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第八章

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リリアンという若い使用人とともに書斎へ入ると、ルイスレーン様は昨日と同じように机に向かっていた。

「おはよう、夕べはよく眠れたか?」

入ってきた私にそう訊ねる。
常套句だろうが、私がどうだったか気に掛けてくれる言葉を聞くと、彼の気遣いが伝わってくる。
明け方にクローゼットの中で目を覚ましたこと思い出し、一瞬言葉がつまったが、腕の痣同様、彼には黙っていることにした。

「はい。ルイスレーン様は?こちらでお休みになられたそうですが……」

訊ねてから長椅子に置かれた毛布が目についた。

「ダレクに聞いたのか……目が冴えてしまってね」

「戻られたばかりだと言うのに……根を詰めすぎではないのですか」

毛布を取り上げきちんと畳み、毛布を抱えたまま彼の体を心配して言う。

「普段から慣れているから大丈夫だ。軍で少ない睡眠時間でも休めるように訓練している」

「でも、ここは戦場ではありません」

「………そうだったな……だが、長い間留守にしていたので、人任せにしていたことをなるべく早く確認しておきたい」

根っからの苦労性なのか。貴族というものは働かず趣味や賭け事で時間を潰していると思っていたが、彼は違うのだろうか。

「少し休憩されませんか?お茶をご用意しました」

リリアンがティーポットからカップにお茶を入れ、長椅子の前のテーブルに置く。

「わかった。いただこう」

執務机から立ち上がりこちらへ歩いてくる彼には疲れた様子はない。
彼の言うとおり鍛え方が違うのだろう。

昨日の朝と同じようにラフな姿で近づいてくる。

「何やらいい匂いがするな」

側まで来ると立ち止まり匂いがどこから来るのか探る。

「お気づきになりましたか?実は焼き菓子を……」
「いや、そうではなく」

リリアンが押してきたティーワゴンの方を示して言うと、ルイスレーン様はそうではないと否定する。

「え、ですが」

焼きたてのビスコッティ以外に匂いがするものなどと思っていると、彼は私に近づき髪をひと房掬い上げる。

「ああ、この香りだ……微かに香る蒸留酒の香り……ラムか」

髪を指に絡ませ、うっとりとした顔で息を吸い込みむ。

髪に唇が触れてますけど。

いくつも焼いたので匂いが髪に移っていたのだろうか。

「はい……あの……今日、陛下に手土産をと……ラム酒を使ったケーキを」

「手土産……ケーキ」

ぱっと附せていた目を見開き私の顔を見る。

「あなたが自分で?」

「はい。あの、やっぱりそういうのは良くなかったでしょうか?」

持っていくなら有名なところで買った物の方が……いや、それより食べ物でなく別の品物の方が良かったのかも。

「良くないかどうかは……だが、手作りの……あなたにそんなことが出来るとは…そう言えば、イライザ殿と出掛けた際もそのようなことを言っていたな…」

よっぽど意外だったのか、まだ髪に手を触れたまま私の顔を見て、そしてリリアンが用意している手元を見る。

「すいません……髪を」
「あ、ああ……すまない」

ぱっと髪から手を離し、こほんと咳払いし長椅子に座る。

リリアンがお茶とビスコッティを乗せた皿を置くと、まじまじとそれらを眺める。

「お口に合うかわかりませんが……皆には好評なんですよ」
「皆?」
「はい。皆……この邸で働く人たちです」

私がそう言うと彼はリリアンの方を見る。

「君も?」

「は、はい……奥様のお作りになるものは甘過ぎなくて、男の使用人にも人気なんです」

「ほう……そうか……」

考え込んでビスコッティを見つめる彼を見る。何か気に入らないようだ。

「無理に食べる必要は……」
「せっかく作ったのだからいただくよ」

皿ごと引き上げようと手を出すと、その手を遮って彼はひとつ持って口に運んだ。

カリカリと固い音が響く。

「固いな……だが木の実も入っていてなかなかいける」

「本当ですか、お茶に浸すと水分を吸って少し柔らかくなるんです。お茶の風味も合わさって更においしくなるんですよ」

「そうか……」

私が言った言葉を素直に受け入れ、今度はお茶に少し浸けて口に入れる。

「成る程……味も食感も変わるのだな」

「甘口のワインとも合いますから、お酒を嗜まれる方でも好まれると思います」

「お茶にとワインにも……なかなか面白い」

そう言いながら彼は用意したビスコッティを平らげていく。

この前の夕食でも思ったが、とてもたくさん食べる方だ。
つくったものを美味しいと言ってもらえるのは嬉しい。「あの人」の口からは一度も聞けなかった。
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