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第九章
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婚姻不成立で離縁してくれてもいい。
そう言うと彼は暫し放心した後、明らかに不機嫌な表情を見せた。
「もう一度………言ってみろ」
長椅子から立ち上がり、押し殺した声で身が縮むような怒気をはらむ。
背の高い彼に上から睨み付けられ、その場で凍りつく。
「離縁?……そんなことを考えていたのか?私と別れたい……それが望みだと言うのか?」
決して激昂しているわけではない。
緑の部分が青に転じる。火に例えるなら燃え盛る赤い炎ではなく、ゆらりと揺れる青い炎のようだ。
無言でふるふると首を左右に振る。
「なら二度とそんなことは言うな。あなたの言うとおり、私とクリスティアーヌは神の前で夫婦になることを誓い合ったが、身も心も正式に夫婦になってはいない。覚えていないことだろうが、誤解のないように言うと、式の夜のクリスティアーヌは酷く怯えていてとても初夜を乗り越えられる様子ではなかった。あれ程怯えている相手に無理矢理手を出すような鬼畜ではないつもりだ」
「す、すいません……私はてっきり……」
「てっきり?」
「その……国王陛下の命令で結婚はしたものの、女性として興味がなくて……だから無視したのかと………」
「つまり、女として抱くに値しなかったからだと?」
ぎゅっと拳を握り、彼はさらに追求する。
瞳の青い部分を取り巻く黄色が光彩を放つ。
「……そんなに私が嫌いか…離縁を申し出るほどに。よりにもよって白い結婚だからいつでも離縁してくれとは……」
絞り出した声はどこか悲痛さが漂う。
「決して……決してそんなことは……嫌いだなんて一度も…す、すいません」
彼が嫌いなわけではない。
むしろその逆。
嫌われる前に……向こうからお前などいらないと言われる前に逃げようとしたのだ。
「あなたは法と神が認めた私の妻だ。どちらかに死が訪れるまで添い遂げると誓った」
「……ですが………」
理想はそうだが、人の心などわからないものだ。
「あなたがクリスティアーヌではなく別の誰かだと言えば、私がそれを口実に私たちの結婚を無効にすると、本気で考えているのか」
「………………」
「どうなのだ?」
「………わかりません……だって……あなたのことをまだ良く知らない……でも……こんなことを言ったら頭がおかしいと思われる……きっと嫌われる……」
ひと言ひと言を絞り出し徐々に顔を下に向け、最後の言葉は聞き取れるかどうかわからないくらい小さくなっていく。
『愛理』として目覚める前の彼のことは知らない。
でも彼が戦争から戻ってきて僅か三日ほど。それだけの短い間で、彼のことはいい人だとは思う。
でも突然私は別人なんです。しかも異世界人です。なんておかしいことを言う人間を、貴族であり軍の高官である彼が妻として側に置くだろうか。
「あなたの告白をどう受け止め、どう解釈し、どう対処するか。決めるのは私なのに、あなたは勝手に答えを決めてしまうのだな。それともその答えはあなたが望んでいる答えなのか?私にそうして欲しいと思っていると……そう思っていいのか」
頭のすぐ上で声がして、反射的に顔を上げる。
私を見下ろすその顔は怒りより哀しみが勝る。
そんな顔をさせたかったわけではない。
「そ、そんな顔をしないでください……」
どうせなら怒られて嫌われる方がましだ。
自分の発言で彼を怒らせることは覚悟していても、哀しませるつもりなどない。
「そんな顔とはどんな顔だ?あなたの目には、私が今どんな気持ちでいるように見える?」
膝を折り、私が良く見えるように顔を近づけるとちょうど彼の顔が同じ位置になる。
「逃げるな」
見上げていた顔を今度は真正面に捉え、間近で見つめらることにいたたまれず、その視線から逃れるように逃げ場を求めて身動ぎした。
進行方向に彼の右腕が伸びて行く手を遮り、反対方向にも左腕が伸びてきて退路を絶たれる。
「よく見なさい。私は嬉しそうか?妻にした女性が、実は中身は別人なのであなたとは別れてもいいですと言われ、これ幸いと喜んでいるように見えるか?」
鼻先に微かに息がかかるほどに顔を近づけてくる。
「それとも、よくも騙したと怒っているように見えるのか?」
膝立ちのまま尚も前に詰めより、椅子に座る私の膝に彼の体がぶつかる。
「或いは、一方的に私が別れたがるだろうと決めつけて、さっさと身を引こうとする妻に対し、哀しく思っている憐れな男に見えるか?いきなり別人格だと言われて、それを処理する間もなく、離縁してもいいと言われて、私には思い悩む暇すら与えてくれないのか?」
「ごめんなさい……そんなつもりは……あなたを傷つけるつもりは……あなたを憐れになんて少しも思っていない」
俯きかける私の顎に手を当てて自分の方を向かせようとする。顔を逸らすことすら許されない。
「泣いたのは何故だ?二日前の夜。夕食を取りダンスの練習をして、楽しかったと言っていたのに、なぜ泣いた?」
「あれは……嬉しかったのです。私の話を聞いてくれて、私と居て楽しかったと言ってくれた……『愛理』の夫はそんなこと……言ってくれなかった。嘘でも……嬉しかった……」
「なぜ嘘などと………私は身も知らぬそなたの記憶にしかない男と比べられていたのか……」
彼の言い分は尤もだ。自分の事情を伝え、間髪いれずに別れたいなら別れてもいいなんて言われても、彼にだって考える時間は必要だ。
しかも、どんな男かもわからない人物がやったことと比べられても、私しかわからないのだ。
そう言うと彼は暫し放心した後、明らかに不機嫌な表情を見せた。
「もう一度………言ってみろ」
長椅子から立ち上がり、押し殺した声で身が縮むような怒気をはらむ。
背の高い彼に上から睨み付けられ、その場で凍りつく。
「離縁?……そんなことを考えていたのか?私と別れたい……それが望みだと言うのか?」
決して激昂しているわけではない。
緑の部分が青に転じる。火に例えるなら燃え盛る赤い炎ではなく、ゆらりと揺れる青い炎のようだ。
無言でふるふると首を左右に振る。
「なら二度とそんなことは言うな。あなたの言うとおり、私とクリスティアーヌは神の前で夫婦になることを誓い合ったが、身も心も正式に夫婦になってはいない。覚えていないことだろうが、誤解のないように言うと、式の夜のクリスティアーヌは酷く怯えていてとても初夜を乗り越えられる様子ではなかった。あれ程怯えている相手に無理矢理手を出すような鬼畜ではないつもりだ」
「す、すいません……私はてっきり……」
「てっきり?」
「その……国王陛下の命令で結婚はしたものの、女性として興味がなくて……だから無視したのかと………」
「つまり、女として抱くに値しなかったからだと?」
ぎゅっと拳を握り、彼はさらに追求する。
瞳の青い部分を取り巻く黄色が光彩を放つ。
「……そんなに私が嫌いか…離縁を申し出るほどに。よりにもよって白い結婚だからいつでも離縁してくれとは……」
絞り出した声はどこか悲痛さが漂う。
「決して……決してそんなことは……嫌いだなんて一度も…す、すいません」
彼が嫌いなわけではない。
むしろその逆。
嫌われる前に……向こうからお前などいらないと言われる前に逃げようとしたのだ。
「あなたは法と神が認めた私の妻だ。どちらかに死が訪れるまで添い遂げると誓った」
「……ですが………」
理想はそうだが、人の心などわからないものだ。
「あなたがクリスティアーヌではなく別の誰かだと言えば、私がそれを口実に私たちの結婚を無効にすると、本気で考えているのか」
「………………」
「どうなのだ?」
「………わかりません……だって……あなたのことをまだ良く知らない……でも……こんなことを言ったら頭がおかしいと思われる……きっと嫌われる……」
ひと言ひと言を絞り出し徐々に顔を下に向け、最後の言葉は聞き取れるかどうかわからないくらい小さくなっていく。
『愛理』として目覚める前の彼のことは知らない。
でも彼が戦争から戻ってきて僅か三日ほど。それだけの短い間で、彼のことはいい人だとは思う。
でも突然私は別人なんです。しかも異世界人です。なんておかしいことを言う人間を、貴族であり軍の高官である彼が妻として側に置くだろうか。
「あなたの告白をどう受け止め、どう解釈し、どう対処するか。決めるのは私なのに、あなたは勝手に答えを決めてしまうのだな。それともその答えはあなたが望んでいる答えなのか?私にそうして欲しいと思っていると……そう思っていいのか」
頭のすぐ上で声がして、反射的に顔を上げる。
私を見下ろすその顔は怒りより哀しみが勝る。
そんな顔をさせたかったわけではない。
「そ、そんな顔をしないでください……」
どうせなら怒られて嫌われる方がましだ。
自分の発言で彼を怒らせることは覚悟していても、哀しませるつもりなどない。
「そんな顔とはどんな顔だ?あなたの目には、私が今どんな気持ちでいるように見える?」
膝を折り、私が良く見えるように顔を近づけるとちょうど彼の顔が同じ位置になる。
「逃げるな」
見上げていた顔を今度は真正面に捉え、間近で見つめらることにいたたまれず、その視線から逃れるように逃げ場を求めて身動ぎした。
進行方向に彼の右腕が伸びて行く手を遮り、反対方向にも左腕が伸びてきて退路を絶たれる。
「よく見なさい。私は嬉しそうか?妻にした女性が、実は中身は別人なのであなたとは別れてもいいですと言われ、これ幸いと喜んでいるように見えるか?」
鼻先に微かに息がかかるほどに顔を近づけてくる。
「それとも、よくも騙したと怒っているように見えるのか?」
膝立ちのまま尚も前に詰めより、椅子に座る私の膝に彼の体がぶつかる。
「或いは、一方的に私が別れたがるだろうと決めつけて、さっさと身を引こうとする妻に対し、哀しく思っている憐れな男に見えるか?いきなり別人格だと言われて、それを処理する間もなく、離縁してもいいと言われて、私には思い悩む暇すら与えてくれないのか?」
「ごめんなさい……そんなつもりは……あなたを傷つけるつもりは……あなたを憐れになんて少しも思っていない」
俯きかける私の顎に手を当てて自分の方を向かせようとする。顔を逸らすことすら許されない。
「泣いたのは何故だ?二日前の夜。夕食を取りダンスの練習をして、楽しかったと言っていたのに、なぜ泣いた?」
「あれは……嬉しかったのです。私の話を聞いてくれて、私と居て楽しかったと言ってくれた……『愛理』の夫はそんなこと……言ってくれなかった。嘘でも……嬉しかった……」
「なぜ嘘などと………私は身も知らぬそなたの記憶にしかない男と比べられていたのか……」
彼の言い分は尤もだ。自分の事情を伝え、間髪いれずに別れたいなら別れてもいいなんて言われても、彼にだって考える時間は必要だ。
しかも、どんな男かもわからない人物がやったことと比べられても、私しかわからないのだ。
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