上 下
43 / 102
第五章

4

しおりを挟む
 年齢はひとつ下でも、立派に成人して子供もいる大人の男性に対してなぜ「かわいい」などと思ってしまったのだろう。

「ジゼル様?」
「あ、は、はい。えっと…な、何の…あ、そうですね。その相手に想い人がいるのは確かなのですか?」

 自分の考えに戸惑い、しどろもどろになる。
 この世の中にはたくさんの男女がいる。人は一生のうちで一体何人の人と関わっていくのか。なのに、思う人には思われず、一生側にいると思った相手と添い遂げることも難しい。

 ユリウスは最初の妻を亡くし、ジゼルは離縁した。
 
 そしてオリビアはユリウスと結婚したがっているようだが、彼にはその気はなく、ユリウスが気になる相手には別に想い人がいる。

「はっきり聞いたわけではありません」
「それなら、まだ望みはあるのではないでしょうか」
「そう思いますか?」
「ええ。と言っても、私の想像でしかありませんが、確かめてみてはいかがですか? どちらにしろ、行動しなければ何も変わりませんから」

 適切な助言が出来たらいいのだが、如何せん、ジゼルにもそれほど恋愛経験があるわけではない。

 ドミニコにも親愛の情はあったが、それも恋だったかと問われれば違うような気がする。
 ジゼルが読んだ恋愛小説に書かれていたような、身も心も焦がし、夜も眠れず四六時中その人を想う。その人のことをいつの間にか目で追い、ほんの少し姿を見ただけでも幸せを感じるということは、ドミニコに対して起こらなかった。

 子を産み、次代に血を繋ぐということが、結婚のひとつの目的ではあるのはわかっている。頭では理解しているが、あの七年は何だったのかと思うくらい、呆気ない幕切れだった。
 しかも、ドミニコを少しも恋しく思っていない自分にも、少なからずショックを受けている。
 自分はこんなにも薄情な人間だったのかと。
 それも仕方がないかも知れない。
 ドミニコに抱いていた僅かな愛情も、彼がジゼルに対して暴力を振るったことで、とっくに消え失せていた。
 暴力の後には、ドミニコは床に額を擦り付けるようにして謝った。二度としない。すまないと、ジゼルが止めてほしいと言うまで謝った。
 ただ対外的な体裁と、もし子が出来たらこの状況が変わるかもという、儚い望みだけで繋いできた関係だった。

「ところで、あなたはどうなのですか?」 
「え?」

 不意にユリウスがジゼルに尋ねた。

「どう…とは?」
「あなたは、再婚するおつもりはないのですか?」

 自分に矛先が向いて、ジゼルは戸惑った。

「わかりません。まだ…国に戻って半年ですから。父も暫くは何も言わないとは思います」
「それはそうですね。すみません」
「いえ、でも、いずれエレトリカの王女として、父が決めた相手とまた結婚するかも知れません」
「コルネリス王が…あなた自身がいいと思った相手ではなく?」
「私はエレトリカの王女です。民が王室のためにあるのでなく、国、ひいては国民のために王室があるのです。個人の損得ではなく、常に国のために尽くすのが王族としての責務です。ボルトレフを率いるあなたも、そうではないのですか?」

 王族としてどうあるべきか。幼い頃から教えられてきたことだった。王族として与えられているあらゆる特権は、国を正しく導いてこそ認められるものだ。
 決して驕らず、謙虚であること。
 そう叩き込まれてきた。

「確かに…王女としては正しいと言えるが、あなた個人はどう思っているのだ?」
「私…個人?」
「目を瞑って」
「え?」

 突然そう言われて、ジゼルはすぐにはその意味を理解できなかった。 

「変なことはしない。ただ、目を閉じて」
「は、はい」

 言われるままジゼルは目を閉じた。

「エレトリカの王女という衣を脱ぎ捨て、自分の胸の内をゆ~っくりと見つめてみなさい」
「………」
 
 目を閉じたことで、他の感覚が研ぎ澄まされるのがわかる。
 匂いや音、肌を滑る風を感じながら、己の心を見つめた。

「どうだ?」

 他の感覚に意識を集中したためか、ユリウスの言葉がすごく近いところで聴こえた。

「あ…」

 驚いたジゼルは後ろに一歩下がろうとしたが、何かに躓いて足元がもつれ、体が後ろに傾いて倒れそうになった。

「危ない!」

 後ろに倒れそうになったところ、両腕を掴まれて前に引き戻される。勢い余って額が何かにぶつかった。すんでのところで、後ろ向きに倒れるのは免れた。

「すまない。目を瞑れと言ったのが悪かった」
 
 すぐ頭の上でユリウスの声が聞こえる。

「い、いえ…私が不注意でした。ありがとう…ございます」

 体勢を立て直し、彼から離れようとジゼルはユリウスの胸に手を置いた。
 しかし、ユリウスはジゼルの腕を掴んだまま、すぐには離そうとしない。

「あの、ユリウス…さま?」

 暗闇でも篝火の灯りが届く位置にいるため、間近にいる相手の顔はわかる。
 ジゼルは息がかかる距離にユリウスの顔があって、思わず息を呑んだ。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

いつか彼女を手に入れる日まで

月山 歩
恋愛
伯爵令嬢の私は、婚約者の邸に馬車で向かっている途中で、馬車が転倒する事故に遭い、治療院に運ばれる。医師に良くなったとしても、足を引きずるようになると言われてしまい、傷物になったからと、格下の私は一方的に婚約破棄される。私はこの先誰かと結婚できるのだろうか?

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜

みおな
恋愛
 伯爵令嬢のジュエルは、王太子であるシリウスから求婚され、王太子妃になるべく日々努力していた。  そんなある日、ジュエルはシリウスが一人の女性と抱き合っているのを見てしまう。  その日以来、何度も何度も彼女との逢瀬を重ねるシリウス。  そんなに彼女が好きなのなら、彼女を王太子妃にすれば良い。  ジュエルが何度そう言っても、シリウスは「彼女は友人だよ」と繰り返すばかり。  堂々と嘘をつくシリウスにジュエルは・・・

騎士団寮のシングルマザー

古森きり
恋愛
夫と離婚し、実家へ帰る駅への道。 突然突っ込んできた車に死を覚悟した歩美。 しかし、目を覚ますとそこは森の中。 異世界に聖女として召喚された幼い娘、真美の為に、歩美の奮闘が今、始まる! ……と、意気込んだものの全く家事が出来ない歩美の明日はどっちだ!? ※ノベルアップ+様(読み直し改稿ナッシング先行公開)にも掲載しましたが、カクヨムさん(は改稿・完結済みです)、小説家になろうさん、アルファポリスさんは改稿したものを掲載しています。 ※割と鬱展開多いのでご注意ください。作者はあんまり鬱展開だと思ってませんけども。

処理中です...