日に向かう花

環 花奈江

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1章 化学部の先輩

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 色づいていく紅茶を見ているうちに、二人で飲むことを全然考えていなかったと思い出したのだ。

「じゃあ、あっちゃんはこの辺からどうぞ。私は反対側のこっちの方から飲むから」

 彼女はあっさりと問題を解決した。もう一つ新しいビーカーを探し出す手間と労力を惜しんだというよりは、そもそも篤樹との間接キスなんて微塵も気にしていない様子。

 ……うん? 小さいことをいちいち気にしてるのは俺の方か?

 篤樹は薬さじを使ってティーバッグを引き上げた。

「せっかくだから、先輩からどうぞ。二年越しで実現したビーカー紅茶だし」
「いいの? ありがと」

 猫舌なのか、高梨先輩はさんざん湯気を吹き飛ばしたあと、ビーカーの淵にちょびっとだけ口をつけた。

「美味しい」
「でも本当は砂糖とミルクも欲しいんじゃないんですか?」
「なんで分かるの?」
「そういう顔してますよ。じゃあ、次からは砂糖とミルクもちゃんともらってきますね」
「もうやらなくていいよ?! この一回で十分満足だから!」

 またあの恐怖体験をやるのがよほど嫌だったのだろう。彼女はぎょっとした様子で悲鳴を上げる。

 ……あ、やべぇ。

 篤樹は思わず笑ってしまった。彼女に悲鳴を上げさせることを、もはや楽しんでいる自分がいることに気付いてしまったのだ。

「……葵先輩」
「え?」

 唐突に名前で呼ばれ、彼女は鳩が豆鉄砲でも喰らったかのような顔をしていた。

「だって、俺のことをあっちゃんって呼ぶんだし、俺だって名前の方で呼んでもいいですよね?」
「そりゃいいけど……?」

 彼女は一応頷いてくれたが、どうしてそんな呼び方をされるのか、いまいち理解できていないようだった。
 そりゃそうだろう。篤樹自身だってこの気持ちにまだ、はっきりとした名前をつけることはできないのだから。
 それでも構わない。部活動は始まったばかりだ。これから一緒に過ごす中でじっくり考えていけばいい。
 篤樹は通学鞄を引き寄せ、中からスマホを取り出した。

「文化祭のテーマとか来週からの実験とか、俺も考えときますよ。思いついたら連絡しますから、葵先輩のアドレスを教えてください」

 篤樹の申し出に、彼女の口からはまた悲鳴が上がってしまった。

「あぁ! 初日なのにみんなでアドレス交換するの忘れてた!」
「はいはい。そんなの、次の部活の時で大丈夫ですよ。とりあえず俺の分だけでも登録しておいてください」

 篤樹はスマホに入っているトークアプリのLANEを立ち上げると、二次元バーコードを表示した。これを読んでもらえば登録できる。イマドキの高校生なら誰でも使っているアプリだ。
 ところが彼女は「うーん……悪いけど任せていい?」と丸投げしてきたのだ。
 どうやら機械操作が苦手らしい。
 まぁ、このキャラクターで得意なわけもないか、と妙に納得した篤樹は全ての設定を代行してあげることに。

「へぇ……先輩のアイコンって綺麗な花ですね」

 預かったスマホを返しながら篤樹が言うと「タチアオイの花だよ。名前が葵だからね。単純でしょ」と苦笑しながら教えてくれた。
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