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第二章

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フォルトナー先生の説明を聞いて、ニコラス先生はう~んと唸った。

「記憶喪失ねぇ……症例としては少ないが、原因として考えられるのは、頭に大きな怪我を負ったりすると、頭の記憶する部分が損傷することもあるそうだ。後は、よほど心に深い傷を受けた時」

「頭はどこも打っていません。記憶が失くなる程の衝撃なら、血が流れたり腫れたり、それなりに見た目でもわかる怪我があるのではないですか?」

「だが、見た目には何ともなくても頭の中では強い衝撃を受けている時もある。もうひとつの原因はどうだ?」

「心の傷ですよね……それは倒れる前の記憶がないので、どうだったか説明はできません」

「そうか……ならおれの診断もスベンと同じだ。なぜ記憶喪失になったのか理由はわからないが、いつ記憶が戻るのか、外的要因で頭の中に傷があるなら、回復は難しい。内的要因なら、記憶喪失になったきっかけがあれば突然思い出すかも知れない。それがいつかはわからないがな」

「そうですか……」

「気を落とされますな。可能性はゼロではありません」

「まあ、そういうことだ。思い詰めるとかえって良くない。他に異常がないなら普段通りの生活を続けていれば大丈夫だ」

CTやMRIなどない世界。まして脳は技術が進んでもまだまだ謎が多いと聞いたことがある。
心理学も恐らくここでは研究さえされていないだろう。
これがこの世界での限界かもしれない。

「それでもうひとつの件だが」

フォルトナー先生が話題を変える。

「記憶喪失のことは気の毒だが、これは貴族の奥方の暇潰しではない。他をあたってくれ」

「私は子どもを生んだことも育てたこともありません。でも、経験がなければダメと断られても、経験する機会をもらえないのではいつまでたっても未経験です」

「クリスティアーヌ様の言うとおりだ。機会をもらえないか?人手は欲しいんだろ?」

「人手は欲しい。だからと言って誰でもいいわけではない」

「わかっています。お遊びでできることではありません。ただ一緒に遊ぶだけではだめなことも。大事な子どもさんを預かるのだから、重い責任があります。でも、子どもを預ける目処がたたないと診療所の方も人が集まらないのでは?」

診療所で働く従業員の中には子どもの面倒を見る必要がある人もいる。その人たちが安心して働くことができなければ、働きたくても働けない。

「わかっていらっしゃる。ふむ、頭は悪くないですね」
「当たり前だ。この私が教えているお方だ」
「それほど利口なら、ご自分が無茶を言っているとわかっていらっしゃるのではないですか?給料もいらないなんて自分を安売りしてまで働く必要などないでしょう。お前もいくら教え子と言えど、こんな酔狂に付き合うなんてもうろくしたな」

自分に自信をつけるため働きたい。
確かに自分本位な理由だ。
世の中には生きていくために働かなくてはいけない人が大勢いるというのに、働く必要のない立場の私がいくら懇願しても真剣に受け止めてくれないのは当然のことだ。

「先生は悪くありません。先生は私のためを思って……」
「あん?」
「私がだてや酔狂で働きたいと言っているのではないと、どうすれば納得していただけるのですか?」
「そうだな……一ヶ月……毎日一日も欠かさずここに通って、まずは診療所の手伝いからしてもらおうか。最初は朝から昼過ぎまででいい。あ、給料は出さないぞ。いらないと言ったのはそっちだからな」
「おい、いきなりそれは……それに診療所の患者は男だって……」
「なんだ?患者を選り好みするのか?もちろん、いきなり患者の面倒なんて任せるわけがない。やるのは炊事や洗濯、食事の世話だ」
「いや、それだって……」
「わかりました」
「え、クリスティアーヌ様……」

ニコラス医師の出した条件に先生の方が躊躇するが、働くということが生易しいものではないことは理解している。
クリスティアーヌの体力がどれくらいもつのか些か不安ではあったが、倒れた際に診てもらってどこも悪くないと言われているのだから、後は気力の問題だ。

「特別扱いはしない。ただし、お屋敷からここまで通うまでに何かあっても困る。付き添いが必要なら他の者に気づかれない範囲でやってくれ。ジオラルだけでは大変だろうし、そこまでこいつも暇ではないだろう」
「わかりました」
「クリスティアーヌ様……本当によろしいのですか?」

フォルトナー先生は不安そうに私とニコラス医師を見比べる。私をここに連れてきた責任を感じているのだろう。

「失敗するかもしれません。でも、今度は後悔したくないのです。ただ人に頼ってばかりの自分は、もういやなんです」
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