229 / 266
番外編 その後の二人
9
しおりを挟む
翌日朝早くルイスレーンは災害現場へ出発した。
一度軍本部に出向き、そこでアンドレア殿下と合流するそうだ。
ルイスレーンを見送るのは今回が初めてではない。
カメイラとの戦争の時も、度々ある遠征の時も見送ってきた。
これからも何度もこういう風に見送ることがあるだろう。
最近はあまり思い出さなくなり記憶の彼方に消えつつあるあの人も一ヶ月の長期出張を含め、よく出張していた。
ルイスレーンのように大勢の部下を従えてというものでなく、たった一人で。
今思えばその内の何回かは彼女、有紗さんと二人の子どもと共に過ごしていたのだろう。
戸籍上は結婚していても浮気は私の方だった。
あの人は出会ってから一度も私(愛理)に愛情を向けたことはなかった。
表面上は仲の良い夫婦を装った仮面夫婦。
ルイスレーンとの日々も始めはそうなるとおもっていた。クリスティアーヌだけだった時はただ彼が怖かった。
アイリとして目覚めて彼から逃げることを考えていたなんて今では信じられない。
少しでも彼と一緒にいたくて、彼が愛しくて、彼と過ごす時間はかけがえのないものになっている。
「そう言えば…」
あの人が一時頻繁に私の体を求めたことがあった。
ほんの数ヶ月ほどだったが、夜遅く帰り寝ていた私(愛理)を起こして、前戯もなくただ自分の欲望だけを投げつけてきた。
愚かにもそれを夫婦の当たり前の行為だと思い込み、痛くて辛かったが黙って耐えていた。
そうして自分の性欲を吐き出すだけ吐いて、ことが済むと自分の寝室に引き上げていった。
「まさか…」
どうして今そのことを思い出したのか。
父が亡くなりあの人が有紗さんとその息子を家に連れてきた。
あの時、あの子はいくつだった?
あの人が私を強引に何度も求めた時期は、ちょうど有紗さんがあの子を妊娠していた頃ではなかったか。
妊娠中の彼女の代わりに、処理できない性欲を私で満たしていたのか。
「馬鹿ね…今更そんなことを思い出してどうなるというの」
私(愛理)に対する愛情どころか憐れみの感情すら抱いていなかった男のことを今更思い出したところで、愛理としての人生はとっくに終わっている。
有紗さんが語ったあの人の末路は酷いものだった。
因果応報とも言える最期で、可哀相とも気の毒だとも思わない。
ただ、盲目的にあの人を信じていた自分の愚かさを思い出して腹が立った。
「忘れよう。考えるだけで気分が悪くなる」
こんなことを思い出したのは気持ちが不安定で、精神安定剤のようなルイスレーンが側にいないからだ。
「何か楽しいことを考えないと…」
悪阻が収まったのなら、暫くできなかったお菓子作りを再開しようか。
そして美しい庭園を見ながらお菓子とお茶をいただこう。
そう思って何ヶ月ぶりかで厨房に足を運んだ。
「奥様」
厨房の責任者のブロンソンが私を見て駆け寄ってきた。
「ここで会うのは久しぶりね」
食べ物の匂いが辛くて自然と足が遠ざかっていた厨房は、相変わらず活気に満ちていた。
「ここにお出でになられるほど元気になられて良かったです」
「心配させてごめんなさい。それと、私の要望を聞いてくれてありがとう」
「とんでもございません。あの程度のこと、奥様のお役に立てたなら私も満足です」
「でも、大変だったでしょ」
「まあ…しかしよくあんなものご存知でしたね」
食べ物の匂いを受け付けなくて、でも栄養を少しでも取らなければと考えていた時、ふとオーツ麦のことを思い出した。
燕麦とも呼ばれるそれは前世ではオートミールとして食されていた原料だ。
通っていた料理教室の先生は何でも手作りする人で、オートミールやドライフルーツなどからグラノーラを作ったことがある。
レシピを思い出し、ブロンソンに市場や珍しい食材を扱う商人に掛け合ってもらってよく似た食材を探してもらった。
作ったグラノーラとマシュマロを混ぜたシリアルバーを作って食べられるときに食べた。
「私が何とか今生きていられるのはブロンソンのおかげよ」
大袈裟でもなんでもなく、私が食べられそうだと思ったものを、私の説明だけで何とか形にしてくれたのは彼だ。
「そう言っていただけて職人として頑張ったかいがあります。それに、私も勉強になりました」
「あなたならやってくれると思ったわ」
「過分なお褒めの言葉ありがとうございます。それで、今日はどのような御用で?」
「久しぶりに何か作ろうかと…これは?」
配膳用のテーブルの上にボウルに布を被せたものが目に入った。
「あ、それは…」
布を取り去ると大量のキャラメルの切れ端が盛られていた。
一度軍本部に出向き、そこでアンドレア殿下と合流するそうだ。
ルイスレーンを見送るのは今回が初めてではない。
カメイラとの戦争の時も、度々ある遠征の時も見送ってきた。
これからも何度もこういう風に見送ることがあるだろう。
最近はあまり思い出さなくなり記憶の彼方に消えつつあるあの人も一ヶ月の長期出張を含め、よく出張していた。
ルイスレーンのように大勢の部下を従えてというものでなく、たった一人で。
今思えばその内の何回かは彼女、有紗さんと二人の子どもと共に過ごしていたのだろう。
戸籍上は結婚していても浮気は私の方だった。
あの人は出会ってから一度も私(愛理)に愛情を向けたことはなかった。
表面上は仲の良い夫婦を装った仮面夫婦。
ルイスレーンとの日々も始めはそうなるとおもっていた。クリスティアーヌだけだった時はただ彼が怖かった。
アイリとして目覚めて彼から逃げることを考えていたなんて今では信じられない。
少しでも彼と一緒にいたくて、彼が愛しくて、彼と過ごす時間はかけがえのないものになっている。
「そう言えば…」
あの人が一時頻繁に私の体を求めたことがあった。
ほんの数ヶ月ほどだったが、夜遅く帰り寝ていた私(愛理)を起こして、前戯もなくただ自分の欲望だけを投げつけてきた。
愚かにもそれを夫婦の当たり前の行為だと思い込み、痛くて辛かったが黙って耐えていた。
そうして自分の性欲を吐き出すだけ吐いて、ことが済むと自分の寝室に引き上げていった。
「まさか…」
どうして今そのことを思い出したのか。
父が亡くなりあの人が有紗さんとその息子を家に連れてきた。
あの時、あの子はいくつだった?
あの人が私を強引に何度も求めた時期は、ちょうど有紗さんがあの子を妊娠していた頃ではなかったか。
妊娠中の彼女の代わりに、処理できない性欲を私で満たしていたのか。
「馬鹿ね…今更そんなことを思い出してどうなるというの」
私(愛理)に対する愛情どころか憐れみの感情すら抱いていなかった男のことを今更思い出したところで、愛理としての人生はとっくに終わっている。
有紗さんが語ったあの人の末路は酷いものだった。
因果応報とも言える最期で、可哀相とも気の毒だとも思わない。
ただ、盲目的にあの人を信じていた自分の愚かさを思い出して腹が立った。
「忘れよう。考えるだけで気分が悪くなる」
こんなことを思い出したのは気持ちが不安定で、精神安定剤のようなルイスレーンが側にいないからだ。
「何か楽しいことを考えないと…」
悪阻が収まったのなら、暫くできなかったお菓子作りを再開しようか。
そして美しい庭園を見ながらお菓子とお茶をいただこう。
そう思って何ヶ月ぶりかで厨房に足を運んだ。
「奥様」
厨房の責任者のブロンソンが私を見て駆け寄ってきた。
「ここで会うのは久しぶりね」
食べ物の匂いが辛くて自然と足が遠ざかっていた厨房は、相変わらず活気に満ちていた。
「ここにお出でになられるほど元気になられて良かったです」
「心配させてごめんなさい。それと、私の要望を聞いてくれてありがとう」
「とんでもございません。あの程度のこと、奥様のお役に立てたなら私も満足です」
「でも、大変だったでしょ」
「まあ…しかしよくあんなものご存知でしたね」
食べ物の匂いを受け付けなくて、でも栄養を少しでも取らなければと考えていた時、ふとオーツ麦のことを思い出した。
燕麦とも呼ばれるそれは前世ではオートミールとして食されていた原料だ。
通っていた料理教室の先生は何でも手作りする人で、オートミールやドライフルーツなどからグラノーラを作ったことがある。
レシピを思い出し、ブロンソンに市場や珍しい食材を扱う商人に掛け合ってもらってよく似た食材を探してもらった。
作ったグラノーラとマシュマロを混ぜたシリアルバーを作って食べられるときに食べた。
「私が何とか今生きていられるのはブロンソンのおかげよ」
大袈裟でもなんでもなく、私が食べられそうだと思ったものを、私の説明だけで何とか形にしてくれたのは彼だ。
「そう言っていただけて職人として頑張ったかいがあります。それに、私も勉強になりました」
「あなたならやってくれると思ったわ」
「過分なお褒めの言葉ありがとうございます。それで、今日はどのような御用で?」
「久しぶりに何か作ろうかと…これは?」
配膳用のテーブルの上にボウルに布を被せたものが目に入った。
「あ、それは…」
布を取り去ると大量のキャラメルの切れ端が盛られていた。
20
お気に入りに追加
4,259
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
騎士団寮のシングルマザー
古森きり
恋愛
夫と離婚し、実家へ帰る駅への道。
突然突っ込んできた車に死を覚悟した歩美。
しかし、目を覚ますとそこは森の中。
異世界に聖女として召喚された幼い娘、真美の為に、歩美の奮闘が今、始まる!
……と、意気込んだものの全く家事が出来ない歩美の明日はどっちだ!?
※ノベルアップ+様(読み直し改稿ナッシング先行公開)にも掲載しましたが、カクヨムさん(は改稿・完結済みです)、小説家になろうさん、アルファポリスさんは改稿したものを掲載しています。
※割と鬱展開多いのでご注意ください。作者はあんまり鬱展開だと思ってませんけども。
前世軍医だった傷物令嬢は、幸せな花嫁を夢見る
花雨宮琵
恋愛
侯爵令嬢のローズは、10歳のある日、背中に刀傷を負い生死の境をさまよう。
その時に見た夢で、軍医として生き、結婚式の直前に婚約者を亡くした前世が蘇る。
何とか一命を取り留めたものの、ローズの背中には大きな傷が残った。
“傷物令嬢”として揶揄される中、ローズは早々に貴族女性として生きることを諦め、隣国の帝国医学校へ入学する。
背中の傷を理由に六回も婚約を破棄されるも、18歳で隣国の医師資格を取得。自立しようとした矢先に王命による7回目の婚約が結ばれ、帰国を余儀なくされる。
7人目となる婚約者は、弱冠25歳で東の将軍となった、ヴァンドゥール公爵家次男のフェルディナンだった。
長年行方不明の想い人がいるフェルディナンと、義務ではなく愛ある結婚を夢見るローズ。そんな二人は、期間限定の条件付き婚約関係を結ぶことに同意する。
守られるだけの存在でいたくない! と思うローズは、一人の医師として自立し、同時に、今世こそは愛する人と結ばれて幸せな家庭を築きたいと願うのであったが――。
この小説は、人生の理不尽さ・不条理さに傷つき悩みながらも、幸せを求めて奮闘する女性の物語です。
※この作品は2年前に掲載していたものを大幅に改稿したものです。
(C)Elegance 2025 All Rights Reserved.無断転載・無断翻訳を固く禁じます。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる