38 / 68
37
しおりを挟む
ビッテルバーク家での生活が始まった。
私と入れ替わりにクリオさんは首都に戻って行った。
ビッテルバーク家での生活でこれまでと変わったのは私にお付きのメイドさんが出来たことだ。しかも三人も。
我が家には使用人はいたが、部屋の掃除や整理整頓はしてくれても基本身の回りのことは自分でしていた。
水差しに入った水を洗面器に注ぎ顔を洗う。最低限の化粧水などで肌を整え、それから着替えて髪をブラシでとく。
夜は浴槽にお湯は入れてもらっていたが、服を脱いで体と髪を洗いタオルで乾かすのも自分でやっていた。
でもここでは全てメイドがやる。
「おはようございます」
いつも七時くらいに起きるので、時間になるとメイドが部屋にやってくる。
リラとメーガン、イリスと言う年若い三人が私付きのメイド。
休みの日もあるので二人ずつ交代制だ。
皆、私のことをどう思っているのかわからないが、メリッサさんの躾が行き届いているのか、とても好意的に接してくれている。
「セレニア様、こちらへどうぞ」
「あの……様はいりません」
「それはできません。メイド長から主従のけじめはきちんとするように言われておりますので」
ドリフォルト家では大体がお嬢様と呼ばれていたので特に気にならなかったが、名前を様呼びされるのはまだ慣れない。
何度も言っているが一向に聞き入れてもらえないので、諦めるしかないのだろう。
寝台から出て洗面器が置かれた台の前で顔を洗い、すかさず差し出されたタオルで顔を拭く間に今日着る衣裳の候補が何着か並べられる。
「今日はどれになさいますか」
「そうね。この青ので」
衣裳は自分の手持ちで、だいたいレパートリーが決まっている。メリッサさんからは辺境伯夫人らしく夜会用やもう少し格式のある場へ着ていくものも必要だと言われているが、一年後どうなるかわからないのに、なかなかその気にはなれない。
加えて陛下から正式に婚約の許しを得たので、婚約式なるものを行うべきだとも言われているが、少し前にジーン様の帰還祝いをしたところだし、ジーン様も忙しくてなかなか日程が決められない。
それに花嫁衣裳も、一世一代の晴れ舞台なので辺境伯家に相応しいものを作るなら今から準備が必要だと言われて、ドレス以上に無駄になることがわかっているので、乗り気になれない。
もちろん作るならロザリーさんが腕を奮うと言ってくれている。
親の決めた結婚でも愛し合ったものでも、これが本当の婚約ならもっと色々なことに浮き足立ち幸せな頃なのに、自分で意識的に浮かれる気持ちに歯止めをかける。浮かれるな。これはあくまで便宜状の関係なのだからと。
周りは私が結婚の支度にいまひとつ積極的になれないのは、カーターにされたことが今でも尾を引いていると思っている。
期間限定の婚約だとは今のところ誰も思っていない。
支度を済ませて朝食室へ行くと、ジーン様がまだ座っていた。
「おはよう」
「おはよう……ございます」
私がここに移ってきて以来、ジーン様と晩餐は共にしていたがここで会うのは初めてだった。晩餐室は長いテーブルの端と端なので、会話もちゃんと出来なかった。
貴族というのは皆こんな距離感で食事を取るのかと驚いた。
でもその距離感が有り難かった。近くにいるとどうしても色々と意識してしまう。
薬で朦朧としていたは言え、何となく覚えている。ジーン様の体の熱や浮き出る筋肉。そして硬いだけでなく意外にすべらかな肌。
もしもっと意識がはっきりしていたらどうなっただろう。
いや、そもそもカーターに薬を盛られていなければ、ジーン様は私を抱くことなどなかった。
「どうぞ」
「ありがとう……ございます」
ジーン様は私が近づくと立ち上がり、向かい側の椅子を引いてくれた。
私が驚いていたのとは違い、ジーン様は私とここで鉢合わせすることを予測していたのか、特に驚いた様子はない。
貴婦人のように扱われ、更に近づいたジーン様の顔がまともに見られなくて俯いたままでお礼を言った。
「今朝は……ごゆっくりなのですね」
ジーン様は毎朝早くに起きてベラーシュを相手に鍛練し、朝食を取ると馬に乗って領地の視察に出掛けていたので、ここで会うのは今朝が初めてだった。
晩餐を頂く食堂と違い普通サイズのテーブルなので、とても距離が近い。
少し襟元が開いているので喉仏から鎖骨のラインが良く見える。
どこを見たらいいかわからなくて、手に取った焼きたてのパンを小さく千切って口に運んだ。
「大体の場所は見終わったし、今日は雨が降りそうなので視察は取り止めた。目を通さなければならない書類も溜まっている。今日は邸で仕事をするつもりだ」
「え」
ジーン様の今日の予定を聞いて驚きの声をあげてしまった。
「何を驚いている」
「いえ……別に気になさらないでください……そうですか……」
この数日、私はジーン様の執務室で自分の仕事をしていた。もちろんきちんと了承を得てのことだ。そこで私はジーン様が来る昼過ぎまでには仕事を終えていた。
今朝も執務室へ行くつもりだったが、ジーン様がそこで仕事をするなら邪魔になるし止めた方がいいだろうか。
「君もそこで仕事をしていると聞いた。私が一緒ではいやか?」
少し不機嫌そうに言うので、誤解させてしまったと気づいた。
「いえ、むしろその逆です。私がいてはジーン様のお邪魔では……それに場所が……」
「邪魔なものか。一人で籠って仕事するより一緒にいてくれる人がいた方がいい。それに机と椅子は君用の分を既に運ばせてある。問題はない」
そこまで言われては別の部屋でという選択肢はなくなった。
私と入れ替わりにクリオさんは首都に戻って行った。
ビッテルバーク家での生活でこれまでと変わったのは私にお付きのメイドさんが出来たことだ。しかも三人も。
我が家には使用人はいたが、部屋の掃除や整理整頓はしてくれても基本身の回りのことは自分でしていた。
水差しに入った水を洗面器に注ぎ顔を洗う。最低限の化粧水などで肌を整え、それから着替えて髪をブラシでとく。
夜は浴槽にお湯は入れてもらっていたが、服を脱いで体と髪を洗いタオルで乾かすのも自分でやっていた。
でもここでは全てメイドがやる。
「おはようございます」
いつも七時くらいに起きるので、時間になるとメイドが部屋にやってくる。
リラとメーガン、イリスと言う年若い三人が私付きのメイド。
休みの日もあるので二人ずつ交代制だ。
皆、私のことをどう思っているのかわからないが、メリッサさんの躾が行き届いているのか、とても好意的に接してくれている。
「セレニア様、こちらへどうぞ」
「あの……様はいりません」
「それはできません。メイド長から主従のけじめはきちんとするように言われておりますので」
ドリフォルト家では大体がお嬢様と呼ばれていたので特に気にならなかったが、名前を様呼びされるのはまだ慣れない。
何度も言っているが一向に聞き入れてもらえないので、諦めるしかないのだろう。
寝台から出て洗面器が置かれた台の前で顔を洗い、すかさず差し出されたタオルで顔を拭く間に今日着る衣裳の候補が何着か並べられる。
「今日はどれになさいますか」
「そうね。この青ので」
衣裳は自分の手持ちで、だいたいレパートリーが決まっている。メリッサさんからは辺境伯夫人らしく夜会用やもう少し格式のある場へ着ていくものも必要だと言われているが、一年後どうなるかわからないのに、なかなかその気にはなれない。
加えて陛下から正式に婚約の許しを得たので、婚約式なるものを行うべきだとも言われているが、少し前にジーン様の帰還祝いをしたところだし、ジーン様も忙しくてなかなか日程が決められない。
それに花嫁衣裳も、一世一代の晴れ舞台なので辺境伯家に相応しいものを作るなら今から準備が必要だと言われて、ドレス以上に無駄になることがわかっているので、乗り気になれない。
もちろん作るならロザリーさんが腕を奮うと言ってくれている。
親の決めた結婚でも愛し合ったものでも、これが本当の婚約ならもっと色々なことに浮き足立ち幸せな頃なのに、自分で意識的に浮かれる気持ちに歯止めをかける。浮かれるな。これはあくまで便宜状の関係なのだからと。
周りは私が結婚の支度にいまひとつ積極的になれないのは、カーターにされたことが今でも尾を引いていると思っている。
期間限定の婚約だとは今のところ誰も思っていない。
支度を済ませて朝食室へ行くと、ジーン様がまだ座っていた。
「おはよう」
「おはよう……ございます」
私がここに移ってきて以来、ジーン様と晩餐は共にしていたがここで会うのは初めてだった。晩餐室は長いテーブルの端と端なので、会話もちゃんと出来なかった。
貴族というのは皆こんな距離感で食事を取るのかと驚いた。
でもその距離感が有り難かった。近くにいるとどうしても色々と意識してしまう。
薬で朦朧としていたは言え、何となく覚えている。ジーン様の体の熱や浮き出る筋肉。そして硬いだけでなく意外にすべらかな肌。
もしもっと意識がはっきりしていたらどうなっただろう。
いや、そもそもカーターに薬を盛られていなければ、ジーン様は私を抱くことなどなかった。
「どうぞ」
「ありがとう……ございます」
ジーン様は私が近づくと立ち上がり、向かい側の椅子を引いてくれた。
私が驚いていたのとは違い、ジーン様は私とここで鉢合わせすることを予測していたのか、特に驚いた様子はない。
貴婦人のように扱われ、更に近づいたジーン様の顔がまともに見られなくて俯いたままでお礼を言った。
「今朝は……ごゆっくりなのですね」
ジーン様は毎朝早くに起きてベラーシュを相手に鍛練し、朝食を取ると馬に乗って領地の視察に出掛けていたので、ここで会うのは今朝が初めてだった。
晩餐を頂く食堂と違い普通サイズのテーブルなので、とても距離が近い。
少し襟元が開いているので喉仏から鎖骨のラインが良く見える。
どこを見たらいいかわからなくて、手に取った焼きたてのパンを小さく千切って口に運んだ。
「大体の場所は見終わったし、今日は雨が降りそうなので視察は取り止めた。目を通さなければならない書類も溜まっている。今日は邸で仕事をするつもりだ」
「え」
ジーン様の今日の予定を聞いて驚きの声をあげてしまった。
「何を驚いている」
「いえ……別に気になさらないでください……そうですか……」
この数日、私はジーン様の執務室で自分の仕事をしていた。もちろんきちんと了承を得てのことだ。そこで私はジーン様が来る昼過ぎまでには仕事を終えていた。
今朝も執務室へ行くつもりだったが、ジーン様がそこで仕事をするなら邪魔になるし止めた方がいいだろうか。
「君もそこで仕事をしていると聞いた。私が一緒ではいやか?」
少し不機嫌そうに言うので、誤解させてしまったと気づいた。
「いえ、むしろその逆です。私がいてはジーン様のお邪魔では……それに場所が……」
「邪魔なものか。一人で籠って仕事するより一緒にいてくれる人がいた方がいい。それに机と椅子は君用の分を既に運ばせてある。問題はない」
そこまで言われては別の部屋でという選択肢はなくなった。
0
お気に入りに追加
1,098
あなたにおすすめの小説
腹黒王子は、食べ頃を待っている
月密
恋愛
侯爵令嬢のアリシア・ヴェルネがまだ五歳の時、自国の王太子であるリーンハルトと出会った。そしてその僅か一秒後ーー彼から跪かれ結婚を申し込まれる。幼いアリシアは思わず頷いてしまい、それから十三年間彼からの溺愛ならぬ執愛が止まらない。「ハンカチを拾って頂いただけなんです!」それなのに浮気だと言われてしまいーー「悪い子にはお仕置きをしないとね」また今日も彼から淫らなお仕置きをされてーー……。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~
一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、
快楽漬けの日々を過ごすことになる!
そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!?
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
【R-18】逃げた転生ヒロインは辺境伯に溺愛される
吉川一巳
恋愛
気が付いたら男性向けエロゲ『王宮淫虐物語~鬼畜王子の後宮ハーレム~』のヒロインに転生していた。このままでは山賊に輪姦された後に、主人公のハーレム皇太子の寵姫にされてしまう。自分に散々な未来が待っていることを知った男爵令嬢レスリーは、どうにかシナリオから逃げ出すことに成功する。しかし、逃げ出した先で次期辺境伯のお兄さんに捕まってしまい……、というお話。ヒーローは白い結婚ですがお話の中で一度別の女性と結婚しますのでご注意下さい。
騎士団長との淫らな秘めごと~箱入り王女は性的に目覚めてしまった~
二階堂まや
恋愛
リクスハーゲン王国の第三王女ルイーセは過保護な姉二人に囲まれて育った所謂''箱入り王女''であった。彼女は王立騎士団長のウェンデと結婚するが、獅子のように逞しく威風堂々とした風貌の彼とどう接したら良いか分からず、遠慮のある関係が続いていた。
そんなある日ルイーセはいつものように森に散歩に行くと、ウェンデが放尿している姿を偶然目撃してしまう。何故だかルイーセはその光景が忘れられず、それは彼女にとって性の目覚めのきっかけとなるのだった。さあ、官能的で楽しい夫婦生活の始まり始まり。
+性的に目覚めたヒロインを器の大きい旦那様(騎士団長)が受け入れて溺愛らぶえっちに至るというエロに振り切った作品なので、気軽にお楽しみいただければと思います。
+R18シーン有り→章名♡マーク
+関連作
「親友の断罪回避に奔走したら断罪されました~悪女の友人は旦那様の溺愛ルートに入ったようで~」
【完結】お義父様と義弟の溺愛が凄すぎる件
百合蝶
恋愛
お母様の再婚でロバーニ・サクチュアリ伯爵の義娘になったアリサ(8歳)。
そこには2歳年下のアレク(6歳)がいた。
いつもツンツンしていて、愛想が悪いが(実話・・・アリサをーーー。)
それに引き替え、ロバーニ義父様はとても、いや異常にアリサに構いたがる!
いいんだけど触りすぎ。
お母様も呆れからの憎しみも・・・
溺愛義父様とツンツンアレクに愛されるアリサ。
デビュタントからアリサを気になる、アイザック殿下が現れーーーーー。
アリサはの気持ちは・・・。
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる