上 下
118 / 266
第九章

4

しおりを挟む
婚姻不成立で離縁してくれてもいい。

そう言うと彼は暫し放心した後、明らかに不機嫌な表情を見せた。

「もう一度………言ってみろ」

長椅子から立ち上がり、押し殺した声で身が縮むような怒気をはらむ。
背の高い彼に上から睨み付けられ、その場で凍りつく。

「離縁?……そんなことを考えていたのか?私と別れたい……それが望みだと言うのか?」

決して激昂しているわけではない。
緑の部分が青に転じる。火に例えるなら燃え盛る赤い炎ではなく、ゆらりと揺れる青い炎のようだ。

無言でふるふると首を左右に振る。

「なら二度とそんなことは言うな。あなたの言うとおり、私とクリスティアーヌは神の前で夫婦になることを誓い合ったが、身も心も正式に夫婦になってはいない。覚えていないことだろうが、誤解のないように言うと、式の夜のクリスティアーヌは酷く怯えていてとても初夜を乗り越えられる様子ではなかった。あれ程怯えている相手に無理矢理手を出すような鬼畜ではないつもりだ」

「す、すいません……私はてっきり……」

「てっきり?」

「その……国王陛下の命令で結婚はしたものの、女性として興味がなくて……だから無視したのかと………」

「つまり、女として抱くに値しなかったからだと?」

ぎゅっと拳を握り、彼はさらに追求する。
瞳の青い部分を取り巻く黄色が光彩を放つ。

「……そんなに私が嫌いか…離縁を申し出るほどに。よりにもよって白い結婚だからいつでも離縁してくれとは……」

絞り出した声はどこか悲痛さが漂う。

「決して……決してそんなことは……嫌いだなんて一度も…す、すいません」

彼が嫌いなわけではない。
むしろその逆。
嫌われる前に……向こうからお前などいらないと言われる前に逃げようとしたのだ。

「あなたは法と神が認めた私の妻だ。どちらかに死が訪れるまで添い遂げると誓った」

「……ですが………」

理想はそうだが、人の心などわからないものだ。

「あなたがクリスティアーヌではなく別の誰かだと言えば、私がそれを口実に私たちの結婚を無効にすると、本気で考えているのか」

「………………」

「どうなのだ?」

「………わかりません……だって……あなたのことをまだ良く知らない……でも……こんなことを言ったら頭がおかしいと思われる……きっと嫌われる……」

ひと言ひと言を絞り出し徐々に顔を下に向け、最後の言葉は聞き取れるかどうかわからないくらい小さくなっていく。

『愛理』として目覚める前の彼のことは知らない。
でも彼が戦争から戻ってきて僅か三日ほど。それだけの短い間で、彼のことはいい人だとは思う。

でも突然私は別人なんです。しかも異世界人です。なんておかしいことを言う人間を、貴族であり軍の高官である彼が妻として側に置くだろうか。

「あなたの告白をどう受け止め、どう解釈し、どう対処するか。決めるのは私なのに、あなたは勝手に答えを決めてしまうのだな。それともその答えはあなたが望んでいる答えなのか?私にそうして欲しいと思っていると……そう思っていいのか」

頭のすぐ上で声がして、反射的に顔を上げる。

私を見下ろすその顔は怒りより哀しみが勝る。

そんな顔をさせたかったわけではない。

「そ、そんな顔をしないでください……」

どうせなら怒られて嫌われる方がましだ。
自分の発言で彼を怒らせることは覚悟していても、哀しませるつもりなどない。

「そんな顔とはどんな顔だ?あなたの目には、私が今どんな気持ちでいるように見える?」

膝を折り、私が良く見えるように顔を近づけるとちょうど彼の顔が同じ位置になる。

「逃げるな」

見上げていた顔を今度は真正面に捉え、間近で見つめらることにいたたまれず、その視線から逃れるように逃げ場を求めて身動ぎした。

進行方向に彼の右腕が伸びて行く手を遮り、反対方向にも左腕が伸びてきて退路を絶たれる。

「よく見なさい。私は嬉しそうか?妻にした女性が、実は中身は別人なのであなたとは別れてもいいですと言われ、これ幸いと喜んでいるように見えるか?」

鼻先に微かに息がかかるほどに顔を近づけてくる。

「それとも、よくも騙したと怒っているように見えるのか?」

膝立ちのまま尚も前に詰めより、椅子に座る私の膝に彼の体がぶつかる。

「或いは、一方的に私が別れたがるだろうと決めつけて、さっさと身を引こうとする妻に対し、哀しく思っている憐れな男に見えるか?いきなり別人格だと言われて、それを処理する間もなく、離縁してもいいと言われて、私には思い悩む暇すら与えてくれないのか?」

「ごめんなさい……そんなつもりは……あなたを傷つけるつもりは……あなたを憐れになんて少しも思っていない」

俯きかける私の顎に手を当てて自分の方を向かせようとする。顔を逸らすことすら許されない。

「泣いたのは何故だ?二日前の夜。夕食を取りダンスの練習をして、楽しかったと言っていたのに、なぜ泣いた?」

「あれは……嬉しかったのです。私の話を聞いてくれて、私と居て楽しかったと言ってくれた……『愛理』の夫はそんなこと……言ってくれなかった。嘘でも……嬉しかった……」

「なぜ嘘などと………私は身も知らぬそなたの記憶にしかない男と比べられていたのか……」

彼の言い分は尤もだ。自分の事情を伝え、間髪いれずに別れたいなら別れてもいいなんて言われても、彼にだって考える時間は必要だ。
しかも、どんな男かもわからない人物がやったことと比べられても、私しかわからないのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】本当に愛していました。さようなら

梅干しおにぎり
恋愛
本当に愛していた彼の隣には、彼女がいました。 2話完結です。よろしくお願いします。

西谷夫妻の新婚事情~元教え子は元担任教師に溺愛される~

雪宮凛
恋愛
結婚し、西谷明人の姓を名乗り始めて三か月。舞香は今日も、新妻としての役目を果たそうと必死になる。 元高校の担任教師×元不良女子高生の、とある新婚生活の一幕。 ※ムーンライトノベルズ様にも、同じ作品を転載しています。

召喚されて異世界行ったら、全てが終わった後でした

仲村 嘉高
ファンタジー
ある日、足下に見た事もない文字で書かれた魔法陣が浮かび上がり、異世界へ召喚された。 しかし発動から召喚までタイムラグがあったようで、召喚先では全てが終わった後だった。 倒すべき魔王は既におらず、そもそも召喚を行った国自体が滅んでいた。 「とりあえずの衣食住は保証をお願いします」 今の国王が良い人で、何の責任も無いのに自立支援は約束してくれた。 ん〜。向こうの世界に大して未練は無いし、こっちでスローライフで良いかな。 R15は、戦闘等の為の保険です。 ※なろうでも公開中

幼子は最強のテイマーだと気付いていません!

akechi
ファンタジー
彼女はユリア、三歳。 森の奥深くに佇む一軒の家で三人家族が住んでいました。ユリアの楽しみは森の動物達と遊ぶこと。 だが其がそもそも規格外だった。 この森は冒険者も決して入らない古(いにしえ)の森と呼ばれている。そしてユリアが可愛い動物と呼ぶのはSS級のとんでもない魔物達だった。 「みんなーあしょぼー!」 これは幼女が繰り広げるドタバタで規格外な日常生活である。

【R-18】踊り狂えその身朽ちるまで

あっきコタロウ
恋愛
投稿小説&漫画「そしてふたりでワルツを(http://www.alphapolis.co.jp/content/cover/630048599/)」のR-18外伝集。 連作のつもりだけどエロだから好きな所だけおつまみしてってください。 ニッチなものが含まれるのでまえがきにてシチュ明記。苦手な回は避けてどうぞ。 IF(7話)は本編からの派生。

【悲報】恋活パーティーサクラの俺、苦手な上司と遭遇しゲイ認定され愛されてしまう

grotta
BL
【本編完結】ノンケの新木は姉(元兄)の主催するゲイのカップリングパーティーのサクラとして無理矢理参加させられる。するとその会場に現れたのは鬼過ぎて苦手な上司の宮藤。 「新木?なんでお前がここに?」 え、そんなのバイトに決まってますが? しかし副業禁止の会社なのでバイトがバレるとまずい。なので俺は自分がゲイだと嘘をついた。 「いやー、俺、男が好きなんすよ。あはは」 すると上司は急に目の色を変えて俺にアプローチをかけてきた。 「この後どう?」 どう?じゃねえ!だけどクソイケメンでもある上司の誘いを断ったら俺がゲイじゃないとバレるかも?くっ、行くしかねえ!さよなら俺のバックバージン…… しかも上司はその後も半ば脅すようにして何かと俺を誘ってくるようになり……? ワンナイトのはずがなんで俺は上司の家に度々泊まってるんだ? 《恋人には甘いイケメン鬼上司×流されやすいノンケ部下》 ※ただのアホエロ話につき♡喘ぎ注意。 ※ノリだけで書き始めたので5万字いけるかわからないけどBL小説大賞エントリー中。

いつか終わりがくるのなら

キムラましゅろう
恋愛
闘病の末に崩御した国王。 まだ幼い新国王を守るために組まれた婚姻で結ばれた、アンリエッタと幼き王エゼキエル。 それは誰もが知っている期間限定の婚姻で…… いずれ大国の姫か有力諸侯の娘と婚姻が組み直されると分かっていながら、エゼキエルとの日々を大切に過ごすアンリエッタ。 終わりが来る事が分かっているからこそ愛しくて優しい日々だった。 アンリエッタは思う、この優しく不器用な夫が幸せになれるように自分に出来る事、残せるものはなんだろうかを。 異世界が難病と指定する悪性誤字脱字病患者の執筆するお話です。 毎度の事ながら、誤字脱字にぶつかるとご自身で「こうかな?」と脳内変換して頂く可能性があります。 ご了承くださいませ。 完全ご都合主義、作者独自の異世界感、ノーリアリティノークオリティのお話です。菩薩の如く広いお心でお読みくださいませ。 小説家になろうさんでも投稿します。

振られたから諦めるつもりだったのに…

しゃーりん
恋愛
伯爵令嬢ヴィッテは公爵令息ディートに告白して振られた。 自分の意に沿わない婚約を結ぶ前のダメ元での告白だった。 その後、相手しか得のない婚約を結ぶことになった。 一方、ディートは告白からヴィッテを目で追うようになって…   婚約を解消したいヴィッテとヴィッテが気になりだしたディートのお話です。

処理中です...