできた子がいた。璃子だ。偶然隣のクラスから友人を訪ねて来ていて、篤樹たちの話を聞いていたらしい。
「何だよ?」
璃子がそこにいると気付いていなかったのと、話を勝手に聞かれていた不快感で、篤樹の声は自然と低くなる。
しかし彼女はそれにめげることなく、妙に明るい声で言い放ったのだ。
「だって、高梨先輩って彼氏がいるらしいよ」
「え」
思わず声をハモらせてしまう男子二人を、これだから男ってのは、と璃子は半ば憐れみを込めた目で見回してくる。
「彼氏がいないなんてあっちゃんの希望であり、高梨くんが教えてもらってないだけなんでしょ。先輩だってもう高三なんだから彼氏の一人や二人、いてもおかしくないよ」
「その話、誰から聞いたんだよ?」
「この前カラオケ行った時、宮沢先輩から」
「ホントだろうな?」
「疑うなら高梨先輩本人に聞いてみたらいいじゃん」
璃子の言葉に、篤樹と洋輔は弾かれたようにお互いの顔を見合わせてしまった。そこを真正面からぶつかれと?
「しょうがないなぁ。じゃあ私が聞いておいてあげるよ」
自分が聞き出すと名乗りを上げようとしない二人の様子に苦笑した璃子が、自らその役目を買って出てくれた。
「こういうのは女同士の方が余計な腹の探り合いがなくていいもんね。じゃあ次の部活の時、結果発表してあげる」
璃子は楽し気に言うと、友人との会話に戻っていったのだった。
……まさかの彼氏持ちと来たか……。
篤樹の胸にはまだ強い衝撃が残っている。そうか……それだから篤樹から向けられる好意を迷惑に感じたというのなら、辻褄はあうけれど……。
葵が他の男と並んで歩く姿なんて全く想像できない。いや、想像したくないだけか。
篤樹は何とも言えない情けない表情を浮かべて、洋輔と顔を見合わせるしかなかった。
璃子の言う次の部活というのは翌週ではなかった。中間試験があり、その一週間前から部活動は休みに入ってしまったのだ。
だから篤樹が再び化学実験室へ顔を出したのは、璃子と約束をしたちょうど三週間後、6月も半ばのことだった。
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