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21 王弟殿下の事情

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「殿下、キルヒライル様、公爵!」

自分の名前を呼ぶ宰相の声でハッと我にかえる。

「あ、ああ…ジークか」
「ジークかではありません。私のお話を聞いていらっしゃいましたか?」
「う、もちろんだ、宴のことだろう?」

呆けた様子でそう答えると、宰相のジーク・テインリヒは額に手をあてて深くため息を吐いた。

「長く大変な任務に就かれていらっしゃったのでお疲れなのはわかりますが、王宮に戻られてからご様子がおかしいですよ。これから大事を控えておりますので、しっかりしていただかないと」

今日はもう無理だと悟り、宰相はまた明日と言って部屋から退出した。

5日前にひそかに王宮に入ったキルヒライルは、三日後に開かれる宴で劇的に姿を現すことになっており、今は王宮の奥深く身を潜めている。
その存在を知るのは国王夫妻と宰相、一部の近衛騎士のみ。

マイン国がロイシュタールに対する戦意をみせ、その火種を消すべく動いたのが六年前。
側近が王にロイシュタールに戦意ありと焚き付け、戦争を起こそうとしていたことが判明し、何とか王と渡りをつけて、その側近を下したまではよかったが、自暴自棄になった残党が思った以上に抵抗したのだ。
その時、自分は一度死にかけた。頬の傷はその時のもの。
傷から感染症にかかり、その熱が原因で一週間生死をさ迷った。
怪我をする前、髪を染め、名を偽り、マイン国の中枢に取り入るべく潜入していた際の出来事だったため、昏睡状態の間、周りが知っていたマイン国の地方貴族の庶子、バート・レイノルズとして扱われた。

怪我をする前、実はロイシュタールの上層部にいる何者かが関わっているという情報を掴み、証拠を揃えるためこれまで密かに探りをいれていたのだった。

ようやく証拠を手に入れ、ロイシュタールへ戻るべく、手配を整えた。
兄へことの次第を伝える術を得て、ようやく帰城したのだった。


宰相は公務の傍らに彼を訪れ、三日後の宴の次第について確認にきていたのだが、当のキルヒライルが心ここに非ずだった。

あの日、彼は追っ手に追い付かれ、自ら傷つきながらも全てを下したが、負った刀傷で血を大量に失い、途中で気を失った…このまま死ぬのか…そう思ったことは覚えている。

顔にかかる鼻息に目を覚ますと、森の中で敷物に横たわっていた。
負った傷は治療され、傍らには薬や食べ物が置かれていた。
目の前には愛馬が自分を見下ろしている。
鼻息はこの馬のものだった。

起き上がろうと体を動かすと、左脇腹に痛みが走った。
上着を引き上げると、腹に長い帯が巻かれていた。
何とか起き上がり、何が起きたのか必死に記憶を手繰り寄せると、断片的に記憶がよみがえる。

まず浮かんだのは自分を覗き混む誰かの顔。
次に浮かんだのが…………「胸…?」
慌てて、ないないと頭を振るが、確かにあれは女性のそれだった。ふっくらとした白い乳房の先には可憐な………二つの美しい丘の谷間には、何やら十字の印があった。
そして優しく自分の額に手を当て囁く声…頬に何か暖かいものが落ちた。
そして次に浮かんだのが馬に乗って立ち去る影………

「私は………欲求不満か………」

寝ている時も起きている時もその光景がちらつく。

次の追っ手が追い付く前に何とか王都に着かねばと、馬を急がせようやくナダルに着いた。

「スカラが人の言葉を話せたらな…」

ずっと自分の傍らにいた愛馬なら、何が起こったのか全てを知っているだろうに…

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

突然の自分の出現にその場にいた誰もがどよめいた。

そして長年の不在の間に自分の右頬に走った傷痕を見て再び驚いている。

皆同じように驚いているように見えるが、なかには明らかに動揺の色を浮かべる者もいる。

それこそ、この宴を開き、予告なく自分が姿を現した意味があるというものだ。

表向きは競い舞の判定ということになっている。踊り子たちには申し訳なかったが、本当の目的を隠す隠れ蓑になってもらう。
もちろん、それなりの報酬は用意している。
悪い話ではないはずだ。

兄が自分を紹介し、互いに席に着くと、宰相の掛け声とともに正面の扉が開き、踊り子たちが並んで入ってきた。

ここからではよく顔は見えないが、それなりに美しいのだろう。
そう考えて、ふと、あの残像が甦る。
昼間は何とか思いとどまれるが、夜はきつい。
顔もわからぬその女性の、柔らかなその胸に触れ、顔を埋める夢を見て、はっと目が覚める。まるで思春期の少年のような体の反応に、自己嫌悪を覚えかけていた。

近づいてくる踊り子たちのうち、1人だけ頭ひとつ高い者がいて、自然とそちらに目がいく。
濃い金髪が灯りを受けて輝いている。
彼女たちが歩きを進めるととともに、ざわざわとしたざわめきが起こる。

それは主に自分から向かって左側に立ち並ぶ者たちから起こり、反対側にいる者たちは何事かと訝しんでいる。

四人の踊り子たちが顔の判別できる位置まできた時、宰相が止まるよう指示し、四人がその場に膝を折った。

「…………」

一番背の高い、クレアと名乗った踊り子の下履きがサックリと裂けていた。

明らかに直前に何かがあったことがわかる。

しかし同じ舞屋のもう一人の踊り子の方が明らかに動揺しているのに、当の本人は微塵も動揺の色を見せておらず、逆に静かな怒りさえ見せている。
横にいる、競争相手の踊り子から見える忌々しげな表情から、詳細はわからないが、そちらが仕掛けたと想像できる。

合図とともに音楽が始まり、四人が舞を始める。

四人ともなかなかの腕前だが、背の高いあの踊り子につい目がいくのは、舞が見事なためで、決して動く度に衣装の隙間から見える美しく白い足のせいではないと言い聞かせる。
舞台用の少し派手な化粧も、いつもは興醒めしてしまうのだが、真剣なその表情に、彼女たちも立場こそ違えど、真剣に己の役割を果たしているのだと思えた。

舞を真剣に見ず、下卑た目で彼女を見る男たちの目を潰してやりたいと思っている自分に少し驚いた。

その時、一瞬、彼女と目が合った気がした。

目が合った瞬間、目を見開き、驚いたように見えたのは気のせいだったか。次にこちらを向いた時には、その表情は消えていたので、真偽のほどはわからない。

一瞬見せたあの表情の意味は何なのか考えていると、音楽が止み、舞が終わったのがわかった。

考えるより先に体が動いた。

これ以上、彼女を厭らしい視線に晒したくない。

羽織っていたマントを腰に巻き付け、最後までやりきったことを誉める。

それは主催者としての労い。

そして、その後の言葉は、1人の男として囁いた。

後にかけた言葉に赤面する彼女をみて、満足した。

兄が自分に花を持たせてくれ、勝敗を決める権利をくれた。

今日は違った夢が見れそうだ。

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