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第十三章

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もし彼女が正気を取り戻し、そのことを知ったらどう思うだろう。

ウェストに告げたことは嘘ではない。詭弁に聞こえてもそれが本心だ。

彼女が自分以外の男に手込めにされても、彼女を受け入れるつもりだった。
しかしそれは彼女に対してであって、彼女を凌辱した相手に手加減を加えるつもりはなかった。

「……あっさりりすぎたか……」

恐らく……いや十中八九相手はバーレーンだ。奇しくも彼は自分が手にかけて既に亡き者となった。

もっと痛め付ければよかった。

「クリスティアーヌ……」

今は薬で眠っている彼女の頬に触れる。

「閣下……大変なのはこれからです。中毒というのは禁断症状が伴います。よくあるものでは発汗に痙攣、幻覚や幻聴、時には暴力的になる者います」

「それは知っている。士官学校でも薬物依存については教えられる。では、彼女もそうなるのか?」

穏やかに眠る彼女の顔を見る。

「どんな薬物かわかりません。同じ症状が出るか、出ないのか。しかし目が離せないのは確かです」

「それは私にも出来るか?私が付き添う。そなたらは何の薬が使われたか突き止めろ」

「大変ですよ……泣いても喚いても心を鬼にして押さえ付け、苦しむ彼女を見ることになるんです。しかも気が抜けない。もしかしたらあまりに辛くて少しでも目を離すと自ら命を絶とうするかもしれません」

「ずっと見張っていればいいのだな。大事ない。少々の徹夜は慣れている」

眠る彼女の手を握り、彼女が苦しむなら同じように自分もそれに付き添う覚悟があることを二人に告げた。

「………わかりました。それではダレクやマリアンナたちにも協力してもらいましょう。彼らにも何が必要か伝えて皆で看病にあたってください。責任者は閣下ですが、一人で抱え込まれないように」
「わかっている……」

「では私が王宮医師団と交渉しよう。スベン殿は彼女の治療に全力を尽くしてくれ」

ベイル氏がかつて所属していた強みで交渉をかって出た。

それからの五日間は自分にとっても彼女にとっても過酷な日々だった。

まず彼女を襲ったのは異様なまでの喉の渇き。いくらでも水を欲し慌てて飲もうとして溢した水までまるで動物のように這いずり回って飲もうとする。

それから幻聴幻覚に悩まされ、微かな衣擦れの音や外の鳥の囀ずりや風の音にも敏感になり、僅かな光でも眩しいと言った。

相変わらず聞いたことのない言葉を発し、突然泣いたり喚いたり笑ったりを繰り返し、不意に事切れたように眠りに落ちる。

そして眠りから覚めると今度はその瞳に何も写さなくなり、魂が抜けたように大人しくなる。

「旦那様……少しお休みになられては?」

三日目にマリアンナが心配して交代を申し出た。

少し前まで脅えて泣き叫んでいた彼女が、ようやく眠りについた時だった。
涙で濡れた顔を湿らせたタオルで拭い、乱れた髪に櫛を通す。
殆ど食べ物も受け付けないため、辛うじて具のないスープを口移しで飲ませるのがやっとだったため、目に見えて痩せていく。
自分も彼女が食べられるまでは断食の覚悟だったが、旦那様が倒れては元もこもないとダレクたちやスベンたちに懇願され、彼女が眠りに落ちている間に流すように食べ、仮眠を取る。
スベンからあまり酷く暴れるなら手足を縛ったり薬で強制的に眠らせるかと提案されたが、既に中毒で苦しんでいる彼女にこれ以上の薬を投与したり、縛ることはしたくなかった。

「まだ三日目だ。これくらいで根を上げては覚悟が足りないと笑われる」

痩せ我慢でも意固地になっているわけでもなく、自分が望んでやっていることだ。

三日目が過ぎると、禁断症状も少し落ち着いてきた。

「アイリ」

彼女のもうひとつの名前で呼ぶと、僅かだがその瞳に生気が灯った。

「▲□★☆×▲★○」

うわ言のように彼女の口から発せられる言葉は、もしかしたらあちらの世界の言葉なのかも知れないと思い出した。

そういえばと、マリアンナがクリスティアーヌが倒れた後にも、聞き慣れない言葉を話していたと思い出した。

今、彼女は完全に「アイリ」なのだ。

聞いたことのない言語だったが、不思議とその発音は柔らかく、流れるような音調だった。

そうして一週間が過ぎる頃、ベイル氏が初めて見る髭を蓄えた男とカメイラのサルエルと共に朗報を持ってやって来た。

彼らはクリスティアーヌに投与された薬についての情報をもたらした。

「黒の魔石?」
「そうです。カメイラには昔から極稀に採掘されておりまして、どうもその魔石は風の通りも水捌けも悪い、動物が死に場所としている盆地の辺りで採掘されることが多く、身に付けているだけで不吉とされておりました」

「ところが、この魔石の利用価値を研究する段階である種の幻覚剤が出来上がりました。我々はそれを『黒い魔女』と名付けました」

サルエルの後をファランが継ぐ。彼はカメイラで魔石を研究している研究所の所長だという。

「この幻覚剤を投与された者は心が無防備になって簡単に洗脳されてしまいます。カメイラでは規制されていますが、どこでも法の目を掻い潜る輩はおります」
「バーレーンがそれを利用したと?」

そう訊ねると二人は更に渋い顔をした。

「何か他にあるのか?」

「バーレーンの容姿はご存知ですよね」

サルエルから受け取った似顔絵や実際に目の当たりにした彼の容姿を思い出す。
好みと言うものがあるが、殆どの人が彼のその美貌に惑わされるだろうことは容易に推測できる。

「まあ、美形ではあるな」

「彼の母親も平民ではありましたが、かなりの美女でした。バーレーンの父親は妻がいながら彼女に懸想し、手に入れるためにその幻覚剤を乱用しました。アレックス・バーレーンはそんな薬漬けの母親の腹から生まれ、生まれながらに『黒い魔女』の影響を受けておりました。彼の体液は『黒い魔女』よりは効果が薄いものの、それを与えられた者は徐々に彼の虜になっていくのです」
「前王も彼の父も、多くの老若男女が彼に操られていきました」

「体液……」

「唾液が一番手っ取り早いですが、血液や精液も同じように効果があります。精液は直接粘膜から浸透しますので………」

言い辛そうにファランが言葉を濁す。

「しかしケイトリン……あの者は意識を保っていた。妻と何が違うのだ?」

同じように禁断症状はあるものの、ケイトリンは意識がはっきりしていた。

「奥方様の場合、短時間で立て続けに摂取したのもあるかと思いますが、他にも要因があるかと思います。聞けば以前も記憶喪失になられたことがあるとか。いずれにしても想定外の事態です」

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