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18 老婆の事情
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その日アディーナは質素な服に着替えて街に出た。
日頃からよく街に出るので大体の地理は頭に入っている。
ゆうべやってきた老婆と若い男性に頼まれたことを解決するためにやってきたのだ。
最初に老婆の家を訪れた。
老婆は一人暮らしだった。
病のせいで亡くなり、その死を誰にも知られていない。だからそれを周りに知らせてほしい。それが彼女の願いだった。
そこは貧しくはないが裕福でもない。言うなれば平民の中では比較的安定した生活ができる人用の集合住宅があって、近くには公園もある。決して治安は悪くない地域だ。
黒髪を隠すため茶色のかつらを被って夕べ聞いた住所へ向かう。
亡くなったのは二日前らしい。
「あの、すいません」
ちょうど玄関先で話をしていた三人の女性達に声をかけた。
一人は乳飲み子をおんぶしており、一人はようやく歩き出したばかりの男の子を連れている。
「何か用かい、おじょうちゃん」
いきなり声をかけてきたアディーナに対して三人は愛想よく対応してくれた。
品のある物腰と母親譲りの美貌は聞き込みの際に役に立つ。時折変な輩に絡まれるが、そこは祖父仕込の身のこなしで難なくかわせた。
「この辺りにグレナダさんと言う方がお住まいだと思うのですが」
しかしアディーナが老婆の名を口にした途端彼女たちの表情が強張った。
「あんた…あのばあさんの身内?」
「いえ、ちょっとした知り合いというか…」
「まさか、あんたもあのばあさんにお金を借りにきたの?」
「え…はあ…」
孤独な老人。という感じだったが、彼女たちの反応が思っていたものと違う。
「あのばあさん、人の弱みにつけ込んで小金を貸してはそれを盾に人をこき使うんだよ。やれどこそこへ行ってあれを買ってこいだの。水を汲んでこい、肩を揉め、足を揉め、飯を作れとね」
「そうそう、借りた方も負い目があるから最初は付き合うんだけど、しょっちゅう用事をいいつけられるから堪らないってね」
「そのくせ揉み方が下手だ。作った飯はまずい。やることが遅いって文句ばっかりでね」
「確か息子が一人居たはずだけど、母親を嫌って出ていったって聞いたけど」
「あら、あたしは追い出したって聞いたよ」
「あたしらがここに住む前だからよく知らないけど、とにかく口うるさいのよ。隣に住む若い夫婦にも子供の声がうるさいって毎日文句を言いに来てたそうだよ。お陰で奥さんが気に病んでしまったそうだ」
夕べ彼女の前に現れた老婆の姿をアディーナは思い出す。
小さく背中を丸め、寂しそうにしていた姿は彼女たちが言う老婆の様子とは当てはまらない。
人の外面と内面は必ずしも同じとは限らない。
人当たりよく見えて実は詐欺師だったり、強面でも花を愛でる優しさを持つ人もいる。
人を騙し僅かな蓄えを奪い取った末に死んだ男は、生前の姿は知らないが、その霊魂は醜悪そのものの顔をしていた。
アディーナの前に現れた老婆の霊魂は、とても弱々しく固い甲羅に閉じこもる亀のようだった。
「あれ、そう言えば、今日は見かけないね」
一番年上らしい女性が言った。
「そう言えば。いつもならおしゃべりがうるさいって文句を言ってくるのに」
彼女たちのおしゃべりは日課になっているのだろう。
「いつまで油売ってるんだいってね、子どもが可哀想だろって」
「ガイスがもっと小さい頃にも怒鳴られた時があって、気がついたらいなくなっていたから、あの時は慌てたよ」
自分のスカートにひっついている男の子の頭を母親が撫でる。多分この子がガイスなんだろう。
「お子さんいなくなったことが?」
「そうなんだよ。まだヨチヨチ歩きを始めた頃でもう少しで馬車に轢かれるところだったんだよ。すんでのところで引き止められたけど」
「じゃあ、グレナダさんが注意してくれて気がついてよかったですね」
「そういうことに…なるのかね。たまたまだろうけど」
アディーナの言葉にガイスの母親は怪我の功名だと言った。
「それで、今日はグレナダさんを見かけていらっしゃらないんですか」
「そうだね。あんた、グレナダのばあさんを今日は見かけたかい?」
女性は向かいの建物から出てきた初老の男性に訊ねた。
「あのばあさんか…たしか昨日も見とらんな」
老人も顎に手を当て記憶を手繰り寄せるように小首を傾げた。
「昨日もかい?」
「おかしいね」
女性三人異変に気がついたらしく顔を見合わせた。
「少し前に咳をしてフラフラ歩いてたよ」
「ま、まさか…」
「あたし、大家を呼んでくる」
「あたしも、旦那を連れてくるよ」
途端に皆がわらわらと動き出し、辺りは急に騒がしくなった。
皆がグレナダさんの部屋に向かうのと反対にアディーナはその場を離れた。
これで皆が彼女の部屋を開けたら、倒れている彼女を発見するだろう。
アディーナができることはここまでだ。
次に彼女はもうひとつの案件のために場所を移動した。
日頃からよく街に出るので大体の地理は頭に入っている。
ゆうべやってきた老婆と若い男性に頼まれたことを解決するためにやってきたのだ。
最初に老婆の家を訪れた。
老婆は一人暮らしだった。
病のせいで亡くなり、その死を誰にも知られていない。だからそれを周りに知らせてほしい。それが彼女の願いだった。
そこは貧しくはないが裕福でもない。言うなれば平民の中では比較的安定した生活ができる人用の集合住宅があって、近くには公園もある。決して治安は悪くない地域だ。
黒髪を隠すため茶色のかつらを被って夕べ聞いた住所へ向かう。
亡くなったのは二日前らしい。
「あの、すいません」
ちょうど玄関先で話をしていた三人の女性達に声をかけた。
一人は乳飲み子をおんぶしており、一人はようやく歩き出したばかりの男の子を連れている。
「何か用かい、おじょうちゃん」
いきなり声をかけてきたアディーナに対して三人は愛想よく対応してくれた。
品のある物腰と母親譲りの美貌は聞き込みの際に役に立つ。時折変な輩に絡まれるが、そこは祖父仕込の身のこなしで難なくかわせた。
「この辺りにグレナダさんと言う方がお住まいだと思うのですが」
しかしアディーナが老婆の名を口にした途端彼女たちの表情が強張った。
「あんた…あのばあさんの身内?」
「いえ、ちょっとした知り合いというか…」
「まさか、あんたもあのばあさんにお金を借りにきたの?」
「え…はあ…」
孤独な老人。という感じだったが、彼女たちの反応が思っていたものと違う。
「あのばあさん、人の弱みにつけ込んで小金を貸してはそれを盾に人をこき使うんだよ。やれどこそこへ行ってあれを買ってこいだの。水を汲んでこい、肩を揉め、足を揉め、飯を作れとね」
「そうそう、借りた方も負い目があるから最初は付き合うんだけど、しょっちゅう用事をいいつけられるから堪らないってね」
「そのくせ揉み方が下手だ。作った飯はまずい。やることが遅いって文句ばっかりでね」
「確か息子が一人居たはずだけど、母親を嫌って出ていったって聞いたけど」
「あら、あたしは追い出したって聞いたよ」
「あたしらがここに住む前だからよく知らないけど、とにかく口うるさいのよ。隣に住む若い夫婦にも子供の声がうるさいって毎日文句を言いに来てたそうだよ。お陰で奥さんが気に病んでしまったそうだ」
夕べ彼女の前に現れた老婆の姿をアディーナは思い出す。
小さく背中を丸め、寂しそうにしていた姿は彼女たちが言う老婆の様子とは当てはまらない。
人の外面と内面は必ずしも同じとは限らない。
人当たりよく見えて実は詐欺師だったり、強面でも花を愛でる優しさを持つ人もいる。
人を騙し僅かな蓄えを奪い取った末に死んだ男は、生前の姿は知らないが、その霊魂は醜悪そのものの顔をしていた。
アディーナの前に現れた老婆の霊魂は、とても弱々しく固い甲羅に閉じこもる亀のようだった。
「あれ、そう言えば、今日は見かけないね」
一番年上らしい女性が言った。
「そう言えば。いつもならおしゃべりがうるさいって文句を言ってくるのに」
彼女たちのおしゃべりは日課になっているのだろう。
「いつまで油売ってるんだいってね、子どもが可哀想だろって」
「ガイスがもっと小さい頃にも怒鳴られた時があって、気がついたらいなくなっていたから、あの時は慌てたよ」
自分のスカートにひっついている男の子の頭を母親が撫でる。多分この子がガイスなんだろう。
「お子さんいなくなったことが?」
「そうなんだよ。まだヨチヨチ歩きを始めた頃でもう少しで馬車に轢かれるところだったんだよ。すんでのところで引き止められたけど」
「じゃあ、グレナダさんが注意してくれて気がついてよかったですね」
「そういうことに…なるのかね。たまたまだろうけど」
アディーナの言葉にガイスの母親は怪我の功名だと言った。
「それで、今日はグレナダさんを見かけていらっしゃらないんですか」
「そうだね。あんた、グレナダのばあさんを今日は見かけたかい?」
女性は向かいの建物から出てきた初老の男性に訊ねた。
「あのばあさんか…たしか昨日も見とらんな」
老人も顎に手を当て記憶を手繰り寄せるように小首を傾げた。
「昨日もかい?」
「おかしいね」
女性三人異変に気がついたらしく顔を見合わせた。
「少し前に咳をしてフラフラ歩いてたよ」
「ま、まさか…」
「あたし、大家を呼んでくる」
「あたしも、旦那を連れてくるよ」
途端に皆がわらわらと動き出し、辺りは急に騒がしくなった。
皆がグレナダさんの部屋に向かうのと反対にアディーナはその場を離れた。
これで皆が彼女の部屋を開けたら、倒れている彼女を発見するだろう。
アディーナができることはここまでだ。
次に彼女はもうひとつの案件のために場所を移動した。
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