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145 王宮医師

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王宮医師が同行するということは、予め先触れの人物から聞いていたが、ネヴィルさんと共に戻ってきたのが意外にも女性だったことに驚いた。

小柄でほっそりとしたその人は、フワフワの明るい茶色の髪を三つ編みにして、大きな緑の瞳にメガネをかけている。王宮医師団所属の医師であることを象徴する真っ白な上着と長いスカートが印象的だ。

「どうされたのですか?」

書斎に立つ殿下を見て彼女が驚いて訊ねた。
小柄な体から発せられたとは思えないしっかりとした声だった。

「アリアーデ?」

殿下が現れた女性医師の名を呼ぶ。顔見知りのようだった。

「まあ、アリアーデ様………」

マーサさんも彼女を知っている様子で驚いている。

「お久しぶりです。殿下、マーサさん」

アリアーデと呼ばれた女性医師は、カーテシーとまではいかないが、軽く膝を折って会釈する。

「寝室にいらっしゃると思っていましたのに、まさかお仕事ですか?」

机の上にある書類の山が視界に入ったのか、少し咎めるようにアリアーデさんが言うので、私は慌てて説明した。

「あの、これは違います!私とネヴィルさんがやっていたことで、殿下はたまたまこちらへ…………」

ちらりと殿下を見て、そこで言葉が詰まる。

「………こちらへ、どのようなご用件で来られたのですか?」

私に何をしているのか、とか訊ねられたが、殿下がここに来た理由がわからなかった。

「どのような………?」

訊ねたのは私だが、殿下は私の質問をそのまま繰り返し、どのような?どのような、と自分自身に問い質すように繰り返す。

「殿下、落ち着いてください、とにかく寝室へ戻りましょう」

私が手を差し伸べる隙もなくアリアーデ医師がそう言って近づき、小柄ながら殿下を支える。
殿下も抵抗せずに彼女に身を委ねる。

彼女に体を抱き込まれて歩きながら殿下がまた私を見つめる。

その瞳に浮かぶのはどんな感情なのか。祭りの初日に私に気持ちを打ち明けてくれたのは、夢だったのではないかとさえ思える。

「手伝います」

ホーク先生も現れ、マーサさんもチャールズさんも共に書斎を出ていく。両脇からアリアーデさんとホーク先生に寄り添われながら立ち去る殿下の姿を眺めるしかできなった。

ネヴィルさんたちもひとまずその後をついていく。

書斎には私とウィリアムさんとクリスさん、エリックさんだけが残った。

「王都への往復は大変でしたね」

近いとは言え、馬車で半日かかる距離を一日で往復したのである。しかも行きはかなりの強行だったはずだ。
私たちは長椅子に移動してそこに腰を落ち着けた。

「大丈夫だ。これくらい。それより、殿下はいつ目が覚められたんだ?」

「お昼前に……でも少し記憶が抜けているようで、ここ二ヶ月程の記憶がないようです」

私が言うと、ウィリアムさんはピクリと片方の眉を動かし、固く口許を引き締めて難しい顔をした。

「じゃあ、我々のことは……」

「覚えておられない。一人一人はっきり確かめたわけではないが、ホーク先生の見立てではそういうことです」

クリスさんが言うと、ウィリアムさんは小さく何か呟いた。

(大丈夫だとおっしゃられたのに………)

「え?」

皆で聞き返すと、ウィリアムさんは「何でもない」と首を振った。

「ところで、モリーさんのところはどうだった?」

ウィリアムさんが訊ね、私たちはモリーのことやレイさんから聞いた話を伝えた。

「それで、この書類の山か」

私と書類を見比べながらウィリアムさんが納得したように呟いた。

暫くしてネヴィルさんが戻ってきた。

診察が終われば呼ぶから、それまでホーク先生と彼女だけにして欲しいと、追い出されたそうだ。

「まさか女医さんが来られるとは思いませんでした」

前世でも多かったとは言えないが、女医さんは何人も目にしたことがある私は気にならないが、女性で高度な技術と知識を持った人は珍しい。

「殿下とは以前からのお知り合いのようでした」

「国王陛下と同じ歳で、殿下とは幼馴染みだとおっしゃっていた」

ウィリアムさんがアリアーデ医師について教えてくれた。
非常に優秀な方らしい。

「女性でお医者様……女性で護衛のローリィさんと気が合うのではないですか?」

「どうでしょうか……」

私と比べられても向こうも迷惑だろう。向こうは立派な王宮付きのお医者様だ。

「それにしても殿下は何をしにここへ来られたのでしょうか。何かおっしゃっておられましたか」

ネヴィルさんが私に訊ね、私は殿下の様子について語った。

「………ここで何をしているのか、誰の許可でここにいるのか、ネヴィルさんの名前を出すと、ネヴィルさんと何をしていたのかと………まるで尋問のようでした」

「それだけですか?」

「はい、側まできて、いきなりぐらりと倒れられそうになったので…慌てて支え………私のことはメイドのローリィだと思い出されたようですが、なぜ私が領地に来ているのかは思い出せていらっしゃらないみたいです」

虚ろに私を見つめる殿下の瞳を思い出す。
すまないというのは、思い出せないから?
殿下に触れられた頬に手を触れる。とっくに触れられた時の熱は消えていた。
この短時間で名前は思い出してもらえたのだから、満足すればいいのに、いつから自分は欲張りになったのか。ほんの少し過去に戻っただけだ。メイドのローリィとして公爵邸で働き出した頃に……。

「まだ薬のせいで混乱されているようですが、アリアーデ先生が来てくれて状況は変わるでしょう」

ネヴィルさんが何とか明るい方向へ話を持っていこうとしてくれる。

「我々は、我々にできることを今はやり遂げましょう」

目の前にある書類を指し示してネヴィルさんが言うと、何かわかったのかとウィリアムさんたちが訊いてきた。
書類仕事から逃げたクリスさんたちも、経過を知りたそうにしている。

「まだ二人できちんと確認はしていないのですが、私が気づいたことを先に申し上げてもよろしいですか?」

ネヴィルさんが私に訊ね私が頷くと、自分が確認した書類からいくつか抜き出して皆にわかるように広げた。

「確証を得るためには、これらの書類を提出したそれぞれの店の帳簿と照らし合わせる必要がありますが、結論から言えば、誰かが収穫祭のために集めたお金を横領している可能性があります」

「横領!?」

ウィリアムさんたちは驚いていたが、私は黙ってネヴィルさんと顔を見合せ頷いた。

「私もそう思います。一見、書類も完璧で収支も合っていますが、一度帳簿どおりのお金が残っているか、確認する必要があると思います。現金はデリヒ商会の金庫にあるんですよね」

「またデリヒ氏か………彼が横領の犯人か?」

クリスさんが言うと、ネヴィルさんが曖昧な返事をする。

「デリヒ氏だけなのか、もしくは一人ではなく、顔役の何人かは関与しているかも」

ネヴィルさんが濁した言葉を私が引き継いで言った。

「ネヴィルさんが領地運営に忙しく、顔役の方々を信用していたところを逆手に取られたとも言えます。ずっとこの六年間一緒に祭りを頑張ってきたネヴィルさんには彼らを疑うのは辛いかもしれませんが………」
「いえ、私がもう少ししっかりしていれば………」

すっかりショックを受けた様子のネヴィルさんを見て、私たちはかける言葉が見つからなかった。彼らを信用していただけに、ショックも大きい。

「もしかしたら、以前の老領主の頃から行われていたのかもいれません。殿下が引き継いだ頃は一旦鳴りを潜め、殿下の不在をいいことに、また手を出したのかも………」

ネヴィルさんがそんなことを漏らした。
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