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第十一章

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叔父に腕を掴まれて痣ができたことは既に伝えていた。

その夜から何故かクローゼットや寝台の下で目覚める日が続いたこと。ニコラス先生に相談してお茶をもらったこと。それから先ほどの叔父の暴力について語った。

「彼は……母が気絶するまで殴り続けました。陛下の使者の手前、表立っては良い叔父を演じていましたが、少しでも気に入らないことがあると隠れて母に手を上げていました。母の願いどおり私には一度も手を上げませんでしたが、それは私が売り物になると考えていたからただ傷物にしなかっただけで、口では罵詈雑言を浴びせられました」

彼は巧妙に立ち回り、目立たないところに傷をつくる。約束どおり生活の面倒は見てくれたが、こんなこと当然と思うな。この金を工面するのがどれ程大変か。彼はとうとうと話した。少しでも気に入らない返事を返すと忽ち攻撃に転じた。

「何度も、母と話合いました。叔父から逃げるにはどうすればいいか……でもその内、母が血を吐いて倒れました。医者には胃の府に悪い腫瘍が出来て、もう助からないと……病に侵された母を連れてはどこにも行けない。一人置いてもいけない」

私でもわかる。彼女は胃ガンだったのだろう。それも恐らくは末期。

陛下に届けられた手紙を思い出す。彼女が自らの死期を悟ることが出来たのは、余命宣告があったからに他ならない。

「辛いならもう話さなくていい。もう十分だ」

それまで黙って聞いていたルイスレーンが話に割って入ってきた。寝台の上で胡座をかき、私はその上に座り彼の胸に背中を預けて足を伸ばしている。後ろから脇腹を通ってすっぽりと抱え込まれ、彼は私の頭に軽く顎を乗せている。

そんな状態なので、彼が何か話すと頭と背中に振動が伝わり、耳元に息づかいが聞こえてくる。

「………いいえ……思い出したことは全て聞いて欲しいのです。でも、ルイスレーンがもう聞きたくないなら……」

他人の辛い身の上話など聞いておもしろいものではない。まして夜中、寝台の上で話すには色っぽさの「い」の字もない内容だ。

「私は大丈夫だ。今すぐにでも彼のところへ飛んでいって死ぬより辛い思いを味あわせてやりたいとは思っているが」
「……ありがとう」

お腹に回される彼の腕に触れて囁くと、彼が顎に手をあて、軽く触れあうだけのキスをする。

「我慢しなくていい。ここには私だけだ」

彼に私の頭を優しく撫でられると、途端に涙が溢れ出した。陛下から手紙を受け取った時も、胸に切ない気持ちが沸き上がったが、今度はその比ではない悲しみが押し寄せてきた。

今までクリスティアーヌのことも彼女の家族のことも、どこか自分には関係ないような思いがあった。けれど、今胸を締め付ける悲しみ、辛さは間違いなく私の内面から生まれたもので、それがクリスティアーヌの記憶と関わっている。今初めてクリスティアーヌが自分の中でひとつになった気がする。
涙が収まるまで彼は辛抱強く側にいてくれた。

「他に思い出したことは?」

ようやく私の涙が止まると、彼がそう訊ねてきたので、思い出した限りのことを話した。

「父上が亡くなったのは単に領地の視察ではなかったと言うことか」
「まだ十歳だったので詳しいことはわかりませんが、父は叔父と兄弟の縁を切るために彼に会いに行きました」
「だが、兄が亡くなったことで縁を切られることもなく、爵位が回ってきた。彼には好都合だったわけだ。まったく悪運の強い男だ」

本当にそうだ。縁を切ろうとした兄が死に継げないと思っていた爵位が巡ってきた。私が男だったら叔父を後見人にして私が継いでいたかもしれない。

「あの、叔父は夜会の日に、父から爵位を継いだ時には父の事業の失敗で子爵家の財政はよくなかったと言っていました。だからそんな状態の中で私と母のためにあそこまでしてやったのに。そう言っていました。でもルイスレーンも陛下も、怠惰で素行が悪かったのは叔父だとおっしゃいました。領地に出立する時も、父は叔父の後始末に限界を感じていた様子でした。どちらが本当なのでしょうか」
「それは初耳だ。私が知っているのは最近の彼の様子で、昔から評判がよくなかったと聞いているが、兄の方については特に調べたわけではないが、良くも悪くも噂は聞かなかった。堅実に切り盛りしていたならそういうものだ。気になるなら調べてみようか?」
「わかるのですか?」
「貴族であっても国に税は納める。毎年収支の報告はしているから、調べれば過去の記録が残っている筈だ。あなたの父が当主だった頃とその後について調べてもらうよう頼んでみよう」
「でもそれは個人情報になるのでは……」

そんな簡単に他人の財政状況など調べられるものだろうか。個人情報保護法とか、そんなものはないのかもしれない。だって絶対君主がいる国なのだ。勝手気ままに何でも出来るとは思わないが、鶴のひと声で何とかなることもあるのだろうか。


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