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第十二章

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「な、何をおっしゃっているのですか、ルイスレーン様……こんな人私知りません……言いがかりは……」
「私は気が立っている。無用な駆け引きは時間の無駄だ。さっさと認めた方が身のためだ」

凍てついた声が馬車の中に響く。

多くの猛者たちと対峙してきたナタリーさえそうなのだから、深窓の令嬢で本気の殺意に晒されたことのないヴァネッサは更に打ち震えていることだろう。

しかし、ナタリーが感じている目の前の侯爵から発せられる狂気を、彼女は感じていないのか敢えて気づかない振りをしているのか、すっと顎を突き出し流し目を彼に送ってしなだれかかった。

気づいていないなら鈍感にもほどがある。気づいてそういう行動に出るなら、その豪胆さは尊敬に値する。

「いやだわ、こんな人、私が知るわけないではありませんか。それに、あなたの奥様を拐わせた?そんなこと出来るわけありませんでしょ」

すがり付く彼女の手を、まるで毒虫でも叩くように彼は振り払った。

「筆頭侯爵家のご令嬢だからと甘い顔をすると思ったら大間違いだ。自白の機会は与えた。それを袖に振ったのはお前だ」

向かいに座るナタリーにも、侯爵の目に本気の怒りが点ったのがわかった。複雑な色をした彼の瞳の橙の部分が色濃く広がり、焔が舞い上がったように見えた。
その時になってようやくヴァネッサもただ事ではないと気づいた。

「わ、私はルクレンティオ侯爵家の娘ですよ。私に何かすれば………」
「私とあなたが一緒に出ていくのを見た者はおりません。この馬車も家紋が入っていないどこにでもある代物。このままあなた一人消えても簡単には見つけられないでしょう」

悪魔のような微笑みを浮かべ、彼は令嬢の複雑に結い上げた髪を引っ張った。髪に付けられていた櫛が外れナタリーの足元に転がる。

「ひいいっ!」  

上品さの欠片もない悲鳴が上がる。生まれて初めて命の危険に晒された恐怖がヴァネッサの顔に浮かんだ。

「言え!誰に金を払って私の妻を拐わせた?もし彼女の身に何かあったら、お前も同じ目に合わせてやる!覚悟しろ」

ナタリーは理知的で妻思いの立派な貴公子だと思っていた侯爵の裏の顔を見て、自分がまだ五体満足でいることの幸運を神に祈った。

「ハ……ハミル……ハミルが……」

ヴァネッサはようやくそれだけ口にする。

彼が第二皇子の指揮する軍の副官に収まっているのは、身分や縁故といったものだけでない。そして鉄面皮と称される気取った仮面の下に潜む悪魔の一面を引き出したのが、彼の大事なものに手を出した愚かな小娘の浅はかな嫉妬心だった。

「着きました」

馬車が止まり、ギオーヴが扉を開ける。

「ナタリー、ハミルを呼んでこい。ヴァネッサお嬢様がお待ちだと言ってな」

「わかりました」

ナタリーが出ていきギオーヴが再び扉を閉じて狭い馬車の中で二人きりになると、髪を掴まれたままでヴァネッサはチャンスとばかりに胸元をぐいっと下げた。

「ル……ルイスレーン……あなた…何か誤解しているわ……」
「誤解?」
「は、放して……痛いのはいやよ」

彼の視線がすっと彼女の胸元に移るのを見て彼女はほくそ笑む。乳首が見えそうになるギリギリまで下げてご馳走を見せるように前へつき出す。

「いやか……確かに」

一瞬髪を引っ張る彼の腕が緩んだので、解放されたと思いかけたが、彼は根本から髪を掴んで一気に引き上げた。

「痛い……や、やめてぇぇ」

「お前が私の妻に与えた苦痛はこれ以上だ。自分がされてどうだ?」

髪を後ろにぐいと引っ張り顔を仰向ける。

「他人に苦痛を与えておきながら、自分は痛がるのか、勝手だな。なんだそれは……苦しいのか?」

「ええ、そうよ……苦しいの……あなたへの思いが……」

舌で唇をなぞり、髪の毛を掴んでいない彼の右手を取って胸元へ誘うと、彼の目がすうっと細められ、口から失笑が漏れた。

「なら協力してやろう」

そう言うとくるりと彼女を後ろ向かせ、背中から前へ手を伸ばして一気にドレスを引き下ろした。

「本当にお嬢様がここに?」

ちょうどその時扉が開き、男がその場に立った。

「え!」
「き………」

扉の前に立った男は目の前に胸をさらけ出したヴァネッサを見て一瞬及び腰になり、悲鳴を上げようとした彼女の口をルイスレーンが手で塞いだ。

「お、わぁ!」

男が背後から突き飛ばされ、同時に中からルイスレーンがヴァネッサの口を塞ぎながら男の胸ぐらを掴んで力強く引っ張る。男は勢い余ってつんのめるように中へ入ってきて、そのままヴァネッサにぶつかった。








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