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31 焦燥感

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「これは…初めて味です」

アドルファスさんは薔薇の砂糖漬けを口にして言った。

「そのお菓子も美味しいです」

ジャムサンドのクラッカーは、最初ひと口だけ囓ってその味を確かめてから、残りは一気に食べた。

「薔薇が食べられるなんて初めて知りました」 
「そうでしょう、私も驚きましたわ。香水などで薔薇はありますけど、内側からも薔薇の香りがして自分が薔薇になったような気がするわ。ねえ、ユイナさん」
「匂いのきついものを食べると毛穴からも匂いが汗と一緒に滲み出てくることがありますから、薔薇も食べると肌から香りが立つのかもしれませんね」

にんにくを食べて消化すると、血液に混じり体を巡った成分が体臭に影響する。薔薇を口にしたら同じことが起こりそう。

「薔薇には肌にいい成分も含まれていますから、肌の色艶も良くなると思いますよ」
「まあ、そうなの…聞きましたか、アドルファス」
「聞こえていますよ。なぜわざわざ念を押すのですか」
「いつも私や友人との会話は上の空で聞いているじゃない。気づいていないと思って?」
「レディ・シンクレアたちも私が聞いていようといまいと、関係なく話が弾んでいるではありませんか」

レディ・シンクレアとその友人がおしゃべりしている横で、つまらなそうにしているアドルファスさんの様子が目に浮かぶ。

「年齢も性別も違うのですから会話についていけない時もあります。でもユイナさんの話ならずっと聞いていられます」

アイスブルーの目が私に注がれる。レディ・シンクレアの瞳も同じ色だけど、彼の瞳は彼女よりずっと熱が籠もっているように思える。
気の所為だろうと思いながら、じっと見られると恥ずかしい。

「きっと物珍しいからでしょうね。私も話していて楽しいです」

日本人の男性は口下手で女性を褒めるのが苦手な人が多い。外国人の男性…特に欧米の人は褒めるのが上手い。きっとアドルファスさんもそうなのだろう。レディ・シンクレアも怪我をする前は彼がモテていたと言っていた。

「あなたとの話はたとえ天気の話でも楽しいと思います」

会話の糸口が見つからないときに、取り敢えず取り繕う時に天気の話題で誤魔化す場合がある。
そんな天気の話でも私との会話が楽しいと言うなんて、どこまで彼はいい人なんだろう。

「ああ、そうだ。聖女殿のことですが」
「何かありましたか」
「いえそういうわけでは…実は神殿に問い合わせたところ、二日後に潔斎の儀を行うそうです」
「潔斎の儀?」
「浄化の力を顕現させるために神殿の奥深くに三日三晩籠もるんです」
「三日もですか」
「もう始めるのね」
「少しでも早く聖女の力を確実なものにしたいのでしょう」
「きつい修行なんですか?」

修験僧などが行うような厳しいものなのだろうか。

「さあ、神殿の秘術らしいですから、我々にはわかりません」

彼女には任務がある。そのために必要な儀式にも挑まなければならない。
料理をしたりおしゃべりなどでまったりと過ごしている私と違う。

「そういうことですので、暫く会えないでしょうから、明日にでも一度会いに行かれてはどうでしょう」
「会いたいです。是非行かせてください」

その儀式に挑む前に彼女を励ましたい。彼女は聖女でも、私の生徒に違いないのだから。

「わかりました。それなら神殿に連絡しましょう」
「何から何までありがとうございます」
「これくらい造作もないことです」
「それでも、アドルファスさんがいなかったら、私はこうしてお茶を飲むことすら出来ません」
「これも運命の巡り合わせ。あなたが受けて当然の待遇です。もっと傲慢になってもバチは当たりませんよ」

自分の面倒は自分で見られると息巻きたいところだけど、アドルファスさんがいなければ路頭に迷うしかない状況に、己の無力さを思い知る。
仕事をしている時は、時間に縛られることなく、のんびりしたいと思う時もあった。
でもゴールデンウイークや年末年始など休みが三日も続くと暇を持て余して、結局は仕事が楽しいのだと気づく。社会の一員として自分も役に立っているのだと実感した。
でもここでは、私はなんの役にも立っていない。
それでいいじゃない。のんびりすれば。そう思う反面、妙な焦燥感を感じる。

アドルファスさんは早速使用人に命じて、神殿に私の聖女との面会を申し出るよう手続きをしてくれた。

「ところで、なぜ急に薔薇がこんなに?」
「ああ…」

アドルファスさんの質問にレディ・シンクレアの目が泳いだ。
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