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第ニ章 溺れればよかった、その愛に

刺さる棘(3)

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「私は今や王の弟。あんたと対等だ」

「何言ってるんだ、お前……」

 強引に身を寄せたせいだ。
 あとずさるアルフォンスの足が絡み、二人は地面に倒れ込んだ。
 咄嗟にアルフォンスの頭をかばって抱きかかえたため、ディオールは人工池の縁に思い切り肩をぶつけてしまう。

「うっ……!」

 呻いた瞬間《レティシアの黄金の剣》が身を翻す。
 脛を蹴られ、身体を仰向けに倒された。
 次いで喉元に掌底を打ちこまれる。

「ぐっ……がはっ……」

 肺が詰まり、ディオールは大きな身体をくの字に曲げてのたうち回った。

「もう一度言ってみろ、ディオール」

 固められた拳を呆然と眺め、ディオールはいつものように「すまない」と呟く。

「す、すまなかった。どうかしていた。俺はあんたを守りたかっただけなんだ……」

「ならば!」

 アルフォンスの怒声。
 戦場でもよく通るその声に、身に沁みついた忠誠心か。
 ディオールの体から力が抜けた。

「お前は俺の命令だけ聞いていろ」

 再びの掌底。
 思わず目を閉じたディオールだが、胸に打ちこまれた手に力は込められていない。

 カサリと紙の鳴る音に恐る恐る目を開けたと同時に、アルフォンスが立ち上がる。
 腕を組んで背を向けてしまった。

「レティシアへ戻れ、ディオール」

「えっ?」

 立ち上がって紙切れを広げ、そしてディオールは息を呑む。
 植物を原料とした質の悪い紙には、細い線でびっしりと地図が記されていたのだ。

「これは、まさか……」

「ああ、そのまさかだ。王宮と街の水路の地図だよ」

 何度も部屋を抜け出して、船酔いしながら調べあげた水路である。

「ここからレティシアは大軍を率いてでも一週間足らずの距離だ。単騎で馬を飛ばせば一日で着くだろう。レティシアに戻って、姉上にこれを渡せ」

 本当に俺を守る気があるならな──そう言い捨てるアルフォンス。
 命令することに慣れた容赦ない傲慢さが己に向けられていることに、ディオールは打ち震えた。

 アルのためなら何でもしてやりたい。
 でも──。

「あ、兄に知られては……。それに私は忙しい……」

「あてもなくこんな所をうろついてるんだ。どうせ暇なんだろう」

 図星をさされ、ディオールは反射的に頷く。

「そ、それはそうだが。でも……」

「ふぅ……」

 溜め息は、苛立ちを表していた。

「それともディオール。見返りが欲しいのか?」

 初めそれがどういう意味か分からずディオールはぼんやりとかつての主人を見下ろす。
 半眼を閉じた強い視線が蔑むように己を射抜く様が心地良い。

「俺を抱きたいんだろ」

 そう言うなり、アルフォンスはシャツの喉元のボタンを外し始めた。

「アル……?」
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