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第六章

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書斎であんなことがあったのに、昼食を取る間のルイスレーン様はそんなことを微塵も感じさせないくらいに穏やかだった。

軍生活での食事について話してくださり、驚いたことに軍に入った頃は夜営で料理を作ったことがあるらしい。
イメージとしてはキャンプ場での飯盒炊飯というところだろうか。

ミートパイに野菜のスープに焼きたてのパン、そしてプディング。
ミートパイはルイスレーン様の好物らしく、ホールの四分の三を殆ど一人で平らげた。
軍人として体を使うからか、これだけ食べてお腹がまったく出ていないのはかなり羨ましい。

プディングの代わりに紅茶で食事を締めくくると、また夕方とおっしゃって先に食堂を出ていかれた。

夜のために少しお昼寝をするように言われて部屋に戻り、カーテンの引かれた部屋で寝台に横たわると、やはり考えるのは書斎での出来事だった。

モンドリオール子爵家の紋章を見たときに感じた胸のざわつき。石を飲み込んだとでも言おうか、なんだかもやもやとした。
これはクリスティアーヌの記憶が関係しているとしか思えない。

だとすれば、今この体の中には『愛理』と『クリスティアーヌ』が共存していることになる。

ダレクたちから聞く『クリスティアーヌ』の話も自分ではない誰かのことを聞いている感じだった。
昨日もそうだが、『愛理』として覚醒してからこんな風に『クリスティアーヌ』を感じることはなかった。
そのうちどんどん『クリスティアーヌ』を感じる機会が多くなってやがては『愛理』が取り込まれて消えてしまうのか、それとも融合するのか。

もし前者なら『愛理』は二度目の死を迎えるのだろうか。

ぶるりと体が震えた。

これほど誰かに抱き締めて欲しいと切実に願ったことはない。もし『愛理』が消えてしまう運命だったとしても、消える前に誰かに抱き締めて必要とされる実感を味わいたかった。

誰か………誰でもいいわけではない。

『クリスティアーヌ』が羨ましい。

手を伸ばせばそこに彼女を大切にしてくれる人がいる。

『愛理』にはいなかった。

もし、『愛理』という存在を打ち明けてルイスレーン様がダレクたちのように受け入れてくれたら、この寂しさもいくらかは薄れるのだろうか。

結局、マディソンたちが夜会の支度に部屋を訪れるまでに一睡もできず、この前のお茶会の時のように入浴から始まった支度を終えたのは夜会に出立する三十分前だった。

耳の前に一房ずつサイドの髪を垂らし、残りは夜会巻きにして巻き込んだ所に小さなダイヤモンドをあしらったコームを差す。

深みのある青いドレスは、胸の辺りがハート型になったオフショルダーになっていて、ビスチェの見頃から白いシフォン生地がショールのように取り付けられている。
腕にぴったりとした七分袖とビスチェには銀糸で細かい刺繍がされていて、後は細いリボンを編み上げている。
スカートはベルラインでビスチェと同じ刺繍が上部にも施されている。
最後に手首までの長さのシルクの手袋をはめる。

「おきれいですよ」

大きな姿鏡の前で私をくるりと回転させてマリアンナが誉めてくれた。

「昨日のことがありますからね、あまりコルセットは締め付けていません」

「ありがとう。でもなんだか首回りが寂しくない?」

鏡に写る姿を見てそう言うと、マリアンナとマディソンが後ろで互いに見つめあって頷くのが見えた。

「もちろん、ちゃんとご用意しておりますよ」
「さあ、旦那様がお待ちです。下に行きましょう」

二人に促されるままに階段へ向かうと、階段を下りた先にルイスレーン様とダレクが立って話をしていた。

マディソンに手を引かれ階段を下りかけた私に気付き、ルイスレーン様がこちらを見上げる。

中央の身頃部分に豪華な銀糸の刺繍をした濃紺のジュストコールのジャケット、襟と袖からフリルが見えている。同じく濃紺のぴったりとしたパンツを履いて足は膝の辺りで折り返した白のブーツに包まれている。

ダークブロンドの髪はきれいに後ろに撫で付けられ、端正な顔が際立っている。

昨日の軍服姿もきまっていたが、背の高い彼が着ているとなんでも様になっている。

広がるスカートで足元が見えないため、どうしても下りる速度は遅くなる。

後数段という時にちょうどルイスレーン様と目の高さが合って、そこで彼が「そのまま」と声をかけたので、足を止めた。

「ダレク、あれを」

彼がそう言ってダレクを振り返ると、ダレクが四角くて薄い箱を前に差し出し、さっと蓋を開けた。

そこには大きなサファイアを中心にした豪華な首飾りと、少し小ぶりなサファイアが付いたイヤリングが乗せられていた。
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