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58 アドルファスさんの後悔

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「ぶらとは?」
「正確にはブラジャーと言います」

ここはもう彼の気が済むようにするしかないと諦めた。

「ブラ・ジャー…」
「いえ、ブラジャーです。続けて言います」
「ブラジャー、ブラジャー、ブラジャー」

言い慣れなくて何度もブツブツ繰り返す。

「そんなに連呼したらだめですよ。女性の胸用の下着なんですから」

ここまで言えば彼も引き下がるだろう。

「した…」

思ったとおりアドルファスさんはブツブツ言うのをピタリとやめた。

「そう…ですか」

コホンと気まずそうに咳払いしてから、ちらりと視線が胸に行ったのを見逃さなかったが、それは気にしないことにした。

「つまり異世界のあなたが身に着けていたブラ…ジャーなるものにボルタンヌが関心を示したわけですね」
「そうみたいです」
「ボルタンヌのところで扱われるなら、すぐに飛ぶように売れるでしょう」
「そんなに凄い人なんですか?」
「王族は王宮に専用の職人がいますが、王都にいる貴族の子女の殆どは彼女を贔屓にしています。元々レディ・シンクレアの専属だったんです」
「レディ・シンクレアの?」
「ええ。彼女が祖父と婚姻するため降嫁した折に独立しました。だからどんなに売れっ子で忙しくても、レディ・シンクレアが声をかければ何を置いても飛んできます」

貴族が何人いるかわからないが、一人や二人ではない筈。その人達が贔屓にしているということなら、かなりの規模の店を構えているに違いない。
それ程の売れっ子がレディ・シンクレアの声掛けですぐに駆け付けると聞いて、レディ・シンクレアの凄さを実感した。

「レディ・シンクレアって凄いんですね」
「ええ、自慢の祖母です」

アドルファスさんの口ぶりで、心の底から彼女を尊敬し、大切に思っているのがわかる。
ふと、財前さんから聞いた彼の母親のことを思い出した。
財前さんは副神官長からそれを聞いたと言っていた。だからその話がどの程度真実に近いのかわからない。
病気なのはアドルファスさんも言っていたので、それは間違い無い。
父親がその療養のために爵位をアドルファスさんに譲り、領地にいるとも言っていたので、あまり病状は芳しくないのかも。
でもその病気が何なのかは言っていなかったと思う。

「何を考えているんですか?」
「あ…いえ…その…」

黙っているとアドルファスさんが訊いてきた。
なんて言ったらいいかわからず言葉を詰まらせる。

「神殿で私について何か聞きましたか?」

それで彼も何か察したのだろう。

「……えっと…まあ…」

自分のいない所で噂されていたと知るのは気持ちのいいものではない。それがいい話でないなら尚更。

「もしかして、私の母のことですか?」
「……!」

ピクリと私の顔が強張った。
それだけで彼は悟った。

「ユイナさんは隠し事ができないようですね」
「すみません」
「別に秘密でもないですし、気にする必要はありません。どのような話だったかは想像できます」

特に怒った様子もなく、坦々とした口調で話す。レディ・シンクレアのことを自慢だと言った時とはまるで違った。

「母が病を患い、父が療養のために共に領地にいることは話しましたね」
「はい」
「母は元々体が弱くて、私を生むのが精一杯でした」
「レディ・シンクレアからお聞きしました」
「彼女が、あなたに?」

私が既にレディ・シンクレアから聞いていたことを知ると、彼は少し驚いていた。

「彼女はあなたがよほど気に入ったらしい」
「そうでしょうか。それなら嬉しいです」
「私はよく両親より彼女に似ていると言われます。どうやら好ましく思う相手も似てくるんでしょうか」
「さ、さあ…どうでしょうか…」

レディ・シンクレアに好かれるのと、アドルファスさんに好かれるのとでは意味合いが違ってくる。それをわかって言っているんだろうか。

「母は昔から虚弱で、私が魔巣窟の討伐に向かうのをとても心配していました。成人した息子に向かって怖かったら、嫌だと思ったら行かなくてもいいのよ、とまで言いました」
「それはあなたのことを愛しているからで…」
「わかっています。けれど、レインズフォード家の者として、騎士として私は逃げるわけにはいかない。やらねばならないこと。今思えば、少し傲慢になっていたかもしれません」

自分の傷に触れる。

「初陣は成功し、二度目三度目の討伐も、私は多くの成果を上げた。母の心配もその都度増していき、正直鬱陶しいとまで思うようになっていました」

そんなことを思ってはいけないのはわかっているが、彼を羨ましいと思ってしまった。息子を心配し、護ろうとする母親。
そして、自分の期待に応えられないと厳しく突き放す母親。
どちらも母親なのに、こうも違う。
アドルファスさんの母親のような人が私の母だったなら。

「心配し過ぎた母の心は限界だったのでしょう。四度目の討伐で私はこの傷を負い、そしてそれを聞いた母の心は壊れました」

アドルファスさんの口調は坦々としていて穏やかだった。
けれどそこに後悔の念が滲んでいた。
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