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4 修行の始まり

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  本格的な技術の取得は、私が六歳になってからということになり、それまでは基本の身体作りからということになった。
 
 理由は私の体調をおもんばかってと、モーリス師匠にとって、女の子を教えることが初めてだから様子を見ながらということだった。

 「師匠、私は筋肉ムキムキにはなりたくありません。」

  身体づくりを始めた時、私は師匠に言った。

「…それは、どういうことだ?筋肉を付けなければ剣を振り回すこともできないぞ」

 伯爵令嬢と平民の身分差があるとは言え、そこは教えを乞う身、余計な敬語はいらない。見習い騎士に接する態度でいいということにしていた。

「私は女です」
「…そうだな」
「どんなに鍛えても遺伝子のレベルで男のようには鍛えられません」
「いで…なんだそれは?」
  
 この令嬢は時折訳の変わらない言葉を使う。

「男と同じ鍛練をしても、同じような身体にはならないようにできています」
「…まあ、確かに、男に子どもは産めんしな、体の作りも違う…止めるか?」
「やめません!」
「なら、何が言いたい?お前の言うことは難しい」

 弟子となってわかったが、このモーリスという人物は脳筋だと思う。
 それなりに腕は立つ。というかなかりの腕前だと思う。どうやって相手に勝つか、敵を倒すかということには長けているが、特効隊長としては優秀だろうが総合的な戦略には向いていない。

「力ではどんなに鍛えても男には及びません。私に必要なのは瞬発力と持久力だと思うのです」

「……」

「もし私が敵と対峙した際、相手は私が弱いと見て油断します。出会ってすぐの先制攻撃で相手を負かすことができれば、逃げる機会も作れます」

「確かにそれも有効な手だと思うが、それは一対一の場合だ。敵が複数いた場合、また、最初の一撃で相手が倒れなかった場合は持久力か」

「そうです。ですから私には一撃必殺の技と長期戦になった際に有用な方法を教えていただきたいのです」

「いやに現実的だな」

 モーリスは目の前の若干五歳の令嬢を見下ろした。
 師匠として彼女を教えるようになって半年が経っていたが、彼女の考えるトレーニングメニュー?にはすべてに理由があって、人の身体を鍛えるということは、ただ闇雲にやればいいというわけではないと、この年になって初めて知った。
 柔軟性も大事な要素であり、有酸素運動や無酸素運動を組み合わせたり、食事もただお腹いっぱい食べればいいというものでなく、組み合わせも大事であるということ。そして鍛練を行う前だけでなく、終える時にも使った筋肉を休めるために必要な手順を踏んだ方がいいことなど。

 彼女が独自に編み出したストレッチやヨガなどは、体の歪みを整え、鍛えるだけでなく、体調を整えるためにも有効で、屋敷内の侍女だけに留まらす、領内の女性たちの間で広まりつつある。

 驚いたのはそれだけにとどまらなかった。

 ローゼリアが六歳になり、当初の予定どおり剣術や体術の技術取得に入った。

「まずは基本の形を見て、相手がどのように打ち込んで来たら、どのように受け流すのが良いか練習しましょう」

 そう言って、一度手本を見せればどのような複雑な動きを見せても、すぐに形を覚えてしまうのである。

 偶然かと思ったが、あまりにもそれが続くので、そのことを指摘すると、これには本人も驚いていたので、無意識だったのだろう。

 試しにダンスなどの振りで試して見ると、これもほぼ一度見ただけで振り付けを覚えてしまった。
 記憶力がいいのかと思ったが、座学で習うこと、文字から入る情報はそれほどではないので、体で覚えることに特化しているようだ。

 なので基礎はすぐに覚えてしまったので、後は復習と応用の繰り返しとなった。



 鍛練を始める時、私は母さまともうひとつ約束したことがある。

 鍛練だけでなく、貴族の令嬢としての嗜み、礼儀作法を覚えるということだった。

 師匠から教えてもらう剣術や体術が動の所作なら、礼儀作法は静の所作だった。

 ダンスは体を動かすので、まあ楽しい。美味しいお茶の入れ方も、まあ、どうせ飲むなら美味しくできた方がいい。正しいお辞儀の仕方もそれが嗜みであるならギリギリセーフ。
 一番の難関は刺繍などの裁縫だった。
 実用性のある裁縫、ボタン付けや裾のほつれなどは、前世でも家庭科で習ったし、必要に迫られればやれないことはない。

 だけど刺繍やシャツを作るとか、細かい作業は苦痛でしかなかった。

「それは、芋虫ですか?」

 私がハンカチに刺した刺繍の柄を見て母さまが聞いた。

 私が十歳になる頃から母さまは体調を崩し、寝たり起きたりの日々を繰り返していた。

「いえ、クローバーの葉です」

 芋虫の図案を刺したハンカチなど、持ちたくもないだろう。

「本当に、あなたは出来すぎるくらいに何でもこなすのに、この件については才能に恵まれなかったのね」

 責めるでもなく、母さまが呟いた。

「えっと、一つくらい不得手なことがあった方が、可愛いでしょ?」

 苦し紛れに笑って誤魔化すと、弱々しい微笑みを母さまは浮かべた。

 このところ、隣国のマイン国との関係が悪化しており、いつ戦争が起きるかと国民は不安を抱えている。
 昨年、マイン国の国王が崩御し、新しく即位したのは前王の弟。この弟がどうやら好戦的な性格らしく、領土拡大を目論見、密かに戦争の準備を始めているという噂が流れている。
 もし、そうなれば、王都よりマイン国に近いこのアイスヴァイン領にも何らかなの影響があることは必須である。
 伯爵はその備えとして、食料の確保や領地を戦乱から護る砦を造るため、森に入り木々を伐採し、木材を大量に確保するなど、朝早く屋敷を出て、夜遅く帰り、合間を縫って王都に赴いて状況を把握するなど、忙しく立ち回っている。

 モーリスもローゼリアとの修行の合間に領民を鍛えるなど、忙しい日々を送っている。

「本当に戦争になるのでしょうか?」

 この頃はより実践的な鍛練として、二人で森に入り、獣を狩ることが多くなっていた。
 森からの帰り道、ローゼリアはモーリスに訊ねた。
 馬術、弓術、体術などを修め、剣術も細身、短剣、長剣を扱えるようになっていた。
 (勘もいいし、何より身体の軸がしっかりしている。)
 体幹がしっかりしているため、どんな角度でも確実に攻撃をかわし、また攻撃を繰り出す。馬上から弓を射る時も的確に的に当てる。
 だが、獣はいくら狩っても、ローゼリアはまだ人を傷つけたことがない。
 自分やその周囲の人間を護るための鍛練が条件だったが、本当に命の危険が迫り、相手を殺さなければならなくなった時に、人を傷つけることに躊躇いを感じては、返り討ちにあうだけだ。
 モーリスは恐らく己の人生最後の弟子になるだろ少女に、誰かを傷つけたり、そのことで傷ついたりすることがなければいいなと考えている。
 ローゼリアは十二歳になっていた。
 ストロベリーブロンドの髪は少し色味を増し、普段は赤銅色にも見えるが、光を通すとはっとするくらいに金色に輝く。
  少女らしくふっくらしていた頬はすっきりとして、少々つり目の瞳と相まって、少女とも少年とも見える中性的な美しさを醸し出していた。
 森に入る時は男の子の服装のため、少年にも見えなくない。事実、森へ行くために領地の村を通る際には、女の子達がうっとりとして眺めているの、モーリスは何度も見た。
 もちろん、伯爵家のご令嬢と知っていながらである。
 背丈はぐんぐん伸び、同じ年の女の子と比べると高い方に入る。
 避暑地としてアイスヴァイン領を訪れる貴族の奥方やご令嬢にはさすがに伯爵令嬢が武術に精通していて、森で獣を狩って暮らしているとは知られていないため、この姿は領民の間でのみ知られている。
 この国では男女とも十六歳で成人と見なされる。貴族の子女なら王室主催のパーティーが行われ、そこでその年十六歳になる者は国に忠誠を近い、早ければそこで婚姻相手も見つけることになる。
 あの両親の血を継いでいるのだ、これからますます美しさに磨きがかかるだろう。
 胸の傷がなければ、社交界に出れば求婚者が殺到することだろう。
 モーリスは出会った頃、一度だけその傷痕を見たことがあった。それは胸の中央に星形の傷として残り、周りの皮膚より少し色濃く盛り上がっていた。
 息子しかいないモーリスと妻にとって、彼女はもう一人の子ども、ただ一人の娘のに思えていた。

「上の連中も出来れば戦争は避けたいだろうし、ギリギリまで戦争回避に努めるだろう」

 どちらとも言えない答えが帰ってくる。
 前世でも戦争のない国に育ち、教育として戦争の悲惨さを教えられているが、これまで実感はなかった。肌で感じる緊張を感じ、不安が拭えない。

 実のところ、モーリスの所には少し前から王都にいる息子二人からマイン国に近いここを引き払って王都に夫婦共々来ないかという手紙が来ていた。

 戦争の芽を摘むべく王室も王弟を国境のシュルスへ派遣し、状況把握に奮闘されているようだが、マイン国における戦争への気運は高まりつつあるようだ。

 王弟のキルヒライル殿下はモーリスが騎士の職を辞し、王都を離れる時ちょうど成人の儀を控えた十五歳だった。あれから七年、今は二十二歳になられているはずだ。婚姻されたという話が耳に入ってこない所を見ると、未だに独身なのだろう。
 兄王もそうだったが、将来が楽しみな美男子だった。王族特有のプラチナブロンドに意志の強そうな濃紺の瞳が、どこか冷たい印象を与えていた。兄王は同じプラチナブロンドでも、その瞳は琥珀色で、暖かみを感じていたことを思うと、陽と暗、正反対の二人だった。

 小さい頃から聡明で思慮深く、剣術もなかなかの腕前だった。唯一の欠点というか、特徴が、周りが引くくらいの兄上大好き人間で、その事が、優秀ながら兄に取って代わる恐れも感じさせず、二つ上の兄が王位に着き、王妃との、間に王子が産まれた昨年、王位の相続権を放棄し、新たにエドワルド公爵家を創設したというのは、王都で騎士団に勤める息子からの便りに記してあった。

「あのキルヒライル殿下なら何とか戦争を未然に防いでくれるだろう」
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