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第2章 新しい生き方
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アネカの家事力は殆どないに等しく、帳簿付けに至っては時系列もバラバラで、収支があっていないばかりか字が汚くて、読み解くのにかなりの労力と忍耐が必要だった。
部屋数がそれほど多くなかったのが幸いして、掃除は一週間もあれば片付いた。
イヴォンヌは物置だった部屋を片付け、そこを自室に使わせてもらうことになった。
物置と言っても窓もあるし、悪くなかった。広さも寝台が部屋のほぼ半分を占めるが、日中の殆どを居間兼台所で過ごし、寝に帰るだけの部屋であれば十分だった。
アネカの商売について、最初はその特殊性からきっとお客などいないのだろうと思っていた。
しかし、人当たりが良く話術に優れ、的確な助言ができるアネカのところには、お客が引っ切り無しにやってきた。
「うまい。これも美味しいよ、イビィ」
「そうですか。鶏肉が安く手に入ったので、じゃが芋などと煮込んだだけですが」
「何言ってんのよ。鶏肉は柔らかくて骨からホロホロ身が剥がれて、とっても美味しいわ」
アネカは普段はパンとチーズやソーセージを焼いただけの食生活で、それも面倒くさいと食事を抜くこともあったらしい。
「そんなに喜んでくれて、作った甲斐があります」
「掃除洗濯も完璧、帳簿も完璧、料理も上手。あたしが男だったら間違いなくイビィを嫁にするわ」
何をしても感謝され、褒めちぎられて何だか気恥ずかしくなるが、アネカといると父たちに踏み躙られたイヴォンヌの心が癒やされていくのを感じた。
「あのさ。これは言わないでおこうかと思っていたんだけど、タリアーニ家のこと、ちょっと調べてきた」
食事が終わり、二人で向き合ってお茶を飲んでいると、アネカが話題を変えてきた。
イヴォンヌは飲もうとして持ち上げたカップを机の上に戻して、神妙な顔つきでアネカを見た。
アネカの元で暮らし始めて一ヶ月が経っていた。イヴォンヌも気にはなっていた。
もちろん、彼らが息災かどうかを心配してではない。
彼らも、イヴォンヌの安否を気に止めてなどいないだろう。
彼らがもしイヴォンヌを探すとすれば、それは自分たちの都合のいい駒として利用するためだ。
見つかって連れ戻され、またあの地獄の日々が続くと思うと、ぞっとする。
「それで…どうでしたか?」
自分の意志で勝手にいなくなったのだからと、放っておいてくれないだろうかと強く思いながら、アネカの次の言葉を待った。
「初めは誘拐だとか騒いでいたそうだ。表向きは心配する振りをしていたけど、もし身代金の要求があっても銅貨一枚払わないとかなんとか言っていたらしい」
「そう…ですか」
恐らくは使用人たちからでも聞いたのだろう。
そう言っていた父の顔が目に浮かぶ。
「でもいつまで経っても身代金の要求がないから、今度は駆け落ちだって話になっている」
「駆け落ち…誰と?」
思わずそう呟いていた。
日々家のために働かされ、殆ど外に出ることもなかったイヴォンヌが、どうやって駆け落ちしたいと思える相手と出会うというのだ。
「身持ちの悪い人間だって噂になっている」
「多分、言いふらしているのはミランダとパーシー」
「恐らく。それでイビィが先に心変わりしていたという話が広まれば、自分たちのことを正当化できる。イビィに裏切られたその元婚約者を、妹さんが慰めているうちに…」
皆まで言わなくてもその先は容易に想像できた。
「それで、彼らはもう私のことは…」
駆け落ちしたふしだらな娘だと見限って見捨ててくれたらと、一縷の望みを抱く。
「残念だけど、行方を探しているみたいだ。表向きは大事な娘だからと言うことだけど、別の意図があるだろうね」
「そうでしょうね」
「仕事が増えて大変だ。奥様とお嬢様は人使いが荒すぎる上に、要求が細かいしいつもガミガミ怒っているって、ぼやいていたよ」
大事な娘ではなく、大事な使用人とでも思っているのだろう。
家では他にも使用人がいたが、イヴォンヌが手伝うようになってから、人手が余っているからと、何人か首にしていたから、イヴォンヌが抜けた分、屋敷の仕事が停滞しているに違いない。
「私…あの家には戻りたくありません。そういうことなら、王都を離れて、どこか地方にでも行った方がいいでしょうか」
ここまで捜索の手が伸びるには時間がかかる。見つかるのが早いか。それとも父たちが諦めるのが早いか。
「逃げる必要はない。何も悪いことなんてしていないんだから」
「でも…」
「今イビィは十七歳だよね」
「はい」
「じゃあ、後一年経てば十八歳だ。成人として認められる。もし見つかっても親の庇護は必要ないし、無理矢理連れ戻されそうになっても、国に訴えれば保護してもらえる。それまで見つからないようにしていればいい」
男性の場合は十七で一人前と認められるが、女性は十八歳で成人するか、それとも十七歳になって結婚して伴侶を迎えるかでなければ成人として認められない。
「うまくいくでしょうか」
「あたしに考えがある」
部屋数がそれほど多くなかったのが幸いして、掃除は一週間もあれば片付いた。
イヴォンヌは物置だった部屋を片付け、そこを自室に使わせてもらうことになった。
物置と言っても窓もあるし、悪くなかった。広さも寝台が部屋のほぼ半分を占めるが、日中の殆どを居間兼台所で過ごし、寝に帰るだけの部屋であれば十分だった。
アネカの商売について、最初はその特殊性からきっとお客などいないのだろうと思っていた。
しかし、人当たりが良く話術に優れ、的確な助言ができるアネカのところには、お客が引っ切り無しにやってきた。
「うまい。これも美味しいよ、イビィ」
「そうですか。鶏肉が安く手に入ったので、じゃが芋などと煮込んだだけですが」
「何言ってんのよ。鶏肉は柔らかくて骨からホロホロ身が剥がれて、とっても美味しいわ」
アネカは普段はパンとチーズやソーセージを焼いただけの食生活で、それも面倒くさいと食事を抜くこともあったらしい。
「そんなに喜んでくれて、作った甲斐があります」
「掃除洗濯も完璧、帳簿も完璧、料理も上手。あたしが男だったら間違いなくイビィを嫁にするわ」
何をしても感謝され、褒めちぎられて何だか気恥ずかしくなるが、アネカといると父たちに踏み躙られたイヴォンヌの心が癒やされていくのを感じた。
「あのさ。これは言わないでおこうかと思っていたんだけど、タリアーニ家のこと、ちょっと調べてきた」
食事が終わり、二人で向き合ってお茶を飲んでいると、アネカが話題を変えてきた。
イヴォンヌは飲もうとして持ち上げたカップを机の上に戻して、神妙な顔つきでアネカを見た。
アネカの元で暮らし始めて一ヶ月が経っていた。イヴォンヌも気にはなっていた。
もちろん、彼らが息災かどうかを心配してではない。
彼らも、イヴォンヌの安否を気に止めてなどいないだろう。
彼らがもしイヴォンヌを探すとすれば、それは自分たちの都合のいい駒として利用するためだ。
見つかって連れ戻され、またあの地獄の日々が続くと思うと、ぞっとする。
「それで…どうでしたか?」
自分の意志で勝手にいなくなったのだからと、放っておいてくれないだろうかと強く思いながら、アネカの次の言葉を待った。
「初めは誘拐だとか騒いでいたそうだ。表向きは心配する振りをしていたけど、もし身代金の要求があっても銅貨一枚払わないとかなんとか言っていたらしい」
「そう…ですか」
恐らくは使用人たちからでも聞いたのだろう。
そう言っていた父の顔が目に浮かぶ。
「でもいつまで経っても身代金の要求がないから、今度は駆け落ちだって話になっている」
「駆け落ち…誰と?」
思わずそう呟いていた。
日々家のために働かされ、殆ど外に出ることもなかったイヴォンヌが、どうやって駆け落ちしたいと思える相手と出会うというのだ。
「身持ちの悪い人間だって噂になっている」
「多分、言いふらしているのはミランダとパーシー」
「恐らく。それでイビィが先に心変わりしていたという話が広まれば、自分たちのことを正当化できる。イビィに裏切られたその元婚約者を、妹さんが慰めているうちに…」
皆まで言わなくてもその先は容易に想像できた。
「それで、彼らはもう私のことは…」
駆け落ちしたふしだらな娘だと見限って見捨ててくれたらと、一縷の望みを抱く。
「残念だけど、行方を探しているみたいだ。表向きは大事な娘だからと言うことだけど、別の意図があるだろうね」
「そうでしょうね」
「仕事が増えて大変だ。奥様とお嬢様は人使いが荒すぎる上に、要求が細かいしいつもガミガミ怒っているって、ぼやいていたよ」
大事な娘ではなく、大事な使用人とでも思っているのだろう。
家では他にも使用人がいたが、イヴォンヌが手伝うようになってから、人手が余っているからと、何人か首にしていたから、イヴォンヌが抜けた分、屋敷の仕事が停滞しているに違いない。
「私…あの家には戻りたくありません。そういうことなら、王都を離れて、どこか地方にでも行った方がいいでしょうか」
ここまで捜索の手が伸びるには時間がかかる。見つかるのが早いか。それとも父たちが諦めるのが早いか。
「逃げる必要はない。何も悪いことなんてしていないんだから」
「でも…」
「今イビィは十七歳だよね」
「はい」
「じゃあ、後一年経てば十八歳だ。成人として認められる。もし見つかっても親の庇護は必要ないし、無理矢理連れ戻されそうになっても、国に訴えれば保護してもらえる。それまで見つからないようにしていればいい」
男性の場合は十七で一人前と認められるが、女性は十八歳で成人するか、それとも十七歳になって結婚して伴侶を迎えるかでなければ成人として認められない。
「うまくいくでしょうか」
「あたしに考えがある」
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