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第ニ章 溺れればよかった、その愛に
約束はきっと儚い(3)
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うちの坊ちゃんとはカイン王のことであろうか?
背が高く慇懃な態度を思い返すに、その呼び名には著しく違和感を覚える。
もっと言うとだ。
「坊ちゃんなんて気色悪い」
呟いた感想は、幸いフリードの耳には届いていないようだった。
分別あるはずの中年は、しかし己のお喋りに夢中なようだ。
今は何やらカイン王の幼少期の逸話を懐かしそうに話している。
グロムアスに来たばかりのころ、夜中にうなされては城中に響く大声で泣いていたとか。
剣の稽古が苦手だったとか。
再びアルフォンスの意識は窓の外へ向けられる。
市壁の唯一の弱点である水路だが、そこを足掛かりに攻撃を仕掛けるには大軍で攻め込むような正攻法では駄目だ。
少数の精鋭による隠密行動で、あの場所から街に入り込む。
もちろんグロムアスとて弱点を放置はしていない。
見張り小屋を造って昼夜問わず兵士が常駐している。
「騒ぎにならないように水路を突破できる精鋭がレティシアにいるか?」
「脱出の計画ですか?」
不意に耳元で囁かれ、アルフォンスは息を呑んだ。
フリードのそれではない。
深く響く声に、耳朶が熱くなる。
いつのまに入って来たのか、グロムアス首都に来てから初めて会うカイン王である。
動揺を悟られまいと、アルフォンスはコホンと咳払いをした。
「こ、声に出ていたか。そんな筈はないんだが」
「しっかり声に出ていましたよ。それにご自分では気付いていないでしょうけど、あなたは意外と考えていことが顔に出るタイプのようだ」
反射的に顔を俯けるアルフォンス。
その細い顎が、王の指に捉えられる。
くいと上を向かされ、尚も往生際悪くアルフォンスは視線を泳がせていた。
黒曜石の熱い視線とぶつかると、我知らず唇がひらく。
カインの顔がゆっくりと近付いた。
「坊ちゃんの大事なひとは結構な暴れん坊で困りますよ」
しかし、そこでフリードの無粋な一言が邪魔をする。
顎の戒めが解かれた。
そのようですねと、カインが苦笑を返す。
「アルフォンス殿下が脱走されても僕を呼べばいいんですよ。あなたはこの部屋にいてください」
ハイハイと面倒くさそうに頷くフリード。
カインはアルフォンスに向き直った。
「ところでグロムアスの都はいかがですか? 実際、かなりうろついていらっしゃるようですが」
やはり行動は王に筒抜けのようだ。
アルフォンスは舌打ちしてみせた。
「こんなところにずっと閉じ込められていたら息が詰まる。ちょっとくらい外に出たっていいだろう」
「それは……できるだけ快適に過ごしていただきたいのですが。ですが、あまりうろつかれても安全を保障できませんし」
「安全というなら俺に剣を持たせろ」
低い笑い声。
「それは……」
そうして差し上げたいのはやまやまなんですがと、カインの声はどこか楽しげだ。
「でもそうすると、今度は僕の首が危うい」
「分かってるじゃないか」
交わす言葉はやわらかい。
ほだされてはならないと、アルフォンスは視線をそらす。
背が高く慇懃な態度を思い返すに、その呼び名には著しく違和感を覚える。
もっと言うとだ。
「坊ちゃんなんて気色悪い」
呟いた感想は、幸いフリードの耳には届いていないようだった。
分別あるはずの中年は、しかし己のお喋りに夢中なようだ。
今は何やらカイン王の幼少期の逸話を懐かしそうに話している。
グロムアスに来たばかりのころ、夜中にうなされては城中に響く大声で泣いていたとか。
剣の稽古が苦手だったとか。
再びアルフォンスの意識は窓の外へ向けられる。
市壁の唯一の弱点である水路だが、そこを足掛かりに攻撃を仕掛けるには大軍で攻め込むような正攻法では駄目だ。
少数の精鋭による隠密行動で、あの場所から街に入り込む。
もちろんグロムアスとて弱点を放置はしていない。
見張り小屋を造って昼夜問わず兵士が常駐している。
「騒ぎにならないように水路を突破できる精鋭がレティシアにいるか?」
「脱出の計画ですか?」
不意に耳元で囁かれ、アルフォンスは息を呑んだ。
フリードのそれではない。
深く響く声に、耳朶が熱くなる。
いつのまに入って来たのか、グロムアス首都に来てから初めて会うカイン王である。
動揺を悟られまいと、アルフォンスはコホンと咳払いをした。
「こ、声に出ていたか。そんな筈はないんだが」
「しっかり声に出ていましたよ。それにご自分では気付いていないでしょうけど、あなたは意外と考えていことが顔に出るタイプのようだ」
反射的に顔を俯けるアルフォンス。
その細い顎が、王の指に捉えられる。
くいと上を向かされ、尚も往生際悪くアルフォンスは視線を泳がせていた。
黒曜石の熱い視線とぶつかると、我知らず唇がひらく。
カインの顔がゆっくりと近付いた。
「坊ちゃんの大事なひとは結構な暴れん坊で困りますよ」
しかし、そこでフリードの無粋な一言が邪魔をする。
顎の戒めが解かれた。
そのようですねと、カインが苦笑を返す。
「アルフォンス殿下が脱走されても僕を呼べばいいんですよ。あなたはこの部屋にいてください」
ハイハイと面倒くさそうに頷くフリード。
カインはアルフォンスに向き直った。
「ところでグロムアスの都はいかがですか? 実際、かなりうろついていらっしゃるようですが」
やはり行動は王に筒抜けのようだ。
アルフォンスは舌打ちしてみせた。
「こんなところにずっと閉じ込められていたら息が詰まる。ちょっとくらい外に出たっていいだろう」
「それは……できるだけ快適に過ごしていただきたいのですが。ですが、あまりうろつかれても安全を保障できませんし」
「安全というなら俺に剣を持たせろ」
低い笑い声。
「それは……」
そうして差し上げたいのはやまやまなんですがと、カインの声はどこか楽しげだ。
「でもそうすると、今度は僕の首が危うい」
「分かってるじゃないか」
交わす言葉はやわらかい。
ほだされてはならないと、アルフォンスは視線をそらす。
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