71 / 266
第六章
8
しおりを挟む
次の日の朝、目が覚めると、朝食後に書斎へ来るようにというルイスレーン様の伝言があった。
ニコラス先生の所へ通わない日は毎朝八時には起きていた。
夕べのことがあって気まずさはあったが、同じ家に住んで夫婦である限りはいつまでも避けて通れない。
ある意味呼び出してくれたことで問題を先送りしなくて済む。
それに、気にしているのは私だけで、本人はもしかしたら何とも思っていないかもしれない。
腰回りのゆったりとした薄い黄色のワンピースをチョイスし、髪は斜め横で軽く同じ色のリボンで結わえる。
書斎は勉強のために必要な書籍を借りたりして出入りしたことはあるが、旦那様の領域なので極力足を踏み入れないようにしていた。
「ルイスレーン様」
訪れると、うず高く積まれた書類の山に埋もれてルイスレーン様が座っていた。
遠征から戻ってすぐに仕事を始めて、この人には休みというものがないのだろうか。
一度声をかけるが、彼は書類仕事に没頭しているのかすぐに返事が返ってこない。
「ルイスレーン様」
続けて二度名を呼ぶと、彼はようやく気づいたのか、こちらを見た。
「そこに掛けて待っていてくれるか」
「私のことはお気になさらず……本を見ていてもよろしいですか?」
天井までの書棚にびっしり並んだ本の数々を眺めながら、いくつか手にとって中身を見ては戻す。
比較的今の私でも読める本は手の届く範囲にあり、上に行くほど本も分厚く難しそうなタイトルばかりになっていく。
「これが読みたいのか?」
タイトルが目についてどんな内容だろうと手を伸ばした本を、いつの間にか後ろに立っていたルイスレーン様が手を伸ばし書棚から取り出した。
「!」
振り向くとすぐ後ろに立っていて、今取った本のタイトルを確認している。
白いシャツの襟元のボタンをいくつか開けているので、喉から鎖骨がよく見える。
「これは国内の名所旧跡を紹介している。挿し絵もあって読みやすいのではないかな」
確かにさっきまで机に向かっていた。立ち上がる音も歩いてくる音も聞こえなかった。
侯爵家の使用人が忍者かくノ一かと思ったら、その主も忍者。主人だから頭領? いや、彼の様子ならコードネームは●●7か。
忍者スタイルやスタイリッシュなスーツに身を包んだ彼を想像して口元が緩む。
「どうした?」
「いえ………」
すぐ後ろに立たれたので、すすすと横に移動して距離を取る。
「すまない。驚かせてしまったようだ」
「ちょっとびっくりしましたけど大丈夫です。お仕事はもういいのですか?」
机の上のまだ山積みになった書類を見て訊ねる。
「急ぎの分は目を通した。あれは既に処理が終わった案件だ」
言いながら手に持った本を私に差し出す。あれだけの書類に目を通すだけでもすごく時間がかかるだろう。一体いつから仕事をしているのだろう。
「読みたかったのではないのか?」
「いえ、待っている間に見ていただけですから……それで、私に御用とは」
今さっき棚から抜いた本を差し出して訪ねられたので、軽く首を振った。
「夕べは……よく眠れたか?」
しばしの沈黙の後にようやく口にした言葉だった。
本を元の位置に戻して、同じ棚の本を眺めながら、私の答えを待っている。
その横顔を眺め、夕べ触れた唇に知らず知らず目が行って慌てて視線を反らした。
「はい……」
「そうか、それはよかった」
明らかにほっとしている。普通なら眠れないところだろうが、悲しいかな、疲れはてて夢も見ずに眠ってしまった。
「ルイスレーン様は……もしかしてこちらで?」
書類の山を見て訊ねると、「早くに目が覚めて……」とおっしゃった。
徹夜ではなかったらしいと聞いて少し安堵した。
「きちんと横になって休まれませんと、疲れが取れませんよ。体力に自信がおありなのかも知れませんが、無理はなさらないでください」
彼の体力がとれほどかわからないが、戻ったばかりでいきなり朝早くから働くなんて無茶だ。
「昨晩はすまなかった……泣かせるつもりではなかった」
私の顔色を見ながら話し始める。
「お気になさらないでください。事故だと思って忘れます」
今朝になって夕べのことを思いだし、後悔しているのなら、私もいつまでも引き摺らないで忘れるべきだと思った。
「いや、忘れられては困る」
「え?」
「あなたとの時間が楽しかったのは私も一緒だ。思いがけずあなたからも楽しかったと言う言葉が聞けて、有頂天になった」
「わ、わかりましたから」
ルイスレーン様と本棚に挟まれて私は身動きが取れなかった。
迫る彼の胸に手を突っぱね必死で距離を取ろうとしたが、掌に彼に鼓動が伝わり逆効果だと悟った。
ニコラス先生の所へ通わない日は毎朝八時には起きていた。
夕べのことがあって気まずさはあったが、同じ家に住んで夫婦である限りはいつまでも避けて通れない。
ある意味呼び出してくれたことで問題を先送りしなくて済む。
それに、気にしているのは私だけで、本人はもしかしたら何とも思っていないかもしれない。
腰回りのゆったりとした薄い黄色のワンピースをチョイスし、髪は斜め横で軽く同じ色のリボンで結わえる。
書斎は勉強のために必要な書籍を借りたりして出入りしたことはあるが、旦那様の領域なので極力足を踏み入れないようにしていた。
「ルイスレーン様」
訪れると、うず高く積まれた書類の山に埋もれてルイスレーン様が座っていた。
遠征から戻ってすぐに仕事を始めて、この人には休みというものがないのだろうか。
一度声をかけるが、彼は書類仕事に没頭しているのかすぐに返事が返ってこない。
「ルイスレーン様」
続けて二度名を呼ぶと、彼はようやく気づいたのか、こちらを見た。
「そこに掛けて待っていてくれるか」
「私のことはお気になさらず……本を見ていてもよろしいですか?」
天井までの書棚にびっしり並んだ本の数々を眺めながら、いくつか手にとって中身を見ては戻す。
比較的今の私でも読める本は手の届く範囲にあり、上に行くほど本も分厚く難しそうなタイトルばかりになっていく。
「これが読みたいのか?」
タイトルが目についてどんな内容だろうと手を伸ばした本を、いつの間にか後ろに立っていたルイスレーン様が手を伸ばし書棚から取り出した。
「!」
振り向くとすぐ後ろに立っていて、今取った本のタイトルを確認している。
白いシャツの襟元のボタンをいくつか開けているので、喉から鎖骨がよく見える。
「これは国内の名所旧跡を紹介している。挿し絵もあって読みやすいのではないかな」
確かにさっきまで机に向かっていた。立ち上がる音も歩いてくる音も聞こえなかった。
侯爵家の使用人が忍者かくノ一かと思ったら、その主も忍者。主人だから頭領? いや、彼の様子ならコードネームは●●7か。
忍者スタイルやスタイリッシュなスーツに身を包んだ彼を想像して口元が緩む。
「どうした?」
「いえ………」
すぐ後ろに立たれたので、すすすと横に移動して距離を取る。
「すまない。驚かせてしまったようだ」
「ちょっとびっくりしましたけど大丈夫です。お仕事はもういいのですか?」
机の上のまだ山積みになった書類を見て訊ねる。
「急ぎの分は目を通した。あれは既に処理が終わった案件だ」
言いながら手に持った本を私に差し出す。あれだけの書類に目を通すだけでもすごく時間がかかるだろう。一体いつから仕事をしているのだろう。
「読みたかったのではないのか?」
「いえ、待っている間に見ていただけですから……それで、私に御用とは」
今さっき棚から抜いた本を差し出して訪ねられたので、軽く首を振った。
「夕べは……よく眠れたか?」
しばしの沈黙の後にようやく口にした言葉だった。
本を元の位置に戻して、同じ棚の本を眺めながら、私の答えを待っている。
その横顔を眺め、夕べ触れた唇に知らず知らず目が行って慌てて視線を反らした。
「はい……」
「そうか、それはよかった」
明らかにほっとしている。普通なら眠れないところだろうが、悲しいかな、疲れはてて夢も見ずに眠ってしまった。
「ルイスレーン様は……もしかしてこちらで?」
書類の山を見て訊ねると、「早くに目が覚めて……」とおっしゃった。
徹夜ではなかったらしいと聞いて少し安堵した。
「きちんと横になって休まれませんと、疲れが取れませんよ。体力に自信がおありなのかも知れませんが、無理はなさらないでください」
彼の体力がとれほどかわからないが、戻ったばかりでいきなり朝早くから働くなんて無茶だ。
「昨晩はすまなかった……泣かせるつもりではなかった」
私の顔色を見ながら話し始める。
「お気になさらないでください。事故だと思って忘れます」
今朝になって夕べのことを思いだし、後悔しているのなら、私もいつまでも引き摺らないで忘れるべきだと思った。
「いや、忘れられては困る」
「え?」
「あなたとの時間が楽しかったのは私も一緒だ。思いがけずあなたからも楽しかったと言う言葉が聞けて、有頂天になった」
「わ、わかりましたから」
ルイスレーン様と本棚に挟まれて私は身動きが取れなかった。
迫る彼の胸に手を突っぱね必死で距離を取ろうとしたが、掌に彼に鼓動が伝わり逆効果だと悟った。
35
お気に入りに追加
4,259
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
騎士団寮のシングルマザー
古森きり
恋愛
夫と離婚し、実家へ帰る駅への道。
突然突っ込んできた車に死を覚悟した歩美。
しかし、目を覚ますとそこは森の中。
異世界に聖女として召喚された幼い娘、真美の為に、歩美の奮闘が今、始まる!
……と、意気込んだものの全く家事が出来ない歩美の明日はどっちだ!?
※ノベルアップ+様(読み直し改稿ナッシング先行公開)にも掲載しましたが、カクヨムさん(は改稿・完結済みです)、小説家になろうさん、アルファポリスさんは改稿したものを掲載しています。
※割と鬱展開多いのでご注意ください。作者はあんまり鬱展開だと思ってませんけども。
前世軍医だった傷物令嬢は、幸せな花嫁を夢見る
花雨宮琵
恋愛
侯爵令嬢のローズは、10歳のある日、背中に刀傷を負い生死の境をさまよう。
その時に見た夢で、軍医として生き、結婚式の直前に婚約者を亡くした前世が蘇る。
何とか一命を取り留めたものの、ローズの背中には大きな傷が残った。
“傷物令嬢”として揶揄される中、ローズは早々に貴族女性として生きることを諦め、隣国の帝国医学校へ入学する。
背中の傷を理由に六回も婚約を破棄されるも、18歳で隣国の医師資格を取得。自立しようとした矢先に王命による7回目の婚約が結ばれ、帰国を余儀なくされる。
7人目となる婚約者は、弱冠25歳で東の将軍となった、ヴァンドゥール公爵家次男のフェルディナンだった。
長年行方不明の想い人がいるフェルディナンと、義務ではなく愛ある結婚を夢見るローズ。そんな二人は、期間限定の条件付き婚約関係を結ぶことに同意する。
守られるだけの存在でいたくない! と思うローズは、一人の医師として自立し、同時に、今世こそは愛する人と結ばれて幸せな家庭を築きたいと願うのであったが――。
この小説は、人生の理不尽さ・不条理さに傷つき悩みながらも、幸せを求めて奮闘する女性の物語です。
※この作品は2年前に掲載していたものを大幅に改稿したものです。
(C)Elegance 2025 All Rights Reserved.無断転載・無断翻訳を固く禁じます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる