上 下
197 / 266

195 弟と兄

しおりを挟む
朝議を終えて自分の執務室に戻った国王は、執務机ではなく、応接用の長椅子に座って背もたれに身を預けた。

「お疲れさまでございました」

侍従が王の目の前にお茶を置く。
王はそれを手に取り一口口に含み、顔を綻ばせた。

「うまい。セインの淹れる茶はいつも旨いな」
「恐れ入ります。励みになります」

「ジークです。よろしいでしょうか」

王が残りのお茶を味わっていると、宰相が執務室を訪れた。

「ジークか…入れ」

入室を許すとすぐに宰相が入ってきた。

「ご決裁いただきたい書類をお持ちいたしました」
「今、朝議が終わったばかりなのに、もう少しゆっくりさせてくれ」

宰相が供の者に運ばせてきた書類の山を見て国王が心底嫌そうな顔をした。

「お茶を一杯飲む時間分、間をおいたつもりですが」

国王の手元にあるまだ湯気を立てるお茶を見て宰相が言う。

「……はあ、早くキルヒライルに復帰してもらわなければ、余の体力がもたん」
「殿下とて遊んでいるわけではありませんよ」
「わかっている。しかし、公爵領から戻ってからろくに会話もしていない」
「半分は陛下のせいだと思いますが」
「そ、それを言うな……余とて反省している」

宰相の言葉に国王がたじろいだ。

公爵領からジークの妻、アリアーデと共に王宮に戻ってきたキルヒライルは予想よりかなり元気になっていて、その姿を見て心から安堵した。

駆け寄ろうとする兄をすんでのところで手で制すると「人払いを」と、彼が言った。
自分に見せたことのない思い詰めたその表情に、言われるままに皆を下がらせた。

「どういうつもりだったのですか?」

二人きりになるとすぐに彼が訊ねてきた。その声に怒気がはらんでいることを察してイースフォルドも緊張する。

「どういうつもりだったとは?」
「ローリィのことです。私が彼女の経歴について訊ねた時に、兄上は何と返事を寄越しましたか?私を謀ったのですか」
「た、謀るつもりは……」

たじろぎながらイースフォルドはキルヒライルが到着する少し前に宰相が「覚悟しておいてください」と囁いたことを思い出した。
大方、暗部の者辺りから事情を聴いていたのだろう。

「私は……そなたが女性に興味を抱いたことが嬉しく……だが、恋と言うものの辛さやもどかしさも経験して欲しいと……そういうものを経て結ばれた方がその後どんなことがあっても、それが二人の絆を深めることになるかと……」

静かだが、確かに怒りを放っている弟の様子にイースフォルドは最後には何を言いたいのかわからなくなっていた。

「二度と、私を試すようなことはしないでください」

「わ、わかった」

こくこくと頷く兄にまだ疑っている視線を向けていたが、すぐに諦めてため息を吐いた。

「それで……どうなのだ、二人の仲は……」

おずおずと気になっていたことを口にする。また弟の怒りを煽るかもと思いながらの上目遣いの質問だった。

「兄上にそれを訊く資格がありますか?もしこじれたら兄上の責任ですよ」

そう言いながらも弟の顔がほんのりと赤くなったのを彼は見逃さなかった。

「もしや……」

「どこまで期待されているかわかりませんが、何とか嫌われてはいないようです」
「やけに控えめだな……うまくいったと言うことでいいのか?」
「そのように品のない言い方はいかがなものかと……第一、今日はそのことを報告にきたわけではないのです」
「おおよそのことは事前に届いた手紙で知っている。エリゼ宮もすぐに使えるように手配している。彼女の父親が亡くなった経緯もわかった。そなたらが捕らえた者もメオデの監獄に移送した」
「例のセイリオ殿下の血筋を名乗る者たちについては?」
「それはまだ調査中だ。王都の広さを考えるともう少し時間がかかるだろう」

フィリップ司祭たちが繋がっていたとされる高官の存在はわかっているが、捕らえた者たちはその名を知らされていなかった。情報を握るものはできるだけ少なく、無用になったものは人であれ容赦なく切り捨てる者たちを相手にしていくのであれば、こちらも非情にならなければ太刀打ちできないと感じていた。

「すぐに新年の祝賀行事があります。それまでには何とか情報は掴めますか?」
「できるだけのことはするつもりだ。何人か怪しい者はわかっている。それで、お前はどうする?」
「予定どおり表向きはエリゼ宮に病気療養で引きこもり、私も彼らと合流します」
「体の具合はもういいのか?」
「アリアーデの用意してくれた薬のおかげで」
「例の者も待機させている。だが、もう少し様子をみてもいいのでは?」
「大丈夫です。一人で動くわけではありませんし、向こうが油断しているうちに動き出さなければ……」

薬を事前に用意していたお陰で予想より早く体の調子が戻った。
これまでは襲ってきた輩を捕まえても何の情報も得られなかった。
今回はようやくいくつかの情報が得られた。
だが、尻尾を掴んだと思った相手はまた手元から逃げ出した。

「何を焦っている?」

兄の言葉にキルヒライルは胸に当てた拳を更に握りしめた。

「彼らは……私の大事な女性ひとに手を出そうとしている。今度は後手に回るわけにはいかないのです」

フィリップ司祭たちの目的が王位に着くことなら、拠点を王都ここに移したことにより、何らかの動きがあるはず。

国王である兄や王妃、王子や王女たちには護ってくれる者は大勢いる。
王弟で公爵という立場の自分もいざとなれば国のため何をおいても兄たちをまもらなければならない。

しかし、彼女は、ローリィはそうはいかない。
彼女の身が危険に晒されても、いったいどれ程の助けが得られるかわからない。

グスタフが今でもローリィに執着しているかはわからない。
彼女のことだから簡単には奴等の手に落ちることはないだろう。

いざとなれば彼女が自分で対処するしかない。

少しでも早く奴等の所在を突き止め、優位に立たなければならない。


しおりを挟む
感想 104

あなたにおすすめの小説

拝啓、婚約者さま

松本雀
恋愛
――静かな藤棚の令嬢ウィステリア。 婚約破棄を告げられた令嬢は、静かに「そう」と答えるだけだった。その冷静な一言が、後に彼の心を深く抉ることになるとも知らずに。

妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢

岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか? 「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」 「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」 マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

前世軍医だった傷物令嬢は、幸せな花嫁を夢見る

花雨宮琵
恋愛
侯爵令嬢のローズは、10歳のある日、背中に刀傷を負い生死の境をさまよう。 その時に見た夢で、軍医として生き、結婚式の直前に婚約者を亡くした前世が蘇る。 何とか一命を取り留めたものの、ローズの背中には大きな傷が残った。 “傷物令嬢”として揶揄される中、ローズは早々に貴族女性として生きることを諦め、隣国の帝国医学校へ入学する。 背中の傷を理由に六回も婚約を破棄されるも、18歳で隣国の医師資格を取得。自立しようとした矢先に王命による7回目の婚約が結ばれ、帰国を余儀なくされる。 7人目となる婚約者は、弱冠25歳で東の将軍となった、ヴァンドゥール公爵家次男のフェルディナンだった。 長年行方不明の想い人がいるフェルディナンと、義務ではなく愛ある結婚を夢見るローズ。そんな二人は、期間限定の条件付き婚約関係を結ぶことに同意する。 守られるだけの存在でいたくない! と思うローズは、一人の医師として自立し、同時に、今世こそは愛する人と結ばれて幸せな家庭を築きたいと願うのであったが――。 この小説は、人生の理不尽さ・不条理さに傷つき悩みながらも、幸せを求めて奮闘する女性の物語です。 ※この作品は2年前に掲載していたものを大幅に改稿したものです。 (C)Elegance 2025 All Rights Reserved.無断転載・無断翻訳を固く禁じます。

交換された花嫁

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
「お姉さんなんだから我慢なさい」 お姉さんなんだから…お姉さんなんだから… 我儘で自由奔放な妹の所為で昔からそればかり言われ続けてきた。ずっと我慢してきたが。公爵令嬢のヒロインは16歳になり婚約者が妹と共に出来きたが…まさかの展開が。 「お姉様の婚約者頂戴」 妹がヒロインの婚約者を寝取ってしまい、終いには頂戴と言う始末。両親に話すが…。 「お姉さんなのだから、交換して上げなさい」 流石に婚約者を交換するのは…不味いのでは…。 結局ヒロインは妹の要求通りに婚約者を交換した。 そしてヒロインは仕方無しに嫁いで行くが、夫である第2王子にはどうやら想い人がいるらしく…。

あなたの妻にはなりません

風見ゆうみ
恋愛
幼い頃から大好きだった婚約者のレイズ。 彼が伯爵位を継いだと同時に、わたしと彼は結婚した。 幸せな日々が始まるのだと思っていたのに、夫は仕事で戦場近くの街に行くことになった。 彼が旅立った数日後、わたしの元に届いたのは夫の訃報だった。 悲しみに暮れているわたしに近づいてきたのは、夫の親友のディール様。 彼は夫から自分の身に何かあった時にはわたしのことを頼むと言われていたのだと言う。 あっという間に日にちが過ぎ、ディール様から求婚される。 悩みに悩んだ末に、ディール様と婚約したわたしに、友人と街に出た時にすれ違った男が言った。 「あの男と結婚するのはやめなさい。彼は君の夫の殺害を依頼した男だ」

夫に元カノを紹介された。

ほったげな
恋愛
他人と考え方や価値観が違う、ズレた夫。そんな夫が元カノを私に紹介してきた。一体何を考えているのか。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

処理中です...