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75 飼い慣らせない獣

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ローリィの部屋の前でマーサはしばらく考え込む。

本当はキルヒライル様に彼女のケガの様子をきかれ、元気なようなら連れてくると言ってここに来ていた。

さっきまでフレアたちと楽しそうに話をしていたのに、急に涙ぐんでしまって、やはりショックだったに違いない。

マーサはローリィが武器を持って立ち回ったことを知らされていなかった。襲われて落馬した、とだけ聞いていた。

今日はもう無理そうだとキルヒライル様に伝えようと彼女は彼の部屋に向かった。

それにしても、先ほどの彼女の言葉。

それはマーサが聞きたかった言葉だったが、期待した言葉でもなかった。

キルヒライル様のことは、どうやら好きなようだ。
だが、お役にたてるよう頑張る。とは、メイドとしてはそれでいいが、そんな言葉を期待していたわけではない。

キルヒライル様のことを生まれたときから知っている乳母としての勘が働く。

キルヒライル様は彼女にこれまで関わってきた、どの女性とも違う気持ちを抱いているように見受けられた。

それは恋情には未だ至っていないかも知れないが、明らかに他の女性たちとは区別されている。

確かにメイドの身分では釣り合いは取れないため、問題は山積だが、もし本当に好きな相手ができたならなんとしても成就させてやりたい。

それに、ローリィ、彼女も会ったばかりだが、マーサにはもう一人の娘のように思える。

母親心ならぬ乳母心で彼女は二人を導いてやりたくなった。

◇◇◇◇◇◇

マーサがローリィの状況を伝えてきた。

今日は早く休ませてあげた方がいいということだった。

襲撃のことがかなりショックだったようで、涙ぐんでいる。とも言った。

マーサの報告に腑に落ちないものを感じながら聞いていた。

彼女が今さらそんなことで泣くだろうか。

もちろん、マーサには彼女が自分と共に襲撃者を打ち払ったとは教えていないので、か弱い女性なら当然の反応だろうが

ケガの具合についても、マーサの見立てでは本当に軽い打ち身だということだった。決して軽く受け止める気はないが、それでもその程度で涙を浮かべるとも思えない。

彼女が泣く別の理由があるに違いない。

館に戻ると、急いで王都へ事情を伝える書簡を送り、捕らえた者は街の警羅に引き渡し、遺体は教会へ搬送した。
明日の朝、自ら取り調べを行うつもりだ。

対峙した者全てを斬り倒した自分と違い、彼女は叩きのめしても命まで奪っていなかった。
弓矢を放った男は木から落ちたのが原因で亡くなったようなので、実質的に彼女が直接手を下したとは言えない。
おかげで生き証人として情報を聞き出せる可能性ができたが、それがわざとか、たまたまかわからない。

自分としては前者であって欲しい。
自らを護るためとは言え、すでに多くの命を奪ってきた。自分のためにケガを負ったり命を落とした者もたくさんいる。
無駄な犠牲とは言わないが、一滴でも流れる血が少ないにこしたことはない。
腕は立つのはわかるが、彼女が人を殺めてきたことがあるようには見えない。

彼女にはその内の一人になって欲しくはない。
もちろん、他の皆も同じだ。

本当に、ああ言えばこう言う、頑固で引き下がることを知らない。
毎日色々な面を見せてくれて、見ていてまったく飽きない。

椅子にもたれ、自らの両手を見つめる。

彼女とともに馬から落ちた時、一瞬何があったかわからなかった。
直ぐ様、自分に回された彼女の腕と自分の下にある体に気がつき慌てて起き上がった。

なぜ彼女にあんなことができたのか、考えるより先に無茶したことに、腹を立て思わず叱った。
続いて自分たちを取り囲む男たちと対峙し、無事彼女を護れるか思案していると、先に動いたのは彼女。木の上の男に何やら投げつけ、傍らの男に手に持った武器を突き刺し、あっという間に昏倒させてしまった。

そのまま戦闘になり、短時間で全てが終わった。

もはや彼女が単なるメイドだとは誰も思わない。
昨日、宰相に向けて彼女の素性を問い合わせる書簡を送ったばかりだった。
一体、彼女は何者か。

読み書きなどの教養を身につけたメイドがそうそういるわけがない。

彼女の戦いぶりを見て、ただの使用人でなく護衛として雇われた一人だったとわかる。

訊けばやはり王都で侵入者を捕獲した時も、そこにいたということだった。

護衛に女性までまわしてくるとは。宰相も思いきったことをする。と思わなくもないが、それよりも無事だったことを安堵し、思わず彼女を抱き締めていた。

危険な目に合わせてしまったのに、平然とこれからも同じようなことがあれば、自分のことを護ると言われ肝を冷やした。

彼女が背中に手を回し軽く叩いたり撫でたりされ、無意識に彼女の髪を撫でる自分に驚いた。

襲われる前、髪色について話をする時に不用意に触れてしまった。
部下とはいえ、簡単に女性に触れるなどこれまでの人生であっただろうか。

それにしても、あのときの少年が彼女だったとは。
こちらが外套を目深に被っていたこともあり、気づかなかったのも無理はない。

これからどうしようか、と考える。
順調に回復しているとは言え、ネヴィルはようやく起き上がれるようになったばかりだ。
動き回るのは当分無理だろう。

このまま彼女をネヴィルの代理として扱っていいものかどうか。

私に仕えている筈なのに、主の言うことをまったく聞かない頑固者。

まるで飼い慣らすことの難しい獣のようだ。
媚びることをよしとしない美しい毛並みの獣。

飼い慣らせないからこそ、追いかけたくなる。
キルヒライルにとって彼女は初めてもっと知りたいと思える存在だった。
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